〜P.M.15:10 天保山・海遊館〜
大阪城を後にした2人はもう少し大阪を堪能したいというセイバーの要望から、天保山は海遊館に訪れていた。
太平洋を模したという巨大な水槽を前に、セイバーが目を輝かせていた。
「わぁ……でっかい!」
アクリル越しに悠然と泳ぐジンベエザメ。それを見上げる彼女の瞳は、まるで無垢な子供のように輝いている。黒いロングコート姿の英霊とは思えないほど、その姿には柔らかさと興奮が満ちていた。
「……君、本当に英霊なんだよね?」
「失礼な。英霊だって、水族館くらい楽しむでしょ?」
ぷいと顔を背ける仕草に、思わず遼は小さく笑った。
数日前まで、自分がこんな会話を交わす立場になるなんて想像すらできなかった。それでも、こうして穏やかな時間が流れている今――たとえ束の間でも、悪くないと思える。
「……ふふ」
「なに笑ってるのさ」
「いや……こういう時間、いいなって。非現実の中の、現実っていうか」
「……だね」
歩きながらセイバーも、少し照れたように言葉を返すと、再び目の前の海の世界に目を向ける。クラゲの群れが青い光に照らされて漂う幻想的な空間を前に、しばしふたりは静かに立ち尽くしていた。
──そのまま館内を一巡し、出口の明かりが見えはじめる頃。
「ちょっと、歩こうか。潮風に当たりたい」
「いいよ。どうせここまで来たんだし」
セイバーは軽快な足取りで歩き出す。遼もまた、その後ろを追いながらポケットに手を入れた。
海遊館を出ると、潮の香りが鼻をくすぐる。観覧車が遠くで回り、観光客の笑い声が潮騒と交じって耳に届く。西の空では、太陽が水平線へとゆっくり傾きつつあった。
⸻
〜P.M.15:40 天保山・海沿いの遊歩道〜
海風が吹き抜ける。
舗装された遊歩道の脇には、静かな波音が寄せては返す。釣り人の姿や、ベンチに腰かけるカップル。誰もが穏やかに、それぞれの時間を過ごしていた。
「……セイバー」
「うん?」
「少し前まで、僕はこういう風景を見ても、特になんとも思わなかった。
でも今は……この平穏が、どれだけ貴重なものかって、わかる気がする」
セイバーは隣で歩きながら、小さく頷く。
「命のやりとりを見てきたら、当たり前が“特別”になるんだよ。
私も戦場ばっかりだったから、こういう景色が一番心に沁みる」
「君も……そうだったんだ
って、当然か。」
「うん。戦って、戦って、戦って……勝っても負けても、そこに平穏はなかった」
彼女の声音がほんのわずかだけ沈んだ。
しかし――
「だからこそ、この時間は大切にしたいんだ」
潮風に髪を揺らしながら、セイバーは笑った。
その笑顔を見て、遼は何かを返しかけようとして――そこで、ふと足を止める。
「中の良さそうなお二人さん。
君達は運がいい。第二次世界大戦中に使われていた本物の軍艦で回る海上ツアーはいかがかな。お代はいらない。何せ今日始めたばかりのツアーだからね。」
白雲と書かれた船の前に立つ40代くらいの人の良さそうな笑みを浮かべた男性が話しかけてくる。
セイバーは怪訝そうな表情を浮かべたが、遼が1歩前に出る。
「へぇ、そういうコンセプトのツアーか。
いいね面白そう。セイバー、行こう。」
遼はセイバーの腕を掴み、半ば強引に船の前へとセイバーを連れてくる。
「ちょっ…!?
……仕方ないなぁ、分かったよ…。」
セイバーは手を引かれながら眉をひそめる。
(……今微かに魔力の波動を感じたような……。
でも、どこから…?)
そう思いつつ、遼が先に進んでしまった以上、ついて行かざるを得ない。セイバーは警戒しながらも船に乗り込む。
〜P.M.15:50 大阪湾・駆逐艦《白雲》艦上〜
白い波を切り裂きながら、艦はゆっくりと湾を離れていく。
最初は「周遊観光」と思われた航行も、気がつけば天保山の観覧車も建物の影に消え、背後にはもう港の喧騒も届かない。
「……なあ、セイバー。これ、ちょっと遠くまで行きすぎじゃない?」
艦の手すりに寄りかかりながら、遼は不安げに声を上げた。
周囲には民間船の影もなく、視界を遮るものもない。広がるのはただ、青く静かな海原。
「うん。さすがに妙だね……これは“観光”じゃない」
セイバーの声が、鋭さを取り戻し始める。
「魔力の流れも変わってきてる。……何か“本物”が近い」
その瞬間――風向きが変わった。
白雲の船体をかすめるように、重く、湿った気配が漂う。
艦の先端、視界の向こうに、黒々とした“影”が浮かび上がった。
最初は幻のように。けれど徐々に、その輪郭がはっきりしていく。
「……これは……」
目を凝らした遼が、思わず息を呑む。
それは艦だった。だが、ただの艦ではない。
――長く伸びた艦首。複数の砲塔を積み重ねた、異形の巨体。
その艦影は、時代錯誤としか思えぬほどの威容を誇っていた。
「なんだ、あの怪物は……!?」
セイバーが目の前の怪物を驚愕の目で見つめる。
「まさか、あれは……!!
