戦死した人斬り剣豪によるTS放浪記   作:剣豪

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第三話

 森を出て荒野を歩き始めて、数時間が経過したころだった。頭上の双つの太陽が、わずかに西方に傾き始め、その光は大地に、異形の影を長く引き伸ばし始めた。渇ききった土を踏み締める、規則正しい足音のみが、無限にも思える土砂色の空間に響き渡る。それは、この世界の単調さと、進むべき道の途方もなさを強調する響きだった。

 

 乾いた風が、彼女の新しい体にあたるのを感じた。細く、しなやかで、かつて剣の道を極めるために鍛え抜いた、あの筋骨隆々とした自身の体とは全く異なる感触だ。かつての血肉とは異なるその感触に、微かでありながら無視できぬ違和を覚える。まるで、己のものではなくなったかのような、遠く隔絶された感覚が、常に纏わり付いていた。指先や四肢の動きに、思考との間にわずかなズレがあるかのようだ。

 

 しかし同時に、この新しい体の軽やかさ、そして内に秘められた可能性のようなものも感じ取っていた。無駄がなく引き締まった筋肉はしなやかで、より予測不能な、素早い動きや複雑な剣技に適している予感があった。腰に下げた愛刀の柄にそっと触れる。その確かな重みと、手に吸い付くような革の感触が、長年連れ添った相棒の紛れもない存在を確かめさせた。この剣だけが、血塗られた過去と不確かな現在を繋ぐ、唯一無二の確かな楔だった。

 

 愛刀が自身の魂と一体となっているかのような感覚に、剣士は深く集中した。そうだ、この剣こそが自分自身だ。かつての体であろうと、今の体であろうと、剣がここにある限り、己は剣士である。迷いは無い。ただ、前だけを見据え、剣の道を極めんとする求道者としての集中力を研ぎ澄ませていった。荒野の果てに何があろうとも、己が剣は揺るがぬ道標となる。

 

 遠方に、土砂色の中に緑が増えているのが見え始めていた。地平線の彼方に、かすかな緑の線が横たわっている。それは、この単調な世界における、唯一の色彩の兆しだった。剣士は緑が濃くなる方角へと迷わず歩を進めた。それは次第に幅を広げ、低く連なる丘の連なりを飲み込み、濃い影を落とす森の輪郭を成していく。枯れた大地から、生を主張する緑への変化。近づくにつれて、草木の匂い、土の湿り気が濃くなっていくのが肌で分かる。空気の冷たさに、乾いた荒野のそれとは違う、確かな湿り気が加わった。

 

 カリナは、その小さな背を追うように少し離れて歩いていた。荒野の景色は彼女にとって新鮮であると同時に、強い不安を掻き立てるもののようだった。時折、びくりと肩を震わせ、周囲を警戒するような仕草を見せる。顔には疲労の色が滲んでいたが、シオリの傍を離れようとはしなかった。彼女にとって、シオリの存在だけが、この未知の世界における唯一の拠り所だった。

 

 合理的な判断に基づき、シオリは最も効率的な経路を選んで進む。彼女の脳裏には、召喚者から得た不完全な地図と、これまでに観察した地形の情報が組み合わされ、最適な移動ルートが構築されていく。水場や、夜間の休息に適した岩陰なども、効率を考慮して選択される。それは、戦場で培われた、生存のための絶対的な合理性だった。

 

 陽が完全に落ち、あたりが薄闇に包まれ始めた頃、二人は巨大な岩の陰に身を寄せた。シオリが枯れ枝や乾燥した植物を集めて焚き火を起こす。パチパチと乾いた音を立てて燃え上がる炎が、薄闇に二つの影を揺らす。シオリは火を見つめながら、思考を巡らせていた。この荒野も、あの森も、そして召喚者がいた建物も、全てが自身の知る世界とは異質だ。だが、カリナが話す言語は自身の知る公用語であり、彼女が持つ地図には自身の知る街が描かれている。この世界の未来を知ること、自身の蘇りの謎を解き明かすこと。その探求心は、荒野の夜空に輝く双つの太陽のように、彼女の内に静かに燃え続けている。

 

「あの……シオリ様」

 

 カリナが遠慮がちに声をかけた。シオリは無言で視線だけを向ける。その瞳には、焚き火の揺らめきが映るだけだった。

 

「わたくし、森に一人でいたのは……その、追われていたからです」

 

