2周目
真っ白な何も無い空間、静かに眼前に浮かぶゲームの様なウィンドウ表示。白い空間を見渡しても、何処にも女神の姿はない。
胸の中を駆け巡るのは途方も無い喪失感と深い絶望。やけに鮮明に過去のことを思い出せるのが、余計にその絶望の色を濃く感じさせる。だが、それと同時にひとつの疑問が浮かんだ。
長い間生きてきた上で感じるはずの記憶の劣化がない。それは前前世、日本を生きてきた時代の記憶も思い出すことができた。途端に前世では徐々に薄れていた日本や、昔の家族の元へ帰りたいという思いが、湧き出してくる。
同時に、前世の記憶が溢れて止まらなかった。冒険者として災厄を止める為に動き回り、初めて勝利する為に試行錯誤を重ね、ただのパーティーメンバーから恋人へ、最後は妻として彼女と人生を連れ添った記憶。
流星女と生きた時間は、二周目へと足を進めるには重苦しく輝いて見えてしまう。
なんだ、これ。
記憶を掘り起こす事で生じる違和感は、まるで別々の人物を強引にひとつの脳内に押し込めたような歪な感覚だった。
十二分に満足する人生を送ったあの世界の剣士としての自分と、何も満足するものを手にする事もないまま、家族を残して生涯を終えてしまった大学生の自分。どちらも俺というひとりの人間が生きた人生だ。同じ人間だ、それなのにどうしようもなく今の状態に違和感がある。
気持ち悪い、彼女の元へ帰りたい。
彼女に、会いたい。
それができないなら、せめて安らかに眠りたかった。
俺はその場に蹲って込み上げる気持ち悪さに任せて嘔吐しようとする。けれど、胸の苦しさは加速するばかりで、吐き出せるものはなかった。この空間では嘔吐する権利もないらしい。
実態として肉体はあるはずなのに、感覚だけが取り残されて実際の生理現象が訪れることはない。きっとこの場で舌を噛んで詰まらせて死のうとしても死ぬことはないんだろうな。
『私がそばにいるじゃない』
こうなるのが怖かったんだよ。
お前がいなくなった世界が。
俺に残された選択肢は、目の前の酷すぎる現実と向き合うことだけだった。
全てを諦めて現状を受け入れることにした俺は、せめてこれ以上辛くならないように前世への当事者意識を置いておくことにした。前世を生きた人間が俺であると強く意識すればするほど、今すぐにでも発狂しそうで、他人事として考えなければ思考もままならない。
流星女との結婚生活、優男くんとのくだらない話、家族との思い出、それらを全て他人の情報として処理する。そうすることでしか、前を向けそうになかった。ここにいるのは現実に帰りたい平凡な大学生のゲーマーの自分だと言い聞かせる。家族の元へ帰る為に二周目をしなければならない。
よし、現実逃避は終わりにしていい加減現状へ向き合おう。
長時間この空間に残れば俺は確実に発狂して死ぬ。実際は精神の劣化が起こらなければ廃人になれることもないが、この空間に長時間留まるのは確実に正気を失う。
まず、俺を転生させてくれた女神は既にあの世界に干渉する力を残してないか、敵と思われる存在に消されたか、何にせよ転生する事以外への協力はもうしてもらえないと考えよう。ロクな協力ができないならあのまま眠らせてくれよと思うが、どうせ世界の危機の前ではひとりの悩みなんて些細なもんだ。
内心で悪態と罵詈雑言を吐きながら、ひとつひとつ情報を整理する。
次にこの空間に来るのは二周目の人生が終わった時だ、情報の取り逃がしは許されない。
最も重要なポイントに関して、これは相当増えている。前回は極限まで割り振り先を絞り込んだ結果として、容姿を始めとした様々な点で苦労させられたがこれなら多少はその他に回す余裕も生まれる。
次に、前回の時にはなかった変化がふたつあった。
ひとつは剣術の素質を5.0まで振った時、本来表示されるはずの上限表示がされず、5.1以降もポイントを振ることができた。剣術以外の全てを最低値にして注ぎ込んでも上限は確認できなかったが、素直に考えるなら最大値は10だろう。