第二次世界大戦中の戦艦《大和》か……!?」
遼は目の前に迫る規格外の兵器を前にただ慟哭する。
けれど、それは紛れもない“現実”だった。
今まさに、彼らが乗る白雲は、あの巨艦へ向けて一直線に航行している。
すでに舵は切られておらず、甲板の誰もが沈黙して作業を続けていた。
これは“演出”でも“観光演出”でもない。
誰かの、強い意志によって導かれている――そう確信できるほどに、空気は張り詰めていた。
「そこで留まれ、白雲。」
その一声と同時に、艦体を震わせるような重低音が水中から響き渡る。
まるで大和そのものが意志を持って命令を下したかのように、白雲の推進が静かに止まった。
「……船が……止まった……?」
遼が困惑する間に、黒鉄の鎧を身にまとったセイバーは静かに剣の柄へと手を伸ばしていた。
風に舞う海塩の匂いの中に、確かな“魔力の潮流”が混ざっている。
この海域は既に結界の中――否、戦場そのものだった。
「……気を抜かないで、リョウ。これは、呼び出されたんだ。」
その言葉とともに、大和の甲板から白い軍服に身を纏った男が2人を見下ろしていた。
「私の名は大日本帝国海軍元帥、皇国の輝、二十六、二十七代連合艦隊司令長官、
此度の聖杯戦争では騎兵の英霊としてこの皇国へ天皇陛下の名のもとに約80年越しに舞い戻った。」
セイバーが無言のまま、わずかに足を引いた。
重圧ではない。これは――“格式”だ。
彼がその名を口にした瞬間、空気そのものが軍律に染められたような感覚があった。
「……騎兵、つまりライダーか。
……それ以外にありえないな。」
遼が問いかけると、五十六はわずかに顎を引いて応じる。
「君たちのような者がこの湾に足を踏み入れたのなら、黙って見過ごすわけにはいかん」
「僕たちは……ただ観光に来ただけだよ。誰かに呼ばれた覚えは――」
「さて、どうかしら。」
声が割って入る。
それは、甲板の奥、艦橋の影からゆっくりと現れた――黒い軍服を纏う女。
長い赤髪が海風に揺れ、海面の反射に照らされてその眼は仄かに赤く輝く。
「……ようこそ、歓迎するわ。白峰 遼君に、セイバー。」
セイバーが警戒の色を強めると、剣に手を添える。
だが天音は一切気に留めず、ただ柔らかく微笑んだ。
「今回は少し確かめたいことがあって呼んだのよ。」
「確かめたいこと……?」
「ええ。あなたの魂を、ね」
彼女の視線が、まっすぐに遼へと突き刺さる。
それは獣のような獰猛さではなく、まるで外科医のような冷徹な観察のまなざしだった。
「私は、ただの魔術師じゃない。“魂”そのものを測り、読み、造りかえる者。
だから分かるの――あなたの中に宿る、確かな才を。」
「……僕は、ただ巻き込まれただけだ」
遼は睨みつけるように天音の目を見つめる。
「そう思っているのは君自身だけ。けれど……その魂は違う声をあげている」
天音が静かに右手を上げると、大和の甲板に幾何学的な文様が浮かび上がる。
それは魔術ではなく、もっと根源的な“構造”の可視化だった。
「海、それは無数の魂が還ることなく漂った場所――
私はここで“魂の断面”を覗いている。あなたが来たのは、偶然ではないのよ」
静かに一歩踏み出す天音。
その動きに合わせるように、ライダーが背後で腕を組む。
「今すぐに答えを出す必要はない。けれど――
君の魂がこの戦争の中でどう変容していくのか、私は見届けるつもり」
「……それが、君の“願い”なのか?」
「願い……? いいえ、これは“呪い”よ。
私がどうしても果たさねばならない、魂の終着点なの」
そう言って、天音はふっと笑う。その笑みには、美しさと同時に深い闇が滲んでいた。
「さあ、どうする? 遼君。
私は貴方に潜む魂がどんなものか見てみたいわ。
その為なら、私はいつでも、案内人になるわ」
大和の影が、海面に長く伸びる。
沈黙が数秒、海の音と共に続いた。
やがて――遼は静かに答えた。
「……その案内、断る理由はないよ。
ただし、“僕自身”の意思で向き合う。君の実験台になるつもりはない」
その言葉を聞き、舌舐りをした天音の微笑は、どこか満足げに深まった。
「いいわ。その言葉だけで、充分。
覚悟は、出来ているのね。」
その言葉と共に背後から日の丸を背負った数多の艦上戦闘機が飛来する。
「海は私達の盤面だ。
さて、どう対応する?最優の英雄。」
腕を組み続けるライダーは飛び立った戦闘機達を静かに見据える。
「……どう対応する、だって?」
セイバーが一歩前に出る。黒衣の裾が風に揺れ、彼女の瞳が真っ直ぐに五十六を捉える。
「盤面を広げて見せるというなら、受けて立つまで!
