二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜 作:Tmouris_
結月兄さんが家を出るのを見送って、キッチンへと足を進めた。
戸棚を開いて、紅茶やお菓子に手を伸ばす。
(祥が来る前に支度しないと)
お茶の準備を終わらせて、時計に目を向ける。
階段を降りて、いつもの椅子に腰をかけた。
(……ちょっとだけ練習しよ)
ここは、みなみちゃんが出演してるドラマとかを三人で見てたシアタールーム……
今は……私以外、誰も使わない。
だから、スタジオの代わりに、毎日ここでギターの練習をしてる。
別に義務感とかじゃない。ただ――ギターを、謳わせたいって思うから。
―――
何曲か弾き終わったところで、インターホンの音に気がついた。
モニターをのぞくと、祥が心配そうな顔で、玄関前をうろうろしてる。
玄関の鍵を開けて外に出ると、祥は駆け足で私に詰め寄った。
「もう、心配しましたわ!インターホンを押しても誰も出てこないし。携帯に連絡をしても反応がなくて……」
祥は、安堵したように息を吐く。
「ギターに夢中になってた……ごめん」
うまく言葉が出なくって、視線だけを落とした。
「睦がギターに一生懸命なのは知っていますわ。でも、約束の時間を忘れるなんて、珍しいですわね」
リビングに入って時計を見ると、約束の時間をとっくに過ぎてた。
いつもならこんなことないのに……
「ところで、結月さんはおりませんの?リビングでもお見かけしませんでしたし」
祥がきょろきょろと辺りを見回す。
結月兄さんは、いつもなら私とここにいるか、リビングでごろごろしてるから。
「……女の子とお出かけ」
「なるほど、異性の方と外出を――結月さんにお友達が!?異性の……」
祥は、目をぱっちりと開いて、口を手で覆った。
結月兄さんによく声をかけてるけど、いつも少し距離を置かれてるから。
「睦のお兄様ですから、私も仲良くなれたらいいのですが……」
頬に手を添えて、少しだけ眉間にシワを寄せると「何故なのかしら……」と小さくつぶやいた。
「祥は押しが強い」
結月兄さんは、そういうのは苦手。
だから、祥に苦笑いしながら1歩引いて話してるのを何度も見た。
「仲良くなりたいだけですのに……それで、結月さんはどのような方と?」
「不思議な子……でも、安心するって。今日、初めてお出かけ行った」
「まぁ!それはまるでデートみたいですわね」
祥は、こういう話が好き。嬉しそうに目を輝かせて、こっちを見てるけど。
……私にはよくわからない。
「デートじゃない。友達って、言ってた」
無意識に、スカートの裾をぎゅっと握っていた。
「そうなんですのね、残念ですわ……」
祥は、視線を落として、不服そうに口を結ぶ。
あれはデートじゃない。二人でお出かけに行っただけ。
祥は、さっきまでの不満が嘘のように明るい笑顔で椅子から立ち上がった。
「そうですわ!せっかくだから睦のギターを聞かせてちょうだい」
「分かった」
一緒に遊ぶと、祥は決まって私のギターを聞きたがる。
(……私のギター、聞いて楽しいのかな。音しか出せないのに)
結月兄さんも、私のギターを時々聞きたがる。
「俺は音楽詳しくないけど、睦ちゃんが上手いのは分かるよ。ずっと練習してるし」って言ってた。
そういえば、結月兄さんは今頃水族館で高松さんと――
「あっ……」
「あら、睦が音を外すなんて珍しいですわね」
続きを弾こうと思っても、体が上手く動かない。音なんてずっと外してなかったから……
なんで、音を外したの?いつも通りちゃんと弾いてたはずなのに。
「結月さんのことが気になりますの?ご友人とお出かけするなんて、珍しいですものね」
その言葉を聞いたら、呼吸が激しくなっていく。
分からない。結月兄さんは、友達と遊びに行っただけなのに。
震える体を抑えるように両腕をがしっと掴んだ。力はどんどん強くなって――
音も、言葉も、出せない……抱えきれない。
私はそっとギターを置いた。
その瞬間、胸の奥で”誰か”が立ち上がる。
「……どうして。結月お兄ちゃんは……お兄ちゃんは!私のお兄ちゃんなのに!」
祥子ちゃんは手を伸ばせずに、呆然と立ち尽くしていた。
「どうしましたの、睦?」
周りの音が遠くなっていく。自分の鼓動だけが耳に響く。
「最近のお兄ちゃんは高松さん高松さんって、女の子の話ばっかり!あの子と会ってから、私とゆっくり過ごしてくれないもん!」
「結月さんも、決して睦を疎かにしているつもりは……」
「学校の話になれば高松さん!二人だけの時間なのに!私の方がお兄ちゃんとずっといるのに!」
気付いたら喉はからからで、呼吸も絶え絶えでうまくできない……
震える私を、祥子ちゃんはやさしく抱きしめてくれた。
「大丈夫ですわ。結月さんは、変わらずあなたを大事に思っているはず。新しい関係ができて、今までの関係が変わってしまうのは、仕方ないことなの……」
やさしい言葉で、呼吸が少しずつ落ち着く。そして、私は静かに椅子に座った。
そうだ……お兄ちゃんに友達ができれば、こうなるのは仕方ない、だろうけど……
「もし、ゆっくり話す時間が欲しいなら、結月さんに相談しましょ?きっと、受け止めてくれますわ。彼は、あれでも優しい方ですから。今日じゃなくても、落ち着いてからでいいですわ」
祥は抱きしめた腕を解いて、優しく手を包んでくれた。
「……今度、話してみる」
結月兄さんに友達が出来て、良かったって喜べると思ってた。
でも女の子の高松さんと仲良くなるほど、遠くに行っちゃうみたいで……
「祥……ありがとう」
「友人が困っていたら寄り添うのは当たり前のことですわ」
祥が離した私の手はまだ、少し暖かい。
祥は何かに気付いて、少し考えるように、唇にそっと指を当てた。
沈黙の中でしばらくすると、祥がゆっくりと立ち上がった。
「きっと睦は不安なんですわね……それなら、高松さんと一度会ってみてはどうかしら」
「……?」
……どういうことか、全然分からない。なんで、私が高松さんと?