 カリナは焚き火を見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。声は小さく、どこか震えている。指先を組み合わせ、落ち着かない様子だった。

 

「故郷を失って、身を隠しながら、この街を目指していました。街には、わたくしを助けてくれる方がいるかもしれないと、父から聞いていましたから……」

 

 故郷を失った。追われている。父から街のことを聞いている。断片的な情報だが、カリナの置かれている状況の一端がシオリに伝わった。シオリは言葉を発さず、ただカリナの言葉を聞いている。かつて自身も、守るべき故郷を持ち、戦場で命をかけていた。カリナの言葉は、シオリの奥底にある、失われた過去の記憶の断片に微かに触れるようだった。

 

「でも……あなた様にお会いできて、本当に良かったです。わたくし一人では、きっと、きっと生きていけませんでした……」

 

 カリナの声に、安堵と感謝の色が滲む。彼女は焚き火の光に照らされ、シオリの返り血で汚れた小さな手を見つめていた。その手に握られた愛刀が、静かに光を反射する。その姿は、この過酷な世界で生き抜くための、一点の曇りもない力を象徴しているようだった。

 

 シオリは言葉で応えなかった。だが、カリナが語る故郷喪失の痛み、追われる恐怖、そして街への希望といった感情の揺れは、シオリの内面に微かな波紋を立てていた。合理的に考えれば、追われている者を傍に置くのは危険を増やすだけだ。しかし、シオリはカリナを傍に置くことを選択している。情報源としての価値に加え、カリナの存在が自身の「不気味な空白感」に何かをもたらすかもしれないという、合理性だけでは説明できない理由が、シオリの行動にはあった。それは、過去の自分が持っていた「守るべきもの」への、歪んだ郷愁にも似た感情だったのかもしれない。あるいは、純粋な好奇心。未知なる存在であるカリナが、この世界の謎を解く鍵となるかもしれないという、剣の求道心にも似た探求心だったのかもしれない。

 

 翌日も、二人は黙々と荒野を歩き続けた。空は変わらず灰色で、双つの太陽が重力の中心であるかのようにそこに鎮座している。視界の端で何かが動いたのを、シオリの鋭い感覚が捉えた。乾いた大地に染み付いた、獣とは違う、人間の気配。それも、剣を持つ者の殺気とは異なる、下卑た欲望と油断の混じった気配だ。

 

「シオリ様……!」

 

 カリナが短い悲鳴のような声を上げる。荒野の低い茂みの陰から、数人の男たちが姿を現した。汚れた衣服を纏い、手に粗末な武器を持っている。彼らは荒野を縄張りとする盗賊だった。

 

 盗賊たちは最初、二人の小さな姿を見て油断しているようだった。しかし、カリナの姿を見た瞬間、その目に貪欲な光が宿った。飢えた獣が獲物を見つけたかのような、剥き出しの欲望。リーダー格と思われる大柄な男が、下卑た笑いを浮かべる。

 

「おやおや、こいつぁ思わぬ大物に出会ったもんだ」

 

 男の視線が、カリナに張り付く。それは品定めをするような、舐め回すような視線だった。カリナは身を縮こまらせ、シオリの背後へと隠れようとする。

 

「こんな辺鄙な場所に、まさかこんな上玉がいるとはな。これなら一生遊んで暮らせるぜ!」

 

「噂の娘か? 見ろよ頭、こいつぁ間違いねぇ! このご時世にゃ珍しい、まさに歩く金貨だ! 高く売れるぞ!」

 

 他の盗賊たちからも、興奮と欲望に塗れた声が上がる。彼らはカリナに並々ならぬ価値があることを瞬時に見抜いたようだった。財産目当てではない。カリナという人間そのものが、高値で取引される「獲物」だと認識している。その言葉は、カリナがただの少女ではないこと、そして莫大な価値をもって追われている身であることを強く示唆していた。カリナの顔は恐怖に凍りつき、シオリの背に隠れるように震えた。

 

「おい、そこのちっこいの。邪魔だ、どけ」

 

 盗賊の男が、シオリに粗末な剣を向けながら言った。シオリは微動だにしない。その瞳には、感情の色は一切浮かんでいない。ただ、目の前の存在を認識し、分析している冷たい光が宿っているだけだ。その姿は、まるで人間ではなく、研ぎ澄まされた刀そのもののようだった。

 

