二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜 作:Tmouris_
カーテンの隙間からの日差しで目が覚めて、珍しく静かな朝を迎える。
時計を見ると、アラームが鳴るより全然早い時間だった。
(寝る前にカーテン閉め忘れてた……)
いつもより少し重い体を起こして、ダイニングに向かう。
ドアを開けると、紬はそこにいなくて、まだ起きてきていない様子だった。
(目覚ましに紅茶でも淹れよっと)
俺はそのままキッチンで紅茶を淹れる準備をしながら、昨日のことを思い出す。
祥子ちゃんのお母さんが亡くなったなんて聞いたけど、まだ現実味がない。
だけど、いざお葬式のための準備をしようとすると体が重たくて動く気にならない。
(……祥子ちゃん大丈夫かな)
大丈夫なわけないのは分かってる。俺や紬でも調子がくるってるのに、祥子ちゃんはもっと辛い思いをしてるんだろう。
そんなことを考えていると、ポットからお湯が音を鳴らしながら沸いていた。
椅子に座って紅茶を飲んで一息つく。
さっきまでざわついてた胸が少しだけ落ち着いた気がする。
時間を見ると、いつもなら俺がアラームに起こされる時間になっていた。それなのに、紬は中々部屋から出て来ない。
紬も昨日様子がおかしかった。俺よりもお世話になることが多かった分ショックも大きかったんだろうな。
ちらりと紬の部屋の方をみると、ガチャッと音を立ててドアが開いた。
なぜか不思議と紬の目に惹きつけられて、視線が合う。
「おはよう、兄さん」
いつもとなんら変わりのない挨拶に紅茶を飲む手が止まった。
紬は俺を絶対兄さんなんて呼ばない……
前に兄さんってもう呼ばないのって聞いたら、俯いて『……結月はそういうところある』って嫌がられたくらいだ。
混乱する中で、昨日紬が言っていた『またね』を思い出した。
俺には昨日と何も変わったように見えない。呼び方しか変わってない……椅子に座る仕草も、紅茶を飲む表情も。
(でも、違うんだね)
笑えてたかな、泣いてないといいな――嬉しいな。
色んな感情がぐちゃぐちゃになって。それでも俺は睦ちゃんを受け入れる。
「おはよう、睦ちゃん」
紅茶を片付けて、二人でキッチンに立つ。
お互いに何も言わずに朝ごはんの準備を進めていく。
「……何も聞かないの」
睦ちゃんは手元を見たまま、包丁を動かす手を止めた。
「どうして」「なんで」と言われると思ったのか、睦ちゃんの肩はほんの少しだけ震えている。
「睦ちゃんがやらないといけないことができたんでしょ」
俺は手を綺麗にしながらそう言って、睦ちゃんの頭をそっと撫でる。
紬なら顔を赤くして、頭を俺に寄せてくるけど、睦ちゃんの表情は変わらないままだった。
俺が頭から手をどけると、少しだけ間をおいて、睦ちゃんがゆっくりと口を開いた。
「全部は覚えてない。それに、全部分からない」
正直、言葉の意味はあまり理解できなかった。どこまで覚えてるのか、何が分からないのか聞きたい気持ちはあったけど……きっと、紬だけのものがあったんだろうな。
「それでもいいよ」
それだけ返して、俺は何も聞き返さなかった。
―――
お葬式当日は雨が降って、会場には傘を差した参列者の人達が大勢並んでいた。
お線香をあげて、泣いて俯く祥子ちゃんのそばで睦ちゃんが手を握っているのをみたら、祥子ちゃんのお母さんが亡くなったことが少しずつ現実味を帯びていく。
もう、あの人と会えないんだ。
そう思うと、不思議と紬のことを思い出して、急に感情が動き出したみたいに涙がこらえられなかった。
俺は近くの屋根の下の椅子に腰をおろして涙を拭う。
離れたところから二人のことを見ていると、気持ちが少しだけ落ち着いてきた。
(今は二人きりの方がいいよね)
深呼吸をして、呼吸を整えていると、祥子ちゃんのお父さんの清告さんが声をかけに来てくれた。
「結月君久しぶり。元気にやっていたかな」
「お久しぶりです。おかげさまで睦も上手くやっていて」
丁寧に挨拶を返すと「そうかしこまらなくてもいいよ」と俺の隣に腰を下ろした。
「実はね、少しだけお願いをしにきたんだ」
優しい感じの声だけど、清告さんが真剣なのは俺にも分かった。
「お願いですか?」
首をかしげると、清告さんは祥子ちゃんの方を見てから口を開く。
「僕も全力で祥子のことを幸せにしたいと思ってる。だけどね、仕事の方がまだまだ未熟でね……」
膝に肘を当てて両手を合わせると、視線を下に向けた。
