二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜 作:Tmouris_
拒絶されるのが怖いから自分を隠す。
矛盾しているようで両立する感情。
睦ちゃんは睦ちゃんとして何を選び取るのでしょうか。
数か月前まで、終業式は私と兄さん、あとみなみちゃんの三人で帰ると思ってたのに。
いまは祥の車で、祥とお父さんとお母さんの四人で帰ってる。
兄さんと毎日一緒に歩いていた帰り道を、車の中から横目に眺めていると、祥がそっと私の手に触れた。
「やはり、結月さんがいないと寂しいですわよね……」
私の冷たい手と違って温かい。兄さんとも違う、やさしい温度。
「祥子から話は聞いているけど、”七光り”と言われる気持ちはなんとなく分かるよ。僕も豊川で継ぐ立場になって、そう見られることが増えたからね」
祥のお父さんは苦笑いをして、私を優しく見つめていた。
「でも素敵じゃない?睦ちゃんがそんなふうに見られるのが嫌で、みなみさんと喧嘩したって聞いたから」
お母さんも優しく微笑んでくれる。みんな温かくて、一緒に笑ってる。
兄さんには、私たちもこんなふうに見えてたのかな。
(兄さんといられればそれでいいと思ってた)
でも、家を出ようって言ってくれたあの日から、少しだけ体の力が抜けた気がする。
みなみちゃんを見ると固まってたのに、芸能人の娘って言われると苦しかったのに……兄さんが頑張ってるのを見てたら、どうしてだろう、今は大丈夫って思える。
「あ、あの……」
兄さんは、みなみちゃんから私を救いたいって頑張ってくれてる。
私は隣にいたい。救われるなら、一緒に抜け出したい。
……でも、それは私の役目じゃない。
言いかけた言葉を飲み込もうとした時――
『睦ちゃんには笑っててほしいから』
頭を優しく撫でてくれた。優しく見守ってくれた。優しく笑ってくれた。
全部温かくて……家族なのに、兄妹なのに。
私は制服の裾を強く握って、そっと指をほどく。
「祥のお父さん……お願いが、あります」
指先が震え、冷や汗がにじむ。悪寒が走って、これ以上は「やめて」って、身体がブレーキをかけるみたいに重い。
それでも、拳を握る。無理だとしても――”私が”横に並びたいから。
―――
日もすっかり暮れて、玄関に着いた時には八時を過ぎそうになってた。
覚えることは多いし、毎日毎日叱られてばかり。帰り道はいつも、くたくたになりながら歩いてる。
でもオーナーは、仕事だけじゃなくて、働く上での心構えとか社会のことまで叩き込んでくれる。
それでも、七時前になると「子どもはもう帰りな!」って【space】を追い出されちゃう。
「ただいまー」
玄関を開けてリビングまで行くと、睦ちゃんが「おかえり」と体をこっちに向けた。
「あれ?そのパソコンどうしたの?」
背中越しにのぞくと、一台のノートパソコンに【豊川事務マニュアル】と書かれた冊子、隣にはパソコン系の教本がいくつか積まれている。
まさかと思って振り向くと、目が合った。
いつもなら視線をそらすはずなのに、睦ちゃんはじっと俺を見つめている。
「私も、頑張る」
その真っすぐな瞳を見ていたら、呼吸が浅くなって言葉に詰まった。
働くのは想像以上に大変なことだった。疲れるし、つらいことだってある。睦ちゃんも俺を見て、それはなんとなく分かってると思う。
それでも、頑張るって言ってくれてるんだ。
「じゃあ、一緒に頑張ろっか」
何かあったらって不安は残ってる。でも、挑戦を止めるのは違う気がした。だから、せめて応援してあげないと。
俺は睦ちゃんの頭をそっと撫でてから、二人で晩ごはんの準備を始めた。
―――(夕方の車内)
「僕としても、睦ちゃんのお願いを叶えてあげたいし、結月君のことは応援しているんだけど……中学生を雇うわけにもなぁ」
祥のお父さんがどんな表情をしてるのかも分からない。声色もうまく聞こえない。
「睦?顔色が……大丈夫ですの!?今すぐ横になって……」
手を握る感触だけが伝わってきて、祥は心配そうな顔で私のことを見てた。
それでも私は、首を横にふってお父さんともう一度顔を合わせる。
締め付けられた喉から、ふり絞るように口を開ける。
「兄さんが、頑張ってる……だから、私も」
車の中が静まりかえる。
イタい。苦しい。辛い。
私は、逃げない。兄さんの横に行きたいから。
「あなた。睦ちゃんたちは本気なのよ。子供の遊びなんかじゃない」
「うん……分かってるよ」
二人の会話がぼんやりと耳に届いて、思わず顔を上げる。
「あ、そういえば、データ入力なんかの単純な事務作業が溜まってきているんだ。再来年あたりに社会経験に祥に手伝ってもらおうかと思ってたんだけど」
祥はクスクス笑って、「勝手に決められては困りますわお父様。わたくしにだって予定があります」って、むくれてみせる。
「じゃあ、他の人に手伝ってもらうしかないな」
そう言って祥のお父さんは私の方に少しだけ視線を送る。
「……やりたい、です」
大きな声を出すのは苦手。人の目を見るのもあまり得意じゃない。
それでも、しっかりと目を見て、その声は自分の耳にも届いていた。
「それは助かるよ!睦ちゃんなら安心してデータを預けられる。もちろんお礼にお小遣いはあげるから」
横に振り向くと、祥が小さく頷いて手をそっと握ってくれた。
「ありがとう」
その手を少しだけ握り返して、みんなに頭を下げた。
手の震えは今も止まらない。傷つきたくない。怖い気持ちも消えないまま。
私は――
兄さんに守られていればいい。
お兄ちゃんと一緒にいればいい。
結月と仲良くなれればいい。
……結月君の隣にいたい。
きっと、働くなんてやるべきことじゃないことも分かってる。
大丈夫。兄さんの隣にいたい。何があってもこれだけは消えないから。
某流行病に苛まれて一週間程度投稿おくれてしまいました。しんどすぎてやばかったです。
お気に入りUA,評価ありがとうございます。
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それでは健康を保って次回お会いしましょう。