■カルディナ西部 都市アルサイディア
アルター王国とレジェンダリア、その二国を境とする地の近辺にその都市はあった。
必然と二つの国に睨みを利かせるため戦力を必要とする辺境地。
兵士に求められるのは純粋なステータスとレベルであった。
「諸君! 苛烈なる鍛錬と万難の任を乗り越えた屈強なる戦士達よ。今、我らが偉大なる祖と、我らを信頼しこの地を任せて頂いた国主様を脅かさんとする獣が現れた!」
兵の数は都市の規模にしては少ない。
砂の地、食料の少ない環境、更には日中を支配する太陽熱。
これらが兵をふるいにかけ、彼らを否応なしに一般人へと落としていた。
だが、残されたのはいずれも選ばれし戦士達。
数百名の兵は分厚い鎧と兜を着、それでも微塵たりとも身体を動かすことなく市長の言葉を傾聴する。
「今はまだレジェンダリアの一部にしかその牙は剥かれていない。だが! 国主様はいずれこの地にも牙の先端が悪呪を振り向くと予言なされた。我らはどうする! 我らは獣がこちらを見るまで傍観するか?」
市長は一度、兵達全員の顔を見渡す。
怯えは無い。
獣の噂は兵にも届いているだろうに、彼らには戦いによって死ぬかもしれないという恐れはなかった。
「否だ! これより我らは防衛の要に非ず。殲滅のため剣を取れ。盾を構えよ。隣国へと攻め入り、そして獣の首をこの剣に突き立てよ」
兵達は一斉に剣を掲げる。
誰もが、自身の剣に獣の首が飾られる光景を脳裏に描く。
獣の名は――
「ピエール、マニ・メイル、オキード。その3名こそが此度我らが追う獣の名だ。国主様より賜った情報によればいずれも〈マスター〉である。故に不死にあることは変わらぬが、一度でも死ねば監獄に入れられ、二度と外の世界には出て来ぬだろう」
兵の誰も疑問には思わない。
確かに彼らは国を跨ぎ幾つかの村を壊滅させている。
人を人とは思わぬ方法で死なせている。
だが、それだけで、討伐命令など出るものだろうか。
未だ指名手配すら出ていない……これから手配される手筈の人間に脅威であると断言し兵を差し向けるだろうか。
なによりも、彼らを〈マスター〉であると知っているならば、同じ〈マスター〉に任せるが道理。
死を恐れない〈マスター〉に、一度きりのティアンを戦いに差し向けるなど、国を治める人間のやり方ではない。
「中には噂を耳にしたことがある者もいるだろう。それらはほぼ事実と思って良い。〈マスター〉の力はそれだけ強大だ。だが、恐れることは無い! 奴らが強いことが、我らが弱者であるかどうかはまた別だ! この地で力を付けた諸君らが負ける道理など無いのだから」
兵が一斉に沸いた。
勝利を確信する者。
戦いに臨むため腹の底から雄叫びをあげる者。
あるいは余裕綽々とばかりに笑む者。
一様にして彼らは敗北という二文字を頭の中から消し去った。
それは市長の言葉によるものと、もう一つ。
「――では、まずは諸君らには一枚の紙を配る」
数百人の手元に届いた数百枚の紙。
それは契約書であった。
「国主様より与えられたありがたいものだ。それは誓約書に最も近い、契約書の中でも最上級のものである」
兵には識字教育がされており、契約書の中身は容易に理解することが出来た。
戦いにおけるステータスの限りないバフと、常時の忠誠。
要約すれば、そんなところであった。
「……おい、これって」
「……どういうことだ」
兵達の中からそんな言葉が騒めきたつ。
契約書において反故にする際のステータスダウンはともかく、バフなど存在しない。
また、忠誠においても、書かれていた名は兵達の知らぬ名であったのだ。
「――まず、一つ。人間の脳というのは制限がかけられているらしい。肉体を破壊せぬよう、全力は常に出せないのだ」
それは、兵達も知ってはいることだった。
だからこそ市長が何を言い出したのかが分からない。
