〜P.M. 21時20分 此花区・廃工場奥地〜
静寂。
燃え残った鉄骨から煙が立ち昇り、黒い炎と血の雨が止んでいた。
伊庭は肩で息をしながら、血に濡れた拳を下ろす。
傍らでは蒼が胸を押さえ、青白い光を漏らして姉弟を見つめていた。
「……はぁ、はぁ……おにいちゃん、おねえちゃん、だいじょう、ぶ……?」
バーサーカー姉弟――ヘンゼルとグレーテルは、荒い呼吸の中でうつろな目を伏せていた。
憎悪と渇望がまだ胸に渦巻いているはずなのに、今だけは動きを止めている。
蒼の無意識の令呪が、確かに彼らの心に鎖をかけていた。
その光景を、薄笑いの少年が鼻で笑う。
「……茶番だな。ああ、実に下らない。
母を求める子供を“言葉ひとつ”で黙らせるだと? そんな戯曲、俺の趣味じゃない」
アンデルセンの指先がペンを走らせる。
擦れる音が虚空に響いた瞬間、白い紙片が嵐のように舞い散り、狂気を煽る言葉が流れ込んでくる。
『母は遠く、子は飢え、渇望は満たされぬ』
「偽りの救済は毒だ。拒絶は炎を生む。
さあ、怒れ!狂え!悲劇の姉妹よ!それだけが此度の物語で許されたお前達の役割だ!」
「――っ!」
伊庭の背筋を凍らせるほどの悪意が空気に満ちた。
次の瞬間、ヘンゼルの双眸が再び燃え上がる。
グレーテルの杖が軋みを上げ、黒炎が再燃する。
「おかあさん……やっぱり、にがさない……!」
「……ママは嘘つき……ママは、燃やさなきゃ……!」
「チッ……さすがバーサーカー………!
やっぱりそう簡単には収まりませんわね……!」
伊庭は再び腿に手を伸ばせば、魔力的な強化を受けた38口径の拳銃を取り出し、連射する。乾いた銃声が廃工場に木霊し、弾丸が血の壁に弾かれて火花を散らした。
「キャハハッ!
いいねぇ……子供と母親の殺し合い!
最高の嗜虐劇だと思わない? ねえッ!!」
マーリスが両腕を広げ、血を噴き上げる。
赤黒い液体が槍の群れとなって伊庭を包囲し、獰猛な笑い声が響いた。
「……しつこいですわ……!」
伊庭は拳銃を地面に投げ捨てれば再びメリケンナイフを付けた拳を握り、十字の刃が鈍く光る。
そのとき――
蒼の声が戦場を裂いた。
「……やめて……!おにいちゃんもおねえちゃんも、もうやめて……っ!!」
幼き願いに、一瞬だけ姉弟の動きが止まる。
だが、アンデルセンの毒のような言葉がすぐに塗り潰した。
「優しい嘘ほど残酷なものはない……! 母は必ず子を裏切る。
それを繰り返すのが人類史だ。ああ、これほど醜く美しい詩があるか!!」
狂気の奔流が再び吹き荒れた。
血、炎、言葉――三つ巴の力が廃工場を混沌に変えていく。
「やっぱり邪魔ですわね……
あの作家……!」
伊庭は荒く息を吐き、腰から隠していたSMGを引き抜いた。
修道服の裾から覗く黒鉄の銃口が光を反射し、彼女の瞳には静かな決意が宿る。
「……これ以上、好き勝手に書かせるかよ……ッ!
蒼君、お兄ちゃんとお姉ちゃんに"悪い魔女をぶっ倒して!"ってお願いできます!?
そうしたら私の仕事もだいぶ楽になります!」
「…え?
う、うん、分かった…。
『おにいちゃん、おねえちゃん!
悪い魔女を、倒して__!』」
再び蒼の腹部から赤い光が発せられた次の瞬間、轟音が工場を揺らし、血と火花の嵐が吹き荒れた。
狂化しながら姉妹は標的を変える。未だ遊戯気分でいる使徒、マーリス・ヴァレンタインを狂った目でしっかりと彼らは見据えた。
鉄骨を裂き、炎を撒き散らしながら幼子の姉弟は駆けた。
「おねえちゃん!あの魔女、やっつけよ!」
「うん……悪い魔女は、殺さないとねッ!!」
叫びは無垢そのもの。だが、握られた斧と杖が撒き散らすのは殺意の嵐だった。
振り抜かれた斧刃が鉄骨を豆腐のように断ち割り、赤黒い火花を散らす。
杖から噴き出した黒炎が、空気そのものを焦がして渦巻いた。
「キャハハッ!いいじゃない!最高だよ!」
マーリスが嗤い、血をまき散らす。
床から噴き上がる赤黒い液体が槍となり、矢のように姉弟を襲った。
「うあああっ!!」
ヘンゼルの小さな咆哮とともに斧が閃く。
鉄の塊を叩き割る膂力で血槍を粉砕し、破片の雨が弾け飛んだ。
「えいっ……!!」
グレーテルの杖が宙を描き、黒い火の帯が鞭のように唸る。
それはマーリスの血壁を焦がし、赤と黒の炎が廃工場を照らした。
「いいねぇ……子供が母親を欲して暴れるなんて……!あんたらほんっと最高のオモチャだよ!!」
マーリスの嗜虐的な声が響く。頬を伝う血を舐め取りながら、彼女は血の翼を広げた。
「……ッ!」
伊庭は舌打ちしつつ銃を構え、間隙を狙って弾丸を撃ち込む。
火花と血飛沫が交錯するが、マーリスは踊るように回避し、笑い声を上げた。
「おねえちゃん、おにいちゃん……!」
蒼が胸を押さえ、震える声で叫ぶ。
「……がんばって!
