戦死した人斬り剣豪によるTS放浪記   作:剣豪

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第二十四話

 神殿の門は、街の中層にあった。

 

 谷の斜面を這うように伸びる石段を上り、厚い扉をくぐると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 

 外の喧騒が嘘のようだ。

 

 高い天井と、壁一面に描かれた女神のフレスコ画。祭壇には、女神像の縮小版と、剣を模した銀色の装飾が置かれている。

 

 クリストフは、二人を人目の少ない小部屋へ案内した。

 

 粗末な机と椅子が一つずつ。壁には、巡礼路の地図と、簡単な記録用の板が掛けられている。

 

「無骨な部屋で恐縮です」

 

「静かな方がいい」

 

 シオリは、背もたれに寄りかからずに椅子に座った。

 

 カリナは少し緊張した面持ちで、膝の上で手を組んでいる。

 

「それで?」

 

 促され、クリストフは正面に座って帳面を開いた。

 

「先ほどの出来事を、できるだけありのままに教えていただけますか。あなたのお名前と、こちらのお嬢さんのお名前も」

 

「名前なんぞ、記録に残すほどのもんじゃない」

 

「ですが、女神の奇跡の記録には、証人の名が必要でして」

 

 奇跡。

 

 その言葉に、シオリの眉がぴくりと動いた。

 

「奇跡じゃない」

 

「ですが、多くの人がそう見た」

 

 クリストフは静かに返す。

 

「真実がどうであれ、そのこと自体には意味があります」

 

 やりにくい男だ。

 

 だが、目の奥に嘘の色はない。

 

 シオリは、わざとゆっくりと肩をすくめた。

 

「……シオリだ」

 

 女として与えられた新しい名前を告げるとき、ほんのわずかに胸の奥がざわめいた。

 

 それを表に出すことなく、続ける。

 

「ただの流れ者だ。剣を少し振るえるだけの」

 

「シオリ様、ですね」

 

 クリストフは、その名を一度だけ復唱し、帳面に書きつけた。

 

「そして、こちらは?」

 

「カリンです」

 

 カリナが、偽名をしっかりと言う。

 

「小さな村から参りました。巡礼の途中で……その、いろいろあって、ここまで」

 

 言葉を濁す。

 

 クリストフは追及しなかった。ただ、視線をほんの少しだけカリナの手元へと滑らせる。

 

 その指先に残る、ペンだこ。

 

 貴族の娘が学ぶときにできるそれを、彼は見逃してはいなかった。

 

「なるほど。では――」

 

 彼は話を戻すように、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「落ちてきた木箱を斬ったとき、何か特別な祈りや、言葉を唱えましたか?」

 

「そんな暇があるか」

 

 シオリは、鼻で笑う。

 

「考える前に身体が動いただけだ。剣を握ってた時間が長すぎて、そういう風にできてる」

 

「剣の訓練を、長く?」

 

「少しな」

 

 少し。

 

 戦場で血の海を渡り歩き、幾百という命を断ち続けてきた年月を、彼女はその一言で済ませた。

 

 クリストフは、ほんの僅かに眉をひそめたが、深入りはしなかった。

 

「女神に祈りを捧げた覚えは?」

 

「祈りは、剣が折れないように磨くことで済ませている」

 

「なるほど」

 

 神官にあるまじき返答をしたというのに、クリストフは怒るでもなく、ただ静かに頷いた。

 

 その目には、侮りも軽蔑もない。ただ、ひたすらに「観察」だけがある。

 

 彼は、帳面にさらさらと筆を走らせた。

 

 「落下する木箱」「寸前での踏み込み」「斬撃の軌跡」「少女無傷」。

 

 符号のような記録が並んでいく。

 

 やがてペンを置き、顔を上げた。

 

「ありがとうございます。……最後にひとつだけ」

 

 クリストフは、少し言いづらそうに視線を彷徨わせた。

 

「先ほど、通りで『白刃の巫女』という言葉が聞こえました。お二人は、その名を聞いたことがありますか?」

 

