蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~   作:サークル『熊の巣穴』

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29 御料船団救出「FIRST PENGUIN」

央暦1969年5月31日

夷俘島 斗米空軍基地

葦原国大和幕府空軍第1航空団『彰義隊』

志村“Chase”良介二等空尉

 

 斗米の市街地に到着する頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 

「……」

 

「……」

 

 現公と別れて以来、とても微妙な空気を醸し出している田中空軍歩兵と宗治郎に囲まれつつも。

 良介はようやく斗米基地へと帰還した。

 

 主な出入り口となる正面ゲート。

 そこでは基地を守る警衛が実弾入りの小銃を携え、通行を監視している。

 

 しかしその中にひとりだけ、異質な人物が混じっていた。

 

「あれれ? あのキンカン頭は……」

 

 警衛に混じって基地警備をしているとは思えない。

 良介は車から降りて、ひと月ぶりの上司に駆け寄った。

 

「おーい! ボス!」

 

 その声に、哲也の視線が反応した。

 脚にギプスがついているが、自力で歩行は可能らしい。

 さもなくば、この場で立ち尽くす事など到底不可能だ。

 

「よう、しむすけ。無事に戻ったって事は、ゴタゴタは無事解決したんだな?」

 

 この古強者は良介の記憶と寸分違わぬ力強い笑みを浮かべた。

 少なくとも、今のところは。

 

「おう。何事もなく終わったぜ……もしかして、俺のこと待ってた?」

 

 そう。

 今回の外出と屋岸への移動は、この男の退院を出迎えるために行ったのだ。

 それがまさか、逆転して良介が迎えられる側とは。

 

「そんなのはいいんだ。お前が男との約束守らないのは、いつもの事だしな」

 

「あはは……」

 

 確かに、彼との約束を何度かすっぽかした事がある。

 女の子とデートの約束を入れたり、合コンの約束が入ったり。

 もちろん、絶対に守らないということはないが───

 

「歯ぁ食いしばれ」

 

 条件反射で、良介は硬く口を閉ざした。

 直後、良介の顔面に哲也の固い拳が突き刺さった。

 

 完全に不意を突かれた良介は大きく後ずさって、尻もちをついてしまった。

 

「痛ったーい……いつもの事じゃないのかよ?」

 

「志村良介! お前二尉のくせに、いつの間に一佐越えした!

いつ責任者になった!」

 

 その件か。

 哲也の怒りは、あの病院での話だ。

 

 脚を折って何も出来なくなった哲也に代わり、良介が幕府軍に加担する旨の決断を下したのだ。

 これは本来ならば、最上位の哲也が行うべき決断である。

 良介が行ったのは明確な指揮系統の無視、越権行為だ。

 

「悪かったよ、あんたがボスなんだからな」

 

「そうじゃねぇ。上からの指示待ってられねえのが現場の常だ。

だがな、何かあった時に責任(かぶ)んのが指揮官(おれ)の仕事だ!

お前じゃねぇ! 10年自衛隊の飯食ったくらいのペーペー風情が、

一人前ヅラをするな! このエース野郎!」

 

 彼らしい叱責である。

 怒りの根源は良介が行った越権行為ではなく、越権行為の結果、その決断の責任が良介に課せられるという点である。

 

 航空自衛官としての任務を逸脱して、大和幕府に加担すると決めたのは良介であり、哲也ではない。

 決めたということは、同時に決断の責任も生じる。

 本来の最上位であり、責任者でもある哲也に課せられるはずの責任だ。

 

「ちぇっ、悪かったよ。今度からは飼い犬らしく、飼い主の指示を待つよ」

 

「わかればよろしい」

 

 差し出された手を、良介は強く握りしめた。

 病み上がりだというのに、相変わらず力強い手であった。

 

「くそっ。俺の顔面が崩れたらどうするんだ? 世界中の女の子から叩かれるぞ」

 

「空でくたばったら木っ端微塵だ。戦闘機乗りに顔面なんか関係ねぇ、気にするな」

 

「ハゲも気にならないもんね?」

 

「このガキ!」

 

