類似性フラクタル 作:荻谷
#[chapter:2a]
「ジョーリュー! あんた、ウチって女がいるのに子供までおったんか?」
「会って早々、人聞きの悪い事を言うな」
ようやく安全な場所へと辿り着いたにも関わらず、一息つく前にぶつけられた言葉は余りにも不条理かつ無遠慮なものである。張り詰めた緊張から開放される実感を味わう前に、浄龍は久々の再会に対する挨拶よりも条件反射で赤目のボケを捌く羽目となった。
招福町・あしたば公園から少し南へと歩いた所に、その場所はあった。
周辺は夜の店が多いので、まだ明るいうちは人通りが少ない。幾度も尾行されていないかを確認し浄龍が辿り着いた場所は、かつてはどこぞの有名キャバレーの倉庫だった建物である。だが見た目とは異なり、中は事務所として綺麗に改装されていた。
無骨な鉄の扉を開けた先には、事務所として統一感があり綺麗に整理されてはいるも、真っ赤な部屋に真っ赤な小物。そして部屋に劣らず、派手な服を着た真っ赤な髪の女性の姿。蒼天堀で何でも屋を営んでいる赤目は――チカを連れた浄龍が部屋へと入ってきた姿を見るなり、いかにも大阪人らしい渾身のボケをかましてきたのである。
「お姉さんは、ジョーリューさんの奥さんですか?」
「せやで、嬢ちゃん」
事務所の中へと案内されて、チカは行儀よくソファーの上にちょこんと座る。互いに一言ずつ挨拶と名前を交わした後でチカの隣に座り直した赤目は、腕を組んで真剣な顔で彼女の質問に頷いてみせた。
「ウチはジョーリューの現地妻や」
「おい」
子供に対して平気で嘘を吐く赤目に対して、またも浄龍はツッコミを入れてしまう。
「このジョーリューはな。日本中に嫁さんがおるんやで」
「連れて来なかった方が良かったかもな……」
一を言えば十になって返ってくる根っからの関西人である赤目のボケに対して、浄龍は痛むこめかみを押さえることしか出来なかった。
「何なん? 一年半振り位やのに、急に押し掛けて来てその態度は」
「そんなに久し振りだったんですね! ベッキョですか?」
「……おい、赤目」
流石に埒が明かない上に、状況説明を含めどう話を進めればいいのか判らなくなった浄龍が赤目をサングラス越しに睨む。浄龍をからかっていた赤目も、流石にこれ以上は茶化すべきではないと判断したらしい。引き際を弁えている彼女はチカに対して「嬢ちゃんごめん、今までのは冗談や。このおっちゃんとは仲のええ友達なんよ」と、豪快に笑い飛ばしてチカに言い聞かせてくれた。
今度こそようやく安堵の息を深く吐き、浄龍もテーブルを挟んでチカの正面へと腰を降ろした。状況の報告も兼ねて一刻も早く花輪に連絡を行わなければならないので、取り敢えずは要所だけでも話を聞き出す必要がある。
「チカ、聞きたいことがあるんだが……」
対面にある椅子へと腰掛け、浄龍はサングラスを外す。その後、チカを真っ直ぐに見据えた。
「お前が俺と会う前に、おばさんと何をしていたのか教えてくれないか?」
チカは質問されるのが楽しいのか、上機嫌で「いいよ」と頷く。
「私とおばさまは、最初二階でお迎えの人――ジョーリューを待ってたわ。『黒いスーツを着た怖くて強そうなサングラスの人』って、おばさまが教えてくれたの」
「大正解やな。特徴捉えるの上手いな、おばさん」
相槌代わりに茶化す赤目を浄龍は睨む。だが当の赤目本人は全く気付いていないのか、そのままチカに続きを促している。
「でね、おばさまがその後で『下に美味しいチョコレートのお店があるから、待っている間少し見に行きましょうか?』って言ってくれたの」
抱いていたぬいぐるみを隣に座らせた後。ポシェットを開いて、チカはチョコレートの袋を出す。赤目に一つ渡して、浄龍にも渡そうとするが今度は丁寧に断った。
浄龍がホテルのロビーに着いた時間は約束の十時よりも五分程前である。到着した時点でチカと叔母の姿は見られなかったので、二人が一階の店に降りたのはそれよりも前だろう。ここで何故待ち合わせ時間の直前に、一階に降りるという行動に出たのか疑問として浮かぶ。
