凄惨を極めた戦い、そして乱入者の介入――すべてが過ぎ去ったあと、朱音の屋敷には、嘘のような静寂が戻っていた。
だが、瓦礫と血痕が残る中庭は、つい数分前まで繰り広げられていた激闘の名残を雄弁に物語っている。
遼はその庭を眺める。
朝の光が差し込むなか、地面に深く刻まれた槍の痕をじっと見つめる。
――あれが、本気の戦いってやつか。
心の奥で、抑えきれない高揚が残っていた。
恐怖もあった。けれど、それ以上に――あの瞬間、自分の中の何かが悦びに震えていた。
それは、本来なら存在しないはずの感情だった。
自分でも知らなかった「闘争」の本能のようなものが、ほんの少しだけ目を覚ましてしまった気がした。
「……白峰君?」
背後から、朱音の声が聞こえた。
どこか心配そうな表情を浮かべ、遼の目をじっ、と見つめる。
「……久我。
大丈夫。心配しないでくれ。
……優しいんだな。」
戦いの中、魔術の技がない自分に攻撃する手段はいくらでもあったはずだ。だが、セイバーとランサーが戦っていた間、彼女は葛藤の表情を見せていた。
相手は才の無いただの一般人、ましてや同級生だ。
年頃の少女は1人戦火の中で魔術師としての己と戦っていた。
「……そりゃ、少しはやりにくいわよ。」
それを聞いた遼はうなずきながら、崩れた石畳の向こうに咲き残っていた薔薇を見た。
戦いの中で踏み荒らされた庭にも、なお朝陽とともに色彩は戻ってきていた。
と、そのときだった。
――コツ、コツ。
規則正しい足音が、玄関の方から庭に響いてきた。
崩れた石畳の上を踏みしめるその足音は、まるでこの静寂を壊すために存在する異物のようだった。
「……誰?」
朱音の眉がわずかに動き、セイバーとランサーの姿が音もなく遼たちの背後に立つ。
足音は、まっすぐにこちらへ向かってくる。
やがて姿を現したのは、修道服に身を包んだ一人の女性だった。
茶色の髪を後ろで束ね、蒼い瞳を細めて微笑むその女は、まるで礼拝堂から抜け出してきたかのように清楚だった。
だがその気配は、禍々しいほどの“力”を孕んでいる。
「おはようございます。――白峰 遼さん、久我 朱音さん。そして、セイバーにランサー。」
その女、
「随分と、騒がしかったようですね」
庭の様子を一望すると、穏やかな笑みを浮かべる。
「監督役が2日連続で訪問してくるなんて…。
なにかした覚えはないのだけれど。」
朱音が冷静に問いかける。
「いいえ、貴女方は何もしておりませんし、この屋敷がどうなろうと、別に教会は関知しませんよ。」
伊庭はあっさりと言ってのける。
「……冷たいのね」
「監督者ですので」
ニッコリと笑みを浮かべ、淡々と返しながら、伊庭の視線が壊された門のほうへと動く。
「とはいえ――今回は少々、興味深い存在が干渉してきましたわね」
「……あの乱入者のことか」
遼はピンク髪のライダー・メイヴ、そして影におおわれた謎のバーサーカーを思い出す。
それに対し、伊庭は曖昧に頷く。
「昨夜、ライダーとアーチャーが激突して数時間後、謎の気配が此花区の方で検知されました。
第三者の介入かあるいは……他陣営によるルール違反の匂いがしますわね。」
ギラリ、と伊庭の目が鋭く光る。
「…じゃあ、その謎の存在を今から貴女は調査をするという事ね。」
腕を組んで問いかける朱音の言葉に、伊庭は微笑を深める。
「ええ。その通りでございます。何が起ころうと、“全てを把握するため”にここにいます。それだけです。……ああ、そうそう」
そう言って、彼女は一歩だけ近づいた。
「白峰さん。もし次、あなたが“戦場の中心”に立つことがあれば、私も少しだけ期待するかもしれません
……貴方にはまだ見ぬ才がある。
ただのカンですが、ね。」
優しく微笑む伊庭。その声は冗談とも本気ともつかず、遼は黙って伊庭の目を見返すしかなかった。
「では、私はこれで。混乱の収束をお祈りしています。……次に会うときには、もう少し血の匂いが薄い場所だと嬉しいのですが」
修道服の裾をひるがえし、伊庭は朝の光の中をゆっくりと去っていく。
