二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜 作:Tmouris_
それでも、誰かのために怒ったときって誰よりも怖かったりしますよね……
トン、トン。ぎこちなく包丁を動かす音がキッチンに響く。
丁寧なのに不格好なその手元から目が離せなくて、私はぎゅっと拳を作ってた。
「……大丈夫?」
自信満々に『睦ちゃんの誕生日なんだから、俺も手伝う』って言われて、包丁を渡してしまった。
嬉しいけど……やっぱり、ちょっと怖い。
「こっちは大丈夫だから、ほかの準備進めちゃってよ」
顔を下げて真剣に包丁を握る横顔を見て、口に出かけた言葉を飲み込む。
支度中も見るつもりはなかったのに、気になって目がいった。ゆっくりだけど順調に進んでる。
しばらくして、「よし」と完成した料理のお皿を、結月兄さんが冷蔵庫に運んで行った。
誰もいなくなった隣を見てみると、余った食材が散らかっている。
片付けようと手を伸ばそうと包丁を置こうとしたとき、昔のことをふと思い出した。
料理を始めたばかりのころ、ごはんの準備をするときは私もキッチンを散らかしてた。
そのたびに、結月兄さんは笑いながら片づけを手伝ってくれて、そばにいられた。
今は少しずつ遠くなっていく気がして、呼吸が浅くなる。
「どう?驚いた?」
気がついたら、結月兄さんが戻ってきて、胸を張って私を見ていた。
「練習、いつしたの」
家ではしてなかった。だけど、休みの日に出掛けることが多くて、絆創膏つけてばっかり……心当たりは一人しかいなくて、喉がきゅっと締まる。
「内緒で燈ちゃんに教えてもらったんだ」
顔をそらして、結月兄さんは洗い物を始めた。表情は見えないけど、耳が赤くなってるのが分かる。
「すごい迷惑かけたから、誕生日に燈ちゃんの好きなノートと動物シリーズの絆創膏をプレゼントしたんだよね。いろんな種類持ってるから、新しいの探すの大変だったな」
「目を輝かせてた」って楽しそうに話をしてる結月兄さんを見てると、胸の奥が苦しい。
視線を落として、顔も合わせられない。
「……そう」
呼吸を整えるのが精一杯で、相づちしかできなかった。
水が流れる音だけが耳に残って、ほかの音が遠く感じる。
気がついたら何も聞こえなくなって、ポンと髪にひんやりとした何かが乗った。
「睦ちゃんのこと、お祝い出来るんだから頑張って良かった」
その声を聞いて、視界がぱっと明るくなる。
頭に乗った手が温かく感じて、顔も熱くなっていく。
「プレゼントだってちゃんと用意してるんだから、楽しみにしててよね」
笑いながらこっちを振り向く兄さんと自然に目が合う。私も口元が緩んで、顔を隠すように小さくうなずいた。
―――
二人で洗い物を終わらせて、リビングの椅子に腰をかけた。
静かになった部屋に、温かい空気だけが残ってる。
いつも自分が立っている場所で、兄さんが紅茶を淹れている。
『待ってる時間も好き』って言ってたけど、今なら少しだけ分かる気がした。
ぼんやりとキッチンを眺めていると、視界の端から腕が伸びてきて、そっとカップを置かれた。
兄さんはそのまま正面に座ると、体を少し乗り出して、じっと私を見つめてる。
何かを言いたそうに、唇だけがぎゅっと結ばれてた。
……味は、たぶんまだうまくいってない。香りも薄いし、少し渋みが残ってる。
それでも、どうしてだろう。さっきまで固くしていた肩の力が、ふっと抜けていく気がした。
「茶葉の量、ちゃんと測ってない。時間も大雑把」
そう言うと、兄さんの肩が一瞬ぴくっと跳ねた。
視線が泳いで、ばつが悪そうに頭をかいて笑ってる。やっぱり、そういうところはあるけど――
「兄さんが、頑張ったのは……分かる」
『兄さん』って呼んだ瞬間、ばっと私の方を振り向いて固まってる。
顔を下げると、紅茶に映る自分の顔が笑っていた。その笑顔が怖いはずなのに、今日は不思議と温かさが抜けない。
「兄さんって……あ~そういえば、母さんが出てる生放送があったはず」
はっと我に返ると、兄さんは慌ててテレビの電源をつけて紅茶を飲み始めた。湯気で少しだけ隠れてるはずなのに、顔が真っ赤なのはちゃんと分かった。
***
テレビではちょうどCMが終わって番組が再開していた。街で聞けば、誰もが知っているような有名人がずらりと並ぶ中、母さんもその一人として座っている。
「……忙しいんだろうな」
今年こそは、一緒に睦ちゃんの誕生日をお祝いしたかった。
最後に集まったのいつだっけ……思わず俺はカップを置いてため息をつく。
――そのとき、テレビの向こうから何気ない声が聞こえた。
『みなみさんは夕方からオフですよね』
『そうなんですよー。この時期にお休みできるなんて運が良かったです』
時間が止まったみたいに、周囲の音が遠くなっていく。
何を聞いたのか理解できなくて、頭の中で声が反響する。
(母さんが……今日はオフ?)