取り敢えずは、まだ黙ってチカの話を最後まで聞く必要がある。そう判断して、浄龍は続きを促すことにした。
「一緒に行って色々なチョコレートを選んでいたけど、おばさまは私にお金を渡して『少し外に出て電話をしてくるから。お買いものを済ませたら、またエスカレーターを上がってダイドウジのお迎えの人を見つけておいてね。今、お迎えの人が来てエスカレーターを上がっていったのが見えたわ』って言ったの」
「おばさんが店の外に出たのを見たんだな」
「うん」
「そうか……」
チカの言った通り、仮に叔母がこちらとの合流前に連絡をするとなれば、相手は恐らく大道寺一派だろう。そして連絡をする理由となれば、何か不測の事態が起きて待ち合わせ場所を変える為の連絡辺りが妥当ではある。
だが浄龍がロビーへと向かって、花輪と交わしていた会話を振り返っても。叔母が彼に連絡をしたという様子は無いどころか、花輪も待ち合わせ場所に二人の姿が無いことを訝しんでいた。加えて彼女は浄龍を見つけるようにと、チカに告げていたらしい。
「お買い物が終わった後ね。私、エスカレーターを上がって二階にいるスーツの怖そうなおじさんがいたから話し掛けたの『貴方がダイドウジからのお迎えの人?』って」
「エレベーターの前で、お前の後ろに立っていた男か」
「うん、ジョーリューが最初にぶっとばした人。『よく分かったね、ダイドウジから君とおばさんを迎えに来たよ』って言ってたの。でもその人はサングラスを掛けていなかったから、話し掛けた時に間違ったのには気付いたけど……逃げたりしたら怖いから、黙ってたわ」
「偉いな」
褒められて上機嫌になったチカは、ティムを抱きしめてニコニコと笑っている。
チカの言葉を聞いた浄龍は、腕を組んで目を閉じた。
今この場にいない相手の行動を理解する方法の一つは、相手の立場となって行動をなぞってみる事だ。ならば、と。頭の中で叔母の立場として、当時の状況と思考を想像してみる。
チカが浄龍と間違えて声を掛けた相手は、確かにサングラス以外は自分と似たような背格好だった。男の姿は浄龍も見ていたので、確かに子供が間違えるのは仕方が無いと思う。だが叔母の立場からすると、護衛に訪れる人物と似たような背格好である男の存在に気付いたとすれば、少なからず不信感を抱くに違いない。
花輪から聞いていた通りならば、浄龍から彼女へと声を掛ける手筈となっていたので、男が声を掛けてこなかった時点で疑いはさらに深まったであろう。
スーツ姿の男が敵の可能性を考えた場合、チカと共に取り敢えずは買い物といって一階へと逃れる事を思い付いたのだろう。そして恐らく男は二人が一階に降りる時に、何かしらの反応や行動を見せた。
続いて一階の店の中から二階へと向かう人間を探していると、叔母はエスカレーターを上がる浄龍の姿を見つけ、大道寺からの人間だと確信をする。だが即座に浄龍へと声を掛けて合流すれば、既に周辺に何人か潜んでいるであろう相手に纏めて襲われる可能性がある。
ならば、チカだけでも守られるように——と、取り決めに無い別行動を取った。
自らが囮となる覚悟を決めた叔母の姿が、想像の中で浄龍には見えた気がする。無意識のうちに、手は爪が内に食い込む程にまで固く握っていた。
「チカ、お前はおばさんがホテルの外に出たと言ったよな?」
浄龍の質問に対して、チカは黙って一つ頷く。
「連絡は取れないか?」
「連絡?」
「ああ、おばさんから電話が掛かってくるとか。俺達と合流したら連絡して欲しいとか。そういう話はあったか?」
「無かったわ」
それに、とチカは言葉を続ける。
「スマホは隠してきたから、連絡は出来ないの」
「隠した? どこに?」
「ジョーリューと会った後、大きなソファーの下に隠したもの」
予想だにしなかった言葉に浄龍は思わず背を屈めて、チカへと顔を近付ける。一方のチカはソファーから飛び降りるとスマートフォンを手に持つような仕草を見せ、下に落として足で奥に入れるという動作をしてみせた。
