戦死した人斬り剣豪によるTS放浪記 作:剣豪
夜が白み始めていた。古びた倉庫の裏手、土埃の舞う薄暗い路地の奥。冷たい朝の光が僅かに差し込み、石畳に歪んだ影を落としていた。硬い地面の上で、カリナはゆっくりと瞼を押し上げた。全身の痛みが、昨夜の記憶と共に重くのしかかる。
傍らには、シオリが座っていた。夜の間、警戒を解かずにいたらしい。小さな体は闇に溶け込むようで、血の跡がまだらに残る服が生々しく見えた。その横顔は彫像のように静止し、感情を読み取らせない。だが、そこに確かに存在する張り詰めた空気は、カリナにとって、この恐ろしい一夜を生き延びたことの証だった。
一夜の潜伏を経て、カリナの心に決意が芽生え始めていた。この異常な力を持つシオリ。自身を追う世界の不気味なシステム。シオリと共に生きるなら、秘密を明かすべきだと、カリナは感じていた。この出会いが偶然ではないと、直感が告げていた。
意を決して、カリナはシオリに話しかけた。声は乾いて掠れているが、瞳に意志が宿っている。
「シオリ様。お話ししたいことがあります。私の、全てを」
シオリは応じない。ただ、静かに待つ。路地の奥から吹き抜ける風が、カリナの頬を撫でた。
カリナは、自身の秘密、そしてシオリの存在に関わる特別な知識について語り始めた。王女として得た、古く禁断とされる知識だった。
「私は。かつて、一国の王女でした」
震える声が、路地の静寂に吸い込まれる。隠し通してきた重い秘密だった。シオリの瞳の奥に微かな変化が灯り、すぐに消えた。
「私が追われるのは。王女という立場ゆえなのです」
追手たちがカリナを求める理由。それは、彼女自身の人間性ではない。王女という血筋、その立場に宿る「価値」だった。
カリナは故郷から追われることとなった理由を語る。それは暴力ではない。周到な謀略だった。父王が毒殺されかけ、その罪を無実の自分に着せられたのだ。
「父王毒殺未遂」──それは国家反逆罪、すなわち死罪に値した。
自分を王位継承権から引きずり下ろし、王国を乗っ取るための汚い手口だった。
「私の忠実な従者たちが。命懸けで逃がしてくれました」
声が詰まる。その犠牲の上に今の自分がいる。血塗られた手でカリナを庇い、剣の錆となった者たちの顔が脳裏に浮かび、カリナは胸を押さえる。王国は、謀略を仕組んだ者たちの手に落ちた。権力は簒奪され、父の全ては悪意ある者たちに踏みにじられた。
「王国は……エストンという男に、乗っ取られてしまいました」
その名前を聞いた瞬間、シオリの全身が硬直した。体が動かなくなる。
その名前は、シオリにとって、血と憎悪、絶望と結びついた、忘れようのない響きだった。
路地の冷たい空気が、肺を突き刺すように感じられる。
シオリの脳裏に、一つの顔が鮮明に蘇った。前世、自身の命を奪った男の顔だ。
奴は敵国において、悪名高き男としてその名を広く知られた存在だった。
周到な罠で全てを打ち砕き、死の直前、下卑た笑みで嘲った「クズ」である。お金のためなら人命を簡単に投じれる男の性根は、正しく腐っているというに相応しいのである。
敵を明確化した彼女の拳に怒りがこもる。ギリギリとしまる拳にこもる怒りは、彼女──いや彼の闘争心を呼び起こす。敵を殺す残忍な思考を彼が支配しようとする。
「だ、大丈夫ですか……?」
そんな彼女の暴走を、カリナが声を出して止める。怒りに震えていた熱がぐんと下がり、冷静さを取り戻した様子を見せる。どうやら、落ち着いたようだと思ったようなそぶりを見せる彼女は、一拍おいてから話し始めた。
「……私の仮説ですが、あなたが蘇ったのはエストンが大きくかかわっています。きっと彼は……生贄を用意して、戦える人材を用意しようとしていたのでしょう。祝福と呼ばれる力ではなく簡単に誰でも行使できるそれを効果的に用いれば、相手を完全支配するなど容易ですから」
語るだけで、その力の不気味さがシオリに襲いかかる。
死者を侮蔑する力は、彼が経験した戦場で散らしていった男たちの命を散らすものであった。
彼女は歯ぎしりを一度だけしてから憎しみの目を向ける。
「でも……その力は……もっと悪用できるんです」
「本来得られない情報を、無理やり、こじ開けて引き出す代わりに……生贄を殺すことができるんです。生贄は完全に死んだのではなく、仮死状態。つまりは意識だけが死んでいるという状態。術さえ解決すれば、相手の生命力次第で回復するでしょう」
「ですが、これは逆を言えば、命を永続的に奪い続くこともできる。敵をずっと死人にし続け身体が動かなくなったタイミングで解くことができる。そうすれば、簡単に人間は死にます。当然でしょう、命が少ししかなければ生きたいと思う気持ちなど消えますから」
絞り出すような声。単なる知識ではない。
それは、人間存在そのものを否定し、道具として扱う、忌まわしい力だった。