恐らくはこれが俺が流星女に勝てなかった理由だ。晩年こそ勝率二割だったが、純粋な剣技の技量では最後まで追いつくことは叶わなかった。5.0が限界値だと勝手に判断していたが、実際にはこうして10まで上げることが可能であったと考えれば勝てなかったのも納得できる。
ただ、その後試しに他の魔術などに5.0まで振ってみたが、5.1より上に上げることはできなかった。上限解放の条件については、5.0まで振った上で1回転生するや、相応の経験をするなどが考えられるが、要検証だ。
もうひとつは出生という欄が追加されていた。考えられるのは生まれの階級の変化だ。
生まれを変えられるというのは考えもしなかったが、確かに貴族の息子に生まれられるなら上等な教育を受けたり、早い段階で訓練環境を整えることができる。ステータスを振る段階に入ったら考えてみる価値がある。逆に上げすぎて国の王子になったりするのはそれはそれで問題だが。
生まれに関しては1.0から減らした時に貰えるポイントも多かったので、削ることも考慮に入れたほうがいいだろう。
そして、最後に俺はポイントを全て平均的に振った時、俺は普通の人間と変わらないのかという前世から疑問だった検証を行った。
結果は疑念通り、肉体と素質に1.0に近い数値を振っていったところ、増加ポイントを省く途中でポイントが枯渇した。素質は細かな技能まで何でも存在する為、これらを1.0にするというの自体平均の図り方から間違っているかもしれないが、確実に前世の俺の存在はあちらの世界の常人に満たないものだと確信できた。
新たに開放された機能と、何故か初期が平均の半分以下の魂の強度、これによりさらなる疑問が生じたが、答え合わせをしてくる女神様は存在しない。
仕方がない、取り敢えずポイントをどう振り分けるかを考えよう。
まず容姿は最低限確保する、これは絶対だ。次に何を軸にして戦うかだが……
ふと、剣術を下げようとした時に
下手に戦い方を変える必要はないんじゃないか?剣を軸にした戦い方をすれば、前世の経験もある分習熟は早いはず。
色々な言い訳を自分の中で並べ立てるが実際はこのウィンドウに表示される数字を下げれば、彼女との唯一の繋がりを喪ってしまう気がして怖かった。彼女と競い合って磨いてきたあの剣は、全て変わってしまった過去と未来を繋いでくれる数少ないものだから。
こんな事を彼女に言えば、怒られるだろうな。
『そんな軟な繋がりじゃない』とかなんとか。
それでも、俺は剣術を捨てるという事はできなかった。
主軸は結局剣術、だが今回は他のものも扱えるだけのポイントもある。
この世界の三つの力の体系、魔法、奇跡、呪術。
魔法は魔力と理論により世界を歪める力。
奇跡は聖力と信仰心により神の御業を世界へ降ろす力。
呪術は呪力と儀式により世界と契約する力。
どれも様々な利点と欠点が存在する上に、属性や宗派に系統と細かに枝分かれする。
剣術の補助として体術や他の技能を伸ばした様に、それひとつだけを特化しても活用が難しい。
その中で俺が今回選択したのは奇跡全般と、あるひとつの呪術系統。勿論これら全ての素質を5.0にするのは無理なので、程々の数値で取得する。
若干前世と比べて素の身体能力は落ちるが奇跡と呪術の補助を考えれば簡単にお釣りが来る。
数ある技能の中でどうして奇跡を選択した理由、それはひとえに回復のリカバリー能力と身体能力の強化というシンプルな力が自分の戦い方と相性がいいということ。不死者の浄化や武器への祝福など他にも色々な活用法があるが、前世で優男くんや聖国の騎士共と対面してる時に強化魔法や奇跡による祝福の力は存分に味わわされた。
呪術に関しては若干実験的な部分もあるが、有用に働いてくれるはずだ。
