ターフを去り自分の控室へと戻る地下バ道のさなか。
貴婦人が独り悠然と歩みながら、ゆるりと思惟を巡らせていた。
「そうね。レースではいつフロックが現れるか分からない。それを警戒して本番に挑むのは至極当然。無論そういった目論見も、偶然のイベントも、全てをねじ伏せた上で私が勝つのだけども。結局のところ『他者』を意識するなんてその延長に過ぎないの」
かつてジェンティルがヴィルシーナに語った信念。
レースの結果に決して『他者』を介在させる余地を認めない。
そして今日ライバルと認めた相手に対して語った言葉「『他者』を意識し競い、高め合う」
それらは相互に矛盾する話ではない。
強さこそが正義の彼女にとって、勝利のために最大限の努力を惜しまないのは当然のこと。一切の甘さを捨て去り、自分が成長するためのあらゆるものを己が裡に取り入れる。その中にライバルの存在も含まれると認めただけのこと。
ただ、決して他者が踏み込むのを認めない領域。
それは女王の定めた原則。
レースの結果を定めるのは、常に自分の選択でなければならない。
今回のレースで言えば、最終的にレースの結果を決めたのは、レース前のトラブルでも、フロックの捲りでもなく、ヴィルシーナが最後の瞬間まで磨き続け隠し通し、己に叩きつけた牙でもない。
ヴィルシーナを最後まで警戒した自身の判断力と、彼女の末脚を凌いだ豪脚。
決して他者の思惑で自分のレース結果を左右されることがあってはならない。
そこにあるのは貴婦人の勝負における透徹した意識であり、絶対的価値観。
そこにおいて相手と自分は対等ではない。
だって勝負を決めるのは他ならぬ私自身の意志なのだから。
貴婦人はこうも考える。
「それにしても危なかったわ。ここに【分岐】が存在したなんて。そう、やはりあの子が天秤に載っている進路シナリオもあるということかしら。あるいはもっと以前から存在したのだろうけども、ただあちらの影響かしら。歯牙に掛けるほどもない【バランス】が設定されていたか。まぁ良いわ。何れにせよこう言う顛末ならば、今後貴女も<ライバル>だと認めるにやぶさかでない」
そう思考を巡らすと、今回のレースに関する思考はそこで打ち切り。
以降貴婦人の頭に浮かぶのは、次に戦うことになる舞台。そこに待ち受ける<ライバル>たちのことであった。
彼女は孤高の挑戦者プレイヤー。ただ真の強者の証明のため、繰り返されるゲームに挑み続ける――。
しばらく後のヴィルシーナ。
「聞いていないわ!」
はしたなくも叫び声をあげる。
ジェンティルドンナの記者会見が、部室のテレビに映し出される。
ティアラ路線を進んできた彼女の、突然の路線転換。シニア級の先達に混じっての、国際G1レース出走。前年に三冠ウマ娘となった有力ウマ娘との直接対決の早期実現。
それら一切を踏まえ決して試走などではなく、初めから勝利を見据えた上での選択という、大胆な宣言。
更に……。貴婦人は語る。翌年の春には、海外への遠征を計画していると。
貴婦人の宣告に会場の報道陣は沸き立っていた。
同時にそれは共にティアラ路線を戦い再戦を誓い、次走をエリザベス女王杯に定めたヴィルシーナとの、決別を意味した。
「もはやティアラ路線における格付けは定まった」
「貴婦人の新たな領域での挑戦をこそ歓迎すべき」
世間はそう告げているが、ヴィルシーナからすれば実力の差を誇示された上で勝ち逃げされたようなもので、憤懣やる方ない。
いつもの淑やかな態度をかなぐり捨て、ただ荒れるばかり。
この後、貴婦人の転身に翻弄されたヴィルシーナに待っていたのは、エリザベス女王杯における結末。そこで「決して私は勝利を掴めない」という呪いに苦しめられることになる。
異国の地で栄冠を掴み、女帝となって凱旋したジェンティルドンナ。
その身を苛む呪いを振り払い、ライバルへの再戦を宣言したヴィルシーナ。
この2人が再び相まみえるのは、暫く先の話になる。
そして未来のレース結果は、まだ誰にも分からない。
彼女たちはただ、走り続ける。
瞳の先にあるゴールだけを目指して――