二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜 作:Tmouris_
よろしくお願いします。
普段浴びないカーテンからの陽射しに目を細めて、そっと瞼を開いた。
アラームまでは、まだ少し時間がある。
ぼんやりとした体を引っ張るようにベッドから起き上がって、月ノ森の制服に袖を通す。
ランドセルに教科書を入れて、学校の支度を終わらせてから洗面所に足を進める。
(……今日始業式だ)
冷たい水で顔を洗って、鏡を見ながら髪を整えていくと、自然と眠気は遠ざかっていく。
階段を下りてリビングに入ると、みなみちゃんがちょうど玄関に手をかけたところだった。
顔が合っただけなのに、何も感じさせない表情から視線をキッチンに逸らす。
「あら、睦ちゃん早いのね。結月に、四年生になるんだからしっかりしなさいって伝えておいて」
私の目を見てない。結月兄さんの名前を出す時だけ……まるで誰か別の人みたいに笑う。
玄関が閉まる音を聞いて肩の力が抜ける。
深呼吸してから、私は静かに二人分のマグカップを机に並べた。トーストをセットして、ベーコンを焼く音だけが、キッチンに広がっていく。
出来上がったパンの匂いが、結月兄さんに初めて朝ごはんを作った日を思い出させる。
あの時は、トーストの使い方も分からないからパンを焦がして、目玉焼きも上手く作れなかった。……それでも、結月兄さんは笑顔で美味しそうに食べてくれた。
(いつもより早く起こしに来ちゃった)
結月兄さんが施設からうちに来て、五年くらい経つ。
朝ごはんを用意して、決まった時間に結月兄さんを起こしに行く。
それが私の日常。
ほんの少し違う朝でも、それだけは変わらない。
ドアをノックしても、返事はない。
私は、ゆっくり扉を開けて、布団にくるまった結月兄さんにそっと手を伸ばす。
――今日も結月兄さんの隣にいられるように
***
布団を軽く引かれて、眠りの中にいた俺の耳に、睦ちゃんの声が届く。
「結月兄さん、起きて」
「ん……おはよう、睦ちゃん」
ぼやけた視界の端で、着替えを出してくれるのが見える。
「冷めちゃうから」
それだけ言って、睦ちゃんはすっと扉を閉めた。
布団から何とか抜け出して、朝の支度を済ませて階段を降りる。
「悪いな。俺のせいでギリギリになってばっかりで」
睦ちゃんは紅茶を運ぶ手を止めて、つぶやくように「……大丈夫」と言って、紅茶に口をつけた。
「昔はもっと手のかかる妹だったのに。今じゃ、こんなにしっかり者になって」
俺が若葉家に来た時の睦ちゃんは、ムラっけのある元気な女の子だった。
『あなたが今日から私のお兄ちゃん?よろしくね!家族が増えて私嬉しい!』
初めて会った時、満面の笑みで俺の手を取ってくれたんだ。
だけど、少しずつ落ち着いていって、小学校に入る頃には気付いたら静かに笑ってることの方が増えた気がする。
「今日の朝ごはんもいい匂いだな〜」
最初は『焦げた……』って、お皿を差し出してきた。
作ってくれた理由は教えてくれなかったけど、苦いパンを食べる手は止まらなくて。
泣きながら食べて困らせたけど、それから少しずつ、睦ちゃんがごはんの支度をしてくれるようになって――
俺は……若葉家に受け入れられてるって感じたんだ。
「……みなみちゃんが、四年生になるんだからって」
睦ちゃんは黙々と箸を進めながら、母さんからの伝言を教えてくれた。
「母さんは厳しいからなぁ。しっかりしろって言われても、朝は眠いし、勉強も面倒なんだよなあ……」
俺には小言を言うのに、睦ちゃんには全然口を挟まないのは不公平だ不公平。
「きっと頑張れば凄い」
「母さんも似たようなこと言うけど、俺って平凡だと思うんだよな」
芸能人の家で育った分、普通とは少し違う経験をしてきた。
それでも、勉強も運動も中の上ってところだし。自分では、これくらいがちょうどいい。
「……それでいいなら」
「睦ちゃんがそう言ってくれるから、ちょっとだけ救われるよ。ありがとな」
ちょっと照れくさくて、顔を逸らしちゃったけど。
睦ちゃんの微笑んだ顔がちらっと見えた。
基本的には感情をあまり表に出さない子だけど、時々見せる表情が可愛いと兄妹ながら思う。
