〜阿倍野区 帝塚山〜
帝塚山の一角、緩やかな坂を上った先に佇む、古めかしくも手入れの行き届いた洋館。その外観は夕焼けを受けて、どこか幻想めいた陰影を宿していた。
少女、久我 朱音は学校から帰宅するとすぐ制服から着替え、リビングのソファに腰を下ろしていた。天井まで届く大きな窓の向こうでは、西の空がゆっくりと群青に染まりつつあり、部屋の中には落ち着いた静けさが満ちている。
テーブルにはお気に入りの紅茶と、ついでに用意したビスケット。膝の上には読みかけの本。朱音はページをめくりながらも、どこか集中しきれていなかった。
――気がつけば、今日も遼のことを考えていた。
(アイツ、最近ずっと何かに追われるようにしてる……。
まるで、運命に導かれてるかのように。)
白峰 遼。
両親が死に、母方の叔父である御堂家当主『御堂 継宗』に引き取られた養子だと聞く。
御堂家は関西の魔術界に長く君臨する妖怪のような一族だ。
御堂という血統に誇りを持っており、古くからの伝統を大事にしている保守派の魔術師の一族だ。
対して同じく関西の魔術界で改革派として名を馳せる久我家とは犬猿の仲であり、長年睨みを聞かせている。
……そんな家に、白峰 遼は引き取られたのだ。
余計な心配は魔術師として、不要なのだが…。
思考が途切れたところで、静かに扉がノックされ、軽やかに開いた。
「よう、お嬢さん。くつろいでるところ、ちょっといいか?」
入ってきたのは、ラフな服装に身を包んだ男――朱音のサーヴァント、ランサーだった。白髪に近い銀の髪を無造作に後ろで結い、いつもの軽い笑みを浮かべている。
「お疲れさま、ランサー。外の様子はどうだった?」
朱音は本を閉じ、紅茶を一口啜った。ランサーはソファの背にもたれかかるように立ち、肩に止まっていた小さな使い魔をひょいと指先で払った。
「ま、ちょっとした騒ぎさ。御堂のおっさんが、どうやら本格的に動き出したらしい。さっき、こいつから報告があった」
彼が顎で示した鳥型の使い魔が空中で溶けたかのように青い粒子になれば、ふわりと空中に何かが浮かび上がる。
それは、魔力で構成された簡易地図。淡い光を放ちながら、市街地の一点が脈打つように明滅している。
そして市街地の一角、閑静な住宅街近くに何かが集中していた痕跡を示していた。
「御堂……やっぱり避けては通れないか」
朱音は眉をひそめ、じっと地図を見つめた。
「連中、あまりに堂々と動きすぎてる。目立ちすぎだな、あれは。
こっちが黙ってるのもそろそろ限界ってやつじゃないか?」
ランサーは朱音の肩に自らの肘を置く。
一瞬鬱陶しそうな表情を浮かべれば、朱音は彼の腕を振り払う。
「もう……ほんと調子いいんだから……」
はぁ、とため息を1つ吐く。
そして再びランサーの顔を見つめる。
「つまり……私たちも動く時が来たってことね。」
「そういうこった。準備は整ってるだろ?」
ニッ、とランサーは人のいい笑みを浮かべる。
それに対し、朱音は小さくうなずきながらも、すぐに話題を切り替えた。
「……ねえ、ランサー。白峰君のことなんだけど――あの子、今どこで何してるか、調べられる?」
その言葉に、ランサーは眉をひとつ上げた。
「白峰ぇ?……ああ、御堂に拾われたって言う坊主か。まあ、マスターってわけでもねえなら関係ねぇだろ。戦場に出る資格も覚悟もねえ奴が首突っ込んだら、それはもう運が悪かったって話だ。」
両手を顔の横に持っていき、手のひらを上に向け、やれやれ、言わんばかりに首を振るランサー。
彼の言葉はさらりとしていたが、その裏には無関心というよりも、“巻き込まれたら終わり”という冷ややかな認識があった。
「だけど、何か引っかかるの。アイツ、最近ちょっと様子が変なの。何かに導かれてるみたいな……
私、あの子のこと――放っておけないの。」
「ハッ、お熱だねぇ嬢ちゃん。
ま、非常にも戦いの素養がないやつが、戦場に立てばどうなるかは目に見えてる。だからこそ、俺たちが動くんだろ?
そのために御堂をとっとと叩かねぇと、犠牲が増えるぜ。」
ランサーは片肩をすくめて言う。けれど、その視線は決して朱音を突き放してはいなかった。
「……べ、別に! そういうのじゃないって……!
私はただ知らずに魔術の世界に巻き込まれるかもしれないって……
いや、ムキになっても仕方ないか……。」
朱音は、顔を少し赤く染めていたが、落ち着いたかのようにふっと息をついてうなずく。
「……まぁ、そうね。何も起こらないように、私が、ちゃんとやらなきゃ」
「そう気張るなよ。お前は俺が守ってやる。そういう契約だろ?」
ランサーは茶目っ気を含んだ笑みを浮かべ、軽くウィンクする。
「ええ。頼りにしてるから、背中を任せるわ」
朱音は小さく笑ったが、その瞳にはすでに覚悟の色が宿っていた。日常の終わりが近づいている。
もうすぐ、この静かな館にも、戦いの気配が忍び寄ってくる――朱音は、そんな予感を肌で感じていた。
それから数分後、ランサーはすでに戦闘時の姿へと変わっていた。
その者は、緑のマントを身に纏い、胸元には白銀のブローチが輝いていた。白肌に直接触れるような王風の絹のチュニクは、純金の糸で赤く刺繍が施され、膝まで届くほどの長さで揺れている。
神話の残り香を感じさせるその姿は、どこか幻想的で、同時に見る者に威厳すら抱かせるものだった。
「さぁ、出るわよランサー。」
赤を基調と来た服に身を包み、黒い手袋をはめながらランサーの方に目を向ける。
「よし来た!