 松葉杖を捨てた哲也は、良介の頭にぐりぐりと拳を押し付けた。

 そこに、車から降りた宗治郎と田中空軍歩兵が追いついた。

 

 その気配を察した哲也はすぐさま居住まいを正し、10度の敬礼を行った。

 

「お疲れ様です、総裁殿」

 

「一佐、楽にしてくれていい……志村二尉のように」

 

 良介はわざとらしくポケットに手を突っ込み、視線をそらして意思を表明していた。

 肘で突かれても、その態度を改める気はない。

 

「気にしなくていい。二尉の怒りはもっともだからな」

 

「ですが……」

 

「……初手脅迫で来る野郎に、敬意なんか示せるかよ」

 

 それが良介の抱く宗治郎への印象である。

 確かに自ら連絡機を駆って現場へ赴く面白い司令官だが、やり方に問題があり過ぎた。

 

 第一、隣で敬意を示している哲也はその人質だったというのに。

 これが大人の対応というやつだろう。

 

「とにかく。航空自衛隊第11航空団第114飛行隊隊長、鈴木哲也一等空佐。

これより幕府軍の勝利のため、最善を尽くします」

 

 明らかに言ってはいけない言葉を、哲也は口にしていた。

 これは航空自衛官として他国の内戦に介入するという宣言に他ならない。

 

 一介の自衛官、軍人としてあってはならない姿勢だ。

 たとえ、帰還のためだとしても。

 

「航空自衛官として、それ言っていいのかよ?」

 

「誰のせいで言う羽目になったと思ってるんだ、童貞(チェリー)野郎!」

 

「ちぇちぇちぇっ、ちぇチェリーじゃないっての!」

 

 実際、お前は童貞ではないか。

 

「鈴木哲也一等空佐、志村良介二等空尉。よろしく頼む」

 

 表情を緩めた宗治郎は、静かに敬礼した。

 その態度もまた、良介にとって気分のいいものではなかった。

 

 哲也もギプスが必要とはいえ、居ても立っても居られない性分なのは明白だった。

 以降、飛行が可能になるまで彰義隊のアドバイザーとして作戦立案や訓練に参加することとなった。

 

 心強い存在だが───

 この男、恥ずかしい過去を彰義隊の面々に暴露するのではないか。

 

 そんな疑念が良介の頭にこびりついていた。

 

 とはいえ、まずは居室だ。

 同郷人として兵舎の部屋まで同行している際、不意に哲也が尋ねた。

 

「良介、いいか?」

 

「? なに?」

 

 自分から尋ねておいて、哲也はしばし沈黙し───

 意を決したように息を吸うと、口を開いた。

 

「平気か?」

 

「俺はエスパーじゃないから、主語を欠かされるとわからないぞ」

 

「だから、つまりだな……」

 

 これほど歯切れが悪いとは珍しい。

 他人を童貞呼ばわりするような人間が、一体今更なにを躊躇うというのか。

 空いた手で毛髪のない頭頂部を掻くと、ばつが悪そうに言った。

 

「俺はイジェクトした後、下からお前が戦う姿を見てた。お前が墜とした機体、

ほとんどがパラシュートを確認できなかった……」

 

「ああ……」

 

 つまり、この男はこう言いたいのだ。

 人を殺した気分はどうか? 気に病んでいないか?

 ノンデリ気質な良介でも、確かに躊躇われる質問だ。

 

「引かないで欲しいんだけどさ」

 

「ああ」

 

「思ってた以上に簡単で、気にならなかった」

 

 それは、戦闘機という間を挟んでいる影響だろうか?

 あるいは良介本人が2%の側なのか。

 

 志村良介は異世界とはいえ、正当防衛とはいえ。

 間違いなく同族(ヒト)を殺したというのに。

 深い感慨を抱くことはなかった。

 

「訓練の成果かな? それか、俺がおかしいせいかもしれないけど」

 

「もういい。大丈夫だ。それ以上は、言わなくてもいい……」

 

「気色悪いな、急に優しくなって」

 

「あのなぁ……自衛隊の中でも、実戦経験者なんてのは公的にはゼロだ。

俺だって、さすがに気にする」

 

───さっき政府側の特殊部隊に銃撃されたって言ったら、どんな反応をするんだろう?

