暴龍の花歌 作:マンコションベン
落ち着け。なぜ俺の胸に乳がある。死んだはずの俺が中学生時代の部屋にいて、しかも身体までおかしい。普通なら、まずそこを確認するべきだった。
けれど、指先に返ってきたむにゅりという感触の前で、その真っ当な判断は驚くほどあっさり消えた。柔らかい。軽く押しただけで手が沈むのに、奥ではしっかり弾力が返ってくる。しかも片手では到底収まりきらない。
某エロゲの『Jカップは貧乳』理論に従えば貧乳なのかもしれないが、一般社会ではまず通用しない理屈である。少なくとも俺にとっては十分すぎるほど立派だった。死んで人生を反省した直後の人間が最初にすることではない気もするが、そこはそれ、俺なので仕方がない。
「ひへへ……。すっげえ、これ。」
口から出た声を聞いて、一瞬だけ手が止まった。高い。甘い。下手なエロゲなら妹役を割り振られそうな声だった。
声まで女か。そう考えたところで、もう一回くらい揉んでも罰は当たらないだろうと手を戻す。その瞬間、腹の底から獣みたいな音が響いた。
ぐうぅぅぅぎゅるるるるるる。
何だ今の、と周囲を見回した直後、もう一度鳴った。今度は腹の内側がねじれる感覚まで一緒に来た。ようやく理解する。俺の腹だ。
「うっ……何だ、これ……。腹、減った……。」
気づいた途端、空腹が形を持って襲ってきた。胃の中が空っぽというだけではない。身体中の力を腹へ吸い込まれ、指先まで重くなる。さっきまで乳を揉むことしか考えていなかった頭が、一瞬で食い物だけに塗り潰された。
こんな空腹は経験したことがない。風邪で丸一日まともに食えなかった時より酷い。走馬灯だろうがタイムスリップだろうが女体化だろうが、今はどうでもよかった。何か食わないと死ぬ、と身体の方が本気で訴えている。
壁に手をつきながら階段を降り、台所へ向かった。冷蔵庫を開けると、卵、野菜、豚肉、昨日の残り物らしい皿が並んでいる。その中で最初に目を奪われたのは、なぜか生の豚肉だった。
脂の白い部分が、妙に美味そうに見える。今すぐパックを破って、そのまま歯を立てたい。そこまで考えてから、さすがに俺も我に返った。
「いや待て。生だぞ。豚だぞ。死ぬぞ、俺。」
冷静な部分が辛うじて止めてくれた。食中毒の名前なんて曖昧にしか覚えていないが、生の豚肉が駄目なのは知っている。それでも目を離すのに苦労した時点で、この空腹は明らかに普通ではない。
すぐ食えるものを探し、冷凍庫から食パンを引っ張り出した。解凍する時間すら惜しく、そのまま齧る。カチカチのパンが歯に当たり、冷たさで頭が痛くなった。
それでも、美味かった。何の変哲もない量産品の食パンなのに、小麦の甘さがやたら濃く感じられる。飲み込んだ瞬間には次が欲しくなり、俺はほとんど噛み終わる前から次の一口を押し込んでいた。
気づけば一袋が消え、二袋目まで空になっていた。数えてみれば十四枚。普通ならしばらくパンの顔すら見たくなくなる量なのに、腹はほとんど静かになっていない。
むしろ、胃に物が入ったことで食欲だけが元気になった気さえする。満腹感が来ない。腹が膨れて苦しくなる感覚もない。ただ、もっと食えと身体が要求してくる。
炊飯器を開けると、米が四合近く残っていた。茶碗によそう時間すら惜しく、内釜を取り出してマヨネーズをかける。そのまましゃもじで口へ運んだ瞬間、思わず目を見開いた。
「うっま……。何だこれ、白米とマヨネーズだぞ。」
脂と酸味と米の甘み。それだけの雑な飯が、信じられないほど美味い。今の舌がおかしいのか、飢えがおかしいのか分からないまま、俺は釜を抱えて米を掻き込んだ。
途中で棚に蒙古タンメン◯本を見つけた。偉いぞ、過去の俺。湯を沸かして注いだものの、三分待てという表示を見た瞬間に腹が立った。
三分。たった三分。なのに今は、その三分が刑罰みたいに長い。待っている間にも米を食い続け、気づけば釜の底が見え始めていた。
出来上がった中本を啜る。辛さの後から旨味と脂が押し寄せ、さっきの食パンとは比べものにならない快感が脳へ突き抜けた。危うく食レポを始めそうになったが、そんな暇すら惜しくて麺を啜り続ける。
麺がなくなると、残ったスープを米へかけた。さらに卵とチーズまで入れる。見た目は完全に残飯だったが、今の俺には高級料理より魅力的に見えた。
それも全部食った。食パン十四枚、米はほぼ四合、カップ麺一個、卵とチーズと大量のマヨネーズ。そこまで腹へ詰め込んで、ようやく手の震えが止まった。
なのに、満腹ではない。まだ食える。冷蔵庫を開ければ、さっきの生肉にもう一度手を伸ばせそうなくらいには腹が減っている。
「……おかしいだろ、この身体。どこに入ったんだよ、今の。」
自分の腹を触ってみる。四合近い米とパン十四枚を詰め込んだとは思えないほど平らだった。苦しくもない。そこでようやく、胸より先に調べるべきものがあったことを思い出した。
洗面所へ向かい、鏡の前に立つ。まず目についたのは、年齢だった。明らかに若い。中学生くらいには見える。
ただし、俺が知っている中学生時代の俺ではない。鏡の中にいるのは女だった。丸く大きな目に、妙に整った鼻と口元。黒髪は気味が悪いほど艶があり、寝起きで何もしていないのに顔だけは完成している。
胸元へ視線を落とす。さっき散々揉んだものが、当然のようにそこにある。鏡の中の少女も同じ動きをした。
「……うん。知ってた。声と乳の時点で、まあ知ってた。」
◯ーメルンで何十回見たか分からない展開である。死んだ。昔に戻った。女になった。ついでに妙に美少女になった。読む側なら「はいはいTS転生ね」で流せるが、自分の身に起きると情報量が多すぎる。
問題は、そこだけではない。俺は鏡の中の顔をじっと見た。この身体は女になっただけじゃない。十四枚のパンと四合近い米を平然と飲み込み、生肉を美味そうだと思い、それでもまだ腹を空かせている。
何かがおかしい。明らかに、人間の身体としておかしい。
そこまで考えた時、玄関の方から鍵の回る音がした。反射的に身体が固まる。続いて扉が開き、何年もまともに聞いていなかった声が家の中へ響いた。
「ただいまー。いるのー?」
母さんの声だった。死ぬ前には、もうまともに話すことすらできなくなっていた母親の声。中学生だった頃と何も変わらない調子で、その声が俺を呼んでいる。
胸の奥が、空腹とは別の意味で痛くなった。俺は鏡の中の知らない少女と目を合わせたまま、しばらく動けなかった。
「……母さん?」