ありふれ×呪術―もしも器に選ばれたのが光輝じゃなくて虎杖だったら― 作:roborobo
これは夢の中なのだろうと無意識に認識する。夕方時の放課後、教室近くにある窓辺に腕をかけながら外の景色をボーっと眺めていた。
この日の夕焼け空はやたら記憶に残っていた。別に何か特別に良い事があったからというわけではないし、心の奥深くに刻まれた傷跡が抉られたわけではない。知り合いが補習を受けていて、その人物の用事が終わるまでここで待っていようと思っていたからだ。
ぼやけた頭のまま、雲の隙間から零れる夕焼けの光をジッと眺める。雲の上には天国があると聞くが、その先には死んだ祖父もそこにいるのだろうか。
(……そんなわけねぇよな。じいちゃんのことだから、意外とゆっくり天国の階段を登りながら……)
住み慣れた自分の故郷に後ろ髪を引く思いで歩いているに違いない。特に、不出来な孫のことを心配になって、そのつどちらちら下を見ているはずだ。
じいちゃんに心配かけないためにも、俺ももうちょっとしっかりしないとな。
心の中でぽつりとつぶやいて、何とはなしにちらりと首を横に向けた。
「……あら? 虎杖君?」
「お……よっ、八重樫。これから帰りか?」
特徴的なポニーテールと汗に濡れた額を拭っているその様。おそらく、部活帰りであろう雫とばったり出くわしてしまった。
「えぇ、そんな所。今日は香織と一緒に前々からお勧めされていたスイーツ店……って所に行ってみようと思うの」
「へぇ~、スイーツかぁ。なぁなぁ、どんなところ?」
「ええっと、ね。なんでも仙台名物のずんだ味が有名な――」
彼女のこれからの帰りの用事を聞かされながら、思わぬ形で耳慣れたスイーツの話を拾い上げて話が広がっていく。
ずんだに関するスイーツと言えば仙台などで有名だ。虎杖は昔、仙台に暮らしていたことがあった。親の都合でいろいろあって、東京であるこちらに引っ越してきてからは、仙台名物の話は当時の現地での知り合いとでしか口にすることはなくなったからだ。
思わぬスイーツ話で花が咲き始めたかもしれない。虎杖が口火を切りながら話を続けて、雫はジッと虎杖の話している様を見守っていた。
「……ん? なに? どしたん?」
「あぁ、いや……なんかね。こうして虎杖君と話すのって結構珍しいなって」
「あ~……まぁ、そうかもな」
あははと頬をぽりぽりと掻く雫が、どこか親しみやすいはにかみ笑いを虎杖に向けた。
雫は香織と同じ、学園の二大女神と呼ばれるほどの有名人。彼女たちの周囲にはいつだって男女問わず人が集まる。それが、友情であれ色濃いであれ、彼女たちは衆目と気持ちの籠った念を毎日のように向けられているのだ。
そんな中で、自分たちに対してそういった目線や気持ちを向けることなく、親しいクラスメイトくらいで接してくるのなんて、南雲ハジメと虎杖くらいのものだ。
それだけに、雫はひそかに気になっていた。自分たちに邪な視線を向けてくるその他大勢の中に、虎杖が交わらないことを。
「……ねぇ、虎杖くんって南雲君の事どう思う?」
「ん……? 南雲のこと……?」
南雲、という言葉を聞いて、いったいなぜそんなことを聞き出したのか不思議に思う虎杖。
虎杖は、ハジメと雫の関係性がどのような物か理解していた。
いつもいつも有名人である香織と接していて、やっかみを受けているハジメをフォローしている雫の構図が脳裏に浮かぶ。カースト下位であるハジメを気遣う、しっかり者の少女。それが雫とハジメの関係性だ。
「……私ね、彼のことをすっごい不思議で……変な人だなぁって思うの」
「変? どのへんが?」
「……彼ってね、これだけいろんな人に絡まれたり、香織のファンからやっかみを受けたり……ほら、檜山君、いるでしょう? 彼、いつも大変そうじゃない?」
ハジメの事を話し始めた雫は、しみじみと彼の人間性と周囲の事について触れ始める。
雫から見て、ハジメというのは不思議な人物だった。
いつもいつも学校に来ては寝てばかりで、放課後になったらさっさと帰ってしまう。そっけない態度ではある物の、他人にはしっかりと受けごたえが出来てコミュニケーションが取れる。そして、それだけの衆目に……それこそ悪意を込めて接してくる者たちがいても、彼はのらりくらりとかわしている。
どこか掴みどころがなくて、今まで見たことのない男の子。それが、雫の中にあるハジメという人間の全体像だった。
だからこそ、雫は思った。
「私はね、彼はとっても強い人間なんだろうなって思うの」
「……強い、人間?」
「うん。彼はね、きっと……自分のやりたい事とか、自分でやってみたいって事があったら……どんなことがあっても自分を曲げない。だから、なんだろうな」
だからこそ、ハジメは周囲に対して何とも思わない
善意であれ、悪意であれ、ハジメは相応の気持ちを持って相手に対処する。自分のできる範囲で目の前の物事を解決し、その先に見据えた物に向かって、ただただひたすら進み続ける。それが、南雲ハジメという人間なのだ。
彼の眼は、時として他の誰もが目を向けていない物を見つめ続けている。それを、こうだと思ったら、ただこうする、こうしたいという気持ちを優先する。彼を止めることは、きっと誰にもできない。それこそ、神様だって……
「……とまぁ、私が南雲君に感じてるのはこんなもの、かな。不思議よね、彼って」