 

 そんなことを考えられる時点で、お前が命の危機を何とも思っていないのがわかる。

 

「ま、とにかく……問題がないなら、それに越したことはない」

 

「もちろん。俺のような模範的自衛官が、問題なんて起こすはずがないだろ?」

 

「は?」

 

「はぁ?」

 

 哲也だけでなく、聞き耳を立てていたのか田中空軍歩兵も疑問を呈した。

 まったくもって正統な疑問である。

 

 どの口からそんな言葉が出てくるのだ、お前は。

 私ではないぞ。私はむしろ抑制している側だ。

 

「ああ。そこの方の反応で、お前がいつも通り(・・・・・)なのがよくわかったよ」

 

「ええ……今日も凄かったんですよ」

 

「なるほど。今回も、誰かのために約束すっぽかしたわけか」

 

「よ、余計なことを……とにかく、ここじゃないの?」

 

 おしゃべりをしているうちに、一行は哲也の居室に到着した。

 良介と同じく個室で、ベッドまで用意されている。

 

 一足早く良介は部屋にお邪魔すると、隅っこやベッドの下を確認し───

 

「ようし、問題なさそうだ」

 

 田中空軍歩兵も良介が抱く不信感を理解はしているのだろう。

 無礼と思える行動に、嫌な顔を浮かべることはなかった。

 

「ボス、荷解きを手伝おうか?」

 

「解く荷もねえよ。これだけだ」

 

 恐らく幕府軍から貰ったであろうボストンバッグ(?)を机に置くと、哲也は椅子に座りこんだ。

 聞くところによると、彼は斗米基地について以来ずっと正門前で良介を待っていたとか。

 

「お疲れか?」

 

「久々に突っ立ってたからな……でも、もう大丈夫だ。明日の訓練にも参加する」

 

「手伝いは?」

 

「いらん。自分で全部やれる」

 

 強情な男である。

 病院で入院している時もそう言って、看護師をかえって困らせていた姿が容易に目に浮かぶ。

 しばし黙って様子を伺っていると、手を振って出ていくよう促してきた。

 

「もし何かあれば、空軍の人間にお知らせください」

 

 田中空軍歩兵がそう告げて、この場はお開きとなった。

 

 良介も斗米に来てそれなりに経つ。今更迷うような事もない。

 立哨の歩兵と駄弁る気力もさすがにないので、大人しく自分の部屋へ向かう。

 

 自分の部屋とはいえ、信用できない幕府から与えられた部屋だ。

 何者かが不在の間に侵入していないか探るため、良介は扉に髪の毛を挟むようにしていた。

 

 髪の毛の一本が扉の隙間から落ちたところで、気にする人間はいない。

 スパイじみた事をやってみたかったというのが本音だが───

 

「うるさい。状況が状況だから、用心に越したことはないだろう?」

 

 それは一理ある。

 では、扉に挟んだ毛を調べると───あった。

 寸分違わぬ位置に、良介の長い前髪が挟まれている。

 

「侵入なし……っと」

 

 がちゃっ。

 開錠して部屋に戻ると、卓上に本の山が積み重なっているいつもの光景が───

 

「おっ帰りー! 遅かったね、何かあったの?」

 

 見覚えのない少女が、部屋の椅子に腰かけて良介を出迎えた。

 この馬鹿め、部屋を間違えたか?

 

 いや、彼女は良介を待ち構えていて、かつこの世界で買い込んだ本の山のラインナップは全て記憶通り。

 これほどの本の山が置かれた部屋は、良介の居室以外に考えられなかった。

 

 では警備の目をかいくぐり、侵入対策のトラップを見抜き、かつ施錠された部屋に忍び込んだ彼女は何者か?