気持ち程度に体術や容姿にも追加でポイントを振る。最低限あればいいと思ったが容姿の残酷さは前世で十分味わったので保険はかけておこう。また、出生の数値は削った時に増えるポイントが多かったので若干低めに設定した。多少の地位の低さは能力で補えることは前世で経験済みだし、最低値まで削ったわけではないので前世ほど酷いことにはならないだろう。何ならちょっとイケメンなはず。
そして、余った分は全て剣術に注ぎ込む。
これは彼女といつか同じ景色を見てみたいという細やかな憧憬だ。
これで、準備は整った。
後はボタンを押せば、次の人生が始まる。
始まってしまう。
様々な思いに駆られて手が震える。
走馬灯のようにこれまでの記憶が過る。
それが枷にならぬよう、俺は手を伸ばした。
泣き叫ぶ誰かの声で目が覚める。
違う、これは俺の声だ。俺が発しているものだ。
ぼやけた視界の中には、複数の女性の姿がある。
「泣かないから大丈夫かと思ったけど、良かったぁ。やっと安心できるよ」
「あんな寒い場所に置かれて……大変だったわね」
赤子の目では視界がぼやけてはっきりとしないが、彼女達が身にしてるものが修道服と呼ばれる類のものであるのはわかる。そして、先程の会話内容から察するに今生の俺は孤児であった。
孤児としての生を受けた俺だが、特にできることもないのでミルクを貰っては寝ての繰り返しだ。
中身はおっさんを通り越して爺さんにも関わらず、赤ちゃんプレイを強制されることに涙が止まらない。
赤ん坊だから泣くことは当然なんだが。
やはりあの空間は特殊だった様で、赤ん坊の脳みそではかつての事を正確に思い出すことは難しかった。ある意味では当然と言える。そもそも、この身体には本来経験したことのない事を無理矢理思い出そうとしている。魂は同じだとしても肉体の情報は全くの別物、思い出せること自体が妙なことだ。
生まれが孤児院なのは出生の数値を削った影響で確定だろう。前世が一般的な家庭の生まれであることを考えれば、出生の数値が生まれる環境や血筋に直結してることは明確だ。
まずは、前世でもそうだったように赤子の間は情報収集に徹するしかない。
そもそも今はベッドの上で寝返りしては泣いて聞き耳を立てることしかやることがない。
前世では1級冒険者として死地を戦い抜いた男がこれである。人生の残酷さを実感する。
俺が生まれた孤児院は教会が運営している場所で、それなりの人数の孤児が保護されている。
残念ながら環境はそれほど良くはない。子供達は日々の食事で揉める程に切迫している上、シスター達が日頃から国への支給へ文句を垂れている程度には安定してない。
孤児の生まれなのは最初はマイナスに捉えていたが、意外と悪くないかもしれない。それは俺のメンタルへの影響だ。
孤児院は子供を多く抱える分、全員に親が注ぐような愛情が注がれるわけじゃない。その点で、災厄と戦って死んで悲しむ人間がいるかもしれないという心労は軽減される。
それと、俺が生まれた国が何処かやっとわかった。この国は西大陸の北部に存在する宗教国家で、周囲とはかなり軋轢がある事に加えて、平均気温が低い冷帯に肥沃とは言い難い土地で国の内情が厳しいと前世でも噂を聞くことがあった。
前世からどれだけ時間が経過したかもわからないものの、困窮した孤児院の様子を見ていればそこまで変わってないんだろうな。少なくとも決定的な技術革新が起きた気配もなければ、一応は首都であるにも関わらず寂れた雰囲気が漂っている。
日々を過ごす内に自然と記憶や感情が肉体に引っ張られるようにして、記憶にはモヤがかかり深い思考はできなくなった。歳を重ねて肉体が成熟すればいずれは記憶も全てと言わず戻るはずだが、徐々にかつてのことを忘れるのは恐ろしい。
それでも、前世の事を思えば少しだけ楽でもあった。あの幸せな思い出に苦しめられることは少なからず減る。かつての俺は、幸せな思い出を忘れて楽になる俺を軽蔑するだろうか?
