〜同刻・此花区 廃工場奥地〜
1歩、また1歩と歩を進める修道服の聖女と3つの子供の影。
彼らは沈んだ闇の中、鉄骨の森が不気味に軋む。
その中央で待ち構える二つの影――血の匂いを撒き散らす女と、薄笑いを浮かべた少年。
女__使徒マーリスは紅い唇を舐め、鋭い牙を覗かせる。
「アッハハ!!
ここまで来たんだねぇ!!
血に塗れた子供と、聖母さんがさァ…!」
ケラケラと高笑いを上げるマーリスはペロリと舌なめずりをし、来客達を見る。
「うるさい耳障りだ。
もっと上品に出来んのか、バケモノめ。」
その横で、青髪の青年はその身長には似合わない低い声を響かせながら分厚い本を膝に置き、無造作にペンを走らせていた。
眼鏡の奥の瞳は、戦場を舞台としか見ていない。
「……しかし…なるほど、幕は上がったな。
役者は“狂気に縋る子供”、その母親役を演じる愚かな女、そして“血に飢えた悪鬼”。
……ああ、何と滑稽で、何と救いのない配役だろうな!!」
さらさらと綴られる言葉が虚空に滲み、紙片となって舞い上がる。
その一枚一枚が、誰かの心に棘のように突き刺さる。
「――っ」
伊庭の眉間に皺が寄る。心臓を鷲掴みにされたような不快感。
それが単なる言葉の魔術であることを理解していても、感情を抉られるのを止められない。
「俺は三流サーヴァント、アンデルセン。
全く、本棚の隅にでもほおりこんでおいて欲しかったんだがな。」
偽のキャスター__
アンデルセンは唇を歪め、声を低く響かせた。
「お前たちは選べない。舞台は既に用意され、台本は進む。
せいぜい足掻いてみせろよ――“母を欲する子供”の悲劇的断章を、俺の手で完成させるためにな」
その瞬間、工場の奥で狂気が爆ぜた。
甲高い叫びと共に、1つの幼子の影が鉄骨を打ち破り姿を現す。
「……おかあ、さん……!! どうして、置いていったの……!!」
男児のバーサーカー。
幼い双眸は虚ろに潤み、しかし怒りと恐怖が入り混じった炎で燃えていた。
「哀れなガキ共よ!
お前達の真名を当ててやろうか!
グリム兄弟によって生み出されたナーサリー・ライムの1つに登場する姉弟、『ヘンゼルとグレーテル』!
フッ、俺にとっては造作もない答えだな。」
アンデルセンはペンを走らせる。
「ヘンゼル!
お前ええええっ!!!!
■■■■■■____ッ!」
姉バーサーカー、真名グレーテルが木の杖を力任せに振るい、火の玉をアンデルセンに向かって放つ。
「キャハハッ!
無駄無駄ァッ!!先生の邪魔は、ワタクシ様が許さないわ!!」
楽しげな声とともに、マーリスは地面を蹴り、飛来する火の玉を弾き飛ばす。
「……嗚呼、これぞ詩篇。まさに
母を求める子供が、母に拒まれ、遂に狂気へ沈む――
世界が何度も繰り返してきた最も安っぽく、そして最も人間的な悲劇だ!」
楽しげにアンデルセンは声を上げる。
咆哮と共に、廃工場の奥で影が弾けた。
ヘンゼルの幼い手に握られた斧が鉄骨を易々と断ち切り、破片が雨のように降り注ぐ。
「……おかあさんを、を返してッ!!!!」
叫びは悲鳴に似て、しかし斬撃は殺意そのものだった。
「不味いですわね……。」
伊庭はとっさに修道服の裾をたくしあげ、腿に装着されたベルトから十字の装飾が施された金の何かを取り出す。指の間に装着されたソレは端にナイフが着いたメリケンサック。
「■■■■■■___!!!!」
続けざまに、グレーテルの杖が振り下ろされる。
黒い炎の渦が床を穿ち、瞬く間に瓦礫を焼き焦がした。
だが、その炎を、血の壁が飲み込んでいく。
赤黒い液体が床から滲み出て、炎を絡め取り、消し去った。
「アッハハ!いい、もっとやりなァ!
母を求める哀れな子供と、母親ごっこの修道女!
