二人だけの音 〜重ならない旋律が響くとき〜 作:Tmouris_
誕生日が終わった翌日。睦ちゃんに見守られながら、俺は不格好な音をぽつぽつと響かせていた。
俺はベースを弾くたびに、一緒にもらった教本を開いてずっとにらめっこしてる。
「あああ!弾く度に音が変わるんだけど!」
同じ弦を弾いてるはずなのに、なんで違うように聞こえるんだ。
そういえば、力加減とか角度とか、いろいろあるんだっけ。だけど、構え方とか細かいところ読むの、正直面倒くさいんだよな……
俺が頭を抱えて唸ってると、後ろからそっと腕をつかまれる。
「もっと、寄せたほうがいい」
体を少し前に押しやられて、背中の方をいじられる。
何をされたかは分からないけど、肩がすっと軽くなった。
「おおー、なんかさっきよりやりやすくなったかも」
驚いた顔で振り返ると、なぜか睦ちゃんはジト目で見つめてくる。
……そういえば、目次のページに『基礎が大事』って赤ペンで書いてあったな。
「もしかして、バレてた?」
おずおずと睦ちゃんの方を向くと、珍しく笑いを堪えられずに、口を手で抑えて顔を逸らした。
「結月兄さんなら、読み飛ばすと思って」
こっちを見たときには笑いは収まってて、柔らかい微笑みだけが残ってる。
本当に、こういうギャップは妹ながら反則だと思う。
共学の同じ学校通ってたら……男子にモテて、俺なんかじゃ近寄れなかっただろうな。
(最初からちゃんとやろ)
ページをめくって、持ち方からちゃんと見直していく。背筋を伸ばして、位置はこの辺り?
「こんな感じかな」
「さっきよりいい」
睦ちゃんに一つ一つ教わりながら、つまずいたところまで戻ってくると、ピックをつまむ指にぎゅっと力が入る。
視線で助けを求めると、睦ちゃんは静かにうなずいてこっちを見つめてた。
(失敗したら、また教えてもらえばいいか)
深呼吸して、軽く力を抜いてから、腕を振り下ろす。
音はまだガタガタだけど……さっきより、ずっと気持ちよく鳴ってくれて楽しい。
***
四弦まで弾き終わると、結月兄さんが満足そうにベースを置いて振り返った。
「力みすぎてる」
姿勢と持ち方も崩れてるし、直すところはいっぱいある――
「でも、ちゃんと謳ってる」
完成なんかしてない。けど、ちゃんと届いてきた。
優しくて、隣で寄り添ってくれるみたいで……ああ、これが結月兄さんの音なんだなって分かる。
「睦ちゃんでも難しいんでしょ?まだ曲も弾いてないのに歌ってるって」
私は首を横に振る。
声だけの私と違う。結月兄さんは、全部繋がってるからちゃんと聞こえる。
「うーん......あ、それならちょっと弾いてみてよ。いつか一緒にやるなら、目標が分からないとね。俺は睦ちゃんのギターが好きだから」
気づいたらギターに手を伸ばしてた。チューニングを終わらせて、椅子を押して立ち上がる。
練習はいつも座ってやるのに。
――少しでも、ちゃんと伝えたくて。
***
そのとき、俺は睦ちゃんの”本気”を見てたのかもしれない。
指の動きは速すぎて追えなくて、音が直接ぶつかってくるみたいな迫力。
今まで見てきたどんなときよりも、睦ちゃんが大きくて、遠くに感じる。
演奏が終わり、最後の音が部屋に響く。
睦ちゃんはギターを膝に置いたまま、少し肩で息をしてた。
ふぅっと息を吐いて、「タオル取ってくる」とだけ言って、階段を上っていった。
音が止んだのに、演奏が耳から離れない。誰もいないはずなのに、睦ちゃんの気配がまだ残ってる気がした。
***
呼吸は落ち着いてきたのに、胸の奥がざわざわしてる。
タオルを棚から取り出して、洗面台の前に立つ。
鏡越しに見えた自分の顔が、まだどこか浮かれているように見えて、慌てて冷たい水で頬を叩いた。
あれは私の音じゃない。結月兄さんの音に引っ張られただけ……それでも、嬉しかった。
いまも、結月兄さんの私を見る目が忘れられない。
顔を上げても口角は上がったまま。その笑顔が、自分から逸れていくみたいで、怖い。
ほんの一瞬、鏡の中の自分と目が合った。
その”ズレ”をなかったことにするように、表情を整える。
「……まだ、大丈夫」
鏡に向かって呟いて、スタジオへと戻っていった。
***
(曲を一緒に弾くのは、当分先になりそう)
今まではなんとなくで聴いてただけだった。
けど、今ならちょっとだけ分かる。睦ちゃんの演奏はすごい。
これから、どうすれば追いつけるんだろう。いや、そもそも追いつける気がしない。
……本当に一緒に出来るのか?
隣で弾くなら、曲が崩れないようにはしたいと思う。でも、あんなふうに弾ける日は……まだずっと先なんだろうな。
ため息をついたとき、睦ちゃんの椅子が視界に入った。
布地はすり切れていて、ところどころ破けてる。今まで何気なく見てたけど、こんなに使い込まれてたなんて。
――どれだけここで練習してきたんだろう。
きっと睦ちゃんだって、同じ音を何度も何度も繰り返して、出来るようになったんだ。
俺はベースをぎゅっと持ち直して、一弦ずつ丁寧に弾いていく。
背伸びなんかしないで、基礎からしっかりやってこう。
しばらく練習に集中していると、隣から袖をそっと引かれた。視線を移すと、睦ちゃんが静かに座ってた。
「どうだった?」
「えっと、そうだな……」
言葉がすぐに出てこない。なんて言えば伝わるかな。
戸惑っていると、睦ちゃんはどこか不安そうに視線を下した。
「……すごいとか上手いとかしか分からないけど、今までで一番、感動したかも。本当に頑張ってきたんだなって」
言葉の代わりに、そっと睦ちゃんの頭に手を置いた。
俯いちゃって、顔は見えなかったけど、耳がほんのり赤くなってる。
「練習、続けるなら付き合う」
睦ちゃんは袖から手を離すと、いつもの表情で顔を上げた。
「もうちょっとだけやろっかな」
今日やったことをゆっくりと思い出しながら、再び音を鳴らしていく。始めたときよりもずっとマシにはなったけど、まだまだガタついてる。
(やっぱ、すぐに上手くはならないよな)
次の弦を弾いた瞬間、ギターの音が一度だけ優しく重なった。
手を引かれるみたいに、探してた音に一瞬だけ触れた気がした。
俺のベースだけが、静かに二人の部屋に響いていた。
まだ睦ちゃんの背中は見えないけど……少しづつ近づいてる――そう思い込んでた。
少しだけ短くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。
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これからも書きたいことを伝えていけたらと思います。