〜P.M.20時 四天王寺〜
ー聖堂協会大阪拠点・四天王寺神護教会地下聖堂ー
修道服の裾を揺らしながら、伊庭薫は静かに歩いていた。
教会地下の聖堂――かつて礼拝の場であった空間を、今は聖杯戦争の監視拠点として利用している。
正面の石造りの祭壇の上に、モニターが据えられていた。
内部には、夕べの戦闘――帝塚山・久我邸での一戦が、映像として封じられている。
織田信長による《
ルーの神槍《ゲイ・アッサル》、そして炎槍《アラドヴァル》の真名解放。
異常とも言える宝具の衝突が、街の空気をわずかに変質させていた。
「……これは、“収束”ではなく、“拡散”ですね」
淡々と呟きながら、伊庭はリモコンに指先を触れ、映像の一部を巻き戻す。
彼女の瞳に映るのは、戦いの勝敗ではなく――“均衡の崩壊”だった。
「本来、七騎。それぞれのマスターが、拮抗し合い、相撃つ。
……その構図が成り立たぬのなら、これはもはや“聖杯戦争”とは呼べません」
映像が切り替わる。
黒い艦艇の上で戦ったセイバーとバーサーカー、ランスロット。
その力は、確かに英霊のそれだった。だが――
「召喚の形式が異常。現地の霊地を無視した強制召喚。
通常ではあり得ない物理構造の持ち込み……。まるで、戦場そのものを宝具化しているかのようですね」
その時、結界の張られた石造りの聖堂に、足音が二つ響く。
階段から降りてき、現れたのは黒のハットを被り、口元をフェイスベールで隠したアサシンとそのマスター、榊原 晶だった。
「失礼するよ。」
冷静な声が静寂を破る。
伊庭薫は祭壇前に立ったまま、軽く視線だけを向ける。
「ようこそ。予定ピッタリ。流石は魔術師情報ブローカー・榊原晶。それに……アサシン。」
「今回ここに来たのには理由がある。
ご存じだとは思うが、偽のサーヴァント2騎と戦闘を行った。
偽のセイバーとアサシンだ。」
そう言って晶は携行していた魔術結晶とUSBケーブルを懐から取り出し、結晶にそのケーブルを挿入する。
「…現代科学と魔術の融合。
時計塔の古い魔術師達が見たら、なんというでしょうね。」
「さあね。
今の時代アナログは化石だよ。
時代を制するものが情報を掌握する。
情報屋として基本中の基本さ。」
伊庭が皮肉気味に呟くと、晶は微小をうかべ、
祭壇のモニターに接続する。
即座に魔術記録が展開され、モニターに映像が浮かび上がる。
そこに映るのは此花区の廃工場内。
静寂を破るように現れたのは、金と赤の軍装に身を包んだ男の英霊。そして戦闘が起こってしばらくした後に骸骨の面をした腕の異形。
「真名は名乗らなかった。だが、彼は偽のセイバー……恐らくローマの英雄。そしてもう一騎は、アサシンの系譜に連なる存在。“山の翁”ハサン・サッバーハだと、ウチのアサシンが教えてくれた。」
晶はチラリ、とアサシンに目配せをするが、彼は沈黙を貫く。
伊庭の目が、映像を食い入るように見つめる。
「交戦は避けられなかった、ということですか」
「ああ。敵意はあからさまだった。向こうは完全にこちらを排除するために来ていた。
つまりは、あそこが偽陣営の本拠地だ。」
映像の中では、雷光と短剣、剣戟の応酬が走る。
「榊原さん。貴方はセイバーの真名が分からない、と仰っていましたね。
……大体の検討は着いているのでは?」
伊庭が試すように晶に問う。
それに対し、タバコに煙をつけた晶は、ニヤリと笑う。
「ああ。私は情報の魔術師。これくらいはおちゃのこさいさいさ。
だがあくまで仮説、間違っている可能性だってある。」
「…構いません。」
伊庭は迷いなく答える。
それに対し、晶は頷き、続ける。
「本来はセイバークラスではなさそうなのでね。少し苦戦したよ。
彼の真名はおそろくガイウス・ユリウス・カエサル。
古代ローマの将軍にして、執政官。」
「これまたビッグネームですね。
ローマの将軍に第六天魔王、コナハトの女王、湖の騎士そして山の翁、ですか。」
