二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜   作:Tmouris_

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普段怒らない優しい人。
それでも、誰かのために怒ったときって誰よりも怖かったりしますよね……


第9話:優しい怒り

トン、トン。ぎこちなく包丁を動かす音がキッチンに響く。

丁寧なのに不格好なその手元から目が離せなくて、私はぎゅっと拳を作ってた。

 

「……大丈夫?」

 

自信満々に『睦ちゃんの誕生日なんだから、俺も手伝う』って言われて、包丁を渡してしまった。

嬉しいけど……やっぱり、ちょっと怖い。

 

「こっちは大丈夫だから、ほかの準備進めちゃってよ」

 

顔を下げて真剣に包丁を握る横顔を見て、口に出かけた言葉を飲み込む。

支度中も見るつもりはなかったのに、気になって目がいった。ゆっくりだけど順調に進んでる。

 

しばらくして、「よし」と完成した料理のお皿を、結月兄さんが冷蔵庫に運んで行った。

 

誰もいなくなった隣を見てみると、余った食材が散らかっている。

片付けようと手を伸ばそうと包丁を置こうとしたとき、昔のことをふと思い出した。

 

料理を始めたばかりのころ、ごはんの準備をするときは私もキッチンを散らかしてた。

そのたびに、結月兄さんは笑いながら片づけを手伝ってくれて、そばにいられた。

今は少しずつ遠くなっていく気がして、呼吸が浅くなる。

 

「どう?驚いた?」

 

気がついたら、結月兄さんが戻ってきて、胸を張って私を見ていた。

 

「練習、いつしたの」

 

家ではしてなかった。だけど、休みの日に出掛けることが多くて、絆創膏つけてばっかり……心当たりは一人しかいなくて、喉がきゅっと締まる。

 

「内緒で燈ちゃんに教えてもらったんだ」

 

顔をそらして、結月兄さんは洗い物を始めた。表情は見えないけど、耳が赤くなってるのが分かる。

 

「すごい迷惑かけたから、誕生日に燈ちゃんの好きなノートと動物シリーズの絆創膏をプレゼントしたんだよね。いろんな種類持ってるから、新しいの探すの大変だったな」

 

「目を輝かせてた」って楽しそうに話をしてる結月兄さんを見てると、胸の奥が苦しい。

視線を落として、顔も合わせられない。

 

「……そう」

 

呼吸を整えるのが精一杯で、相づちしかできなかった。

水が流れる音だけが耳に残って、ほかの音が遠く感じる。

気がついたら何も聞こえなくなって、ポンと髪にひんやりとした何かが乗った。

 

「睦ちゃんのこと、お祝い出来るんだから頑張って良かった」

 

その声を聞いて、視界がぱっと明るくなる。

頭に乗った手が温かく感じて、顔も熱くなっていく。

 

「プレゼントだってちゃんと用意してるんだから、楽しみにしててよね」

 

笑いながらこっちを振り向く兄さんと自然に目が合う。私も口元が緩んで、顔を隠すように小さくうなずいた。

 

―――

 

二人で洗い物を終わらせて、リビングの椅子に腰をかけた。

静かになった部屋に、温かい空気だけが残ってる。

 

いつも自分が立っている場所で、兄さんが紅茶を淹れている。

『待ってる時間も好き』って言ってたけど、今なら少しだけ分かる気がした。

 

ぼんやりとキッチンを眺めていると、視界の端から腕が伸びてきて、そっとカップを置かれた。

兄さんはそのまま正面に座ると、体を少し乗り出して、じっと私を見つめてる。

何かを言いたそうに、唇だけがぎゅっと結ばれてた。

 

……味は、たぶんまだうまくいってない。香りも薄いし、少し渋みが残ってる。

それでも、どうしてだろう。さっきまで固くしていた肩の力が、ふっと抜けていく気がした。

 

「茶葉の量、ちゃんと測ってない。時間も大雑把」

 

