〜P.M.13:00 帝塚山・久我邸〜
陽差しが和らぎはじめた午後。
久我邸の書斎で一人、遼は深く息をついた。
目まぐるしく変わる状況。昨日まで普通だった日常が、今はどこか夢のように思える。
魔術、サーヴァント、聖杯戦争――聞き慣れない言葉に囲まれるうち、自分の思考がどこか固まっていくのを感じていた。
セイバーとランサーの本気のぶつかり合い。それを見てから自らの中で煌々と燃える何か。
「……少し、外の空気を吸ってくるよ。久我。」
ふとした思いつきのように、そう言って立ち上がった。
朱音が何かを言いかけたが、視線だけで朱音を制するように目を細める
「大丈夫。セイバーもいる。
それに、人が多い場所なら、敵も迂闊に手は出せないだろう?」
「だけど、昨日のアサシン襲撃もあったじゃない。」
心配そうに遼を眺める朱音。
それに対し彼は少し微笑んでみせる。
「敵なのに心配してくれてありがとう、久我。
2度も同じ失敗はしないよ。
出かけるよ、セイバー。」
椅子にかけていたコートを羽織り、屋敷から離れる遼の後ろをセイバーが続く。
「アカネ、大丈夫。
彼のことは私が必ず守る。」
屋敷から出る前、以前心配そうに背中を眺める朱音に向けてセイバーはウインクをする。
それは絶対的な自信を感じさせるものだった。
〜P.M.13:30 中央区・大阪城公園〜
屋敷を飛び出し、電車を乗り継ぎ、彼らが辿り着いたのは――大阪城。
歴史ある城跡であり、観光地でもあるその場所なら、周囲の人目という「結界」が一時の安寧を与えてくれるだろう。
芝生の緑と石垣の灰色が交差するなか、遼とセイバーは天守閣を見上げながら、ゆるやかな階段を登っていた。
観光地として賑わうこの場所のざわめきが、ほんのわずかだけ、非日常を遠ざけてくれるような気がする。
「……あの日から、まだほんの2日しか経ってないんだよな」
遼が、ふと呟く。
「自分の叔父さんに殺されかけたかと思えば、アーチャーに襲われて、君をたまたま召喚したかと思えば、同級生に助けられて……たった数日で、信じられないくらい不思議で色んなことがあった」
セイバーは小さく頷いた。
「うん。戦ってる側の私ですら、目が回りそうな速度だよ。君みたいな“普通の人”には、きついと思う」
「普通……か」
遼は少しだけ笑った。
「自分でもよくわからなくなってきたよ。魔術師でもサーヴァントでもない僕が、なんでこの戦いに巻き込まれてるのか。
本当なら、誰かが死んだり殺し合ったりする世界なんて、関わるべきじゃなかった」
「でも君は、逃げてない。今も、こうして隣にいる」
その言葉に、遼は小さく肩をすくめる。
「逃げるっていうより……巻き込まれたからには、せめて何か理由を見つけたいんだ。
僕がここにいる意味を
そして……自分の中にやどる、この力を知りたい。」
遼は己の手のひらを見つめる。
その時、セイバーがふと、彼の顔を覗き込むようにして笑った。
「……君ってさ。ほんと、不思議なマスターだよ。
怖くても逃げないし、無理して強がらないし……なんていうか、見てて放っておけない」
「……そっちこそ、あんな命懸けの戦いで戦いながら、いつもこっちを気遣ってるじゃないか。
僕の方こそ、セイバーには助けられてばかりだよ」
二人の間に、柔らかな沈黙が流れた。
日差しの下、観光客の笑い声が遠くに響く。
それでも――遼の背中には、微かに一つの気配が近づいてきていることに、まだ気づいていなかった。
「――ん?」
そしてその気配が、あまりに自然に、あまりに堂々と、彼のすぐ背後に立った瞬間――
「ふーむ……サルめが建てた城に物見遊山しに来たら、思わぬ"探し人"に出会うてしもうたわ!」
芝居がかった声とともに、遼の背後から、笑い混じりの快活な声が割って入った――。
芝居がかった声に遼が振り返ると、そこには奇抜な装いの女が立っていた。
赤と黒を基調にした軍装めいた衣装。脚を軽く開いて仁王立ちし、豪胆な笑みを浮かべている。
「……誰?」
遼が思わず問いかけるより早く、セイバーが小さく息を呑み、彼の前に出る。
「……気をつけて、リョウ。
これは……恐らく、朝の乱入サーヴァント達の1人。」
セイバーの圧が一層深まる。
それに対し目の前に立つ女は、また豪快に笑う。
「ふはははっ、そう堅くなるな、セイバーよ!