首をかしげて、眉を寄せると。祥が続けた。
「あなたが、高松さんにモヤモヤするのは、彼女のことを知らないから。それなら、実際に会えば気持ちも晴れるかもしれないでしょう?」
「きっと、無理……邪魔になるだけ」
話で聞いただけで、関わりもない。会う理由なんて……
会っても、結月兄さんを困らせるだけ。
(……でも、このままじゃ何も分からないまま)
気付いたらギターを抱き寄せて、ぎゅっと強く握っていた。
「それなら、お家に招待するのはどう?お二人で外出する程の仲ですもの。睦も一緒に居れば、高松さんがどのような方か分かると思うの」
二人で、よく星の話をしてるって、結月兄さんは言ってた。
たしか、家で使えるプラネタリウムがあった……
祥の提案にコクりと頷いて、いつも通りの表情で祥を見る。
「応援していますわ」
祥は静かに微笑みながら、何か伝えたそうに私を見つめていた。
お互いに視線を合わせると、時計の音だけが部屋に響く。
「……紅茶入れるね」
すっと立ち上がると、祥は静かに頷いた。
お湯がふつふつと音を立てる。いつも通り淹れた……はず。
(嫌だって……なんで思ったんだろう)
結月兄さんが誰と仲良くなっても、私たちが離れ離れになるわけじゃないのに。
紅茶を持って帰ると、祥は何もなかったように笑顔で受け取ってくれた。
「……?睦、茶葉を変えましたの?」
祥は首をかしげ、確かめるように紅茶を口に運ぶ。
「変わってない。いつもと同じ」
「なら気のせいかしら……」
……淹れた時に味は確認した。
今も紅茶を飲んでみたけど、違和感なんてない。
「それにしても……睦は、紅茶を淹れるのが本当に上手くなりましたわね」
「結月兄さんが紅茶……好きだから」
「ふふ、そう言って貰えるお兄様は幸せ者ですわね」
ティーカップを置いて時間を確認した祥が、「まずいですわ……」と慌てて立ち上がった。
「もうこんな時間!帰るのが遅くなるとお父様に怒られてしまいますわ……」
祥は慌ただしく荷物をまとめて、玄関に向かった。
「それでは失礼します。また遊びましょう、睦」
急いで帰宅する祥を、私は静かに見送った。
祥が見えなくなってから、私はキッチンに足を運ぶ。
(晩ごはんの下準備だけしよう)
トントン、と包丁の音だけがキッチンに響く。
何も変わらない私の日課――ただ、『茶葉を変えましたの?』という祥のあの言葉が何故かひっかかる。
下準備が終わって、リビングで結月兄さんの帰りを待っていたら、玄関を開ける音が聞こえた。
リビングのドアを開けて、上機嫌そうに結月兄さんが入ってきた。
……高松さんとの水族館楽しかったんだ。
晩ごはんの準備をしてたら、「怒ってる?」って聞かれた。
どういうことだろう……「怒ってない」って言ったら、結月兄さんはすぐ納得してたけど。
ご飯を食べながら、結月兄さんは今日のお出かけのことを楽しそうに話してくれた。
喜ぶべきなのに、胸の奥がぎゅっと苦しくて……言葉が喉に詰まって、祥と話したことは言い出せなかった。
夜は、結月兄さんのお土産のクッキーを出してお茶をした。
クッキーはとても甘くて……それなのに、いつも通りに淹れたはずの私の紅茶は、なぜか、ほんの少しだけ渋かった。
たとえ愛情を後から受けても睦ちゃんの中にはもう……
やるせない感じ大好きです。