 カリナの肩が、ぴくりと跳ねた。

 

「ゆ、昨夜、宿で……少しだけ、お話を。昔、この街を守った巫女様がいたとか」

 

「山賊を斬った英雄譚だろう。酒場の与太話だ」

 

 シオリは、冷ややかに言い捨てる。

 

 クリストフの瞳が、その横顔にひっそりと注がれた。

 

 戦場帰りの兵が持つ、あの乾いた影。

 

 傷だらけの戦士が、神話や英雄譚を遠巻きに見るときの距離感が、そこには確かにあった。

 

「では、自分がその名で呼ばれることについて、どうお感じになりますか?」

 

「不愉快だ」

 

 即答だった。

 

「あの刃は、神のものじゃない。俺のものだ。人を斬るためだけに研いできた、汚れた刃だ。……それを、勝手に女神のものにされてたまるか」

 

 部屋の空気が、わずかに重くなった。

 

 カリナが、心配そうにシオリを見つめている。

 

 クリストフは、しばし沈黙した後、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……正直なお言葉、ありがとうございます」

 

 予想していた拒絶よりも、少しだけ深いものを見た気がしていた。

 

「今日の記録は、あくまで『一つの事実』として書庫に残します。あなたを巫女と断じるのは、まだ早いでしょうから」

 

「断じるな」

 

 シオリは釘を刺す。

 

「俺たちはただの通りすがりだ。祭礼だの、儀式だのに巻き込むな」

 

「……善処します」

 

 少しだけ言葉を濁す返答。

 

 だが、それ以上問うても無駄だろう。

 

 シオリは立ち上がり、椅子を引いた。

 

「話は終わりか」

 

「ええ。お二人とも、貴重なお時間をありがとうございました」

 

 クリストフは、礼儀正しく頭を下げた。

 

「もし可能であれば……今後、神殿からお呼び立てすることがあるかもしれません。そのときは、今日のように、少しだけ話を聞かせてください」

 

 その言葉に、シオリは心の中で舌打ちした。

 

 やはり、そう来るか。

 

「約束はしない」

 

「それで構いません。ただ、覚えておいてください。――どんなに嫌っても、人は、自分で担ぎ上げた祈りの対象を、そう簡単には手放せないものですから」

 

 妙な言葉を残して、クリストフは小部屋を後にした。

 

 

 

 白刃亭に戻ったのは、陽が傾き始める頃だった。

 

 昼の騒ぎが嘘のように、宿の中は落ち着いている。

 

 カリナは、ベッドの端に腰を下ろすと、大きく息を吐いた。

 

「……つ、疲れましたわ」

 

「人混みと神官相手じゃあな」

 

 シオリは、窓際の椅子に腰を下ろし、腰の刀を外す。

 

 脇腹の痛みが、じわりと広がる。

 

 そこへ、カリナがじりじりと距離を詰めてきた。

 

「……あの」

 

「なんだ」

 

「シオリさん」

 

 カリナは、いたずらっぽく、しかしどこか遠慮がちに微笑んだ。

 

「今日は、命の恩人であり……白刃の巫女様でも、いらっしゃるわけですわよね?」

 

「……」

 

 シオリは、しばし無言で彼女を見た。

 

 そして、静かに立ち上がると、こつん、と軽く額を小突いた。

 

「いでっ」

 

「二度とその呼び方をするな」

 

 容赦ない声音。しかし、その奥に微かな苦笑が混じっているのを、カリナは聞き逃さなかった。

 

「でも、あの子にとっては、本当に……奇跡でしたわ」

 

 額をさすりながら、カリナはぽつりと言う。

 

「ルチアちゃん。あの子の目、覚えてますか? さっきまで、わたくしの財布を盗ろうとしていたのに……助かったと分かった瞬間、あんな顔を」

 

 恐怖と安堵が混じった、子供らしい顔。

 

 それでも、その奥底には、まだ諦めていない光があった。

 

