戦死した人斬り剣豪によるTS放浪記   作:剣豪

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第二十六話

 川沿いの安宿街、白刃亭の一階。

 

 昼下がりの食堂は、いつものように巡礼者と旅商人で賑わっているはずだったが、この日はどこもかしこも同じ話題に染まっていた。

 

「聞いたかい、門のとこで黒獅子様を言い負かした剣士の話!」

 

「見た見た! 白い光をまとった巫女様がさ、ほら、こう……谷をズバッと!」

 

「それ、昨日の崖崩れの話だろ。今日は口で斬ってたってさ。『戦場にするなら、あんたらの首と血で払え』って……!」

 

「言ってないからな、そんな物騒な台詞は」

 

 隅のテーブルでパンをちぎっていたシオリは、パン屑と一緒にため息も噛み砕いた。

 

 向かいに座るカリナが、申し訳なさそうに笑う。

 

「でも、皆さんが安心しているのは……いいことだと思いますわ」

 

「安心しすぎて、十日後に泣くのはごめんだけどな」

 

 シオリは、スープの表面を匙で軽く叩いた。水面に輪が広がる。

 

 その輪の向こうで、ヴァナネルサが猫のように静かに耳を澄ませている。

 

「黒獅子連隊の名も、そこかしこで出ておりますな」

 

「『黒獅子がいるから他の軍は近づけない』とか、『女神様と黒獅子様が手を組んで谷を守ってくれる』とか……少し、解釈が飛躍してますわね」

 

 カリナが苦笑する。

 

 シオリは肩をすくめた。

 

「人の噂なんて、そんなもんだ。昨日の崖崩れといい、今日の門でのやり取りといい、線と線の間は勝手に埋められる」

 

 「信じたいもの」で。

 

 パンを口に運びながら、シオリは、朝のルーベンの顔を思い出していた。

 

 あの男は、少なくとも噂では動かない。命令と算盤だけで動く。

 

 だからこそ、まだ話ができる相手だ。

 

 問題は——

 

「……で、十日のうち四日で大巡礼団をでっちあげる、と」

 

 シオリは、スープを飲み干してから言った。

 

 ヴァナネルサが頷く。

 

「神殿側も、慌ただしく動いている様子でしたな。さきほど、クリストフ殿からの使いが来ておりました」

 

 テーブルの端には、小さな木札が置かれている。

 

 通常の通行用の札ではない。女神の剣の紋が二重に刻まれ、その周囲を小さな星が囲んでいた。

 

「『巡礼団の護衛および象徴として、白刃の巫女にご同行願いたい』……だそうです」

 

 ヴァナネルサが、少しからかうような口調で読み上げる。

 

「読まなくていい」

 

 シオリは、札を指先で弾いた。コツン、と乾いた音が鳴る。

 

「行かない、とは言えんよな」

 

 そう呟く声には、自分でもわかるほどの疲労が滲んでいた。

 

 カリナが、心配そうに身を乗り出す。

 

「ご負担でしたら、わたくしが一人で巡礼団に紛れ込むこともできますわ。シオリさんとヴァルは、別の道から——」

 

「それが一番危ない」

 

 シオリは即答した。

 

「大巡礼団ってのは、道を埋め尽くす、動く群れだ。兵も盗賊も、そこを狙う。護衛なしで王女様を紛れ込ませるほど、私は楽観的じゃない」

 

「……王女様と言わないでくださいませ」

 

 カリナは、胸元で木札を握りしめる。

 

 この街では、彼女は『カリン』だ。

 

 だが、既に何人かには、ほんの僅かな違和感として「それ以外」の何かが伝わり始めているのかもしれない。

 

 シオリは、彼女の顔をじっと見つめた。

 

「四日後に出立するとして、それまでにやることを整理する。ヴァル」

 

「はい」

 

「南への巡礼路の情報を洗い直せ。黒獅子の偵察経路も含めてだ。どの峠が危ないか、逃げ道になりそうな山道はどこか、全部だ」

 

「承知いたしました。神殿の書庫に旧い巡礼地図があるはず。あとは、地元の案内役にも当たってみましょう」

 

「クリストフを頼れ。あいつはまだ真面目すぎて腹黒くはなりきれていない」

 

「こほん」

 

 背後から控えめな咳払いが聞こえた。

 

 三人が振り返ると、扉のところに、まさにその若い神官が立っていた。

 

 淡い茶色の髪を束ね、いつものきっちりとした法衣姿。だが、どこか肩で息をしている。

 

「腹黒くはないつもりですが、耳はございます」

 

「……来てたのか」

 

 シオリは、わざとらしくそっぽを向いた。

 