“悪い魔女”をやっつけて……!!」
その言葉に反応するように、姉弟の瞳が光を帯びる。
無垢な願いが、狂気の力をさらに駆り立てた。
「「魔女なんか……やっつけてやるんだぁッ!!」」
斧と炎が同時に炸裂する。
鉄骨が砕け、瓦礫が雨のように降り注ぐ。
赤黒い血と黒炎が衝突し、爆ぜた轟音が廃工場全体を震わせた。
マーリスはその中心で嗤い続ける。
「アッハハ!!いい、もっと壊しな!!母を求めて暴れるガキほど、嗜虐の冥利に尽きる存在はないよォ!!」
血と炎がぶつかり合い、戦場は完全に狂気の渦と化していった。
その、戦闘の最中。
(……使徒の注意がバーサーカーと蒼くんに向きましたわね……!
ならば………!)
ニヤリ、と鉄骨の影から聖女が笑みを浮かべる。
そして次の瞬間、全身に緑の線が刻まれる。
魔術回路の活性化。
強化魔術による身体能力の底上げだ。
「オォォォォォォォラァァァァァァァァァァッ!!!!!」
怒れる聖女が拳を握り、アンデルセンの眼前に迫る__
「何!?
狙いはこちらか……!ゴリラ女め……ッ!」
伊庭の拳に全身の魔力が宿る。
緑の線が体表で光り、修道服の布地が戦闘の衝撃ではためく。
「貴方はここまで!
物語は打ち切りですわ……ッ!!」
怒号と共に跳躍したその瞬間、廃工場の空気が震え、血と黒炎の残滓が旋回する。
アンデルセンはペンを握った指先で紙片の壁を作るが、伊庭の拳はそれをものともしない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!!!!」
拳が叩きつけられるたび、虚空に書き込まれた狂気の文字が吹き飛ぶ。
紙片は破れ、風に舞い、アンデルセンの薄笑いが歪む。
「ぐ……なん、なんだ……この力は……ッ!!」
伊庭は連撃を休めず、拳、肘、膝を次々に叩き込み、アンデルセンの体を粉砕していく。
拳の一撃ごとに衝撃波が発生し、鉄骨の残骸や血の雨が空中に舞う。
「――これで終わりですわァッ!!」
最後の一撃。
十字の刃が輝く拳がアンデルセンの顔面を直撃。
衝撃で背後の壁が粉々に砕け、彼の体は宙を舞った後、膝をつき、血の海に沈む。
「まさか、生身の人間にやられるとは……
やはり、肉体労働……
断固反対………。」
かすれた声が虚空に消え、アンデルセンの体は紙片の残骸と共に光を放ち、瞬時に消滅した。
残されたのは、静寂と、かすかな硝煙と血の匂い。
伊庭は荒い息をつき、拳を下ろす。
緑の魔力の線は徐々に消え、体表の熱と痛みが現実を思い出させる。
「……これで終わりましたわね……」
伊庭はゆっくりと膝をつき、荒れ果てた工場の床に目を落とした。
拳にはまだ血の感触が残る。だが、それは勝利の証でもあった。
「……さて、次は使徒マーリス……ッ!」
ギラリ、と鋭くその目が光る。
「キャハハッ!
マジ!?アンタ埋葬機関!?強すぎんでしょ!」
廃工場の闇が再び動き、血の女――マーリスの笑い声が響く。
「……私をあの方々と同じにしないでくださいます…?
私はただの代行者ですわ。」
そう語る伊庭の視線は揺るがない。
全力で暴れ回った血に濡れた拳の余韻が、これからの戦いへの決意に変わる。
そう思った矢先。
「使徒マーリス。
撤退せよ、と主からの命だ。」
ローマ風の装備に身を纏った御堂のサーヴァント・アーチャー、クィントゥス・ファビウス・マクシムスが高台に現れ、そう宣言する。
「えーッ!?
今からが面白いところでしょォ!?」
迫り来る銀の刃と火の玉を掻い潜りながらマーリスはアーチャーの方を見る。
「こちらでの目的は完遂した。
…そう認識している。
ならばこちらでこれ以上不利な戦闘をする必要は無い。
……ルーラーの顕現も確認している。これ以上は我々が各個殲滅を受け、敗走を続けるだけだ。」
アーチャーは淡々と言葉を続ける。
何か言いたげなマーリスの言葉を遮り、更に口を開く。
「それに、外を見てみろ。
最悪が迫っている。」
「えー、最悪ゥ…?」
そう言いながらマーリスは空に飛び立つ。そして海の方を見る。
「ゲェッ!?
ライダーとセイバーァ!?
オイオイなんだあの大艦隊ィ!?」
彼女の目に映るは、セイバーとライダーを乗せた戦艦大和を旗艦とした、聯合艦隊。
空母1、戦艦5、軽巡洋艦4、駆逐艦19隻から編成された第一艦隊が大阪湾に浮かんでいた。
その圧倒的な戦力に、マーリスはさすがに戦意を削がれる。
「ほんとあのライダー規格外すぎてつまんなァい!
ま、いいわ!次はもぉっと楽しくなるわよ!じゃあねっ!」
赤黒い翼をはためかせ、マーリスは旋回しながら廃工場の闇を抜けて飛び去る。
その背後で、アーチャーは目を瞑り、静かに霊体化を行い、撤退する。
戦場には血と煙だけが残り、荒れ狂った戦いの痕跡が静かに息を潜めていた。