五歳になる頃から俺はまた剣を握り始めた。
剣と言っても子ども向けの木の剣だが、そもそもこの身体は剣の握り方から振り方まで知らない。情報として自分が把握していたとしても、身体にそれをインプットする必要がある。
ひとつひとつ、かつての型を思い出しながら剣を振る。身体に染み付かせる様に丁寧に軌道をなぞる。
五歳までの間にいくつかわかったことがある。
前世で俺が死んでから経過した年数は三十年程で、幾つかの技術発展は起きたがいわゆる産業革命などが起こった様子はなかった。また、魔王や厄災の脅威が減ったことで人族同士の争いが徐々に起こり始めているという噂を聞いた。
三十年というのは短いようで長い、昔の教え子はみんなもういい大人か爺さん婆さんになってる頃だ。正直、前世で関わりのあった人間が残ってる時代に生まれるのは勘弁願いたかった。それは、出会おうと思えば前世で縁のあった人物と出会えてしまうということだ。
他に知ったことは強いて言えば冒険者ギルドは『流星』以来新たな階位冒険者を認定してない、とかか。
ちなみに、俺は孤児院ではガッツリと浮いてる。
ちゃんと最初は子供っぽく振る舞っていたはずなのに、気がついたらひとりになっていた。
おかしい、俺の擬態は完璧だったはずだ。
シスター達からは手がかからなくて良いと評価を貰っているにも関わらず、授業の時間に俺の隣に座る子供は存在しない。許せねぇ……
真面目な話、子供っぽく振る舞ってもやはり違和感があるのかもしれない。子供の方が案外そういう部分に鋭かったりする。肉体に引っ張られてるとはいえ、中身は百歳超えのジジイなので致し方なしだ。
むしろ、大人にはバレずに子供できてると思えば捨てたもんじゃない。
百歳を超えて必死に子供のフリをしてる自分が一体何なのかと正気に戻りかけたが気にしないことにした。正気に戻ったら終わりだ。
可能なら周囲とちゃんとした人間関係を築きたかったが、気がつけば今生もぼっちが確定していた。周りと遊ぶことをせず毎日剣を振っていた結果なのだが、仕方ない。変なやつ扱いで嫌われている訳では無いのだけが救いか。
俺はその後もただただ奇跡の修練と剣術の訓練、勉強に励んだ。
友人もおらず誰にも邪魔されない環境は訓練に没頭することができた。剣は良い、振っている間は他のことを考える必要がない。未来のこと、過去のこと、全てが剣のひと振りの前だと些細なことに感じられる。
前世を通しての生き方なので仕方ないが、周りからみたら四六時中剣を振ったり弄ってる狂人なのでシスターからも若干変な目で見られ始めている。
奇跡の方は苦戦したので、教会の牧師に教えて貰いながら勉強した。
幸いにも牧師の教え方が上手いお陰で理論自体は単純ですぐに覚えることができた。後はもう精神力がものを言う内容だったので細かい部分は割愛する。
奇跡の修練は兎にも角にも精神論で、神学がどうのよりも
残りの時間は語学と歴史の勉強に注ぎ込んだ。災厄の傾向を掴む事ができる可能性と、この身体はまだ言語を習得しきっていないので馴染ませておく必要がある。
そうして毎日剣術、奇跡、勉学に打ち込む日を続けていた時、牧師に声をかけられた。
「君は、教会騎士にでもなりたいのかい?」
「教会騎士、ですか?」
「あぁ、毎日こうして頑張っているだろう」
教会騎士、女神を信仰しながら騎士として国にその身と剣を捧げる。
熟練した剣技と奇跡を扱い、魔を打ち払うもの。
一般人がこの国で目指すことのできる最高の地位と呼んでも良い。
興味がないわけじゃないが、騎士になる気はない。
「僕は、冒険者になります」
「冒険者かい?」
「はい」
牧師はむむむと唸るようにしてヒゲを撫でた。
変なことを言っただろうか?