「噂の白刃亭に、朝から多くの信徒がおしかけていると聞きまして。ご迷惑になっていないかと」

 

 クリストフは、ため息まじりに周囲を見渡す。

 

 確かに、食堂のあちこちから好奇の視線が注がれていた。

 

 「白刃様」「巫女様」「あの方が」という囁きが、酒とスープの匂いに混じって漂っている。

 

「迷惑じゃないといえば嘘になるが……まあ、宿の売り上げには貢献してるんじゃないか」

 

 女将が「そうだよ」と笑いながら、パンの追加をテーブルにドンと置いた。

 

「宣伝料だと思って食べておきな! 巫女様の名前で客が増えてるんだから!」

 

「だから、巫女じゃ——」

 

 言いかけたところで、シオリは口を閉ざした。

 

 クリストフが、遠慮がちに椅子を引く。

 

「少し、お話をよろしいですか」

 

 

 

 神殿の小部屋ではなく、白刃亭の片隅。

 

 窓際の席で、クリストフは慎重に言葉を選ぶように口を開いた。

 

「まずは、今朝の件……黒獅子との交渉、ありがとうございました」

 

「礼を言うのは、お前たちの役目じゃない。谷の外で野営している連中の胃袋だ」

 

 シオリは、片肘をついて答える。

 

「十日間、外で待つというのは、攻める側にも負担だろう」

 

「それでも時間を買ったのですから、我々としては感謝するしかありません」

 

 クリストフは、真面目な顔のまま続けた。

 

「フューゴ老から、大巡礼団の護衛の件は聞いておられますね?」

 

「ああ。断り損ねた」

 

「ふふ……」

 

 思わず漏れた笑いを、クリストフは慌てて咳払いで誤魔化した。

 

「失礼しました。……巡礼団には、谷の中だけでなく、外からも目が集まります。黒獅子も、本隊が来れば視察を寄越すでしょう。ですので——」

 

「『白刃の巫女』として振る舞え、と」

 

 シオリの言葉に、クリストフは言い淀む。

 

「その……巫女とまで呼ぶかどうかは、さておき。『女神の刃』として、人々の前に立っていただく必要はあるかと」

 

「言い方を変えただけだ」

 

 シオリは、窓の外を眺めた。

 

 谷を渡る風が、洗濯物を揺らし、遠くの女神像の剣の先で光を弾いている。

 

「そのために呼ばれたのか。……それとも」

 

「それとも?」

 

「別の理由があるのか」

 

 クリストフは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。

 

 誤魔化すほど器用ではない真面目さが、その仕草だけで透けて見える。

 

「……フューゴ老が、書庫にこもっておられまして」

 

「預言書か」

 

 シオリの言葉に、クリストフの目が大きく見開かれた。

 

「ご存じ、だったのですか?」

 

「昨夜、お前と老人が話しているのを、少しだけ聞いた。『女の身に男の魂を宿す刃』とかなんとか」

 

 クリストフは、一瞬で顔色を変えた。

 

 あの古い羊皮紙の文を、他人に聞かれるとは思っていなかったのだろう。

 

 カリナが、不安げにシオリとクリストフを交互に見つめる。

 

「……もしかして、それは——」

 

「昔の与太話だ」

 

 シオリは先に切り捨てた。

 

「預言だか狂詩だか知らないが、『偶然に似た誰かが現れた』ってだけで騒ぐのは、どこの世界も変わらないらしい」

 

 その軽さの裏に、ほんの少しの苛立ちが滲む。

 

 クリストフは、頭を下げた。

 

「すみません。あなたの知らないところで、いろいろ……」

 

「謝るな」

 

 シオリは、眉間を押さえた。

 

「面倒なのは、預言じゃなくてそれを信じたい連中だ。……大巡礼団も、その一部なんだろう?」

 

「否定はできません」

 

 クリストフは正直だった。

 

「黒獅子が谷の口に陣を張ったと聞いた途端、各地から『この目で白刃の御業を見たい』という巡礼の申し出が殺到しました。フューゴ老は、その勢いを利用して、南への逃げ道を開こうとしているのです」

 

 「逃げ道」という単語に、カリナの肩が小さく震える。

 

 彼女は両手を膝の上で組んだまま、唇を噛んだ。

 

「逃げることが、悪いこととは思いませんわ」

 

 カリナがぽつりと言った。

 

「わたくしたちは、ずっと逃げてきましたもの。王都から、森から、鉱山から……。でも、逃げるたびに、新しい人たちと出会って……守りたい場所が増えていって」

 

 視線の先には、窓の外の谷と、子どもたちの笑い声があった。

 

「アルノスも、そのひとつです」

 

 クリストフは、彼女の言葉を静かに聞いていた。

 