「聞こえねえのか!? さっさと女を寄こしやがれ! さもねぇと、てめぇもまとめてミンチだ!」

 

 盗賊たちが、雄叫びを上げて襲い掛かってきた。複数の刃が、シオリ目掛けて振り下ろされる。その動きは、長年戦場で生死を分けた剣士から見れば、あまりに遅く、あまりに隙だらけだった。

 

 シオリの体が、視界から掻き消えた。速すぎる。盗賊たちの目には、ただ彼女の姿がそこから蒸発したようにしか見えなかった。彼らの剣が空を切るより早く、シオリの愛刀は既にその肉を断っていた。キン、キン、と乾いた金属音が幾つも響く。悲鳴すら上げる間もなく、一人の男の首が血飛沫を上げて宙を舞った。次の瞬間、別の男が呻く間もなく、心臓を貫かれ地に伏す。

 

 シオリの動きに、一切の無駄も躊躇もない。あまりにも効率的で、あまりにも冷徹だ。彼女の剣技は、かつての筋力に頼るものではなく, 新しい体の軽さと敏捷性を最大限に活かしたテクニカルな攻撃へと進化していた。予測不能な軌道、神速の連撃。それは、まさに芸術的に洗練された流麗の舞だった。盗賊たちは、自分たちの相手が常識を遥かに超えた存在であることに気づき、顔色を変えた。彼らの脳裏に刻まれたのは、血に染まった小さな剣鬼の姿だけだった。歓喜は恐怖へと変わり、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする者もいた。だが、シオリはそれを許さない。獲物は、決して逃がさない。

 

 サッ、とシオリの姿が消える。瞬歩だ。次の瞬間、逃げようとした盗賊の背後に現れ、無慈悲にその命を刈り取る。気配を完全に絶った移動は、敵に反応する隙を与えない。一体、また一体と、追いつかれた盗賊が血飛沫となって荒野に散っていく。無力。あまりにも無力。彼らの存在は、シオリの剣の前には塵芥にも等しかった。

 

 断末魔の叫びが荒野に木霊する。血が舞い散り、乾いた土を濡らす。短い時間の応酬だった。シオリは、全ての盗賊をその手にかけた。血に染まった小さな体が、無数の屍の上に立っている。その瞳に、憐憫の色はない。彼女にとって、彼らは自身の剣の道を彩る、単なる踏み台にすぎなかった。そして、この血塗れの荒野に、彼女の圧倒的な強さが刻み込まれた。

 

 戦闘が終わり、静寂が戻る。血腥い匂いが荒野に広がる。カリナは、その場で震えながら、目の前で起こった出来事を見つめていた。恐怖と畏怖。だが、それ以上に、想像を絶する力で自身を救ってくれたシオリへの、絶対的な信頼と依存が、その瞳に宿っている。

 

 シオリは倒れている盗賊たちの持ち物を調べ始めた。粗末な武器、金目のもの、そして汚れた革の袋の中から、幾つかの書き物が見つかった。歪んだ文字で書かれたメモ。そこには、街に関する情報や、どうやら彼らが「獲物」を探していたらしい記述がある。そして、カリナを示すような特徴と共に、「特定の組織が追っている」「高額な懸賞金がかかっている」「取引対象」「良い値で売れる」といった情報が断片的に記されていた。それらは、カリナの言葉の裏付けであり、同時に、この世界の真実へと繋がる新たな手がかりだった。

 

 シオリは得られた情報を冷静に分析する。カリナが単に盗めるものを持っているだけでなく、何らかの理由で追われていること、そしてその「理由」に高額な懸賞金がかかるほどの価値があることが示唆されていた。これは、カリナの語った「追われている」という話と符合する。そして、それが、カリナの隠された過去を示す、強力な手がかりであることは明白だった。

 

 シオリは言葉を発さず、ただ得られたメモを懐にしまう。カリナは、盗賊に狙われたこと、そして自身の過去がこの荒野にまで及んでいることに改めて怯え、シオリにすがりつくような視線を向けた。シオリは、その視線を受け止める。カリナが持つ情報、そして彼女が追われる身であること。それは、この世界の真実を知るという自身の目的に繋がる、重要な手がかりとなる可能性がある。合理的な判断は、カリナを傍に置くべきだと告げていた。

 

「……行きましょう」

 

 シオリは、普段よりも少しだけ長く間を置いて、そう言った。その声に、わずかな決意の色が滲んでいた。カリナは安堵したように、力なく頷いた。シオリの傍であれば、きっと大丈夫だ。その思いが、彼女を支えていた。