 強く生きようとする者の目だ。

 

「シオリさんが斬ったのは、木箱だけじゃありません。あの子の……死ぬしかない未来も、断ち切ってくださったんです」

 

「言い過ぎだ」

 

 シオリは、窓の外へ視線を向けた。

 

 谷を渡る風が、洗濯物を揺らしている。

 

「俺は、人を斬ることしか知らない。今日やったのも、その延長だ。木箱が人間だったら、同じように斬っていた」

 

「でも、今日斬られたのは木箱だけですわ」

 

 カリナは、真剣な顔で言い返した。

 

「ハヤテさんと戦っていたときも、そうでした。シオリさんは、わざと致命傷を外していました。あれは、ただの人斬りにはできない剣です」

 

 その名を出され、シオリの胸の奥で何かが鈍く疼く。

 

 ハヤテ。

 

 かつての好敵手。今は、エストンの歪んだ祝福によって、永遠の苦しみを強いられる亡霊。

 

 彼が最後に投げつけてきた言葉。

 

『守るものなど得て、貴様の剣は、そこまで成り下がったか』

 

 その呪いのような一言が、未だに脳裏にこびりついている。

 

「……成り下がった剣だよ」

 

 自嘲が、口から零れた。

 

「人を斬るためだけに研いできた刃が、今さら人を守る真似をしてるんだ。歪んでるに決まってる」

 

「歪んでいたって、構いませんわ」

 

 カリナは、そっと笑う。

 

「わたくしたちの命を守ってくれるのなら、それで十分です」

 

 その言葉は、あまりにも真っ直ぐで、眩しかった。

 

 シオリは、視線を逸らす。

 

「……勝手に信仰でもしてろ」

 

「はい。信じますわ。人斬りで、逃亡者で、白刃の巫女様じゃないシオリさんを」

 

「だから、その呼び方をやめろと言っている」

 

 今度は、拳骨が軽くカリナの頭頂部に落とされた。

 

「いだぁ……」

 

 小さな悲鳴と笑い声が、狭い部屋に溶ける。

 

 外では、谷底の街が、相変わらずの喧騒を続けていた。

 

 

 

 そのころ。

 

 大聖堂の奥、ひんやりとした石造りの廊下の先に、古い扉が一つあった。

 

 鉄の蝶番は錆びつき、木は何度も塗り直されて黒ずんでいる。

 

 扉を開けると、そこは書庫だった。

 

 高い天井まで届く本棚が並び、羊皮紙とインクと埃の匂いが濃く漂っている。

 

 その一角で、一人の老人が机に向かっていた。

 

 薄くなった白髪を頭の後ろで束ね、鼻眼鏡をかけている。

 

 司祭服の袖口から覗く手は、紙の色と変わらないほど白く、皺だらけだ。

 

 彼は古びた書物のページをめくりながら、小さな声で祈りとも呟きともつかぬ言葉を繰り返していた。

 

「……『二度目の剣は、女の身に男の魂を宿し、血と祈りの狭間を歩む』……か」

 

 かすれた声が、古い文字をなぞる。

 

 そこへ、軽いノックの音がした。

 

「失礼いたします、フューゴ老」

 

「入れ」

 

 老人――フューゴは、視線を紙から離さずに言った。

 

 扉がきしみ、先ほどの若い神官、クリストフが姿を現す。

 

「昼の騒ぎ、聞きましたよ。市場通りでの事故だとか」

 

「……耳が早いな」

 

 フューゴはようやく顔を上げた。

 

 灰色の瞳が、薄い膜越しにクリストフを見つめる。

 

「ここまで届くのに、何人の口を経たと思うね。『白刃の巫女が現れた』……と」

 

 クリストフは、少しだけ苦い顔をした。

 

「噂、になってしまいましたか」

 

「谷は狭い。言葉は、風より早く駆け回る」

 

 フューゴは、机の上の書を指先で叩いた。

 

「それで? お前はどう見た。――あの少女は、『奇跡』か?」

 