そう言うと、兄さんの肩が一瞬ぴくっと跳ねた。

視線が泳いで、ばつが悪そうに頭をかいて笑ってる。やっぱり、そういうところはあるけど――

 

「兄さんが、頑張ったのは……分かる」

 

『兄さん』って呼んだ瞬間、ばっと私の方を振り向いて固まってる。

 

顔を下げると、紅茶に映る自分の顔が笑っていた。その笑顔が怖いはずなのに、今日は不思議と温かさが抜けない。

 

「兄さんって……あ~そういえば、母さんが出てる生放送があったはず」

 

はっと我に返ると、兄さんは慌ててテレビの電源をつけて紅茶を飲み始めた。湯気で少しだけ隠れてるはずなのに、顔が真っ赤なのはちゃんと分かった。

 

***

テレビではちょうどCMが終わって番組が再開していた。街で聞けば、誰もが知っているような有名人がずらりと並ぶ中、母さんもその一人として座っている。

 

「……忙しいんだろうな」

 

今年こそは、一緒に睦ちゃんの誕生日をお祝いしたかった。

最後に集まったのいつだっけ……思わず俺はカップを置いてため息をつく。

――そのとき、テレビの向こうから何気ない声が聞こえた。

 

『みなみさんは夕方からオフですよね』

 

『そうなんですよー。この時期にお休みできるなんて運が良かったです』

 

時間が止まったみたいに、周囲の音が遠くなっていく。

何を聞いたのか理解できなくて、頭の中で声が反響する。

 

(母さんが……今日はオフ?)

 

そんなわけない。だって、今日は外せない仕事があるからって……ごめんねって言ってたのに。

言葉にならなくて、かすれた息だけが漏れた。鼓動がどんどん速くなる。

ばっと睦ちゃんの方を向くと、どこか申し訳なさそうに視線を落としていた。

 

「もしかして、知ってたの?」

 

睦ちゃんはゆっくり顔を上げて、ほんの一瞬だけ俺を見た。

口が少し開いて、何かを言おうとして……そのまま視線をそらし、唇をきゅっと詰んだままうつむいてしまった。

 

『たしか今日は、娘の睦ちゃんのお誕生日だとか。やっぱり、盛大にお祝いしたりするんですか?』

 

『うーん。うちの子は派手なのがあまり好きじゃないみたいで。多分、みなさんが想像してるようなパーティはしてないかも』

 

カメラに映る母さんの作り笑顔は見慣れてる。芸能界はそういうところだって、分かっているのに――

 

『あっでも、息子にベースをプレゼントしたらすごい喜んでくれたんです』

 

それでも、俺のことを話すときの顔は本当に笑ってみえた。それが余計にどこか不気味で、お腹を押し込まれるように感じる。

 

『お子さんたちが羨ましいですね。それでは――』そこまで聞いて、俺は勢いよく椅子から立ち上がり、テレビの電源を切った。

 

……ちょっと前からおかしいとは思ってた。

母さんは睦ちゃんに冷たいところもあるけど、二人は仲が良いと思ってた。そう信じようとしてたのかもしれない。

 

年末年始じゃなくても忙しいはずなのに、睦ちゃんの誕生日にだけは来てくれない。

もし今までも同じような事があったなら――そう考えると、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。気づけば眉間にしわが寄り、拳に爪が食い込んでた。

 

椅子が擦れる音がして、俺の拳に優しく両手が添えられる。

 

「兄さんがいれば……いい」

 

小刻みに震えが伝わってきて、睦ちゃんが隣で手元を見つめている。

 

その姿を見て、俺は拳を解いた。

そうだ。楽しみにしてくれてたのに、お兄ちゃんが妹を怖がらせてどうすんだよ。

 

「ありがと。母さんが連絡もなく帰ってくるなんて、いつものことだしね」

 

空いた手で睦ちゃんの手をそっと包み込む。まだ視線は下を向いてるけど、さっきまでの震えは収まってる。

 

「意外と時間残っちゃったし。晩ごはんまでベースの練習見てよ」

 