 

 再び歩き始める。盗賊から得た情報を基に、より効率的で安全なルートを選び直す。シオリの探求心は、新たな手がかりを得たことで一層強まっていた。自身の蘇り、自身が生きていた世界の未来、そしてこの世界の真実。それらは、カリナが追われる理由とも、街が持つ意味とも繋がっているのかもしれない。

 

 荒野を幾日か歩き続け、遠方に、ぼんやりと立ち上る影が見えてきた。地平線に描かれた、人工的な輪郭。それは、巨大な構造物のように見えた。

 

 街だ。

 

 それは廃墟ではなかった。その規模はかつてシオリが知っていた街に匹敵する。周囲を取り囲む分厚い石造りの壁。壁の内側には、尖塔を持つ教会、木組みの家並み、石畳の道が見える。旗が風になびき、かすかながら人々の活気が伝わってくる。馬車が行き交い、鎧を纏った衛兵が巡回している姿も確認できる。それは、かつてシオリが生きていた時代の中世の都市を思わせた。しかし、それは単なる過去の再現ではなかった。壁の一部には、微かに光るルーンのような紋様が見え、門の傍には複雑な魔法陣が刻まれた装置が置かれている。上空をゆっくりと移動する巨大な飛行船のようなものも見えた。魔法と技術が融合し、発展を遂げた中世都市。それが、眼前に広がる街の姿だった。

 

 この街を見て、シオリの内面に、自身が生きていた血塗られた戦場とは全く異なる「平和」が存在しているのだという認識が静かに広がる。人々が日常を営み、剣戟や悲鳴に脅かされることなく生活している光景。それは、彼女の知る世界の現実とはあまりにかけ離れていた。

 

 そして同時に、その平和な世界の中で、自身がどれほど浮いた存在であるかを改めて痛感する。血塗られた過去から蘇り、他者の体に宿り、剣を唯一の拠り所とする自分。この平和な街に、自身の居場所はない。過去の時代の常識しか持たず、自身のことを知る人間もいない。家族も、友人も、共に血を流した戦友たちも、皆もうこの世にはいないのだろう。その途方もない時間経過と隔絶が、胸に冷たい石を置かれたようなむなしさとなって広がる。自身は、この世界でただ一人、過去から流れ着いた「異物」なのだと。

 

 カリナもシオリの傍らで立ち止まり、街を見つめている。彼女の瞳には、荒野を越えたことへの安堵と、未知の街への希望がないまぜになっていたが、眼前に広がる光景の異質さに、僅かな戸惑いが見える。街は、彼女にとっての救いであると同時に、自身の過去が待ち受ける場所だった。シオリが微かに表情を曇らせたのを、カリナは不安げに見上げた。

 

 異なる過去を持つ二人。一人は遠い過去から蘇り、故郷の変貌に立ち尽くす孤高の剣士。一人はこの未来で生き、自身の運命に立ち向かおうとする少女。その足が、街へと続く石畳の道を刻む。

 

 シオリとカリナは、街へと続く石畳の道を歩き、巨大な門に近づいていった。門の傍には、鎧を纏った門番が数人立っている。シオリは警戒心を研ぎ澄ませつつ、彼らの様子を観察する。彼らの持つ武器や鎧は、シオリのかつての時代とは異なる様式だったが、その訓練された動きは戦士のものだった。門をくぐる人々は、門番に身分を示すものを提示しているようだった。

 

 そして、まさに門をくぐり、街へ足を踏み入れようとした、その時だった。

 

「待てッ!」

 

 門番の一人が、鋭い声でシオリとカリナを呼び止めた。彼らの視線は、迷うことなく真っ直ぐにカリナに向けられている。その目に宿る光は、盗賊たちのそれとは違う、明確な任務を帯びた光だった。

 

 突如、門番たちが素早く動き、訓練された手つきで、カリナの腕を掴んだ。その動きに迷いはなく、訓練され尽くしていることを示していた。

 

「捕まえたぞ! 懸賞首である王女様だっ!!」

 

 その声が、門を通り抜ける人々のざわめきを裂き、石畳の街路に高らかに響き渡った。周囲の人々が驚き、二人に注目する。カリナは絶望に顔を歪ませ、シオリは、新たな事態の急変を、冷たい瞳で見つめていた。

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