その背中は、徹底して“傍観者”の姿を貫いていた。まるで、この場所が何一つ彼女に関係ないかのように。
〜A.M. 10時 此花区・廃工場地帯〜
床は踏み込むたびに軋み、壁のコンクリートには不自然な黒ずみが浮かび上がっている。
霊的な結界……いや、これは瘴気そのものだ。霊脈を腐らせ、濁流のように魔を呼ぶ死の濃度。
「……間違いない。ここだ、アサシン」
冷たい空気の中に紛れるその声を、背後に立つ影が静かに受け取る。
「クセェな。“人ならざるものの臭い”が、濃すぎる。」
骸骨の面をした黒衣の暗殺者――アサシンが、低く呟く。
彼の言葉通り、この場所は完全に“ヒトの生”から乖離していた。
魔術的なトラップはすでに無効化されている。だが、それがかえって不気味だった。まるで、“歓迎されている”ような。
「誰かが、ここを使っている。……けれど、何の目的で?」
晶がそう口にした瞬間、空気が凍った。
――気配。
ただの殺意ではない。自らの存在を誇示するような圧力。
空間がねじれる。何かが現れる。否、待ち構えていた。
「ふむ。侵入者が二人。女と……随分と殺る気に満ちた者が一人。いや、これは失礼。“殺る気に満ちた”などと、まるで私が殺される前提のようではないか!」
響くのは、男の声だった。
余裕と皮肉、そして何よりも“余興”を愉しむ響きを孕んだ声。
暗がりの奥、ゆっくりと赤い外套が揺れた。
「偽のセイバー。ローマの剣にして知略の化身。……とまあ、そう名乗ることには慣れてはおるが」
草の冠の茶髪、太めの体格に豪奢なスーツ、現れたその男――セイバーの英霊は、まるで舞台の幕開けを告げる役者のように両腕を広げた。
「いやはや。君たちのような無粋な来訪者を迎えるには、少々礼節に欠ける場だが――」
晶の視線が鋭くなる。魔術式を組み直そうとしたその瞬間。
「……ならば、宴の支度を始めるまで。まずは、ひと騒ぎといこうではないか」
床が鳴る。
偽のセイバーの足元から、紅い魔力の輪が走った。直後、黄金の剣が彼の手に現れる。
「命が惜しければ、愉しませてくれたまえ、紳士淑女よ。
――さあ、ローマの剣の名にかけて!」
嵐のような魔力が吹き荒れる。
「…ヤベェな、こいつ、やれるわァ。」
偽のセイバーの剣が、全身から紫電を放ち、黒塗りの短刀を2本構えたアサシンと、その背後に立つ晶めがけて、一直線に振り下ろされた――。
紫電が迸る。
偽のセイバーの剣が振り下ろされた瞬間、アサシンの黒き影が弾けた。
「っ……!」
鋭い風切り音と共に、双の短刀が交差して、金の剣と激突する。
火花が散る。骨のような刃と黄金の剣が拮抗した刹那、アサシンは舌打ちを一つ漏らして後退する。
「重いッ……!それに早ェ…!
見た目にゃ似合わねぇなァ!」
巨漢に見える偽のセイバーの動きは、驚くほど無駄がなかった。見た目以上の重厚さと緻密さを兼ね備えた剣筋に、アサシンの回避が一瞬遅れれば、たちまち命が削られる。
「ほほう。俊敏だな、殺し屋くん!しかし残念、私の剣は逃げる者ほどよく伸びる!」
陽気な声と共に、偽のセイバーが踏み込む。
紅の魔力を纏った剣閃が、空間を裂くように振るわれた。
その余波で背後の壁が砕け、鉄骨が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
アサシンはその瓦礫の中を縫うように疾走し、死角から斬撃を繰り出す。
「チッ、仕留めきれねェ!」
一撃、二撃――いや、十を超える連撃が放たれたが、偽のセイバーはそのすべてを“最小限の動き”で捌いていた。
動きは鈍重に見えて、的確で無駄がない。むしろ回避すら不要とばかりに、刀身でいなし、装甲で受け流す。
「アサシン、下がりな。」
その隙に、晶が詠唱を終えた。
「《
晶の指先が走り、偽のセイバーの視界が一瞬、ノイズで満たされた。
錯乱された視覚と聴覚に、戦場の「現実」が数秒遅れで届くように歪められる。
「なにっ――ぐッ!」
アサシンの短刀が肩口を抉る。
血飛沫が迸るも、偽のセイバーは即座に身を引き、斬撃で距離を作る。