「だから、これからも祥子と仲良くして支えてあげてほしいんだ。情けないけど、頼めるのは君たち二人くらいでさ」
苦笑しながらこちらを見る清告さんと目が合って、俺は首を縦に振った。
「大丈夫です。睦にとっても俺にとっても、祥子ちゃんは大切な友達ですから」
すると、清告さんは俺の手を両手で握って温かく笑ってくれた。
「祥子は君たちのような友人と出会えて幸せ者だ。それじゃあ、頼むよ」
そう言うと手を離して、参列者の人たちの挨拶回りに戻っていった。
握られた手は温かいのに、雨は冷たく降り注ぎ、空は暗くてとても冷たかった。
***
(祥、ずっと泣いてて辛そう)
隣に座って手を握っても「お母様、お母様……」と涙は止まらなかった。
雨のせいで手がすごく冷たくて震えてる。
私も祥のお母さんが亡くなったのは悲しかった。祥の家に遊びに行けば笑いかけてくれて、よく声をかけてくれた。
お仕事のことで助けてもらって、感情を抑えられないくらい悲しいはずなのに、私にはその感覚が分からない。
記憶では覚えているのに、その時に感謝したのも覚えているのに、全部紬に持っていかれてしまった。
でも、奪われたものも全部今の私にはわからない――兄さんのことも。
(……祥)
なんて言ったらいいか分からないはずなのに、私は誰かの影を追うように気が付いたら口が動いていた。
「私たちがいるから」
きっと紬ならこう言ってたんだと思う。紬は兄さんのことが大好きだったから。
「そう、ね。ありがとう、睦」
乱れていた呼吸が少しだけ落ち着いて、下げていた顔を上げた。けれど、無理に作った笑顔は今にも崩れそうで、また泣き出してしまいそうだった。
***
お葬式も大分落ち着いてきて、俺も祥子ちゃんのもとに向かう。
もう泣いてはいなかったけど、目元には涙のあとが残っていて、手元はまだ僅かに震えている。
「祥子ちゃん、お母さんのことは……」
そこで俺は言葉に詰まって、視線を少し落としてしまった。
(軽率につらいねなんて言っていいのかな)
こういう時、なんて声をかければいいのか分からない。
「大丈夫ですわ。確かに悲しいですし、寂しいですが……お母様が残してくださったものも――睦も結月さんもいらっしゃいます」
祥子ちゃんが一番辛いだろうに、気を遣わせたことが情けなくて仕方ない。
両手の拳に力が入って、下唇を噛んでしまう。
(清告さんに大丈夫なんて言っておいて……)
一度、冷静になるために深呼吸をする。
変なことを考えるのはやめよう。下手に気を遣うよりも、いつも通りに接していた方が祥子ちゃんの気もまぎれるかもしれない。
「そうそう、俺はあんまり頼りにならないけど、睦は頼りになるからさ」
軽口を叩くと、睦ちゃんは祥子ちゃんの手を握ったまま、ぼそりと聞こえる声で呟いた。
「……兄さんも」
突然褒められたせいか、少しだけ耳が熱い気がした。
こういうところもやっぱり紬と――いや、今はそんなこと考えるのはやめよう。
「ふふ、あはは」
俺たちがそんなやりとりをしていると、祥子ちゃんは声を出して笑った。
「そうですわね。お二人とも頼りにしていますわ」
その笑顔は強がりでも作ってるわけでもない本当の笑顔だったと思う。
だからだろうな、俺たちも思わずつられて三人で笑っていた。
―――
あれから冷たい空気は暖かくなって春を迎えた。
「兄さん、遅刻する」
隣から聞こえてくる声に急かされながら、朝の支度をちゃちゃっと済ませて、朝ごはんの片付けをしていく。
「分かってるなら手伝ってよ!」
まさか今日に限って、うっかりアラームを止めて寝坊するなんて。
「……起きなかったから」
朝起きたときには朝ごはんの準備はしてあった、睦ちゃんは俺が起きてくるのをずっと待っていてくれた。
どうやら、何度も起こそうとはしてくれたけど、起きなかったらしい。
今日から俺たちは三年生になるっていうのに、小学生みたいなことして恥ずかしい。
(でも、昔は準備から片付けまで全部やってもらってたな)
最後のお皿を洗い終えて、カバンに教科書を急いで詰め込む。
「おまたせ、行こう睦ちゃん」
俺が玄関を開けると、睦ちゃんは小さくうなずいた。
まさかの日間ランキングに乗れるとは思っていませんでした!
応援してくれた皆さんありがとうございます。
本当にうれしくてしょうがなかったです。
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