戦死した人斬り剣豪によるTS放浪記   作:剣豪

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第二十八話

 予想通り、大司教からの呼び出しは翌日の昼には届いた。

 

 大聖堂の一室。

 

 昨日とは違い、窓から差し込む陽光が石床に明るい模様を描いている。

 

 だが、その光は、大司教の瞳の陰影を薄めはしなかった。

 

「白刃の巫女殿」

 

 大司教は、丁重な口調でシオリに頭を下げた。

 

 その隣には、カリナが静かに立っている。仮面の姫は、今日は隠していない。ここにいる者たちは、彼女の正体を既に知っているからだ。

 

「先日の神前裁判、誠に見事でございました。あの場に居合わせた者の多くが、今でも『神の奇跡』であったと噂しております」

 

「俺は、ただ剣を振っただけだ」

 

 シオリは、わざとらしい謙遜もせずに答えた。

 

「奇跡がどうこうってのは、そっちで勝手に決めりゃいい」

 

 大司教の口元が、困ったように、しかしどこか楽しげに歪む。

 

「……ええ。人は、自分の都合のいいように神を見ますからな」

 

 その言葉には、己自身への皮肉も含まれていた。

 

 だが、すぐにその色を隠し、彼は本題に入る。

 

「本日は、二つの件でご相談がございます」

 

「黒獅子の件だな」

 

 シオリが先に切り出した。

 

「グラズが、一部の部隊を残すって話、聞いてる」

 

 大司教の瞳に、わずかな驚きが走る。

 

 すぐに、それはあきらめにも似た色に変わった。

 

「……耳の早い猫がお側におられる」

 

「それで?」

 

 シオリは、椅子の背にもたれたまま、顎をしゃくって続きを促した。

 

 大司教は、深く息を吸い込み、吐き出す。

 

「正式な書状の上では、騎兵団本隊はこの街を離れます。一方で、『山賊討伐と治安維持のための協力』という形で、小隊が残ることとなりました」

 

「それは、つまり――」

 

 カリナが、思わず口を挟みかけ、すぐに唇を噛んだ。

 

 シオリは、その代わりに言葉を継ぐ。

 

「ここが、黒獅子の前線基地になるってことだ」

 

 大司教は、否定しなかった。

 

「わたくしとしても、谷の民を守るために、完全に彼らを追い払うだけの力を持ち合わせておりません。神の名を掲げて戦を開く覚悟も……」

 

 彼は、そこで言葉を切った。

 

「――持てませんでした」

 

 その正直さに、シオリはわずかに眉を動かす。

 

 この老人は、臆病なのではない。背負っているものが多すぎるのだ。

 

「そこで、でございます、白刃の巫女殿」

 

 大司教は、シオリに向き直った。

 

「黒獅子どもは、近く山賊討伐のために山へ向かいます。その出陣にあたり、大聖堂前で祭礼を行うことになりました。神の加護を求めるため、と、民にはそう伝えております」

 

「……言いたいことは分かる」

 

 シオリは、目を細めた。

 

「その場に、俺を立たせたいんだろ」

 

「はい」

 

 大司教は、隠さなかった。

 

「白刃の巫女が剣を掲げれば、民は安心します。黒獅子どもも、『神前裁判で認められた剣が、自分たちに味方している』と錯覚するでしょう」

 

「錯覚させてどうする」

 

「時間を稼ぎたいのです」

 

 大司教の声が掠れた。

 

「アルノスが完全に飲み込まれてしまう前に、巡礼路と商人たちの流れを変える。別の街へ避難させる者も出てくるでしょう。いずれは――王女殿下のお力添えを得て、この谷の行く末を変えることも叶うかもしれません」

 

 カリナが、はっとして顔を上げた。

 

「わたくしは……」

 

「殿下」

 

 大司教は、柔らかく彼女の名を遮った。

 

「今はまだ、その時ではありません。今できるのは、『今すぐ血が流れないようにする』ことだけです」

 

 シオリは、一言も挟まず、老人の話を聞き終えた。

 

 そして、短く結論を告げる。

 

「つまり、俺に巫女の真似事を続けろってことだ」

 

「真似事ではございません」

 

 大司教は、首を振った。

 

「民は、あなたを本物だと信じています。神かどうかはともかく、『剣を掲げた女』として」

 

「……」

 

 シオリの奥歯が、わずかに鳴った。

 

 神でも巫女でもない。

 

 ただの人斬りが、神の名の下で剣を掲げる。

 

 それを恩寵と呼ぶか、冒涜と呼ぶか。

 