伊庭は腕を組み、短く考えるように目を伏せた後、静かに言う。
「“偽”の英霊による乱入、正規ルール外の戦闘が日中各地で起こった。
これは由々しき事態です。」
「ああ、彼らは、別の聖杯によって通常の七騎のサーヴァントとは別軸の存在。
その裏には実行者と黒幕がいる。」
伊庭は無言で記録を停止し、晶の顔を見る。
「……その不埒者の名は。」
先程まで穏やかだった声色が低くなる。
「偽の聖杯の所持者、その名をマーリス・ヴァレンタイン。
上級の使徒だ。」
「…死徒。」
目をぎらり、と光らせる伊庭。
晶は続ける。
「それを操るは、御堂 継宗。
ご存知、こちらの聖杯戦争におけるアーチャーのマスターさ。」
タバコを蒸かしながら彼女は懐から赤い魔術結晶を取り出し、それを白い結晶と入れ替える。
すると、その映像にはゴシック調の服を着た白髪の女・マーリスと御堂、アーチャーが会話をしている様子が描かれていた。
「やはり、ですか。」
伊庭は目を静かに閉じる。
そして胸で静かに十字を切る。
「私は秩序を守るためにこの聖杯戦争に臨んでいます。
枠組みを壊す存在には、どんな形でも抗います。
それが死徒相手ならば、尚更。」
そして再び目を開けると、壁にかかった十字架を眺める。
「セイバー、ランサー及びライダー、アサシン陣営は既にこの偽のサーヴァント達と激突し、消耗している。
私も戦いたいのは山々なのですが、何せ武器がこの身一つしかございませんので、普通に戦ったら死んでしまいます。
ならば他の陣営の方々に協力してもらうまで、ですね。」
伊庭が晶の方に振り向くと、聖職者らしいふわりとした雰囲気の笑みを浮かべる。
すると再び階段の方から足音が5つ聞こえてくる。
「キャスターのマスター、
言われたとおり、こちらまで赴いた。」
「ねえおじさん。
ここ、どこ?」
スーツに身を包んだ男、鷹取とその手を繋いだ男の子、バーサーカーのマスターである
そしてその後ろには同じくスーツに身を包んでおり、首元に蝶ネクタイを携えた男と中世ヨーロッパ風の衣装に身を包んだ男女の子供が立っていた。
「ようこそ、鷹取さん、それに蒼さん。
それに、キャスターにバーサーカー。」
笑みを崩さず、伊庭は現れた来客を出迎える。
「なーんかややこしい事になってるね。」
男児のバーサーカーが頭の後ろで手を組み、他人事のようにつぶやく。
「お集まりいただき、感謝します。……本来は、中立を貫くべき監督役として、こうして直接お招きするのは異例のことなのですが」
その声には、揺らぎのない確信と、どこか痛みを滲ませるような色が混ざっていた。
「聖杯戦争の枠組みそのものが崩壊しつつある今、私は、全ての陣営に中立を保証する代わりに、“協力”を呼びかける立場を取ります」
そう言って、伊庭は小さく頭を下げた。
「……あらたまって頭を下げられると、こっちも緊張するな」
鷹取が肩をすくめる。その声には、警戒と同時に、わずかな信頼も滲んでいた。
「それで、その“協力”とやらの内容は?」
「簡単です。“偽の英霊”と、その召喚を可能とする第二の聖杯、及び死徒マーリス・ヴァレンタイン。――この異常存在の排除です」
伊庭は一歩、祭壇の脇へ移動すると、背後の壁に掛けられた別のモニターを起動する。
そこに映し出されたのは、海上での決戦、そして夕焼けが差し込む久我邸――雷光と爆炎が飛び交う戦場。数時間前の戦闘の一部だった。
「これはセイバーとライダー、ランサー陣営が偽のサーヴァントが交戦した記録です」
「……随分な威力だな」
キャスターのマスターである鷹取が映像を見つめ、低く言う。
その隣で、キャスターは無言で映像に目を凝らしていた。
「貴方達の陣営も、例外ではいられません。既に偽の英霊たちは、各地に干渉を始めています。今のうちに対策を講じなければ、次に狙われるのは誰か――分かりません」
「……ふーん」
唐突に、バーサーカーの少年が声を漏らす。
少しのあいだ無言だったが、やがてぽつりと呟いた。