あなたたちが“海”を盤にするなら、私たちは“意志”で貫く…!」
「頼もしい。ならば、これは“観艦式”ではなく、“演習”だな」
ライダーの声が甲板に響くと同時に、空を覆う戦闘機群が一斉に軌道を変え、白雲と大和の間に展開する。鋼鉄の翼が海風を裂き、唸りを上げながら旋回する光景は、まさに戦場の序章だった。
「セイバー!」
「わかってる。来るぞ、リョウ!」
直後、咆哮のようなエンジン音とともに、一機の艦上戦闘機が急降下する――
セイバーは遼を抱えると空いている片手に黒剣を出現させ、跳躍した。
その身は戦闘機とすれ違いざま、鋭い一閃を空に刻む。
金属音――鋼鉄の翼が裂け、戦闘機が煙を吐いて海へと墜ちる。
「ほう……空中の目標を一刀のもとに。やはり、最優の英雄だな」
ライダーの声には怒気はなく、むしろ賛美に近い響きがあった。
「それに、切りつけると同時、戦闘機を足場に更に跳躍したわ。
…いいわね、あの娘、私好きよ。」
天音はクスリと笑い、そのやり取りを背後で見守っていた。
「つまらないおじさまとは大違い。」
興味深そうな眼差しでセイバーと遼を彼女は見据える。
その目に宿るのは、狂気ではない。純粋な研究者の目だった。
だが――
「セイバー、上!」
遼が叫ぶ。再び別の編隊が波状攻撃を仕掛けてくる。
それは、単なる戦闘ではなかった。
《魂の輪郭》を測るように、圧力と干渉を段階的に重ねる、“選別”だった。
セイバーは二撃、三撃と次々に戦闘機を斬り落としながら、徐々に甲板へと駆け寄る。
「無意味な戦いはしたくないけど……君達が試すって言うなら、全力で応えよう…!」
黒い剣が雷のように唸る。
ライダーが両手を広げ、静かに宣言する。
「ならば、こちらも全力で応じよう。
我が艦隊の誇りを懸けて、君の剣の価値を測ろうじゃないか」
その瞬間、大和の主砲がゆっくりと旋回を始める。
ゴウッ……と空気が震えるような機械音とともに、砲身がセイバーの方角を捉える。
「まさか……!」
「面白いじゃないか…!」
自分に向けられた砲身を見てセイバーは怯むのではなく、笑みを浮かべる。
「これはただの演習じゃないの。……“魂の反応”を引き出すための、刺激よ」
天音の口元に妖しい笑みが浮かぶ。
「さあ、セイバー。英雄の名を刻むなら、あの砲撃すら斬ってみせなさい――!」
ドオオォォォォォン!!
甲高い発射音とともに、大和の主砲が咆哮する。
空気が震え、海が裂ける。
その砲撃は、ただの火力ではない。魂の奥にまで衝撃を刻む、戦場そのものの化身だった。
――そして。
セイバーが一歩踏み込み、剣を構える。
「これが……あなたの“試験”なら……! 超えて見せよう……!」
風を裂き、爆炎の中へ飛び込む黒き英霊。
その一線が、大和の甲板に降り立った。
「我が名はセイバー!
名はまだ名乗らない!だが、騎士として最大限の礼儀を持って御相手しよう…!」
遼を下ろせばその手に銀の剣を顕現させ、二刀流の構えを取る。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
ライダーは、そう零すと、腕を組んだまま目の前の敵、そしてその後ろに控える遼をしっかりと見据える。
まさに一触即発、その矢先ーー
「Aaaaaaaaaa___!!!!!」
空中から轟く獣の如く叫び声とともに、黒く輝く戦闘機が周りを飛ぶ零戦を追尾ミサイルで撃ち落としていく。
「…対空砲、発射。」
予想外の乱入者にライダーは眉ひとつ動かさず、そう号令すると、空中に向かって砲撃が開始され、そのうちの一つが戦闘機に直撃する。
墜落していく黒い戦闘機。
だが、戦闘機上に張り付いていた獣ーー
偽のバーサーカーが飛び降り、先程まで遼達が乗り込んでいた駆逐艦・白雲に着地する。
その刹那__
白雲が黒色に染まった。
「…鹵獲されたか。
戦場ではよくあることだ。」
ライダーは偽のバーサーカーの武器となった白雲を冷静に見下ろし、主砲をそちらへ向ける。そして、黒く染まった白雲を前に、大和の主砲が再び唸る――
まるで、新たな戦端の狼煙を上げるかのように。