トレセン妖譚 縁(えにし)の導き手   作:灯火011

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覚醒してから、私の走りは劇的に変わりました。

かつての輝きを取り戻し、それ以上の力強さを手にしたんです。

友人たちも驚き、喜んでくれました。

そして、私は決めました。

あの場所へ、戻ろうと。

因縁のレース場で、ジャパンカップという最高の舞台で、新しい自分を示すことを。

恐怖はもう、私を縛らない。

それを知った上で、私は再び、立ち向かう道を選びました。レース前夜の、静かで確かな決意です


第七章:再起の舞台、運命のレース前夜

 あの夜以来、カガヤキはまるで別人のようだった。

 

 グラウンドでの練習に現れた彼女の走りは、周囲の目を疑わせるほど激変していた。

 

 かつて体を支配していた硬直は消え失せ、筋肉はしなやかに躍動する。淀みなく繰り出される一歩一歩は力強く、加速はまるで風になったかのようだった。

 特定のカーブに差し掛かっても、恐怖で体が竦むことはない。むしろ、そこを駆け抜けること自体に、純粋な喜びを見出しているかのように見えた。

 

 タイムはあっという間に全盛期を超えるどころか、さらに伸びていく。

 

 友人であるマメチヨとサツキは、その光景を見て、最初は言葉を失った。そして、理解した瞬間に、喜びと安堵の涙を流した。

 

「カガヤキ…!カガヤキが、私たちのカガヤキが戻ってきた!」

「すごい…! 本当に元に戻ったんだ…!」

 

 練習後、二人はカガヤキに駆け寄った。以前のように、壁を作ることはもうない。

 カガヤキは、自分が経験したことの全てを言葉にするのは難しかったが、心を許せる友人には、可能な限りあの不思議な体験を正直に話していた。

 

 恐ろしいほどの孤独の中で、自分自身と向き合ったこと。

 

 目を背けていた弱さと、受け入れた「覚悟」のこと。

 

 そして、その過程で何かが変わったこと。

 

 具体的な「黒蝶のトレーナー」や「対価」については、話してもきっと理解できないだろうと、敢えて深くは語らなかったが、カガヤキの瞳の奥に宿る光と、言葉の端々から伝わる覚悟に、二人は彼女が並大抵ではない困難を乗り越えたことを理解した。

 

「辛かったね、カガヤキ…」

「私たち、あの時、何もできなくて…」

 

 友人二人は涙ながらにそう言った。カガヤキは、そんな友人たちに、心からの感謝を伝えた。孤独の中で、彼女たちの心配だけが、自分が完全に闇に落ちないための、唯一の繋がりだったのだと。友情の絆は、以前よりもずっと深く、強固なものとなった。

 

 駿川たづなもまた、カガヤキの激変ぶりに目を見張っていた。練習を見守る彼女の表情には、驚きと、そして複雑な思いが混ざり合っていた。

 あの都市伝説として流布されている「黒蝶のトレーナー」の指導の結果なのか。常識では考えられない方法で、一人のウマ娘を、スランプのどん底から一気に覚醒させた。その手腕は驚異的だが、その正体、目的、そしてリスクは依然として謎のままだ。

 

 たづなさんは、改めてカガヤキと話す機会を持った。

 

 「カガヤキさん。貴女の走りは、見違えるほどです。何があったのか、全てを話す必要はありません。ですが、貴女が並々ならぬものを乗り越えたことは分かります」

 

 彼女はカガヤキの精神的な成長を認め、

 

「貴女は、本当に強いウマ娘になりました」

 

 と称賛した。しかし、その瞳の奥には、まだ消えない懸念の色もあった。

 

 

 そんな周囲の反応をよそに、カガヤキの心は、すでに次へと向かっていた。

 

 走れる。恐怖なく、自分の力を全て出し切れる。

 

 ならば、次はどこで、何を証明する? 自らに課した試練の、最終確認の場は?

 

 そうしているうちにカガヤキは、あるレースへの出走を決意した。それは、文字通り、彼女のトラウマの「舞台」となったレースと、同じ格、そしてコース形態が酷似した、最も重要な一戦だった。

 

 それは、過去の自分へのリベンジであると同時に、覚醒した新しい自分を、最も試すことができる場だった。

 

 そのエントリーは、学園内、そしてメディアに衝撃を与えた。

 

「カガヤキ、復帰戦でいきなりGⅠ!?」

 

「しかも、あの事故のコースと似ている…無謀だ」

 

「いや、完全復活をアピールするつもりか?」

 

 様々な憶測が飛び交った。かつての輝きを知る者たちは期待を寄せたが、同時に、あの日の惨劇を思い出し、不安を感じる者も多かった。

 

 メディアの取材が殺到したが、カガヤキは冷静に対応した。以前の彼女なら、プレッシャーに押し潰されそうになっていただろう。だが、今の彼女は、外部からの期待や不安の声に振り回されない。

 

 彼女の焦点は、ただ一つ。自分が、このレースで、どれだけ自分の走りを貫けるか。恐怖に打ち勝ち、最高のパフォーマンスを発揮できるか。

 

 レースに向けた調整は、順調に進んだ。体は完璧に仕上がり、精神も研ぎ澄まされている。必要なトレーニングをこなしながら、カガヤキは内なる声に耳を傾けた。対価を支払ったことで得られた、静かな自信が、彼女の背中を支えている。

 

 

 そして時は流れ、運命のレース前夜。

 

 カガヤキは、一人、部屋で静かに過ごしていた。窓の外は、星が瞬く夜空。

 

 明日、あのコースで、再び走るのだ。

 

 体中に、張り詰めたような緊張感が走る。それは、かつての、恐怖からくる硬直とは違う。挑戦への高揚感と、自分自身への静かな集中だ。

 

 あの日のレースのことを思い出す。雨、泥、衝撃…そして、その後に続いた長い苦しみ。あの時の自分が今の自分を見たら、何と言うだろうか。驚くだろうか、それとも羨むだろうか。いや、きっと、ただ応援してくれるだろう。

 

 ポケットから、あの夜、東屋で見つけた黒い蝶の組紐を取り出す。しっとりとした感触。黒蝶のトレーナーとの出会い。奇妙で、苦痛で、しかし自分を救ってくれた導き。対価として支払った、あの魂の叫びと覚悟。全てが、この小さな組紐に結びつけられているように感じた。

 

 トレーナーは言った。

 

「報酬は、あなたが掴み取るもの」

 

 明日、その報酬を、自分の足で掴みにいく。勝利だけが報酬ではない。

 

 恐怖を乗り越え、過去を乗り越え、自分自身に打ち勝つ走りこそが、最大の報酬なのだと自分に言い聞かせて。

 

 カガヤキは組紐を握りしめ、目を閉じた。

 

 耳を澄ますと、遠く、風の音だけが聞こえる。それは、トラウマのカーブで感じた風の音とは違う。始まりを告げる、優しい風の音。

 

 もう、何も怖くない。

 

 明日、最高の走りをしよう。自分自身のために。そして、この縁(えにし)を、確かに掴み取った、新しい自分のために。

 

 カガヤキは静かに、しかし確かな決意を胸に、眠りについた。再起の舞台は、夜明けと共に彼女を待っている。

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