確かにこの国で冒険者はそこまでメジャーではない気がする。
「それは、あまりおすすめできないね。冒険者を目指すなら、別の国で活動することになるだろう」
「なぜですか?」
「この国のギルドは……そうだねぇ、上手く機能していないんだ」
腐敗ってことか?確かに首都では冒険者の話を聞かないわけだ。
少し面倒だが、特にこの国にこだわる理由もない。
「なら、他の国でなります」
「そうかい」
そういえば、話す時の一人称は僕にして、話し方も丁寧にした。
明らかに顔が俺という感じではなかったし、以前の言葉遣いはなかなか馴染まなかった。前世は自分の顔なんて見れたものじゃなかったが、今生の俺の顔は容姿を上げたお陰でそれなりに美形だ。ただ、かなり童顔寄りなのでどうしても俺という一人称は合わない。
そして、一番大事なことはこれはある種のロールプレイだ。前世と今生の自分を分ける境界線を引く為の行為。そうでもしなければ、俺はずっと
未だに俺は今の人生を上手く受け入れられていない。
今より長引けば、過去の自分と今の自分、それぞれが別れてしまいそうな気さえした。
これ以上みっともない姿を晒すのはごめんだ。だから、これはせめてもの抵抗で決別でもある。
しかし、ギルドの腐敗か。ギルドは世界規模で展開されている組織だ。数が数だけに本部が細かい精査までできないのだろう。何処かの国のギルドが腐敗しているのは特におかしなことではない。
シスター達への感謝はあるが、ひとりで行動できる年齢になれば早急にこの国を発ってしまおう。
今はまだ国境を渡る為の金も体力もないが、十三歳になる頃には別の国に渡ってもいいかもしれない。
前世では流星女との約束通りに来世のことを考えずに一生を過ごした。あくまで他人事として受け止めているし、そこに後悔はないが、せめて剣の一本か財産の一割でも引き継ぐことができれば楽だっただろうとは考えてしまう。
流星剣はどうなったんだろうか。彼女は文字通り最後まで死後のことはろくに考えてなかったので、流星剣のその後もまるで決めてなかった。あるとしたら弟子達が引き継いだか、国が管理しているか。
前世の記憶は大まかに辿ることはできるが随分と朧気だ。それと同時に、俺の中にあった前世と今の境界はより明確なものに変わった。
あくまで、記憶を読み取れるだけの他人の記憶、経験。それに近しいものだと自然と考えるようになっていた。それでも、それらの記憶は深く根付き、糧になると共に幸せな気持ちが去来して胸が苦しくもなる。
あの記憶をただの枷にしたくないというのは、きっと過去の俺も今の俺も変わらない事だ。
いつか、余裕があればあの剣の行方を追うのも悪くない。
牧師に冒険者を目指してることを伝えた時から、孤児院では教会騎士を目指してる扱いになっていた。なんで?
十一歳の頃、俺は珍しく外出の機会に恵まれた。
「みんな、ちゃんと手を繋いでね?はぐれちゃダメだからね」
先頭のシスターの掛け声で孤児達がそれぞれ手を繋ぎ、一組二人の列を組む。
今日は国が主催するお祭りがある。腐っても首都なので、金のない孤児達も催し物を見て楽しむ程度はできるという訳だ。なんでも五年に一回行われるお祭りで御子?だか聖女だかが十歳を迎えたとして国全体で祝うらしい。五年前も開催されていたが、流石に小さすぎて外出が許可されなかった。
この国は例の女神様を崇める宗教国家で、教会の権力は国の運営と直結している。国で表に立って主導するのは教会の教皇で国の政治を決めるのも教会のお偉いさんだ。この祝い事の催し物も教会の偉い人達が決めてるんだろう。
さっきから手を繋いでる隣の女の子がうわ、こいつかよ、みたいな顔をしてる。
素直にメンタルに来るのでやめていただきたい。
子供は素直なので本当に恐ろしい。
屋台や市場が開かれている様子には、子供っぽいが純粋に高揚感を覚える。
お祭りが楽しみなのは何歳になっても変わらない。肌寒い冬の季節というのも、なんとなく気分が上がる。
広場に集められた子供達はそれぞれお金を貰い、好きなものを買ってきて良いと自由行動させられる。
正直、この金額で買えるものはたかが知れてるので特に欲しいものはない。新しい剣を買おうと思っても手に入るのは修学旅行のお土産の木刀レベルである。
特に希望はないので手を繋いでる女の子の言いなりになりながら過ごしていた時、視界の隅でやけに挙動不審な子供を捉える。フードを被った子供は行き先もなくふらふらと、まるで迷子か何かのようだった。
ただの迷子なら気にする必要もないだろう。そう判断して視線を逸らそうとした時、不思議とフードを被った少女と目があった。自分と同じ程度の年齢の少女だった。
「あ」
そして、迷子と思わしき少女はそのまま裏路地の方へと流れて行ってしまう。普段であれば気にならないが、流石に迷子の子供が危険に巻き込まれそうなのを放置するのは気が引ける。裏路地は奴隷商に捕まるからと、孤児院でも言い聞かせられるレベルだ。
「ちょっと離れる。すぐ戻るよ、シスター来たら誤魔化しておいて」
「え、ちょっ」
手を繋いでいた女の子にせめてもの償いとして使い道のないお金の殆どを押し付け、駆け出した。
後ろで制する声が聞こえた気もするが、気の所為ということにしておこう。
自身に祝福を施して走れば、あっという間に裏路地へと入り周囲を眺めながら歩いている少女の姿が目に入る。
声をかけようと近づこうとした瞬間、何故か少女はこちらを振り返り───駆け出した。
なんで逃げるんだよ。
しかも、あの娘、滅茶苦茶に足が速い。
確実に強化魔法か祝福を使っている、それも相当な練度だ。
一瞬追いかけるのをやめようかとも迷ったが、これだけの練度がある少女の正体が気になった。
迷子を助けようとしたはずが、何故か少女と全力の鬼ごっこに発展していた。
微かに雪の積もる聖都の街並みを駆け抜け、時には建物の屋上も踏み台にして走る。
数分の全力疾走の果て、少女は入り組んだ裏路地の行き止まりで立ち止まった。
行き止まりでついに観念したのか、少女はへたり込んだ。
流石にこっちも息があがって限界だ、ここまでの祝福の連続使用は生まれて初めてである。
別に捕まえようとしたわけじゃない、と伝えようとした時だった。
こいつ、諦めたわけじゃないぞ。
魔力が乱れたかと思えば、地面が突然に隆起した。
少女は宙を舞うようにして軽やかに飛び上がり、建物の上へ着地した。
変形した地面をよく見れば、拙い魔法陣が刻まれている。
クソッ、まだやる気かよ。
こっちはもうガス欠寸前なんだが???