…それじゃあ嬢ちゃん、覚悟はいいか?」
不意にそう告げると、ランサーは朱音を軽々と抱き上げた。
まるで羽のように、膝の下と背を支えるお姫様抱っこ。
「ちょ、ちょっと! なんでその持ち方なのよっ!?」
「お前さんが暴れて落っこちたら困るからな。それに――」
唇を吊り上げ、彼は得意げにウィンクを送った。
「――こういうの、似合うと思ってさ」
「〜〜〜……っ!」
抗議の声が風にかき消えるよりも早く、ランサーは地を蹴った。
重力を無視するように、二人は夜の空へと飛び上がる。朱音の髪が風に舞い、マントが後ろへなびいた。
彼の腕の中にいることが、どこか――安心できる気がしていた。
〜千里・御堂邸付近 閑静な住宅街 外れ〜
白銀の剣と黒鉄の刃が何度も火花を散らす。
「……弓兵のくせに、白兵戦とはな!」
セイバーが歯を食いしばりながら叫ぶ。彼女の剣を迎え撃つのは、アーチャーの西洋剣――
「“アーチャー”というのは、ただの分類さ。戦い方をクラスに縛るつもりはない。」
飄々と応じるアーチャーの刃が、鋭くセイバーの懐を切り裂こうと迫る。だが次の瞬間、セイバーの一撃がアーチャーの剣を弾き飛ばした。
「……チッ、やはり純粋な剣使いには勝てないか。」
アーチャーは軽く舌打ちし、構えを変える。
次の瞬間には既に槍が握られていた。
「なるほど、次は槍か。まったく、“弓兵”の皮を被った白兵戦闘狂め……」
セイバーが低く呟いたその時だった。
――何かが来る。
背筋を走る悪寒。それは、戦っている相手からではなく、“別の方向”から放たれた強烈な気配だった。
(これは……気配遮断ではない。だが、速い……!)
セイバーのスキル〈直感〉が告げる。数秒後、あの気配は確実にこの場へ到達する、と。
「……待て。誰かが来る」
「ほう?」
アーチャーがぴくり、と眉を上げた。
風が吹き、草木がざわめく。直後、空気が裂けるような衝撃音と共に、一陣の“風”が戦場に舞い降りた。
石畳に足をつけたその影は、緑のマントを翻した騎士。白銀のブローチを胸に、王風の刺繍が施された純金の赤刺繍入り絹チュニクが月光に揺れる。
そしてその腕には、一人の少女――久我 朱音が、お姫様抱っこで抱かれていた。
「我が名はランサー!
戦場に轟く槍の咆哮、この槍先は敵を逃がさぬ!」
ランサーは凛とした声で刃を混じえる2騎にそう宣言する。
「……ほう、ランサー……!」
セイバーの声が警戒の色を帯びる。
「三騎目、か……混戦は戦場ではよくある話だ。嫌いじゃない。
しかし……」
アーチャーは槍を握り直し、強敵である2騎をそれぞれ見やる。
戦場の均衡が変わる気配を感じ取りながら、三騎目のサーヴァントは静かに地に降り立った。
「……久我家の嫡子か。」
術を発動し、警戒を強める御堂は忌々しいと言わんばかりにランサーの手に抱えられた朱音を睨みつける。
『マスター……恐らく敵ランサーは大変な強敵だと思われます。それに加え、セイバーの剣裁きは一流どころの話ではない。今の状況で、この二騎を相手に戦闘を続けるのは危険です。無理に押し切ろうとすれば、こちらの被害も増えかねません。ここは撤退した方がよろしいかと。』
アーチャーは自らの主である御堂に念話を飛ばす。
それに対し、御堂は淡々と答える。
『……その判断は正しい。此度は1度撤退する。ただし次は必ず殺せ。』
御堂がそう答えると、宙に浮かべていた赤黒い球体を地面に落とす。
冷徹な言葉が念話を介して伝わる。
『…御意に。』
アーチャーは短く頷き、御堂を抱えれば、すぐさま二人は戦場から姿を消した。
「な、何が……どうなってるんだ……?」
騒々しい現場が、一気に静寂に包まれる。
遼は厄災が過ぎ去り、緊張の糸が切れ、ようやく大変な何かに巻き込まれたのだと実感する。突然の戦闘の気配に体が震え、呼吸が浅く早くなるのを感じた。目の前で繰り広げられていた激しい剣戟に、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
頭の中が混乱し、焦点が合わなくなる。やがて、視界がぼやけ、足元がおぼつかなくなった。
「……うっ……」
堪えきれずに膝から崩れ落ち、手をついたまま地面に倒れ込む。
冷たい石畳の感触がじんわりと体に伝わり、現実の重みを思い知らされる。
混乱と恐怖が渦巻く中、遼は意識を手放してしまう。
暗い、暗い闇へと沈んでいくような感覚。
目を閉じたまま、彼はただその静けさに身を委ねた。
気づかぬうちに、彼を取り巻く歯車は回り始めていた――二度と止まらぬ音を立てて。