ありふれ×呪術―もしも器に選ばれたのが光輝じゃなくて虎杖だったら― 作:roborobo
本当は、限界なんてとっくのとうに超えていた。
この世界に来てからあらゆる理不尽が自分たちを襲ってきた。漫画やアニメでしか見たことのないようなファンタジー世界、それらに付随する神を信仰する信者たちや見たこともないような魔物たち。奴らを一目見た時から、自分が空想の世界でしか目にしない異形なる世界に足を踏み入れた時は、まだ物語を楽しめる余裕が自分たちにはあった気がした。
けれど、それは『気がした』だけで、自分たちに何ら優しくないことを知った。知らされてしまった。
魔物という異形とはいえ、命を切り伏せた。クラスメイトが橋から落下した。その後も自分たちがチート染みた力を得てるから生き残れただけで、いつだって命のやり取りの中へと叩き込まれていた。
それが、魔人族の女との戦いで、嫌というほどに向き合わされた。自分たちは、どんな場面でも死んでいたっておかしくない立場に立っていたことを。
どうして、なんで。なんで自分がこんな目に合わなきゃいけないんだ。
理不尽を呪った。やり場のない怒りをぶつけたかった。たとえそれが解決の糸口を見つけることに繋がらなくても、自分の中で溜め込まれていくはけ口にする何かを見つけなければ気が済まなかった。
――ぬるりと、自分の手が血に汚れるのを感じる。
それが表に出ることがなかったのは、彼女の生来の真面目さがあること……なによりも、ずっと『しっかりしなきゃ』という被り続けてきた仮面があったからこそ、それが上っ面のモノであっても自分を奮い立たせることが出来た。
自分は白崎香織の幼馴染で、女の子なのに誰よりもしっかり者で。それは異世界に来てからも変わらないままで、変わらなくてよくて、変わっちゃいけなくて。
だから、だから、だから。
「――あんたさえ、いなければ」
縛り付けるように抑え込まれていた『呪詛』が、噴き出すようにして口を突いて出た。
「……ぁ、あ、えぁ……っ!! い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! し、雫ちゃん!? 雫ちゃん!?」
響き割れんほどの絶叫が、その場で木霊した。目の前で起きた幼馴染の凶行に、学園の二大女神の片割れが涙を流しながら慟哭する。
彼女の混乱を皮切りに、周囲にいるクラスメイト達にもどよめきが走った。無理もなかった。自分たちの中でもっともしっかり者という認識があった八重樫雫が――クラスメイトである虎杖を自らの刀で刺し貫いたのだから。
そして、その混乱はハジメも同様に起きていた。
ぬらりと幽鬼のごとく様相で、先ほどまでクラスメイトを貫いた凶刃ざくりと引き抜く。背中から貫かれた虎杖はその場に倒れ伏して、びくりと体を震わせたまま血を流していた。
「――っっ!! ユエ!」
「どけっ!!」
弾かれるように飛んだ二人が、弾丸のごとく雫を弾き飛ばしながら虎杖の下に駆け付けた。
懐に仕舞いこんでいたビンをすぐさま虎杖の口元に運ぶ。唇に触れた冷たいビンの感触を感じたのか、流れてきた液体を口にした途端、口元と喉がごくごくと動いた。動いてくれた。
見せてくれた反応を目にしたことで、ハジメは内心安堵する。さすが頑丈が取り柄なだけある。この様子ならば、内蔵のほうにはぎりぎり切りつけてはいなかったのかもしれない。あとで香織に見せれば、きっと傷は良くなるはずだと、そう思った。
問題は、背後にいる少女のほうだろう。病んでいる、という意味ではおそらく虎杖以上に危険なのが。
「……どういうつもりだ八重樫。いったい、何を考えて……!!」
「『何を』? 決まってるじゃない。そいつを切り刻んで、その死体をばらまいてやるためよ……!!」
怒気を込めたハジメの視線が、雫と交わらせた瞬間にゾクリと体を震わせた。自分以上の怒気を感じたからである。
底なしの憤怒、言いようのない感情の奔流。溢れても溢れても止めどなく流れていく、ただただ抑えどころのない気持ちが発露を求めるようにして瞳の光を強めている。その視線の先にある虎杖の姿をジッと映しながら。
「……ねぇ、南雲くん。私たちがこの世界に来てしまったのはなんでだと思う……?」
ぬらりと、先ほどまで使っていた剣を……血にまみれた刀をぶら下げながらゆらりと歩んでくる。
見るも異様な空気感を纏っている雫に、ハジメの額に汗が流れた。奈落の化け物として生き残った男が、目の前にいるクラスメイトを魔物か何かと判断させる圧倒的な威圧感に呑まれかけた。
今まで溜め込んできたモノが、すべて攻撃的な物に転じたような威容を思わせた。
ジッと、手に持った刀で倒れている虎杖を指した。
「そこにいるそいつのせいじゃない……!!」
噛みしめた歯をぎりぎりと鳴らしながら、皺を寄せた目元が怒りの視線を投げかける。
「私はっ!! 私はずっと怖かった!! こんな世界に連れてこられて!! 戦いたくないのに戦わされて!! 何度も何度も嫌だったのに!! でも、戦わなきゃいけなくてっ……魔物の命を奪うたびに! 夜には一人で吐いて自分で慰めて!!! そいつのせいで!!」
「……八重樫……っ」