しかも、建物の上で丁寧に俺が追いかけてくるのを待ってやがる。
ふざけやがって、絶対捕まえてやる。
隆起した地面を踏み台に、最後に全力で自分へ祝福を施して駆ける。
こんなくだらないことでも、祈りまくれば力を貸してくれる女神様には涙が止まらない。
もはやヤケクソである。
最大限まで祝福を込めた脚で駆け出した俺は、過去の経験も全て動員して身体を動かす。
肉体に覚えのない記憶に連動して、徐々に最適化した肉体の動きは着実に少女との距離を詰める。
もうなんでこんな事をしてるかもわからないが、兎に角走った。
あと数十センチという距離まで迫った時、道中で抱えていた棒を剣に見立ててぶん投げる。
咄嗟に進行方向に何かを投擲された少女は一瞬だけ身体を強張らせた、その隙を見逃さずに手を伸ばして、そのまま押し倒す。
雪の上に少女と共に転がった俺は、達成感に包まれた。
や、やっと捕まえた……
「捕まっちゃった」
俺の下で息を切らして少女は楽しそうに笑う。雪を背に散らばった空色の髪、何処か神秘的な温かみを秘める金色の瞳。追いかけっこの逃亡者は、あははと金の瞳を細めて実に満足気にしている。
マジでなんでこんな事になったんだ?
「どうするの?これから攫われちゃう?君に奴隷にされるの?」
危機的状況であるにも関わらず、少女の声は弾んで目は輝いている。
なんでこんなハイテンションなんだよこの娘。逆に怖いよ。
「誤解だよ。最初は迷子だと思って声をかけようとして……」
なんか気がついたら鬼ごっこになってたんだよな。
よく考えれば、これだけの実力があって人攫いに遇うわけがないので、本当にただ鬼ごっこしていただけである。意地にならず途中で引き返せばよかったと今更ながら後悔する。
「取り敢えず、攫いに来た訳じゃないし、奴隷にもしません」
「なぁんだ、つまんないの」
期待外れとでも言いたげな少女は、ゆっくりと俺を手のひらで退かせば身体を伸ばして立ち上がった。
そして、雪で冷たくなった手のひらをこちらへ差し出してくる。
「折角ここまで来たんだし、ちょっと付き合ってよ」
『少し付き合いなさいよ』
いつの日か、こんな風に彼女にも誘われたこともあった。
俺は、誘われるようにして自然と少女の手を取ってしまった。
心の何処かでは、深入りすべきではないと理解していながら。
まあ、いいか。
あの距離を戻るのは相当時間がかかるし、体力も尽きた。
あと少しだけ、この少女に付き合ってあげよう。
「いいよ」
「やった!こっちこっち」
冷たい指先で温度を共有しながら、手を引かれるままに通りへと向かった。
大通りでは変わらずお祭りムードで、誰もこちらを気にした様子はない。
不思議と、何故か今生で初めて“自由だ”と思った。
「鬼ごっこ、楽しかったね」
こっちは走りすぎて脇腹が痛いんだが。
「そう……だね」
前世を通しての直感、何故か否定したら不味い気がしたので頷いておいた。
俺の返事にニコニコとした少女は、屋台の方へ指を指した。
「行こ。お腹減っちゃった」
こちらの返事を聞く前に駆け出すと店の前に並び、元気良く注文した。
値段を告げられればゴソゴソとローブを漁るが、一向にお金は出てこない。
もしかして、こいつお金持ってないのか?