わしは先程も言うたが、ただの観光客じゃ!
ほれ、この城の眺めを見ておらんか?
……草履を腹で温めてたあのサルめがこんなもん建ておってのォ。」
そう言って女――否、サーヴァントは背後の天守閣を振り仰ぐ。
天守閣を背にして立つその女のサーヴァントは、まるで戦国の一幕から抜け出してきたかのような風体だった。
赤黒の軍装、鋭い眼光。だが、どこか余裕のある笑みを浮かべ、遼たちを威圧するでもなく、興味深そうに観察している。
「その口ぶり……いや、まさか………!」
遼が驚愕したような声を上げ、目の前に立つサーヴァントを見据える
「そのまさかよ!
わしこそが第六天魔王こと、そう!
わしじゃ!」
高笑いをしながらそのサーヴァントは腰に手を当てる。
「……結局誰なんだ……」
セイバーは呆れたように微笑を浮かべ、目の前のサーヴァントを眺める。
それに対し後ろに立つ遼はそれを聞けば冷や汗を垂らす。
「いいやセイバー…。
それだけで十分なんだ…。あの人物にとって名乗りはそれだけで事済むんだよ…!
現代の日本人なら誰もが知っている日本史史上最も有名な武将…!その名は……
『織田 信長』!」
その慟哭を聞いたセイバーの目が大きく見開く。。
英霊としての格も、名声も、時代への影響力も群を抜く存在――その名を聞いて、冗談では済まされないと理解したのだろう。
だが信長は、まったく気にする様子もなく、石垣の縁に腰を下ろした。
「ま、そう肩肘張るなって。今日は戦する気分でもない。
それに――この地に立てば、いろいろと感慨深くなるもんよ。」
信長はふと、天守閣の上空を仰ぐ。
その眼差しには、ほんの一瞬だけ、懐古の色が宿る。
「……ここは、サル――秀吉の築いた城じゃ。
あやつが、わしの死後に建てた“天下の象徴”ってやつよ。まあ、わしとしては派手すぎて趣味じゃなかったがなァ!」
ふははっと笑いながら、信長は足を組み直す。
「けどまあ、ようやったとは思っとる。
わしの火を継ぎ、天下を“見せかけでも”形にしたのは……アイツの執念じゃ」
「……秀吉。信長の後継者……か」
遼が小さく呟くと、信長の目がちらりと彼を見た。
「おぉ? 坊主、歴史は好きか? それとも……ただの成り行きか?」
「……どっちでもない、かな。僕は……ただ、巻き込まれて、答えを探してるだけだ」
そう言って遼は、セイバーと信長を見比べた。
「あなたたちは、英霊っていうんだよね?