そんなわけない。だって、今日は外せない仕事があるからって……ごめんねって言ってたのに。
言葉にならなくて、かすれた息だけが漏れた。鼓動がどんどん速くなる。
ばっと睦ちゃんの方を向くと、どこか申し訳なさそうに視線を落としていた。
「もしかして、知ってたの?」
睦ちゃんはゆっくり顔を上げて、ほんの一瞬だけ俺を見た。
口が少し開いて、何かを言おうとして……そのまま視線をそらし、唇をきゅっと詰んだままうつむいてしまった。
『たしか今日は、娘の睦ちゃんのお誕生日だとか。やっぱり、盛大にお祝いしたりするんですか?』
『うーん。うちの子は派手なのがあまり好きじゃないみたいで。多分、みなさんが想像してるようなパーティはしてないかも』
カメラに映る母さんの作り笑顔は見慣れてる。芸能界はそういうところだって、分かっているのに――
『あっでも、息子にベースをプレゼントしたらすごい喜んでくれたんです』
それでも、俺のことを話すときの顔は本当に笑ってみえた。それが余計にどこか不気味で、お腹を押し込まれるように感じる。
『お子さんたちが羨ましいですね。それでは――』そこまで聞いて、俺は勢いよく椅子から立ち上がり、テレビの電源を切った。
……ちょっと前からおかしいとは思ってた。
母さんは睦ちゃんに冷たいところもあるけど、二人は仲が良いと思ってた。そう信じようとしてたのかもしれない。
年末年始じゃなくても忙しいはずなのに、睦ちゃんの誕生日にだけは来てくれない。
もし今までも同じような事があったなら――そう考えると、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。気づけば眉間にしわが寄り、拳に爪が食い込んでた。
椅子が擦れる音がして、俺の拳に優しく両手が添えられる。
「兄さんがいれば……いい」
小刻みに震えが伝わってきて、睦ちゃんが隣で手元を見つめている。
その姿を見て、俺は拳を解いた。
そうだ。楽しみにしてくれてたのに、お兄ちゃんが妹を怖がらせてどうすんだよ。
「ありがと。母さんが連絡もなく帰ってくるなんて、いつものことだしね」
空いた手で睦ちゃんの手をそっと包み込む。まだ視線は下を向いてるけど、さっきまでの震えは収まってる。
「意外と時間残っちゃったし。晩ごはんまでベースの練習見てよ」
小さくうなずいて顔を上げたときは、しっかりと目を合わせてくれた。
テーブルの上をきれいにして、二人で階段を下って行く。
***
時計の針は七時を回った。リビングで私と兄さんがテーブルを囲んで……椅子が一つだけ、ぽつんと置いてある。
「誕生日おめでとう、睦ちゃん」
兄さんは優しく微笑んで、ブラウンのピックホルダーをそっと差し出した。
手を伸ばして受け取ると、固いレザーが指先に触れた。
飾り気のない、どこにでもありそうなホルダー。きっと、兄さんが悩みながら選んでくれた……
「ありがとう……大切にする」
プレゼントは毎年もらってる。それなのに、こんなに安心するのはなんでだろう。
ちらっと兄さんの方を見ると、落ち着かない様子でホルダーの開け口に視線を寄せてる。
パチっとボタンを外して中をのぞく。
エメラルドグリーンのピックが一枚、ブラウンのレザーに包まれるように入っていた。
目立つ色なのに、革の地味な色に守られてるみたいで……落ち着いて光って見える。
「これ……私の名前」
ピックをすっと取り出す。エメラルドグリーンの表面に、”mutumi.W”と彫られてる。
「名前があったほうが特別っぽいかなって。まぁ、お小遣いはすっからかんになったけど……」
特別――
その言葉が胸の奥にじんわりと染みて、思わず両手でピックを包み込んだ。
(練習じゃ、使えない)
普段使いしてたら、多分すぐ壊れる。
兄さんはきっとむくれる。
でも、特別な時にだけ使いたい。
きっと、これが新しい”つながり”だと思う、から。
「スペル、間違ってる。tuじゃなくてtsu」
それを聞いて、兄さんが慌てて携帯を取り出した。少し操作してから、口を開けて固まってる。
「……ごめん気づかなくって。睦ちゃんが恥ずかしいなら、見えないように隠しても」
机の角を見るように、兄さんは肩を落とした。
私は親指で名前をなぞって、つぶやくように口を開く。
「大丈夫。ごはん冷めるから」
兄さんはそういうとこある。
名前は間違ってるのに、どこかはまるような感じがする。誤魔化すように、私は料理を口に運んだ。
「おいしい……」
それを聞いて、兄さんはさっきまで落ち込んでたのが嘘みたいに笑ってた。
兄さんが作ってくれた、きゅうりとマンゴーのサラダ。盛り付けだけじゃなくて、ちゃんと味付けもしてある。
「きゅうりとマンゴー……」
きゅうりをつまんで、じっと見つめながら首をかしげる。
嫌いじゃないけど、好きって言ったことはない。
「もしかして好きじゃなかった?紅茶以外だとマンゴージュースよく飲んでるし、学校できゅうり育ててるって祥子さんに聞いたから、てっきり」
不安そうにしてる兄さんと目が合って、ふるふると首を横に振った。
きゅうりは委員会で育ててるだけ。マンゴージュースも勧められて飲んでるだけ。
それでも、”私”を見てくれてたと思うと、少しだけ好きになった気がした。
私のごはん初めて食べてくれたとき、兄さんもこんな気持ちだったのかな。
「なら良かった……嫌いだったらどうしようかと思ったよ」
きゅうりを口に放り込んで、ポリポリと音をたててる。
「俺は結構好きだからさ。栄養はないらしいけど、食感とかよくない?」
きっと、兄さんは何気なく思ったことを言ったんだと思う。
サラダを一口食べて、自然と口元が緩んで「ありがとう」ってこぼれた。
「喜んでもらえて良かったー」
そう言って兄さんは笑ってたけど、手元のスマホは、無意識にぎゅっと握られていた。
きっと、母さんのこと気にしてる。
それでも今だけは、この大切な時間を守りたくて、そっと目をそらした。
お気に入り、評価、感想ありがとうございます!
モチベーションに繋がるので本当にありがたいです。