「落としちゃったかも」
マジかよ。
「じゃあ、これでお願いします」
俺は少しだけ残していたお金を取り出してひとつだけ注文する。
まさか全額渡していなかったのがここに来て役立つとは、わからないものである。
少女は差し出された料理に釘付けだ。別にちゃんと分けてあげるから落ち着いてほしい。
「心配しなくても半分あげるよ」
「ほんと!?ありがとっ」
なんともわかりやすい少女である。
流石にここでひとりで食べるほど鬼畜ではない。
屋台のご飯は子供の空腹を前にして味など関係なく、ただただ美味しかった。
「あのさ……なんで追いかけられて逃げたの?」
「ん~……」
渡した分をぺろりと平らげてしまった少女は、ニコッと悪戯に微笑んだ。
この娘、やけに食べ方が綺麗で、少なくともただの孤児とは思えない。
それこそ、何処かのお貴族様が逃げ出したんだろうか?
屋台のご飯に興味津々だったのも、普段は見ないからだとすれば納得できる。
「秘密」
こいつ。
更に問い詰めようとした時、今の空気を裂く様にして大聖堂の鐘の音が日の落ちた聖都にこだました。
鐘の音が収まってから少女はハッとした様子で立ち上がる。その横顔は少しだけ寂しそうに見えたが、何も言わないことにした。
「ごめん、私行かないと」
門限だろうか、俺もいい加減戻らないとシスターの血管がはち切れてしまう気がするな。
流石に孤児院を追い出されるわけには行かないので、問題児になる前に戻るとしよう。
「そっか。こっちももう帰るよ」
「ん~……また会えるかな?」
曖昧に微笑む少女は、不安に濡れていた。
伏し目がちに開かれた金の眼は、なんとなく前世の記憶を思い起こさせる。
どこまでもあいつの顔がチラついた。
そのせいで、らしくもないことを口にしてしまった。
「……きっと」
「そっか。じゃあ、“また後でね”」
───俺は、この時この言葉の意味を深く考えるべきだったのである。
雪が降る夜の聖都に消えていく少女の姿は、雪解けの様に不思議と目に焼き付いていた。
その後は、何か夢でも見ていたのではないかと浮ついたままシスター達と合流した。
色々と怒られたのだが、変に聞き出されるのも嫌だったので迷子の子供を追いかけたら自分が迷ってしまったということにした。結果として十一歳にも関わらず迷子になる奴という不名誉な称号を賜ったがまあ良しとする。
その後は、今日のメインイベントである聖女様の顔見せとかあるらしい。大して興味もないので体調が悪いと言って先に孤児院に帰ってきた。あの女の子に付き合わされたおかげでヘトヘトになってしまった。
なんとも不思議な経験だった、それだけだ。あんな事を言ってしまったが、あの女の子と出会うことももうないだろう。
目的は変わらない、今は冒険者になる為に力を付けることが優先だ。1級になった後は前回と同様に人脈を広げることに注力する予定だが、まだまだ先の話だ。
あの不思議な出来事から数日、心意気を新たにした俺の元へとんでもない来客が訪れた。
孤児院の教会の前に威厳ある姿で並ぶ兜の騎士達。
教会騎士、教会の力と権力の象徴でもある存在。
冒険者が少ないこの国で、魔物の討伐を代わりに行うこの国の守護者でもある。
彼らの団長らしき人物は、似顔絵のようなものと俺を見比べてこちらへ近づいて来る。
おいなんだ、こっち来るな。
「聖女様の命につき、今日から君を教会騎士に任命する」
は?
───こうして、俺の冒険者として活動する計画は脆くも崩れ去ったのであった。
大変お待たせしました、二周目開始となります。
今後の進捗は適宜Xで投稿、投稿が長期間空く場合は活動報告などでご報告する予定です。
活動報告で1周目のことなど軽く振り返ったり1周目のifについて触れてるので、気になる方は見ていただければと思います。