「そして……私のような、王女という立場にある人間は……古い知識や、この世界に隠された秘密を知っていると、見なされる。だから……ああ、だから、私は……利用価値があるのだと……」
言葉が詰まる。自身が追われる理由。それは、この恐ろしい力の「媒体」として、利用価値があるからだという、あまりに残酷な事実だった。その事実に、カリナの肩が震えた。
カリナは、召喚に関する知識と、シオリの存在が符合することに言及する。
荒野で出会った、記憶を失い、異様な力を持つシオリだ。
「シオリ様は……その祝福によって、遠い場所から、あるいは違う世界から。この体を得て、召喚された存在なのだと考えています。解釈としては、正しいのですか?」
カリナは、震える声で問いかけた。路地の壁に落ちる二人の影が、朝の光の中で長く歪んだ。
シオリは何も言わない。ただ、瞳の奥で何かが激しく揺れ動いているのが、カリナには分かった。表面的な平静さの下に、大きな動揺があった。カリナの話を聞きながら、シオリの脳裏に蘇るのは、蘇りの瞬間の混乱だ。地面の幾何学模様。全身を貫いた衝撃と熱。愛刀との繋がり。
そして、かつてのものではない体。それらが召喚という言葉で意味を持つ。
断片的な記憶が、強制的に形を作る強い衝撃を伴う感覚。カリナの知識は、シオリの不気味な空白感、異物感に説明を与えうる可能性を示唆していた。自分がなぜここに、この体にいるのか。それが召喚によるもの。そして、エストンという名前。
それが偶然の一致である可能性は急速に小さくなっていた。
シオリはゆっくりと口を開いた。声は感情を含まないが、低く、鋭い。
「お前の話は、私の知る断片と一致する点が多い。そして、この身体の主が生きるなら──目的を果たし、返すのが賢明策といえるだろう」
「でも、それでは……」
「私はすでに死人。死人がそのまま生きてよい理など、ない」
それは事実の提示だった。十分だった。互いの秘密が世界のシステム、置かれた状況の根幹に繋がる。カリナは生贄として追われ、シオリは召喚された可能性。二人の邂逅は、理による必然かもしれない。そして、王国を乗っ取ったエストンと、シオリの仇敵であるエストン。偶然ではなかった。それは、この世界の真実を解き明かす、そして復讐を果たすための、強烈な動機となった。
「我はお主に力をかす。そして来たる日に──我の意識を殺せ」
「……わかり、ました」
夜が完全に明け、街の活動が始まる気配が強くなる。遠くの人々の声。荷車の音。規則的な衛兵の足音。隠れてはいられない。シオリは街の様子を探る決断をする。情報収集と、今後の安全な行動のためだ。追跡者が街に根城を築く可能性は高い。
そして、エストンという名を聞いた今、シオリの目的は明確になった。
仇敵を殺すこと、そして――死人となる身体の持ち主を殺さないことだ。
そして、カリナにとってもちょうどよかった。
一人ではいられない。凄まじい力を見せ、秘密を受け止めたシオリの傍こそが、唯一の安全地帯だと、カリナは確信していた。エストンの名を聞き、シオリの纏う空気が変わったことに、カリナは気づいていた。二人の間に決定的な繋がりがある。それが自分たちの運命を左右するのだと。
「……では、よろしくお願いいたします」
「あぁ、よろしくな」
こうして二人は、契約関係となった。
追跡を警戒しながら、二人は街の中へ足を踏み入れた。人通りが増え始めた街路は、昨夜の血腥い光景とは違い、一見穏やかな日常だった。パンの匂い。香辛料の匂い。人々の声。だが、シオリの警戒心は緩まない。感覚を研ぎ澄ませ、街のシステム、人々の様子、潜む危険を探る。
街の人々は穏やかだ。挨拶を交わし、買い物をし、日常を送る。
その姿とは対照的に、自分たちの心拍は上がり続ける。
昨日簒奪したお金で外の飯を買い、腹を満たして街を歩く。
カリナの声は震え、瞳に強い恐怖が宿る。危険がすぐ近くに、街全体に迫っていた。元凶は、エストンである可能性が高かった。シオリの中で復讐の念が燃え広がる。
すると──街の広場に、人だかりができていた。
興味に駆られた人々が見上げる。シオリとカリナも注意深く近づく。張り出されたのは、特定の人物の手配書だった。風に煽られ、紙が不気味な音を立てる。街の喧騒の中、紙の音だけが耳障りに響いた。
手配書に記されたのは、カリナを含む王族、関係者だ。罪状、情報は歪曲されている。
書かれているのは、カリナという人間ではない。都合よく改変された彼女の醜悪な人物の姿だ。
シオリは手配書から理解する。エストンの仕業だと。
「ここから、離れよう」
「は、はい……」
シオリはカリナの手を引いて、その場を去っていく。
町の喧騒にまぎれる彼女の心を、誰もが決して理解することはない。
この町にいる彼らは、ただただ孤独であった。
それでも、自分たちを助ける存在がいることを信じ、彼らは歩き続ける。