滂沱のように溢れてくる感情の奔流は、まさに雫の本性と本音なのだろう。今まで強く抑え込むことが出来た分、その反動はすさまじい物だった。
彼女の幼くも子供らしい一面を、今こうして目にするとは思わなかったが、同時に納得もあった。彼女だって一人の人間であり、等身大の少女。この世界に連れてこられてからも、毅然とした態度でいられたのは彼女自身が強い人間だったのもあるだろうが、それ以上に自分に無理をさせることで保たせることが出来たからなのだろう。
そういう少女であることを、ハジメは知っていた。かつての放課後の時、他者に対して気遣いをしていた彼女に励ます言葉をあげた時の、あの夕方ごろの日の事を。
「あなただってそうなのよ!? そいつがいなければ、あなただって今もオタクの高校生でいられた!! 奈落に落ちて!! 化け物に腕を食われて!! こんな戦いに身を投じる必要なんてなかった!! 戦うことなんてなかったのよ!!」
「……あぁ、そうだな」
「そうよ! そうなのよ! そいつが! そいつがいるから!! 戦いたくなかったのに!! た、ただがいだぐっっ!! ながっだ、のにぃ゛っ!!」
理知的な声色が、だんだんとヒステリックな涙声へと変わっていく。自分の感情を抑え込むことが出来ないまま、荒れ狂う様は癇癪を起こした子供その物だ。二大女神の一人と言われた少女の変わりようは、あまりにも悍ましい変貌を遂げていた。
だけど、わかる。わかってしまう。その気持ちも、その心のありようも。自分がこのような目に合ったのは、確かに虎杖のせいなのかもしれない、と。
「……お前の言うとおりだな、雫。コイツさえいなければ、俺たちはいまごろ普通の高校生のままでいられたはずだ。それは……よーくわかってるよ」
「そうでしょう……! そうでしょう、そうでしょう!? だからっ、だからそいつを殺させてよ!! 落とし前を付けさせなきゃ、私の気が済まないのよ!!」
調子っぱずれの声が裏声交じりに喚き散らしてきている。学校の時から見知っていて、そのクールで冷静な印象が脳裏に過っているだけに今のギャップはあまりにもキツすぎた。
だけど、その言葉に納得してしまう。こんな戦いに身を置いているのも、望まない世界に連れてこられたその気持ちも、痛いほどわかるから。
――ドパァンっ!!!
銃声が、雫の足元で弾けた。
「っ……な、なんで……」
へたりとその場で尻もちをつきながら、呆然とした表情でハジメを眺める。相手は自分と同じ気持ちで、きっと彼も自分に賛同してくれるはず。そんな思いが、雫にはあった。
だって、彼だって同じ被害者ではないか。やりたくもない戦いを強要されて、何の関係のない高校生ではないか。
なのに、なんで? どうして。どうして、私の気持ちに寄り添ってくれないの。下から見上げてくる雫の視線には、学校の時のような気丈で凛とした立ち振る舞いは……どこにもなかった。
「……頭に乗るなよ八重樫。あぁそうだ。確かにコイツに巻きこまれてこの世界に連れてこられたのは確かだ。思わない部分がないわけじゃねぇよ」
「だ、だったら! 気持ちは同じじゃない!! そいつに巻きこまれて! やりたくもないことをやらされてるのはっ……!! いっしょじゃないの!!! だったらそいつは!! あなたの『敵』じゃないの!?」
敵。この一言が、あまりにも重い一文としてハジメの胸の中で圧し掛かってくる。
敵は倒すべきだと胸の内で決めていた。守るべき一線を引き、味方と敵の区別をつけて、元の世界に帰るためにこの気持ちだけは決して消されないようにと胸に誓っていた。
だからこそ思う。自分は今まで相手に対して関わるべきかそうじゃないか。自分と他者とで一線を引きながら、ずっと距離を置いて生きてきた。やりたいと思うことがあれば絶対にそこに向かって突き進むが、その過程に他者が絡まなければ自分から関わることをしてこなかった。
自分の中で興味の琴線に接触するかの有無で、他者との関わり合いを決めてきた。それが、ハジメという人間の生き方だった。
ユエは、奈落の世界に落ちてたまたま関わり合う中で味方になった。
シアは、行きずりで出会い、使えると思って関わっているうちに相手の方から仲間になってきた。
ティオは、その変態性を持ち合わせながらも、自分の使命を全うする彼女の道程の中で利害が一致し、共に行動をするようになった。
誰もがハジメにとっての仲間であり、身内であり、大切な物たちと言えるだろう。だけど、彼女たちから『大切』に思われることはあっても、ハジメ自身から自分で仲間にしようと思って接したことはなかった。
だから、この時――
「……俺は虎杖の『味方』だ」
『敵』でも『仲間』でもなく、誰か個人の『味方』として接する。それが、ハジメの判断だった。
「なっ、なっ……」
「神の器だかなんだか知らんがな……コイツとは学校の時からの縁もある。それを無碍に出来るほど俺は落ちぶれちゃいねぇよ」
虎杖の体を抱えたまま、ハジメは雫たちに背中を向けた。
誰もがハジメたちに声をかけることが出来なかった。その異様な威圧感に、その背中から発せられる空気は誰かが触れられるものではないと本能で察せられるほどの――殺気とはまた違う、『味方』を守って見せるという気力を見せつけていた。
【おわり】