 どちらにせよ、血の臭いは消えない。

 

「断ったら?」

 

 シオリは、あえて最も単純な問いを投げた。

 

 大司教は、目を閉じた。

 

「……そのときは、神殿として、あなた方への庇護を取り下げざるをえません」

 

「通行印も、宿の宛ても、全部か」

 

「はい」

 

 老人の声は、決して脅しではなかった。

 

 ただ、自分の肩に乗せられた秤の重さを正直に告げているだけだ。

 

「あなた方を匿ったことを理由に、黒獅子どもがこの街を完全に占領する口実を得るやもしれません。わたくしは、それだけは避けたいのです」

 

 静かな沈黙が落ちた。

 

 シオリは、椅子から立ち上がる。

 

「考える時間をくれ」

 

「明日の朝までに、お返事を」

 

 大司教は、深く頭を下げた。

 

*

 

 白刃亭へ戻る道すがら、シオリはほとんど口を開かなかった。

 

 カリナも、ヴァナネルサも、あえてその沈黙を破ろうとはしない。

 

 谷を渡る風の音と、石段を踏みしめる靴音だけが、三人の間を行き来していた。

 

 宿に戻ると、カリナはそのまま部屋に籠もり、ヴァナネルサは一階の酒場で情報を集めると言って姿を消した。

 

 シオリだけが、白刃亭の裏手にある狭い中庭へ出る。

 

 洗濯物と荷車が押し込まれた一角。

 

 そこだけ、谷の喧噪から切り離された小さな空き地になっていた。

 

 シオリは、愛刀を抜き放つと、誰もいない空に向けて腰を落とす。

 

 息を吸い、吐く。

 

 空気の冷たさが肺を満たし、縫った脇腹がじくりと痛む。

 

 それを無視して、一太刀、振り下ろした。

 

 空を裂く鋼の音が、狭い中庭に響く。

 

 続けて、二太刀、三太刀。

 

 短く、鋭く。

 

 神前裁判で見せたような、飾りのない斬撃だ。

 

 だが、刀身は、想像上の敵の喉や心臓を断つ寸前で、ぴたりと止まる。

 

 殺さない剣。

 

 あのとき、無意識にそう振るっていた。

 

 殺さずに、膝をつかせる剣。

 

 あれが、あの場では最適解だった。

 

 だが――

 

(勝っても、状況は変わらなかった)

 

 グラズたちは、約束の隙間を縫い、都合のいいように場を組み替えた。

 

 自分の一太刀は、ただ彼らの宣伝材料になっただけだ。

 

 勝ったと思った瞬間には、もう別の勝負が始まっていた。

 

 これは、戦場でも何度も味わった感覚だった。

 

 派手な勝利のあとに押し寄せる、じわじわとした劣勢。

 

 守るべき城を奪い返しても、その周りから兵站を削られ、じわじわと追い詰められていく。

 

 あの頃、自分はただ前線に立ち続けることしかできなかった。

 

 勝ち続けることが、敗北を引き延ばしているだけだと、薄々感じながら。

 

 ふと、別の光景が脳裏をよぎる。

 

 雪深い峠道。

 

 撤退戦。

 

 兵と民を逃がすために、敢えて一つの砦を捨てた夜。

 

 あのとき、総大将は言った。

 

『負け方ひとつで、守れるものが変わる』

 

 シオリは、刀を肩にあずけるようにして、空を仰いだ。

 

(……派手に勝つんじゃなくて、派手に負ける。いや――)

 

 彼女の唇が、かすかに歪む。

 

(派手に逃げる、か)

 

 出陣式。

 

 白刃の巫女として、群衆の前に立たされる。

 

 黒獅子と神殿の「仲の良さ」を示すための舞台。

 

 そこでまた派手に勝てば、黒獅子はますますこの谷に根を張るだろう。

 

 神殿も、自分たちも、その流れに縛られる。

 

 なら――

 

「勝負そのものを、投げ捨てちまえばいい」

 

 シオリは、小さく呟いた。

 

 出陣式が「神の加護」を示す場なら、その加護が届かない混乱にしてしまえばいい。

 

 誰も死なせずに、黒獅子の面子を剥ぎ取り、神殿の口実も奪う。

 

 その上で、自分たちは――

 

「派手に、いなくなる」

 

 広場からも、この街からも。

 

 勝ち負けの判定が下る前に、舞台そのものを壊してしまう。

 

 それは、剣士としての彼女からすれば、最も嫌悪してきたやり方だった。

 

 勝負の場から逃げること。

 