 ひとまず、立哨の兵士に通報するべきだろう。

 

「参ったな。俺としたことが、女の子との約束を忘れちゃってたかな?」

 

 こら、まず通報だろうが。

 こらこら、だから部屋に入らずまず逃げるべきだろうに。

 こらこらこら、そんなに気安く歩み寄るべきではないぞ。

 

「……うわ、この状況でフツー部屋に入る?」

 

「もし君が俺の命を狙ってるのなら……俺はもう死んでる。そうでしょ?」

 

「うん。眉間撃ち抜いてる」

 

 可愛い顔をして、あっさりと恐ろしいことを口走る女の子である。

 年の頃は───良介より一回り若いくらいだろうか。

 

 彰義隊の選抜に参加している民間人?

 それにしては、彼女にはらしさ(・・・)がなかった。

 

 彼女が何者なのか、聞き出す必要があるな。

 

「君のことはよく覚えてるよ……こんなところまで、よく来てくれたね」

 

 嘘である。

 女の子に対して覚えていない、と言えば失礼になると考えた良介は出まかせを口にしたのだ。

 

 いや、ここは素直に聞くべきタイミングだと思われるが。

 

「え? うっそだー。じゃ、名前言ってみ? あたしの」

 

「なっ、名前っ⁈」

 

 ほーら、こうなる。

 ヒントなど皆無なのだから、答えられるわけがない。

 

「えーと、何だったっけ?」

 

「ほら覚えてなーい! ……ま、名前なんか教えてないんだから、

当たり前だけどね」

 

「……」

 

 何なのだこの女の子は。

 しかし、名前すら教えていないとなるとあまり深い関係がない事は伺える。

 名前は教えていないが、源氏名は話した。ということは、さすがにないだろう。

 

 少なくとも、葦原でその手の店に通った経験は───

 記憶の限りでは、ない。

 

「ひ、ヒント!」

 

「ヒントぉ? ……そうだなぁ、じゃ。こうすれば思い出せる?」

 

 椅子から立ち上がった彼女は一歩踏み出し───

 瞬きする間に、互いの息遣いを感じられる距離まで接近した。

 

 縮地の如き間合いの詰め方。

 この瞳。

 そして脇に感じる固い感触。

 

 まだ丸半日も経っていない出会いなのだから、忘れられるはずがない。

 

「……やあ、数時間ぶり」

 

「よかったー、思い出してくれて」

 

 顔を見たくらいで思い出せないのは当然だ。

 なにせ先ほど会った彼女は、頭巾で容姿を隠していたのだから。

 

「で、慌てないの? 改めて殺しに来たのかもしれないのに?」

 

「さっき言ってたじゃないか。殺すつもりなら、もうやってるって」

 

「うん……少なくとも、あたしがここまで来たのはそれが目的」

 

 脇にあった感触が離れ、彼女が右手に持つ物体が良介の胸に向けられた。

 

 それは文庫本だった。

 しかし単なる文庫本ではなく、こっそりF-2に持ち込んでいた日本の小説。

 辻村たくろう著の『同級生』であった。

 

「悪いんだけど、それは大事な小説なんだ……返してくれないかな?」

 

「ああ、ごめん。見たことない装丁の本だったから、

ちょーっと読ませてもらってたの。ダメだった?」

 

「ひとこと言ってくれればオッケー」

 

「じゃあ、ちょっと借りていい?」

 

「いいよ」

 

「ありがとぅー」

 

 い、いや。何をカップルみたいな会話をしているんだお前は?

 彼女の正体を明かす、それが現状で最もすべきことではないのか⁉

 

───まあまあ。彼女にも事情があるみたいだから、おいおいな。

 

 まさか暗殺者相手にそのような甘さが通じるとでも?

 まったく、死んでも知らんぞ。

 

 そして驚いたことに、ふたりは読書を始めた。

 片や椅子に座ってこの世界の本を読み。

 片やベッドで横になって異世界の本を読む。

 

 どうなっとるんじゃ、この状況。

 

「ところでさ、えーっと。チェイスさん?」

 

「志村良介。よろしく」

 

 そうか、彼女は良介の本名すら知らなかったのか。

 だから、どういう関係なのこれ?