でも、こうして目の前にいると……思ったよりずっと人間らしい気がする」
それを聞いて、信長は一瞬だけ目を細め――やがて、歯を見せて笑った。
「ふっ……面白いヤツじゃなァ、おぬし。
そう、わしらは人の形をした“物語”だ。
だが、魂の核にあるのは、あの時代の“想い”よ」
「想い……」
「天下を見ていた。戦を越えて、先を見ようとしていた。
だが、わしの夢はあやつに託された。
そして、今またこうして――“英霊”として現れるのも、何かの因果かもしれんの」
信長は風に舞う桜の花弁を見つめ、遠くを眺める。
「時代が変わっても、戦は終わらん。
戦場は鋼の音から銃声へ、銃声から情報へと変わっても、人の欲と争いは形を変えて続いとる」
「そのために現れたってわけ?」
「ま、わしはただ……面白い戦が見たかっただけよ!
そして――“面白いマスター”に出会えたのも、これもまた因果じゃなァ!」
そう言って信長は、ニヤリと笑いながら遼の方を指差す。
「おぬし、名前は?」
「……白峰、遼」
「ふむ、遼、是非も無し!
今日はここまでにしといてやるが――
この第六天魔王を敵に回すときは、せいぜい後悔せぬようになァ?」
そのまま信長はひらりと立ち上がり、背を向けた。
「じゃあの、セイバー。わしはまだこの“戦場”を楽しみたいんでなァ。
――そちらの陣営も、せいぜい面白い動きをしてくれよ?」
風とともに、その気配はふっとかき消えた。
「……とんでもない相手だな」
遼が呟くと、セイバーが頷く。
「うん。でも、私は嫌いじゃない」
ふたりはもう一度天守閣を見上げた。
かつて、天下を目指して戦い、夢を託した者たちの姿がそこにあった――。
「……当然だけど、ノブナガ、だっけ。
面白いマスターって言ってたね。」
天守閣を眺めながらセイバーは言葉を漏らす。
「…本来聖杯戦争は7組で行われる戦いなんだろ。
信長の逸話を考えればクラスは恐らく、セイバーがアーチャーだ。」
遼は天守閣から視界を落とし、その横顔を眺める。セイバーは小さく頷くと、眉を寄せた。
「うん。……でも、現時点で出揃ってるサーヴァントの数と照らし合わせると、どう考えても“数が合わない”。」
「つまり……?」
「少なくとも、今この戦場には“本来の七騎”を超えるサーヴァントが存在してる。
それも、ただのイレギュラーじゃない。“意図的に”仕込まれてる気配があるんだ」
セイバーの口調は淡々としていたが、その瞳の奥には確かな警戒と疑念が宿っていた。
「織田信長がそのひとりってことだな…。」
「そうだと思う。でも、彼女は“敵意”を感じさせなかった。今日のところは、ね」
「……まるで様子見に来たみたいだったな」
遼の言葉に、セイバーは視線を天守閣から遠くへ移す。
午後の日差しが石垣を照らし、過ぎ去った時代の影がそこに浮かび上がっているかのようだった。
「乱入サーヴァント達が本格的に動く前に、こちらも備えておいたほうがいいかもね」
「うん……久我にも、報告しなきゃ」
その名を口にすると、遼の胸にほんの少しだけ申し訳なさが灯った。
彼女の心配を振り切って出てきたこの外出――しかし、結果として得たものは小さくない。
「ありがとう、セイバー。君が一緒だったから、冷静でいられた」
「どういたしまして。……でも私としては、もっと頼ってくれてもいいんだよ?」
そう言ってセイバーは、ほんの少し意地悪く微笑む。
その笑顔に遼もまた、自然と口元を緩めた。
「……戻ろうか」
「うん。けどその前に――たこ焼き、食べてかない?」
「……え?」
不意に切り替わったその提案に、遼が面食らった表情を浮かべると、セイバーは指で向こうを差す。
観光客が行き交う路地の先、小さな屋台の赤いのれんが、揺れていた。
「昨日食べた味が忘れられなくてさ。
英霊であっても、それくらいの楽しみは欲しいの。」
「……ま、いいけど」
小さく笑い合いながら、二人は天守閣を背に歩き出した。
戦局が大きく動こうとしている中――
そんな小さな“寄り道”すら、今はかけがえのない時間だった。