「ふむ……なるほど。“敵の情報”を解析して、戦場そのものを操るタイプか。面倒だな、実に」
偽のセイバーの目が細められる。演技ではなく、本物の警戒心が滲む。
晶は無表情に詠唱を続ける。
魔術式が展開されていくたびに、工場内の空気が重く変質していく。
「座標上の敵性行動記録、確定。逆位相展開――《
剣を振り上げる直前、偽のセイバーの腕が一瞬、鈍る。
それは“動作”そのものに干渉する呪い。対象の運動経路を“予測”し、干渉因子を挟み込んで遅延させる魔術。
「ふっ……嫌らしい戦い方だな、まったく!」
「キミのような“重戦車”には、泥をぶつけて止めるのが一番だろう」
晶は冷笑もせずに言い放つ。
情報魔術とは、相手の全てを“記録し、計算し、操作する”魔術。
彼女はただの魔術師ではない。戦場そのものをデータとして扱う、情報操作の魔術師――。
「アサシン、解析完了。次で装甲の継ぎ目を突いて」
「任されたぜェ、“参謀”さんよォ!」
アサシンが高速移動を開始する。
カエサルがそれを迎え撃とうと構えた――その瞬間。
「――偽装情報展開、《
アサシンの影が三つに増える。
三方向から同時に襲い来る殺意。
しかもすべてが、“同等の魔力密度”を持つ実体化幻影。
「小癪な……ッ!」
偽のセイバーは回転するように剣を振り払い、うち二体を霧散させるが――
最後の一体が真正面から突撃し、構えの隙間に短刀を突き刺す。
「――そこだッ!」
斬撃が、偽のセイバーの胸の装甲を裂く。
魔力の火花が飛び散り、肉に至る寸前で止まるが――戦場に確かな手応えを残す一撃だった。
「オレの殺しの技術の前に、テメェでは役不足だなァ……!」
アサシンは骸骨の下で派手に笑う。
だが、豪胆な笑みの裏に、微かな焦燥が滲んでいた。
深手ではないにせよ、数度の斬撃が霊基に確かな負荷を与えている。
――だが。
その緊張の只中、朱に染まりかけた空間の一角に、
“圧”が生じた。
晶が即座に反応する。
(……これは、“新たな英霊”の気配……)
殺気とも魔力とも異なる、“死の兆し”が漂う。
そして、そこに現れたのは――
黒衣の男。
フードを深く被り、巨大に膨れ上がった右腕を垂らしたまま立ち尽くす。
顔の大半は覆い隠されているが、その存在感は凶器そのもの。
「――“死角”。完璧だ」
骸骨が、闇に浮かぶ。
低く、乾いた囁きが響く。
気配を絶ち、足音すら立てずに忍び寄っていた偽のアサシンが、アサシンの背後を取っていた。
黒く染まった短刀が、寸分の狂いなく、敵の心臓を狙って振り下ろされる。
「っ……テメェは………!」
だがアサシンは、咄嗟に反応していた。
躊躇なく身を捻り、右肩を差し出すようにして刃を逸らす。黒い刃が肉を裂き、赤黒い血が飛び散った。
「――ハッ、危ねェ。だが……」
振り返るアサシンの動きが、一瞬止まる。
その眼前には、顔のない骸骨面の暗殺者。動じることなく、すでに次の刺突の構えに移っている。
「……モノホンのお出ましって訳か……ハナムゥ!!!!」
憤怒が混じった叫び声をあげると、アサシンは迫る偽アサシンの斬撃を同じく黒い短刀で受ける。
「久しいな、アーキルよ。」
偽のアサシンーー呪腕のハサン・サッバーハは短くそう返し、返す刃を再び放つ。
その動きは、まるで影そのもの――速さも力も、派手さもない。だが、殺すためだけに研ぎ澄まされた一撃が続けざまに襲い掛かる。
更に、その背後から赤い閃光が迫る。
「……クソ、呪腕のハサンだけでも厄介なのによォ!」
アサシンは吐き捨てながら、斜めに跳び下がる。瞬時に距離を取ったが、左脚に浅い裂傷が走っていた。
返り血の混じる黒い刃が、再び静かに呪腕の袖の中に収まる。
「……惜しい。だが次は必ず当たるだろう!」
偽のセイバーが笑う。偽のアサシンーー呪腕のハサンの暗殺は成功しなかった。だが、確実にアサシンを追い詰めている。
徐々に、徐々に包囲と圧力を強め、やがて逃げ場を奪う。
「これは、マズイな……。」
晶が、静かに歯噛みした。
自分たちは、今まさに獣の檻に追い込まれつつあるのだ。