蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~   作:サークル『熊の巣穴』

5 / 156
ワールド:伊邪哭國男

この記事は中立的ではない独自解釈に基づく編集が多発したため保護されています。

議論・要望等はノートにてお願いします。

 

・中立的な観点での記述がなされています。

・正確な資料に基づいた内容となっています。

 

 伊邪哭 國男 (いざなき くにお、1949-1998)は、若櫻(わかざくら)藩出身の大葦原帝国の政治家。大葦原帝国神祇官(じんぎかん)最高神祇伯(じんぎはく)であり、葦原帝国軍最高副司令官(総司令官は中ノ宮皇帝、かつての弘山親王)でもある、1970年代から90年代にかけての大葦原帝国の指導者。

 

 五民平等・大葦原復興・無税社会の3政策を掲げて若櫻藩での反幕府運動を主導し、1965年には新時代の若き指導者として攘夷倒幕活動家として有望視されていた。1968年の葦原内戦では葦原政府の意思決定機関神祇官の最高神祇伯に任命され、その素早い終戦は内戦での被害を極限まで抑えた優秀な軍事指導者と称えられた。

 

 葦原統一後、葦原政府による大葦原復興により、超帝国沿岸部の軍閥支配地域への侵攻を主導。占領地への負担を強いることで国民への負担をなくす無税社会は結局、最も大葦原帝国が版図を広げた1985年頃でも実現することはなく、以降は超帝国領への進軍は滞った。1997年、合衆国離島への侵攻を契機に合衆国・超帝国の2国は軍事同盟を結び、葦原は逆侵攻を受ける事となった。1998年1月、首都武揚陥落を目前にして國男は武揚城地下壕にて命を絶った。

 

出自

 伊邪哭家は國男の生まれである若櫻藩に確かに名家として存在するが、伊邪哭家の國男と呼ばれる人物は存在が確認されていない。これを演説会に乱入した論客に指摘された國男は一方的な誹謗中傷、流言の類と一蹴し相手としなかった。それ以前からも、自身の生まれに関して言及することを強く嫌い、倒幕活動家や神祇官が相手でも「生まれ。そのような古い概念は、今の葦原には不要。語る必要はありません」と主張していた。一方で、倒幕活動家として活動していた1965年頃は名家伊邪哭を名乗っていたという。

 

 1997年12月、超帝国と合衆国の共同作戦によって葦原の真田藩以西は制圧され、國男は武揚城への避難を余儀なくされる。武揚城の地下壕での日々を過ごすも、数時間ごとに連合軍は武揚への包囲を進めた。1998年1月、國男の居室から銃声を聞きつけた護衛が部屋に踏み込み、拳銃で喉を撃ち抜いた國男を発見する。数分間、國男は意識を保ち治療を求めたが、治療魔術師は負傷兵の治療に駆り出され周囲にはおらず、応急処置の甲斐なく医師によって死亡が確認された。2018年、合衆国政府により公開された資料によって國男は自決以前の1995年頃から度々失踪を試みるも、その度に発見されて最高神祇伯の椅子に連れ戻されていたことが明らかにされた。また、同資料には國男の遺書が含まれており、杜撰な計画を肯定して祭り上げた葦原国民への恨み節に続いて、自身の軽はずみな行為への恐怖と後悔が綴られていた。享年52歳。

 

人物

 180cm越えの身長と優れた容姿は2020年代の現在となっても最高の指導者と評する声が大きく、様々なメディアで空知竜司と並ぶ人気を誇る。一方、様々な報道で穏やかな人格と評されているが、こちらは反証も多く残されている。1970年の葦原世界博覧会では葦原パビリオンを視察するも、パビリオンの観客の大多数が政府の用意したサクラであることを知ると激怒し、人目も憚らず秘書を打擲したと西国毎朝新聞の四谷記者によって報道された(彼女は後に、不自然な死を遂げる)。しかし民衆と共にダンスに興じることで直接国民の声を聞くなど、民主主義を自称する国家の長としての役目を果たそうとする一面も存在した。

 

軍事的指導者としての素質

 葦原内戦において、國男は葦原軍最高副司令官として優れた戦略的指揮能力を発揮したとされている。一方で極東大戦後、当時を知る葦原軍司令部要員の回顧録では参謀本部へ指示を丸投げしてばかりで、直接指示を出した例は極めて稀とされている。また人権団体により葦原内戦での屋岸空爆への関与が調査されたが、こちらは東征空軍司令部による判断であった事が判明している。一方で作戦案を認可したという事実も残されており、詳細は未だに謎に包まれている。

 

芸術

 若櫻藩の志士として名が知れた頃から、「本来、私は武士ではなく芸術で身を立てる者だ」と周囲に話し、特に彫刻家を志していたとされている。もっとも著名な作品は、世界博覧会葦原館にて公開された『神の遣わしたきたい』を挙げられる場合が多く、内戦初期に目撃した安芸藩空軍出身の戦闘機部隊『神機隊』の活躍にインスピレーションを受けたとされるも、彼の死後の評価はあまり高くない。この作品以外にも國男の作品は葦原各地に保存されているが、どれも評価が芳しくない。

 

経歴詐称疑惑

 若櫻藩藩主に才を見初められて武揚学問所に通ったとされているが、幕府は学問所の記録にそのような人物はいないと主張している。学問所の記録は1970年に葦原政府が主導した学術再興運動によって破棄されており、現在その記録を確認する術は失われている。しかし若櫻藩の保有していた記録に國男の名がないのは確認されており、伊邪哭國男という名が本名ではない事は確実視されている。

 

後世の評価

 葦原史の第一人者ヨク・ヨーム教授は自身の著書で「伊邪哭國男が葦原をはじめとした極東地域へ混乱をもたらした元凶のひとりであることに異論はない。一方で、彼とその周囲だけが問題だったかというと、そうではない。葦原が築いてきた歴史、彼を支持した葦原国民、対立した幕府。それぞれに問題があり、偶然にもそれらすべてが伊邪哭國男という特異点の出現によって爆発的な反応を起こし、結果的に極東大戦や大破壊へと繋がったに過ぎない。指導者が悪かった、軍が悪かったなどの短絡的で安易な回答に逃避しているようでは、いずれどこかで同じことが起きるだろう。国民ひとりひとりが問題から逃げずに向き合い、賢くあろうとしなければ非現実的な目標のために国家は動き出してしまう。これは民主主義国家に限る話ではなく、あらゆる政治形態においても変わりはない」と評している。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。