 

「じゃあ、しむすけさぁ……」

 

 良介は読書をやめて、ベッドの彼女に視線をやった。

 

「しむすけ、やだった?」

 

「いや、ダメじゃないけどさ……なに?」

 

「しむすけって、この本の主人公の真似っこしてるの?」

 

 『同級生』。

 少々女性関係にだらしない主人公が、高校入学して一目惚れしてしまった高貴な生まれの同級生に初めて声を掛ける場面から始まる。

 確かに良介と似通う部分はあるが───この男の単純な性格には、かなり複雑な経緯があった。

 

「実は、違うんだなこれが」

 

「ふぅん……しむすけの、日本っていうとこ? 葦原と違って

五民平等が出来てるし、平和なんだね」

 

 葦原人から日本の小説を読むと、そう思えてくるのだろう。

 厳密にはまだまだ問題が山積みされているが───葦原の情勢と比べれば、否定するのは嫌味になる。

 

「実際に生きてると色々あるけど……葦原からすれば、

十二分に恵まれていると思う」

 

「……神兵モノの小説って、神兵が来た世界が色々書かれてるんだけど、

大体あたしたちの住む世界(ここ)とは違って、

すべてが恵まれてる楽園みたいな書かれ方するんだよなー」

 

「し、神兵モノ……」

 

 確かに、歴史に残っていればそういう作品も発表されて当然だろう。

 果たしてどのような内容なのか良介はまだ目を通していないが───

 自分と同じ境遇の気恥ずかしさと、とんでもない内容を目にしたくない気後れがあった。

 

「研究者は基本的に否定してるけど、やっぱりすごいと思う!」

 

「……そう?」

 

「だって、この本だっていいとこのお嬢様が

普通の家の子と一緒の学校に通うってのが、

あたし達にしてみればとんでもない話なんだからさぁ」

 

 現代の日本では、基本的に学力次第で通う学校が決まる。例外はあるが。

 しかし葦原で例えれば、武家の子が通う上等な学校に、農民(のうぎょう)工員(こうぎょう)の家の子が通うことはあり得ない。

 下手をすれば学校にすら通えない。

 

 たとえ農・工民の子のIQが180あっても、ダメなものはダメ。

 身分とはそういうものである。

 

「……そういえば、政府側って五民平等を掲げてるんだっけ」

 

「そうだよ。実現する気全くないけど」

 

「あぁ……」

 

 政府側が幕府に対して大きく優位に立ったのは民衆からの支持があったが、調べてみると掲げている理想は間違いなく政府側が良介達との価値観に近く、現代的であった。

 その実態は───幕府側にいて知る機会はほぼなかったが。

 

「えっとさぁ、あたしって藩に親から引き離されて、

この仕事させられるようになったんだよね」

 

(おおやけ)が暗殺要員育ててるの⁈」

 

「あたし、水丘(みなおか)藩の生まれなんだけどさ。そういう感じ」

 

「……そっか」

 

 良介と比べてはいけないほどに、壮絶な人生である。

 藩、すなわち事実上の国家が親から子を奪い、人殺しとして育てるとは。

 

 五民平等。

 差別なき世界を実現すると語る側が究極の人権侵害を黙認するどころか、その産物を活用する。

 正常な理解を持っているなら、欺瞞(ぎまん)を感じるだろう。

 

 地球の歴史にも類似例はあったが、実例を目の当たりにするとやはり圧倒される。

 それでもそんな過去を感じさせない明るさを持っている点は、彼女の強さなのだろう。

 

「……ね、しむすけ。どう思った?」

 

「え?」

 

「だからぁ、感想聞かせて!」

 

 何だこの女は。距離感が壊れているうえに構ってちゃんなのだろうか?

 さすがの良介も言葉が見つからなかった。

 

「えー……言わなきゃダメ?」

 

「いや、言わなくてもいい。知りたいけど」

 

「なんだそりゃ」

 

「うーんとさ……サトリ、っていうらしいんだけどさ。

あたしって、他人の考えてることわかるんだよね」

 

 一種の超能力、テレパスというやつであろうか。

 しかしそれはそれで疑問が浮かぶ。

 なぜそこまでして、良介の感想にこだわる?