「戦闘時にはその制限を取り除くよう暗示がされる。その同意の契約書だ。諸君らは国の為に剣を振り下ろすのだ。そのために力の制限など必要ないだろう?」
ゾッとするほどの冷たい視線が市長から送られる。
だが、言いたいことは分かった。
兵達は過酷な試練を乗り越えた勇者である。
今更、その程度の枷など必要無かった。
「――二つ。契約書にしろ誓約書にしろ、国家元首というものはみだりに名を使えぬと知れ。その名は我が国主様の名だ。署名するに不安を覚えるな」
その視線に耐えられず、何人かの兵が署名する。
続いて周囲の兵達も名を綴っていく。
伝染していく。感染していく。
怯えを、怖さを知らぬはずの兵の背にはいつの間にか汗が伝っていた。
やがて集められた契約書を束ね、最後に市長は自身も契約書に名を綴った。
「――終わったかしら」
そうして、気づけば市長の隣に座っていた女性に束を渡す。
「はい。これで、私含めこの街の戦力の全てが貴女の――アウロラ様の下に。どうか、どうかこれで……」
「ええ。もちろんよ。これであなたの家族はこれからもこの街で暮らすことが出来るわ」
女性の――アウロラの言葉に胸をなでおろす市長。
「ああ、でもごめんなさいね。博士がこの方が良いって言うものですから。少しだけ、人間から外れてしまっているわ」
アウロラの右手が光る。
〈マスター〉である彼女が右手に有するは【ジュエル】だ。
中に収納された奴隷やモンスター……あるいはその両方の性質を持つキメラが放出される。
「あ……あ……」
それを見た瞬間、市長は膝から崩れ落ちた。
妻と娘、そして正体の分からないナニカと混合されてしまったその1体を目の当たりにして、それでもその原材料が妻と娘であると分かる程度には原型を残されてしまっていたから。
「私の言葉は本当よ? あなたの家族はこの街で何事もなく暮らすの。脅かすこともない。怯えることもない。だって、それをするだけの力は私が貰うのだから」
「――ッ! 兵共よ! 殺せ! コイツを……このアウロラという女を殺せ!」
兵達は何が起こっているか分からなかった。
突然現れた女が市長の家族らしき2人をベースにしたモンスターを召喚したこと。
そして、市長がその女を殺せと命じたこと。
これだけは理解でき、それだけで十分だった。
兵は瞬く間に女を取り囲み、
「《収納》」
一瞬の間に消えた。
「……は?」
数百名の兵が瞬きの間に消え去った。
市長は何が起きたか理解出来ず、ただ眼前のアウロラと、かつて妻と娘であったキメラを交互に見る。
「よく訓練されているのね。よく分からないのだけれど剣圧?みたいなものが伝わってきたわ」
「ねぇ。アウロラ。僕はあんな雑多な兵が君に剣を向けたことこそが腹立たしいよ。その中で殺し合わせた方がいいんじゃない?」
隣に少年が立つ。
小さな少年は輝かんばかりの笑顔をし、アウロラに話しかける。
姉に、母に、恋人に囁くように。
心底大切な人間に愛を嘯くように、殺し合いを提案する。
「せっかく手に入れた力ですもの。それに命を無駄にしたら博士にも、あの守銭奴にも嫌味を言われてしまうわ」
「アウロラはあんな奴等気にしなくてもいいのに。それなら僕があいつら殺してこようか?」
「それこそ、よ。一応は同盟を結んだ相手。あんな性悪な人達でも力は持っているのよ。盾にする価値はあるわ」
みれば、市長には気力が残されていなかった。
先の動揺も、既に抗う力を消されたと認識し、もはや何もかも失ったと理解したのだろう。
地を見て、何事か呟いている。
「これはどうするの?」
「何かに使えるかしら。使えなくてもいいわ。それなら博士が有効活用してくれるでしょうから」
少年がアウロラの手を取る。
アウロラは残った手を市長に向けると、呆然としたまま市長も消え、
「さようなら。約束通り、この街で安らかに」
アウロラと少年も消え、キメラだけが残された。