一通り、雫が南雲ハジメという人間を語り終えて、どこかスッキリとした顔を浮かべている。
一人の人間の不思議さを目の当たりにし、その不可解さを自分の中で咀嚼し、かみ砕いて、理解しようとする。それが、どんな物事であれ、前へ前へと進む人間。それが、南雲ハジメなのだと、雫はそう理解していた。
彼女の言葉を一通り聞き終えて、虎杖の口が開き始めた。
「俺はさ、そんな強さ持ってもらわなくてもいいかなぁって思うんだよな」
どこかぼんやりとしていた雫の瞳が、「……へ?」という言葉と共に固まった。
「……八重樫はさ、南雲のことを強い人間って言ってたじゃん?」
「……えぇ、そう言ってるのだけれど」
「俺もさ、ちょっとそれと同じモンを感じてるんじゃないかなって思うんだよね。確かにさ、あいつ強いよ。檜山たちに絡まれていても、それでも気にしないって風にしてる。でもさ」
再び窓の方に腕をかけて、ふうっ、と大きなため息をこぼしながら、
「あいつってさ、敵を作ろうとしないんだけど味方も作ろうとしないんだよな」
「……つくらない、って……そりゃ、彼が……」
「人に対して関心がない、ってんだろ? そりゃそうだよ。だってあいつ、人と関わろうとしてないモン。誰かと話したりしようとしなきゃさ、敵はそうだけど味方なんてできるわけがねぇよ。だって、関わろうとしねぇんだから」
それはまぁ、そうだ。雫からしたら、そう答えるしかなかった。
ハジメの行動の中には、一切他人という物が割り込んでこない。自分の好きな物が何なのか、何をしたいのかという行動原理が一貫しているために、そこに何かを割り込ませたり挟む余地がどこにもない。それゆえに、彼の中には見ず知らずの他人が入ってくることが何もないのだ。
「俺さ、思うんだ。あいつって、自分から好きなことだったらなんでもするんだろうけれど、その『好き』の中に他人が『たまたま』入ってこなきゃ……きっと、誰かと人付き合い擦る事って絶対にしないんだろうなって」
「……それ、は……」
そう言われ見れば、そうかもしれない。
先ほども触れたとおり、南雲ハジメは他者に対して接しようとはほとんどしない。授業だとか学園の行事に参加し、手伝ってくれている時ならともかく、彼自身が自ら行動して人付き合いをしようと言う事を見たことがない。
「だから……あいつ、積極的だけどどこか受け身なんだろうな。好きなことはするんだけれど、そこに他人が巻き込まれてなきゃ人と関わろうとしない。だから、もしもあいつが誰かと付き合ったりする時って――それこそ、そいつが何か困ってて、たまたま南雲にとって有意だから助けたとか……そうでもしなきゃ人と付き合うことをしないと思う」
そこまで言われて、雫も少し言葉が詰まった。
ハジメは他者への干渉を積極的に行わない。だって、自分の好きなことが、その道筋がしっかりとできているからこそ、そこに他人を挟もうとする余地を自ら削っているから。
どこまでもストイックだけれど、どこか寂しさを感じてしまう。だけど、彼にはそれを寂しいと思うどころか、自分の好きなことをやれて楽しいとさえ思っているのだろう。
「……俺さ、きっとこれから先も南雲は敵を作り続けるんだろうなって思うよ」
「……へ? で、でもさっきは敵を作らないって……」
先ほどの言葉と矛盾している。そう指摘しようとして――
「――敵を作ろうとしないのと、敵が出来ないってのは別の話なんだよ」
雫の言葉が、固まるようにして詰まった。
「あいつはさ、他人と関わろうとしないからさ。きっと、誰かに悪印象を持たせてもどこかで無視をして……そのままにしていいと思ってるんだろうなって。そう思うんだよな。それがさ、あいつが良いっていうならいいんだろうけどさ」
「……よくないこと、って思う?」
「思う。だって、そんなのぜってぇどこかで足を引っ張ってくるじゃん。そいつ。あいつはさ、知らないうちにどこかで恨み買ってるよ。檜山みたいに。自分のストイックさで道を作ってるつもりで、その道を阻む炉端の石ころが、誰かの悪意でたまたま出来たんならかわいそうだって思うけどさ」
空しいため息をこぼし、窓に寄りかかっていた体を離した。
「自分のせいで悪意を持った石ころつくってたら、世話ねぇもん」
がたりと、虎杖の体が窓から離れた。
彼はそのまま、雫に背中を向けて通路の奥へと向かおうとしている。雫は、ジッとその背中を見つめていた。
「八重樫はさ、あいつの強さをすごいって言ってたけどさ。人間関係ってさ、別に強い弱い、勝てる勝てないで決めるもんじゃないって思うんだよな」
「……違うの?」
「強かろうが弱かろうがさ、そんなの『そいつ』が『そいつ』だからで十分だと思うんだよ。強い弱いとか、友達なんて上下関係で決めるもんでもねーだろ」
ジッと遠くなっていく虎杖の背中を、雫は目を逸らさなかった。背中越しから聞こえてくる声を耳にしながら、彼を見送った。
「俺さ、南雲が強くても弱くても、南雲が南雲だからで十分だと思うよ。何か必要だからじゃなくて、なんとなくで一緒につるめるからとか、つるみたいからって理由で接することが出来たら、それでいいんじゃねぇかなって思うよ」
「……そんな相手、クラスにいるの?」
雫の言葉を聞いて、虎杖は振り返った。
「ここにいるぜ」
ニッと歯を見せながら、その笑みと共に虎杖は去っていった。
――夢は、ここで終わった。