 

「他人の考えてることがわかるなら、俺の心を読めばいいじゃないか」

 

「わっかんないんだよね、しむすけだけは。

何考えてるのか、次どう動くのか。全ッ然」

 

「……俺が異世界人、神兵だから?」

 

 なにせ魔法が一切通じないばかりか、この世界ですら正体不明の怪奇現象である果ての雲を無力化出来る人間なのだ。

 今更超能力が通じなくとも、驚きはない。

 

「あたしみたいな人って、昔からたまーにいるみたいなんだけどね。

でも神兵とかは、どうも違うっぽいんだ」

 

「そうなの?」

 

「でなきゃ、しむすけ殺すためにあたし選ばれないって」

 

「こわ……」

 

 すっかり居座っている彼女だが、そもそも彼女は良介の抹殺のため政府側から送り込まれた暗殺者なのだ。

 神兵の心も読めると判断されていなければ、貴重な特殊技能を持つ人間を寄越したりはしないだろう。

 

「……人の心が読めるから、忍び込むにも戦うにも強いってわけか」

 

「そりゃもう。壁越しでもある程度読めるから、位置もわかるし」

 

「うーん。つよい」

 

 これはどういうことなのだろう。

 生体電流を通じて脳内シナプスを読み取れてしまうとか、そういうのだろうか。

 この辺りを研究するには良介では知識不足過ぎたが、だとすると良介の思考が読めない理由がわからない。

 

───お前がいるからじゃないか?

 

 ちょっとありそうで怖いのやめろ。

 それよりも、そろそろ彼女に目的を明かすよう求めるべきだろう。

 

 なぜ、任務を無視して良介を殺さないのか。

 手順はもう十分踏んだはずだ───

 

「ひとつ聞きたいんだけどさ。俺を殺しに来たのなら、どうして殺さないの?」

 

「しむすけが、なーんにもわかんない人だったから」

 

「……なんだか、凄くバカにされてるような言い方だぞ」

 

「ごめんごめん! そういう意味じゃなくってさ……」

 

 明るさを保ってきた彼女の表情が、ほんの少しだけ曇りを見せた。

 

「今まで殺してきた人や、一緒に殺しをやってきた仲間、

あたしに殺しの術を叩き込んだ教官。最後に会いに来た時、

念入りに殴られた上で別れさせられたお父さんお母さん。

みんな分かった……わかんなかったのは、しむすけだけ」

 

 唯一の例外。

 それを殺すのは惜しい、というわけである。

 

 価値観とは、その者が築いてきた歴史と環境によって構築されるものだ。

 すると超能力者の価値観とは、他人には理解しがたいものとなるだろう。

 

 ましてや、常に他人の思考が流れ込んでくる生活。

 常人の想像を絶するものに違いない。

 

 当然一般人の良介にも理解できない発言だったが───

 この世で最も重要なのは、多少わからない事でも、無害なら受け入れることである。

 

「そっか。わかんないけど、わかった」

 

「いやそれどっちよ」

 

「俺は超能力を持っていない……だから、理解できない。

でも君が俺のことを死んでほしくない。そう願ってくれたのはわかった。

これでどう?」

 

 良介の出した答えに、彼女は笑みで返した。

 

「及第点!」

 

「ちぇっ。精進するよ」

 

 おい、なんか綺麗にまとめようとするんじゃない。

 彼女から聞くべきことはまだあるはずだ。

 志村良介暗殺計画の全貌、関与する人員だ。

 

───やめろよ無粋だぞ。

 

 殺されるかもしれないのに無粋もクソもあるか!

 いいから聞け! 私は死にたくないんだぞ!

 

「……つまんないこと聞くけどさ、俺の暗殺ってどうなるの?」

 

「あー、それ。とりあえずは心配しなくていいよ」

 

「どうして?」

 

「幕府の人には明日説明するけどさ……藩、政府軍から足抜けするのに。

あいつら邪魔じゃん?」

 

「なんだか、凄く怖い事を言うような気がする……」

 

「まーそうだ。全員ぶっ殺した足で、ここに来た。思ったより簡単だったよ」

 

 名前も知らない彼女だが、そこまでするほど良介を想っているらしい。

 悪い事は言わない、すぐにでも幕府軍に通報して距離を取った方がいい。

 