「でもさ。そいつらをやっつけたら、おかあさんは喜んでくれるかな?」
その言葉に、一瞬、場の空気が止まる。
「こら、グレー。空気を読みなさい。」
ペシ、と女児のバーサーカーがグレーと呼ばれた男児のバーサーカーの頭を叩く。
鷹取が視線を向けるが、蒼が軽く首を振る。
「大丈夫です」とでも言いたげに、彼はバーサーカーの手を強く握り直した。
伊庭は、ふわりと微笑を浮かべる。
「ええ。きっと、貴方の“おかあさん”も喜ばれますよ。……それが、どんな姿でも、ね」
それに対し、バーサーカーの少年は明るい笑顔をうかべ、頷く。
その横で、少女の姿をしたもう一人のバーサーカーも満足気に無言で頷いた。
「協力の意思がある陣営には、こちらから情報と支援を提供します。
もちろん強制ではありません――ですが、敵は既に聖杯戦争のルールすら破壊しています。早急な連携が必要です」
伊庭は一同を見回す。
その視線には、交渉ではなく“決意”が宿っていた。
「……いいだろう。協力する。」
鷹取が息を吐くように言った。
「ただし、こちらも見返りは求める。
その偽の陣営及びアーチャー陣営を仕留めれば、何らかの褒美が貰えるってことでいいんだよな。」
「ええ。偽のサーヴァントを1騎討ち取る事に令呪をひとつ授けます。
もちろん真のアーチャーも同様です。
……御堂継宗に関しては、生死を問いません。」
伊庭が頷くと、モニターには再びマーリスと御堂の映像が映し出される。
「この戦争には、英霊以外の“怪物”が紛れている可能性はまだ残っています。
……次に貴方たちが対峙するのは、“偽り”ではなく、“災厄”かもしれません」
冷え切った聖堂の空気に、確かな熱が灯る。
戦いの構図は、もはや均衡ではない。
だが、それでも抗わねばならない。
それが、“真のマスター”たちに与えられた責務なのだから。
「……と、言うことで、向かいましょうか、此花区へ。」
その一言に、場の空気が一瞬たじろぐ。
「……いきなり、だな」
鷹取が目を細めて伊庭を見た。
淡々とした語り口とは裏腹に、あまりにも急な実行宣言だった。
「偵察も前準備も抜きに突入かい? さすが聖堂教会、強行突破がお好きなようで」
晶が皮肉混じりに問う。
「そういう事態だからこそ、です。敵が次に動き出す前に、こちらから踏み込む必要があります
要は"カチコミ"です。」
伊庭の声色は穏やかだったが、そこに妥協の色はなかった。
「それに、現場には既に“余波”が残っている。……魔力残滓が完全に消える前に確認する必要があります」
「……火急だってのは理解した。でもまあ、心の準備ってもんもあるだろうに」
晶が煙草の火をもみ消し、軽く伸びをする。
「戦場に向かうってのに、予告もカウントダウンもなしとはね」
「……こちとら傷も癒えてねェッてのによォ…。」
アサシンがボソリと呟く。
「ふーん、いきなり戦えるなら戦いたいな〜。ね、ゼール?」
「やめなさい、グレー。出発前に“燃え尽きる”気?」
ゼールと呼ばれた女児がグレーの頭を軽く小突くと、彼はむくれたように唇を尖らせる。
「……ま、行けと言うなら行こう。どうせ、避けて通れる戦じゃない」
鷹取が息を吐きつつ言うと、キャスターがすっと隣に並ぶ。
「いきなりであれ、遅すぎであれ……狂気の音は、突然始まるものだよ」
「……まるで詩人だな。」
晶が肩をすくめるが、その表情には戦場に向かう者の覚悟が見え隠れしていた。
伊庭は祭壇の横を通りながら、一人ひとりの視線を受け止めるように頷いた。
「いきなり、と思われたかもしれませんが……もう“待っている余裕”がないのです。
行動を先んじることで、均衡を取り戻す手がかりを得るしかありません」
静かな決意に満ちたその言葉に、場の空気が引き締まる。
やがて誰からともなく歩き出す。
聖堂の重い扉が開かれ、夜の空気が流れ込んできた。
作戦の舞台――偽の聖杯の残滓が漂う、此花区の廃工場へ。
それは、既に“戦場”としての顔を隠していなかった。