「……難しい問いです」

 

 クリストフは机の前まで歩み寄り、静かに答える。

 

「抜刀の速さは、常人の域を超えていました。木箱の切断面も、まるで刃を入れたとは思えないほど滑らかです。あのような斬り方ができる者を、私は見たことがありません」

 

「だが、彼女自身は奇跡だとは認めなかったと」

 

「ええ。むしろ、激しく拒絶していました。自分の剣を、神のものと呼ばれることを」

 

 フューゴの口元が、わずかに歪む。

 

 笑ったのか、苦々しく思ったのか、自分でも判然としない表情だった。

 

「……そうか。ならば、ますます怪しいな」

 

 老人は、机の上の書をぐいと押し出した。

 

 クリストフが覗き込むと、そこにはひび割れた羊皮紙に、丸めた文字で短い一節が記されている。

 

『白き刃ふたたび地に降り、巫女の貌に男の魂を宿すべし。

 

 その歩みは血を離れず、されど祈りの場に立つことを厭う。

 

 それでもなお、人々はその刃を掲げて、救いと呼ぶだろう』

 

 古い筆跡はかすれ、ところどころ読めない箇所もある。

 

 だが、「巫女」「男の魂」「刃」という単語だけは、今もくっきりと残っていた。

 

「……預言書、ですか」

 

「この谷に伝わる古いものだ。誰が書いたかもわからん。女神のお告げだと言う者もいれば、戦好きの司祭の妄想だと言う者もいる」

 

 フューゴは肩をすくめた。

 

「信じるかどうかはさておきな。……『女の身に男の魂を宿す刃』というくだりは、他に類を見ない」

 

 クリストフは、静かに息を呑んだ。

 

 昼間、小部屋で向かい合った少女の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 少女の体に、男のような眼。

 

 戦場を幾度も渡ってきた者特有の、乾いた光。

 

「シオリ、と名乗りました。自分の剣を汚れたものだと、はっきり言い切りました」

 

「巫女にしては、素直すぎるな」

 

 老人は、くつりと笑う。

 

「だが、預言が語る『白刃』が、何も女神の純白だけを意味すると、誰が決めた。血錆にまみれた刃もまた、人が『白く見たい』と願えば、それは伝承の中で白く塗り替えられる」

 

 フューゴは、ゆっくりと書物を閉じた。

 

「……大司教様にお伝えしましょう。『予言の条件に合致する者が現れた』と」

 

「よろしいのですか?」

 

「黒獅子どもがこの谷に近づきつつあると聞く。民は怯え、祈りの声ばかりが高くなる。――こういうとき、人は『物語』に縋る生き物だ」

 

 老人の瞳に、一瞬だけ冷たい光が宿った。

 

「巫女が必要だ。たとえ偽りの巫女であってもな」

 

 クリストフは、言葉を失った。

 

 神官として、信徒として、老人の言葉はあまりにも冷徹に聞こえた。

 

 だが同時に、現実でもあった。

 

 戦乱の噂に怯える巡礼者たちの顔が、脳裏に浮かぶ。

 

「……シオリ様は、それを望んでおられません」

 

「預言の『白刃』もな。ここには『望む』とも『望まぬ』とも書かれておらん」

 

 フューゴは、書物を棚に戻しながら言った。

 

「だからこそ、人間が勝手に意味を与える。女神の名のもとに、な」

 

 老人は窓の外を見やる。

 

 谷の向こう、女神像の剣が、夕陽を受けて鈍く光っていた。

 

 その光は、まだ街の誰にも届いていない。

 

 だが、じきに届くだろう。

 

「……クリストフ」

 

「はい」

 

「もう一度、そのシオリという少女の顔を、心に刻んでおけ。彼女が『救い』となるか、『災い』となるかは、まだわからん」

 

 老人の声は、静かだった。

 

「だが、どちらにせよ――これからしばらく、この街は彼女を『白刃の巫女』と呼び始める。……その始まりの日を、我々は見たのだよ」

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