小さくうなずいて顔を上げたときは、しっかりと目を合わせてくれた。

テーブルの上をきれいにして、二人で階段を下って行く。

 

***

 

時計の針は七時を回った。リビングで私と兄さんがテーブルを囲んで……椅子が一つだけ、ぽつんと置いてある。

 

「誕生日おめでとう、睦ちゃん」

 

兄さんは優しく微笑んで、ブラウンのピックホルダーをそっと差し出した。

手を伸ばして受け取ると、固いレザーが指先に触れた。

飾り気のない、どこにでもありそうなホルダー。きっと、兄さんが悩みながら選んでくれた……

 

「ありがとう……大切にする」

 

プレゼントは毎年もらってる。それなのに、こんなに安心するのはなんでだろう。

ちらっと兄さんの方を見ると、落ち着かない様子でホルダーの開け口に視線を寄せてる。

 

パチっとボタンを外して中をのぞく。

エメラルドグリーンのピックが一枚、ブラウンのレザーに包まれるように入っていた。

目立つ色なのに、革の地味な色に守られてるみたいで……落ち着いて光って見える。

 

「これ……私の名前」

 

ピックをすっと取り出す。エメラルドグリーンの表面に、”mutumi.W”と彫られてる。

 

「名前があったほうが特別っぽいかなって。まぁ、お小遣いはすっからかんになったけど……」

 

特別――

その言葉が胸の奥にじんわりと染みて、思わず両手でピックを包み込んだ。

 

(練習じゃ、使えない)

 

普段使いしてたら、多分すぐ壊れる。

兄さんはきっとむくれる。

でも、特別な時にだけ使いたい。

 

きっと、これが新しい”つながり”だと思う、から。

 

「スペル、間違ってる。tuじゃなくてtsu」

 

それを聞いて、兄さんが慌てて携帯を取り出した。少し操作してから、口を開けて固まってる。

 

「……ごめん気づかなくって。睦ちゃんが恥ずかしいなら、見えないように隠しても」

 

机の角を見るように、兄さんは肩を落とした。

 

私は親指で名前をなぞって、つぶやくように口を開く。

 

「大丈夫。ごはん冷めるから」

 

兄さんはそういうとこある。

名前は間違ってるのに、どこかはまるような感じがする。誤魔化すように、私は料理を口に運んだ。

 

「おいしい……」

 

それを聞いて、兄さんはさっきまで落ち込んでたのが嘘みたいに笑ってた。

 

兄さんが作ってくれた、きゅうりとマンゴーのサラダ。盛り付けだけじゃなくて、ちゃんと味付けもしてある。

 

「きゅうりとマンゴー……」

 

きゅうりをつまんで、じっと見つめながら首をかしげる。

嫌いじゃないけど、好きって言ったことはない。

 

「もしかして好きじゃなかった?紅茶以外だとマンゴージュースよく飲んでるし、学校できゅうり育ててるって祥子さんに聞いたから、てっきり」

不安そうにしてる兄さんと目が合って、ふるふると首を横に振った。

 

きゅうりは委員会で育ててるだけ。マンゴージュースも勧められて飲んでるだけ。

それでも、”私”を見てくれてたと思うと、少しだけ好きになった気がした。

 

私のごはん初めて食べてくれたとき、兄さんもこんな気持ちだったのかな。

 

「なら良かった……嫌いだったらどうしようかと思ったよ」

 

きゅうりを口に放り込んで、ポリポリと音をたててる。

 

「俺は結構好きだからさ。栄養はないらしいけど、食感とかよくない?」

 

きっと、兄さんは何気なく思ったことを言ったんだと思う。

サラダを一口食べて、自然と口元が緩んで「ありがとう」ってこぼれた。

 

「喜んでもらえて良かったー」

 

そう言って兄さんは笑ってたけど、手元のスマホは、無意識にぎゅっと握られていた。

 

きっと、母さんのこと気にしてる。

それでも今だけは、この大切な時間を守りたくて、そっと目をそらした。

 




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