「……だからこそ、ここで無理に戦って死ぬのは、女神様も望んでおられないと思います」

 

 それは、信徒としての言葉だった。

 

 シオリは、わずかに目を細める。

 

「お前は、フューゴの弟子にしては真っ直ぐすぎるな」

 

「よく言われます」

 

 クリストフは苦い笑みを浮かべた。

 

「だからこそ、彼は私を大巡礼団の監督に任命したのでしょう。『真っ直ぐな者の方が、曲がった道を見つけやすい』と」

 

「言いそうだな、あの老人」

 

 シオリは、思わず口元を緩めた。

 

 クリストフは、改めてシオリに向き直る。

 

「シオリ殿。あなたにお願いしたいのは、巫女を演じることだけではありません」

 

「他にも何か?」

 

「はい」

 

 彼は、真剣な目で続けた。

 

「巡礼団の中には、本物の信徒もいれば、物見高いだけの旅人もいるでしょう。……そして、黒獅子や北都の間者が紛れ込む可能性もあります」

 

「まあ、そうだろうな」

 

「彼らは、女神の奇跡ではなく、『あなた』を見に来る。剣としての、あなたを」

 

 その言葉の意味を、シオリはすぐに理解した。

 

「つまり、私を測りに来る連中がいる、と」

 

「ええ」

 

 クリストフは頷く。

 

「その目の前で、あなたがどう振る舞うのか。それが、この先の十日だけでなく、その先の戦の流れにも影響するかもしれません」

 

「重く言うな」

 

 シオリは、額を押さえた。

 

「そんなもの、戦場では一日で何度もやっていたさ。『誰がどの剣をどこで抜いたか』で、いくつ戦の流れが変わったことか」

 

 カリナが、息を呑む。

 

「では……」

 

「今回も同じだ」

 

 シオリは、自分に言い聞かせるように続けた。

 

「成り行きで土俵に立たされたなら、あとはそこで一番ましな勝ち方を考える。それだけだ」

 

 

 

 その日の夕方。

 

 シオリは、一人で神殿の裏庭にいた。

 

 石畳の間から細い草が顔を出し、小さな井戸と物干し場があるだけの質素な庭だ。

 

 だが、ここなら人目を気にせず、剣を振れる。

 

 ——そのはずだった。

 

「まだ、その動きだと、腰が浮いてる」

 

「う、うぅ……」

 

 裏庭の隅では、ルチアとその仲間の孤児たちが、尻餅をついたり、木剣を振り回したりしていた。

 

 シオリが彼らに基本の足運びを教え始めたのは、完全に成り行きだった。

 

 昼間、石段の掃除をしていたルチアが、こそこそと木の棒を振り回しているのを見かけたのがきっかけだ。

 

「巫女様みたいに、カッコよく斬れるようになりたい!」

 

 その一言で、シオリの眉間に皺が増えた。

 

 だが、完全に断ることもできなかった。

 

 棒の振り方一つで、怪我をする確率は変わる。

 

「いいか、そこは足を交差させるなと言っただろう」

 

 シオリは、ルチアの足首を軽く指で弾いた。

 

 安物の靴越しに骨の細さが伝わる。

 

「足は、地面に根を張るように。身体だけが前に出るな」

 

「ね、根っ……」

 

 ぐらぐらと揺れながら、ルチアは必死に踏ん張る。

 

 見ていた他の子どもたちが、真似をしようとして豪快に転んだ。

 

「いったぁ!」

 

「こら、ふざけるな。自分の身体を守るための訓練だ。遊びたいなら、あっちの洗濯物でも引き倒して来い」

 

「それはもっと怒られますわ、シオリさん」

 

 裏庭の入口から、カリナが苦笑しながら顔を覗かせた。

 

 彼女は袖をまくり、腕に包帯や薬草の入った籠を抱えている。

 

「フューゴ様に頼まれて、簡単な手当ての手伝いを……と思ったのですが、先に怪我人が増えそうですわね」

 

「増やさないように指導してる」

 

 シオリは、腰の刀に手をかけもせず、身だけで動いた。

 

 子どもの棒の軌道を指先で押さえ、転けそうな足を引き寄せる。

 

 その動きは、戦場のそれとは似て非なるものだった。

 

 殺さないための剣の動き。

 

 守るための足運び。

 

 自分の身体が、そんなものを覚え始めていることに、シオリ自身が一番戸惑っていた。

 

「お姉ちゃん」

 

 少し離れた場所で、ルチアが口ごもる。

 

 額には汗、頬には土。だが、その瞳だけは輝いていた。

 

「七日経ったら、ここ、どうなるの?」

 

 その問いに、カリナの背筋がぴんと伸びる。

 