「もしかしてそのスマホには、鈴が付いていたか?」
「うん」
チカに会った時と、ホテルにあったラウンジソファーの傍で浄龍が聞いた音の正体が彼女の持っていたスマートフォンだと知り、ようやくそこで合点がいく。彼女を抱いて逃走した時には、確かに鈴の音は聞こえなかった。
「何故そんな事を」
「だって、スマホって何かあった時に持っていたら……色々な情報が入っていて、危険なんでしょ?」
横で話を聞いていた赤目が口笛を吹き「賢いな、自分」と、チカに感心している。だが赤目とは反対に、浄龍は眉間に皺が寄って複雑な感情がどっと押し寄せた。もっともこれは、口に出すべきものではないので己の胸中に留めておく。
「居場所は追跡タグがあるから、誘拐の危険がある時はそうしろと教わったの」
「……随分と、物知りなんだな」
「うん! 色々しってる!」
浄龍の言葉にも、チカは自慢気に笑いながら頷いていた。会った時から感じていたが、チカは突然の騒ぎにも動じず肝の座った子供だと思ってはいた。海外在住の政府関係者や企業関係者の子供は、対誘拐に備えてそれなりの教育を受けていると、浄龍も聞いたことがある。恐らく、彼女もそういった類の教育を受けていたのだろう。
浄龍の脳裏に真っ先に浮かんだのは。凄惨な襲撃現場で初めて出会った時に見た、幼い遥の怯えた姿だった。当時十歳だった遥の様子や、その後数年間共に過ごしたあさがおの子供達も思い出す。浄龍の思い出の中にいる子供達の姿と比べても、目の前にいる今のチカはやはり大人びており、かつ冷静さが際立っていた。
「チカ、最後にもう一つ聞いてもいいか?」
思うところはあるも、それ以上の追求をやめる。浄龍は最後に確認したいことをチカへと尋ねる。
「お前はおばさんから、何か大事なものを預かっているんじゃないか?」
「だいじなもの?」
「ああ」
浄龍はソファーから立ち上がると、赤目も無言で立ち上がる。浄龍はチカの前でしゃがみ込み、彼女と同じ目線で話し掛ける。浄龍の推測が合っているのならば、叔母は自らが囮となってチカの安全をこちらへと任せると同時に“あるもの”もチカへと渡している筈であった。
「私は何も預かってないわ」
「……そうか」
残念ながら、チカからの返答は否定であった。こちらを真っ直ぐに見つめるチカの様子から、嘘を言っていないとも判る。どうやら浄龍が思い描いた想像は外れたらしい。となれば任務は恐らく失敗か、もしくは彼女の叔母である前田 凛の身が危険だとも分かる。
「でもね、ジョーリュー」
浄龍が任務の失敗を結論付ける前に、チカの言葉が続いた。突然鼻先にまで突き出された、無表情のティムを前に浄龍は不覚にも面食らってしまう。
「ティムにはおばさまから任せられた、大事なお仕事があるの」
「仕事?」
意味がわからないが、浄龍が繰り返した言葉にチカは「うん」と頷いた。ぬいぐるみの頭を抑えて、ティムにも頷かせて返事をさせている。
「|ぼく(ティム)は秘密の郵便屋さんだよ」
まるでぬいぐるみが喋っているように、チカはティムの体を小刻みに揺らす。
「おばさまがティムに手紙を渡したの。ダイドウジさんに会って安全なところに行ったら、おばさんが書いたお手紙を渡してね。って」
浄龍はチカからティムを受け取って眺めるが、普通のぬいぐるみである。唯一気になる点があるとすれば、チカとお揃いのポシェットを身に着けている位である。「開けてもいいか?」と聞くと、チカは快く頷いてくれた。
可愛らしい小さなポシェットを浄龍は無骨で大きな手ながらも慎重に摘んで、中身を確認する。続いてチカに再度目を向けると、彼女は「お届け物です」と純粋な口調でティムの代わりに告げた。
浄龍は「有難う」と礼を言ってポシェットの中に入っていた、ミニチュアのような封筒を取り出す。小さめの折り紙で作られた様なサイズだが、しっかりとした紙の質感で封もされている。
更に慎重な手付きで封筒を開けると、そこには浄龍が想像していた通りの――マイクロSDが入っていた。