 負けを認めること。

 

 だが今は、その「負け方」こそが、最も多くのものを守る手段に思えた。

 

 そのためなら、プライドなどいくらでも噛み砕いて飲み込んでやる。

 

「……ヴァルの爆薬が、役に立つかもしれねえな」

 

 半ば冗談、半ば本気で呟くと、シオリは刀を鞘に納めた。

 

*

 

 夜。

 

 白刃亭の一室には、再び静寂が戻っていた。

 

 カリナは、昼間の大司教との会談にすっかり消耗したのか、早々に寝台に潜り込んでいる。

 

 毛布の山からは、規則正しい寝息が聞こえた。

 

 ヴァナネルサはまだ戻っていない。

 

 情報屋の顔を使えば、夜更けまで酒場をうろつくこともざらだ。

 

 シオリは、窓辺の椅子に腰を下ろし、薄いカーテン越しに谷の灯りを眺めていた。

 

 遠くで、教会の鐘が小さく鳴る。

 

 明日も、この街は目を覚まし、巡礼者たちは祈りを捧げるだろう。

 

 その日常の上に、黒い旗と神殿の金の十字が、複雑に影を落としている。

 

「……今度は、負ける方を選ぶ」

 

 誰にともなく、シオリは呟いた。

 

 自分の声が、思ったよりも掠れている。

 

 負けることを選ぶ。

 

 その言葉を、戦場での自分が聞けば、笑うだろうか。

 

 それとも、ほっとするだろうか。

 

 考えてみても、もう答えは出ない。

 

 毛布の山が、もぞりと動いた。

 

「……シオリ、さま……?」

 

 半分だけ顔を出したカリナが、目をこすりながらこちらを見ている。

 

 シオリは、少し肩を竦めた。

 

「起こしたか」

 

「いえ……今の、お言葉……」

 

 カリナは、ぼんやりとした目のまま、ゆっくり上体を起こす。

 

「負ける、方を……選ぶ、って」

 

「聞いてたのか」

 

「なんとなく、耳に入ってしまって……」

 

 カリナは、毛布を胸元まで引き寄せながら、少しだけ笑った。

 

「……シオリ様は、いつも勝とうとしてくださいます」

 

 その声は、眠気に滲んでいるが、不思議な澄み方をしていた。

 

「森で、荒野で、街の門で……。わたくし、一度も『負けたシオリ様』を見たことがありません」

 

「負けたことなら、何度もあるさ」

 

 シオリは、窓の外から視線を外さずに言う。

 

「勝っても負けても、最後には死んだ。そういう戦場ばかりだった」

 

「でも」

 

 カリナは、首を横に振った。

 

「今度、シオリ様が負けを選ばれるのなら……それは、きっと、『誰かを守るための負け』なんだと思います」

 

 彼女は、眠そうな目で、まっすぐにシオリを見つめた。

 

「わたくしから見れば、それは負けではありません。たとえ、周りの人がどう言おうと」

 

 その言葉に、シオリの喉が、僅かに鳴った。

 

「……お前は、どうしてそう、都合のいい解釈をするんだ」

 

「だって」

 

 カリナは、毛布の端をぎゅっと握りしめる。

 

「シオリ様が勝ち続けて、いつか折れてしまうのは……嫌ですから」

 

 シオリは、しばらく何も言えなかった。

 

 窓の外で風が鳴る。

 

 谷の灯りが、ゆらゆらと揺れる。

 

 やがて、彼女は小さく息を吐き出した。

 

「……そうかよ」

 

 それだけ言って、椅子の背にもたれかかる。

 

 肩に乗っていた何かが、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。

 

 カリナは、安心したように目を細める。

 

「だから、負けても……わたくしからは、負けにしません。勝ちだと思います」

 

「勝ち負けの決め方まで、お前の好きにされちまうのか」

 

 シオリは呆れたように呟き、ふっと笑った。

 

「……なら、まあ、負けてもいいかもしれねえな」

 

 その笑い声に、カリナは小さく頷く。

 

「おやすみなさいませ、シオリ様」

 

「ああ。寝ろ」

 

 毛布の山が再び丸くなる。

 

 規則正しい寝息が戻る。

 

 シオリは、しばらくその音を聞いていた。

 

 明日、大司教に「引き受ける」と告げることになるだろう。

 

 出陣式。

 

 約束された勝利と、約束された敗北。

 

 そのどちらも、己の剣で裏切ってやる。

 

 そう心に決めながら、彼女は夜の谷を見下ろす窓辺で、そっと目を閉じた。

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