昔のことを思い出しながら、ふと時計を見ると、出発の時間が迫っていた。
「ほら、そろそろ片付けて、出発しないと。本当に遅刻するぞ」
キッチンからは、カチャカチャと食器を片付ける音が部屋に響く。
「早く起きないから」
わずかにむくれたような顔で睦ちゃんが返す。
他人から見たら、いつも通りの表情に見えるだろうけど……
不器用ながらも、不満を訴える睦ちゃんを見て、俺はつい笑ってしまった。
だけど、睦ちゃんのおかげでこの家で、すぐに安心できたのを今でも覚えている。
「新年度って言っても、学校が変わるわけじゃないし。今日も駅まで一緒に行くか」
「うん」
睦ちゃんは、いわゆるお嬢様学校に通っていて、俺は普通の共学校。
「友達……できるといいね」
「どうだろうな。みんな母さんと父さんの話ばっかりだし。たまに睦ちゃんのこと聞いてくるやつもいる。俺と仲良くなりたい人って、ほんとに少ないよ」
テレビに出てる両親に加えて、睦ちゃんも昔はそこそこ有名だった。
そういうのを目当てに話しかけてくる人はいても、俺自身とちゃんと向き合ってくれる人はあまりいない。
「ていうか、睦ちゃんだって似たようなもんじゃん」
「私は、祥がいるから」
「そこで祥子さんの名前出すの、ずるいだろ……」
睦ちゃんと祥子さんは、小学校に上がるよりも前からの幼馴染で、ずっと変わらず友達だ。
それを学校で出来た友達って言うのはずるいだろ。
一方の俺はというと……祥子さんとは普通に話すけど、別に仲が特別いいわけでもない。
彼女はなんでもできるし、ちょっと眩しすぎて、自然とこっちが引け目を感じてしまう。
「ま、いいや。また放課後な」
「いってらっしゃい」
「睦ちゃんも、気を付けてな」
駅で別れて、それぞれの学校へと向かった。
―――
学校についてからは、特に何もない長い始業式に参加して、クラス分けを確認する。
席は決められていて、そのまま席についた。
歩いていく途中、クラスメイトたちから、毎年向けられる視線を感じた……
(毎年のことだし、新学期が始まったって感じだ)
席は教室の端っこの方で、隣の席は女の子だった。
俺には気付かずに、ぼーっと窓の外を眺めてる。
何か不思議な感じだ。隣に座っても、そこにいるのが当たり前のような……
睦ちゃんとは違うけど、静かな子っぽい。
「今日からよろしく」
自分から同級生に関わると面倒なのは分かってたのに、なんでか自分から声をかけてた。
「あ、えっと……よろしく。私は高松燈。です」
緊張で声が少し震えていたけど、それでも自分から名乗ってくれるところは、睦ちゃんより社交的かもしれない。
ちょっと挙動不審で、凄い見られてる気がするけど……
「俺は若葉結月」
自己紹介を返そうとしたら、教室のあちこちでガタガタと椅子から立ち上がる音が聞こえる。
あぁ、これいつものやつだ。
気付いたらクラスメイトに囲まれて、しばらく質問攻めにあった。
そんな、俺を気に入らない目で見るやつもいる。
最初は、芸能人の子供って良くも悪くも興味を持つけど、一週間もすれば飽きてこういうことも無くなる。
みんな……俺に興味があるわけじゃないから。
途中で、ふと気になって高松さんの方を見ると、目が合ってしまった。
睦ちゃんと違って、無表情って訳じゃないんだけど……
じーっとこっちを見て、ぽつりと口を開いた。
「若葉君って、人に囲まれて、結構人気者?」
名前が聞こえた途端、クラスのみんなに囲まれた、から。
「そんなことないよ、俺の家族に興味あるだけだよ」
「そう、なんだ……本についてる付録とか、好きだけどな」
石の本についてくる石って綺麗だから……
若葉君は頭を傾けて、少し不思議そうな顔をしてた。
「えっと、付録……?もしかして、高松さんって女優の森みなみとか知らない?」
静かにコクンと頷いた。
「私はあまり、テレビとか見ないから……」
(お母さんが女優さんなのかな?そういうのあまり見ないから分からない、申し訳ないな……)
でも、若葉君はどこか嬉しそうで。包んでたものを、見せてくれてるみたい。
「それなら、そのまま接してよ。その方が俺は話しやすいからさ」
「うん。分かった」
(上手く話せなかったけど……良かったのかな?)