 確かに見逃してくれた恩と、自分を狙う暗殺部隊を排除してくれた恩はあれど、さすがにそこまで手段を択ばない女は危険すぎる。

 この思考回路が良介の排除に向けられた時、何が起きるやら───

 

「恩返ししないとな……ずっと聞きそびれてたけど、名前は?」

 

 もちろん、これは単なる会話なんだよな⁉

 この後、ちゃんと拘束してもらうんだよな⁉

 

「あたしは……ちよ。千代がいいかな」

 

「昔の名前?」

 

「……なんでわかるの?」

 

「俺みたいな魅力的な男になると、女の子の心が読めるんだ……」

 

 もちろんそんなはずもなく、当てずっぽうである。

 しかし、嫌な予感がしてきたぞ。

 

「うそつきー。さっきあたしの名前読めなかったじゃん」

 

「……千代ちゃん。それじゃあ、お礼に今度、食事を奢るよ」

 

 馬鹿! 誤魔化すために変な期待を煽るんじゃない! こら、手を重ねるな!

 おいまさかお前、そんなに顔を近づけて───やめろっ、後戻りできなくなる!

 ダメだって───!

 

 その時、世界が暗闇に閉ざされた。

 

 消灯時間である。

 幕府空軍の兵舎では就寝時間に強制消灯されるのだ。

 たとえば、良介のように睡眠時間を削って読書に耽る人間を寝かしつけるために。

 

───ふっふっふ。意図せずして最高のシチュエーションが誕生してしまったなぁ……!

 

 まさかお前、こんな状況で致す(・・)つもりか?

 こんななし崩し的なシチュ、ダメに決まっているだろう。

 もっとこう、ちゃんと手順を踏んで───!

 

「そういえば、千代ちゃん。さっきのことだけどさ……」

 

「さっき?」

 

「千代ちゃんの生まれをどう思うかって話」

 

 視界は完全に闇に染まり、体温と息遣いだけが互いの存在を示していた。

 果たして、千代がどのような表情を浮かべているのか。何を思っているのか。

 互いに何もわからない、対等な状況が発生していた。

 

「俺みたいな、ぬるま湯に浸かってきた人間が言うのもなんだけど……

辛い状況でも、ここまで明るく振舞えるってのは、すごいと思ってる」

 

「え? それ嫌味?」

 

「嫌味なもんか。正真正銘、マジで凄いと思ってるよ」

 

「……あのさ。あたしって、結局のところ自分の意思で殺しをやってたんだよ?

仲間をぶっ殺しても平気のへだし」

 

「そうだね」

 

「罪のない人だって……大勢殺した」

 

「かもね」

 

「ただ、状況に流されてただけ。明るい、陽気な態度だって。

ただのカラ元気だよ」

 

「流されたのは過去の話だろ? 今は自分を変えるために行動した。

……罪のない人に手を掛けた過去は、正直どうなるか俺にはわからない。

そのうち報いを受けるかもしれない。でも、変えるために行動した。

そんな千代ちゃんを、俺は信じるよ」

 

「……しむすけ。それ、本気で言ってる?」

 

「俺はいつだって本気だ……証明しよう」

 

 息遣いから逆探知し、千代の唇を目掛けて前進する。

 やがて互いの額が触れ合い、温かさが広がった。

 く、唇はもう目前だ───!

 

「ねぇ、しむすけさ……」

 

「……なに?」

 

「あたしって、常に誰かのことをわかりながら生きてきた。だけど……

わからないって、こんなにドキドキするんだね」

 

 スカッ。

 良介が置いていた千代の手が、突如として消えた。

 

「あ、あれれ?」

 

 どっすん! 良介の身体は床に転がってしまった。

 

「へへへっ。それじゃ、しむすけー、今度絶対に奢ってもらうかんねー」

 

 バタン。部屋の扉が閉まる音が聞こえた。

 部屋から完全に他人の気配が消え去り、千代の放っていた女の匂いだけが、彼女の実在を証明していた。

 

「うーん。やっぱり消灯時間はクソ!」

 

 さっきは最高のシチュエーションとか言っていたくせに。

 調子のいいものである。

 

 とはいえ、そんな具合で。

 長い一日がまた、終わりを迎えるのだった。

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