最高に滑稽だろう、なァ?」
マーリスの頬に滴った血が、瞬時に槍の形を成して伊庭へ襲いかかる。
「……!」
伊庭は歯を食いしばり、身を翻す。
だが足を掠めるだけで鋭い痛みと共に鮮血が飛んだ。
その時――
「……舞台は完成だ。
哀れな子供が母を乞い、母が拒む……それは人間史の縮図そのもの。
ああ、悲劇はかくも美しい……!」
アンデルセンの声が頭蓋の奥へ直接響く。
言葉が毒のように沁み渡り、ヘンゼルとグレーテルの双眸にさらなる狂気を注ぎ込んだ。
「おかあさん……ぜったいに、にがさない……!!!」
「うそつき……うそつき……ママなんか、だいっきらい!!」
斧が唸り、杖が輝き、幼子たちの怒号が廃工場を震わせる。
彼らの前に立つ伊庭は、血に濡れた修道服を翻し、鉄骨の影から飛び出す。
「……ふざけんなよ、クソ餓鬼共。
あんたらの母親役は、私じゃねェですわよォ――!」
その言葉が響いた瞬間、戦場は完全に炎上した。
轟音。
ヘンゼルの斧が床を割り、砕けた鉄骨の破片が伊庭をかすめ飛ぶ。
鮮血の軌跡を描きながら彼女は飛び退き、手にした十字のナックルを固く握った。
「うらァッ!!」
拳が閃き、迫る斧の軌道をわずかに逸らす。
だが幼い力とは思えぬ膂力に腕が軋み、骨まで震える衝撃が伊庭の肩を貫いた。
「チッ……化けモンじみたガキだな……!」
「ハッ、バケモンはどっちだ!
サーヴァント1組、使徒を相手取れる生身の人間なんざ、そうそうおらんぞ!」
皮肉るようにアンデルセンが言葉を紡ぐ。
次の瞬間、頭上から黒炎の奔流。
グレーテルの杖が虚空を裂き、禍々しい火球を降らせる。
「■■■■■ッ!!」
伊庭は歯を食いしばり、床に転がった鉄骨を蹴って跳躍。
火球が爆ぜ、熱と衝撃が背中を舐める。
焦げた修道服が煙を上げ、喉の奥で鉄錆の匂いが広がった。
「……アッハハ!!
逃げてばっかじゃつまんなァい!」
マーリスが血を鞭のように振り抜く。
赤黒い閃光が床を裂き、伊庭の足元を狙う。
「おっと……っぶねェですわね!!」
伊庭は回避しつつも、頬に赤い線が走る。
滴った血を拭う暇もなく、追撃の斧が眼前に迫る。
「――ッ!!」
瞬間、伊庭は踏み込んだ。
拳が閃き、鉄骨に反射した火花の中でナックルの刃先がヘンゼルの頬を裂く。
「……ッ!!!」
幼子の悲鳴。だが斬られたのは皮一枚。
その瞳はなおも母を渇望する狂気に燃えていた。
「……ああ、いい。いいぞ、その顔だ。
母に拒絶され、なお母を求める。
それこそが人間という滑稽な種の真実だ!!」
アンデルセンが叫び、虚空に走らせたペンが新たな言葉を紡ぐ。
紙片が渦巻き、姉弟の頭上に降り注ぐ。
「■■■■……!!!」
言葉の鎖に縛られ、二人の狂気はさらに加速した。
叫びと共に炎と斧が乱舞し、戦場は地獄の釜のように荒れ狂う。
「……クソッタレ……ッ!
厄介ですわね………ッ!」
伊庭は荒い息を吐きながら銃を抜き、引き金を引いた。
乾いた銃声が幾度も轟き、火花が散る。
しかし斧が弾き、血の壁が受け止め、弾丸は無情に弾かれていく。
マーリスは血を舐め、赤い舌で笑った。
「もっと……もっと苦しめ!
子供に殺される母親ほど……嗜虐の冥利はないからねェ!!」
伊庭の青い瞳に、一瞬怒りが閃いた。
それは聖女のものではなく、修道服を纏ったただの女傭兵の色。
「……ふざけんな、吸血鬼。
私ァテメェらの玩具じゃねェんだよ――ッ!!」
次の瞬間、伊庭は床を蹴り飛ばし、血の雨を裂いて突っ込む。
拳が煌めき、鉄と血と炎が衝突する。
それと同時。
「おねえちゃん、おにいちゃん!
おねえさんを、虐めないで___!」
幼き慟哭が、工場内に響き渡る。
この中の誰よりも幼き存在。蒼だ。
腹部から赤い光を放ちながら彼は願うように己のサーヴァントに願う。
赤い光が姉弟の小さな体を縫い止める。
狂気に爛れた双眸が、かすかな涙とともに静まっていく。
「……ぁ、…アオ…僕達、お兄ちゃんとお姉ちゃんなのに……」
「……ごめん、なさい……」
幼き声が掠れ、斧も杖も力を失って床に落ちた。
蒼が小さな手で二人の指を握る。その背に寄り添い、三つの影が揃う。
「……やれやれ。舞台を壊すのはいつだって役者自身か。」
アンデルセンは舌打ちし、冷ややかに本を閉じる。
「なァんだよォ、せっかく楽しくなってきたのに……つまんない子!」
マーリスは血を舐め、つり上がった笑みを見せる。
伊庭は荒い息を吐きながらナックルを下ろした。
焦げた修道服の裾を払い、青い瞳を細める。
「……やっと冷静になりやがりましたか。骨が折れやがりましたわよ、全く…。
――次は、母親を求めるんじゃなくて、自分で守る番ですわ。
……貴方達の弟を。」
廃工場に、一瞬の沈黙が訪れた。
鉄骨の軋む音と、誰かの浅い呼吸だけが響いている。
やがてその静寂を破るように、血と紙片がまた蠢き始め――
戦場の幕は、次の一手を待っていた。