 シオリは、少しだけ空を仰いでから答えた。

 

「まだ決まっていない」

 

 正直な答えだった。

 

「黒獅子が谷を戦場に変えるかもしれないし、女神様が本当に奇跡を起こすかもしれないし、みんなで南に逃げることになるかもしれない」

 

「ふーん……」

 

 ルチアは、棒をぎゅっと握りしめる。

 

「じゃあ、今のうちにいっぱい覚えとく」

 

「何をだ」

 

「逃げる時に、転ばない足の動かし方!」

 

 あまりにも正直な答えに、シオリは一瞬言葉を失った。

 

 隣で、カリナが微かに笑う。

 

「立派な動機ですわ」

 

「……そうだな」

 

 シオリは、ルチアの頭を軽く小突いた。

 

「いいか。逃げるのは恥じゃない。死ぬよりずっといい」

 

 かつての自分なら、決して口にしなかった言葉。

 

 この少女たちに、戦う術を教える気はない。

 だが、逃げる術なら、いくらでも教えられる。

 

 その違いを、自分の中で噛み締めながら、シオリは再び足運びを教え始めた。

 

 

 

 その頃、谷の外。

 

 黒獅子連隊の野営地では、別の火が燃えていた。

 

 粗末な天幕の中で、ルーベンが野戦机の上の地図を睨んでいる。

 

 谷の出入り口、山路の分岐点、古い峠道。

 

 そこに、小さな石を置きながら、彼は静かに計算していた。

 

「七日、だと?」

 

 鼻にかかった声が、天幕の入り口から飛んできた。

 

 年若い将校が、不満げに眉を吊り上げている。

 

「副隊長、あの巫女の話なんぞで、どうしてそんなに譲歩を——」

 

「譲歩?」

 

 ルーベンは、ゆっくりと顔を上げた。

 

 その目には、笑いも怒りもない。ただ、磨かれた刃の冷たさだけがあった。

 

「お前は、あの谷を一日で落とせると思うか?」

 

「守備隊も薄いし、門も貧弱です。正面から押し込めば——」

 

「その先は?」

 

 ルーベンは、地図の上の石を指で弾いた。

 

 石は谷の中ほどまで転がって止まる。

 

「谷の中で隊列が伸びきったところに、崖の上から石が降ってきて、川が溢れ、逃げ場のない斜面で足を取られる。……お前は、その地獄を経験したことはあるか?」

 

 若い将校は、口をつぐんだ。

 

 ルーベンは、小さくため息を吐く。

 

「俺にはある。山の戦いにゃ、勝つより先に『死なないこと』を考えるべき谷があるんだ」

 

 彼の瞼の裏には、かつての戦場が焼き付いていた。

 

 狭い谷での戦。味方の叫び声と、崖の上から流れ込んでくる血と岩。

 

 あの時、自分は運良く生き残った。だが、何人もの仲間が、名前も分からない崖下に埋もれたままだ。

 

「七日は、俺たちにとっても猶予だ。上に報告を回し、あの谷を迂回する案を通す時間になるかもしれん」

 

「迂回、ですか」

 

「そうだ」

 

 ルーベンは、地図の上を指でなぞった。

 

 アルノスの谷を避ける別の山路。

 険しいが、谷内戦になりにくいルート。

 

「女神の巫女だろうが、異端者だろうが、俺にとって大事なのは兵の数と地形だけだ」

 

 その言葉は冷たく響いた。だが、そこには確かな理があった。

 

「もし七日の間に、あの谷が自分から道を開けてくれれば、それでいい。開けないなら——」

 

「なら?」

 

「その時は、その時だ」

 

 ルーベンは、椅子の背もたれに身を預ける。

 

「あの白い刃の嬢ちゃんが、本当に山を味方につけているのかどうか……試すだけだ」

 

 

 

 十日の猶予。

 

 谷の内と外で、それぞれの算盤が弾かれていた。

 

 アルノスの夜空には、二つの月が静かに浮かんでいる。

 

 白刃亭の小さな窓から、その光を見上げながら、シオリは自分の掌を見つめていた。

 

 人を斬るために鍛えられた手。

 今、その手は、逃げる術を教え、戦を遠ざけるために動いている。

 

「……成り下がった、か」

 

 思わず漏れた呟きを、夜の静けさが飲み込んだ。

 

 だが、その声に応えるように、部屋の隅から小さな寝息が聞こえる。

 

 カリナとヴァナネルサは、疲れ切って眠っている。

 

 その寝顔を一瞥してから、シオリはそっと刀に触れた。

 

 ――成り下がったままでも……結果を残して見せる。

 

 そう、胸に誓いながら。

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