その後は、何を言ったらいいか分からなくて、話せなかった。
でも、私だけじゃない教室みたいだった……かも。
***
学校が終わって、駅で睦ちゃんを待っていると、後ろから袖を引っ張られる。
引っ張られた方を向くと、睦ちゃんがいつの間にか立っていた。
「おかえり。そんじゃ家に帰るか」
睦ちゃんは首だけ縦にふって、後ろにそっと着いてくる。
いつも通りに家に向かっていると、睦ちゃんがチラチラとこちらを見ていることに気がついた。
「どうしたの?俺の顔になにか付いてる?」
「……いつもより機嫌いいから」
そんなに浮かれてるように見えたんだ。
高松さんとの会話が新鮮で、ちょっと気分上がってたのかな?
「今年は珍しく、母さんたちのことを知らない子が隣に来てさ。気遣いとか気まずさがなくて楽だったんだよ」
みなみちゃんたちの事を知ってもそのままで、会話も弾まなかった。
でも、気まずさは無くて、隣に座っているだけでいいんだなって……不思議とそう思えた。
たった一日で高松さんについて、何か知ったわけでもないのに。
「仲良くなれそうなの」
睦ちゃんはいつも通りのトーンで応援してくれた……応援してくれてるんだよな?
でも、実際どうだろうな……
今日一日あんまり高松さんが人と話すの見なかったけど。話すのあんま得意じゃないよなやっぱり。
「今まで友達作りとかしなかったからなぁ。もう少し話してみて考えるよ」
「……ん」
睦ちゃんは少し頷くと、そのまま視線は合わなかった。
そこから家に着くまでは、話すことが無くて静かに帰宅した。
こうして、睦ちゃんと並んで歩く時間は悪くない。
「ただいま~」「ただいま」
「おかえり~結月に、睦ちゃん」
家に帰ると、リビングで母さんがソファに座って出迎えてくれた。
「あれ、今日は帰って来れないって言ってなかったっけ」
「結月の新学年なんだもの。無理してちょっとだけ顔出しに来たの」
母さんは大女優といわれるほどの有名人で、普段は仕事が忙しくてあまり家に帰ってこない。
けど、仕事の合間に様子を見に来てくれたり、休みの日は、出来るだけ家に帰ってきてくれる。
「結月兄さんが、女の子の友達…………」
睦ちゃんがそこまで言うと、母さんは興奮したように立ち上がった。
「あら~! あらあら。結月も、ちゃんと友達を作る気になったのね。しかも、女の子ねぇ……」
睦ちゃんめ……良くも余計なことを!
ほら見ろ、母さんがニヤニヤ俺の方見てるよ。
「ほら、どうせ仕事の隙間で来たから時間ないんでしょ! 新学年は大丈夫だったからお仕事お仕事」
「も~結月は冷たいんだから。でも、その通りなのよね」
軽い手荷物だけで、すぐに家を出られるようにしてたから。
リビングの扉を開けながら、母さんは何かを思い出したように、俺の方に振り返った。
「もう四年生にもなるんだから、朝くらいは自分で起きないとだめよ?」
「もう睦ちゃんに聞いたよ!」
母さんは満足したように、手をひらひらとふってリビングをあとにした。
さっきまでの騒がしさが嘘のように、リビングが静まり返った。
「睦ちゃんはどうだったの?」
「……いつも通り」
睦ちゃんは目を合わせずにそう答えて、そのままキッチンに入っていった。
この後は晩ごはんの準備をして、いつも通り2人で夕食を済ませた。
まぁ、ほとんど睦ちゃんがやってくれたんだけど。
***
食器を片づけて、電気を落とす。
結月兄さんはもう、部屋に戻った。
一人になった台所は、静かで、ちょっとだけ落ち着く。
今日の朝も、いつも通りだったのに。
学校が終わってから、いつもと違ったような気もする。
少しだけ、結月兄さんが遠くなったみたいで……
そんなことをぼんやり考えながら、部屋に戻って、布団に入る。
「変な日だったな……ううん。いつも通りだったはず」
小さくつぶやいて、目を閉じる。
……でも胸の奥が、少しだけざわついたままだった。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
三人の、少しずつ揺れていく気持ちを見守ってもらえたら嬉しいです。