この世界で生きるということ
───俺は、なぜ容姿を最低値にしてしまったんだろうか。
容姿が人生を大きく左右するなんてのは、考えれば誰でもわかることだ。
できるなら、今すぐあの転生する前の時間に戻り、容姿をせめて人並み程度にしたい。
いや、人並み程度なんて贅沢は言わない。
最低限“人”として扱われる容姿があれば、それで十分だ。
頼むから、誰か俺を人として扱ってくれ。
生まれた瞬間から、俺は自分の選択が失敗だったと悟った。
俺を抱える両親の目が恐怖と困惑に歪んでいたからだ。
ある程度の愛があれば、生まれたての子を抱き上げるなんて笑顔で行われるシチュエーションなはずだ。
だが、俺の父親と思わしき人の目には、我が子に対する恐怖と驚愕だけが刻まれていた。
母親は、それでもなんとか笑顔を取り繕って俺を抱き上げていた事をよく覚えている。
俺は当時、自分の身体がどこまで歪かを知らなかった。
それでも、両親の反応から俺の身体が見るに耐えない外見であることは察せられた。
彼らが何を喋っているのか、言語の意味はわからないが、その表情と涙を流す美しい女性。母親の姿で察することはできた。
子供の体で感じる時間の経過は一瞬だった。
脳が小さい影響だろう。最初は思考はとっ散らかって纏まらず、感情の制御もできなかった。
感情や行動も身体に引っ張られ、泣きたくもないのに泣いたり漏らしたりもした。
それだけ、身体が思考と感情に与える影響は大きかった。
初めて自分の顔を水溜りで確認した時の事は今でも覚えている。
───化け物。
それ以上の感想は生まれなかった。
目を覆いたくなる様な不均一な大きさに歪んだ眼に、口裂け女の如く裂けた口元。極めつけは額から悪魔の角のような突出したなにか。それこそ、この世界に存在するとされる魔物のような酷い容姿なのだろう。
これが、俺?
母に抱かれたまま小さな水溜りの前で唖然とした。
水面に映るその余りにも醜い生物もまた唖然とした表情を浮かべ、感情に呼応して泣き始めたことでこれが自分自身なのだと嫌になるほど理解した。
よくもまあこれまで殺されなかったものだ。
出産時の父親の愕然とした様子も理解できる。生まれた我が子がこんな化物だったら誰でも泣きたくなるだろう。
子供、ふたりの人間が愛し合い生まれてきた存在。それが、角の生えた魔物のような化け物であれば驚愕して恐怖するのも当然だ。
俺だって泣きたい。
だが、この事態を招いたのは俺だ。
あの僅かな数値を諦めて容姿に振り分ければ、それだけで良かったのだ。
くだらないこだわりのせいで、今生の両親を悲しませる事になってしまった。
自分の容姿を見た瞬間に思ったことは、『失敗した』だった。
今からでも死んでやり直したほうがいいか?
そんな事を考えていると、必死に乳をくれる綺麗で優しい母の表情が目に入った。
そうだ。俺は今、この人の子供だ。
どれだけ恐ろしい容姿、化け物のような存在だとしても、我が子としてこの人は育てようとしてくれている。
実際に転生するまで、俺は“この世界で生きる”のだという感覚が抜けていた。
誰かの子供になって、生きる。
転生先は、恵まれない運命を辿る子の身体を借りると女神様は言っていた。
つまり、命を奪ったことにはならないが、それでも誰かの人生を貰い受ける訳で。
俺はお気楽に転生だ、ビルドだ、ゲームだなんて考えていたが、俺はこれからこの世界でこの人達の子どもとして生きる。
お腹を痛めて生んで貰って、年を取って、その成長を彼らに助けられながら生きるのだ。
反省しよう。
俺は転生するということを甘く捉えすぎていた。
俺は、今日からこの異世界で生きるのだ。
ひとひとりの人生を簡単に捨てることは、できない。
とりあえず生きなければいけない俺は、女神様のところで確かめられなかったことや、教えてもらった情報を整理することから始めた。
まず、この世界の言語についてだが、当然日本語とは違う。
俺は母国語である日本語以外は高校までの英語と、中華ゲーを遊ぶために勉強した簡単な中国語以外わからないのだが、文法の構成自体は少し英語に近いんじゃないかなと思う。
思う。というのは、まだこの世界の文字を俺は殆んど読めないから文法の把握が正しくできていない。
子供だから文字に触れる機会が少ないのもあるが、それ以上にこの村は識字率が低い。
まともに文字を扱っているのを目にしたのは村長と、定期的にこの村に取引をしに来ている商人っぽいおっさんだけだ。
読むことなら多少できる人間もいるようだが、文字を書けるのはそのふたりだけしか確認してない。
ふたり以外にもいるかもしれないが、相当識字率は低いと思っていいだろう。
文化レベルも、聞いていた通りいわゆる中世レベルだ。
喋っている内容や単語なんかについては、音からなんとなくならわかるようになった。
特に、罵倒や罵声については。
次に、俺が生まれた場所はこの異世界にある二つの大きな大陸のうち、西に位置する。
この世界は東と西に大きな大陸が二つあり、どちらにもそれぞれ様々な国が乱立している。
自分が生まれた国は北にある大連合国家。国というよりは大きな都市が複数集まって国を名乗っている連合国というやつで規模としてはかなりデカいが、国力は分散していて他の大きな国家に比べれば纏まりがないと女神様が言ってた。
俺の住んでいる場所は、そんな連合国のとある都市の郊外。
村の規模は大体二百人前後で農耕と狩猟で生計を立ててるみたいだ。
ちなみに、普通に都市では云万人と暮らしているらしいのでかなりのド田舎ということである。
最初は首都が遠い事に正直がっかりしたが、今ではこれで良かったと思う。
俺の容姿が周囲の村人にも知れ渡っているが未だに生きていけるのは、ここが少数のコミュニティであることと、村長の命令はかなり重い決定だからだ。
魔法や呪術が本当に存在するこの世界では、悪魔憑きなんていうものがあるようだ。
魔族とか魔物みたいな容姿に生まれたらしい俺はそれを当然疑われた。恐らく、この角が生えてるというのが魔族の種族特徴と一致するんだろう。
村長が直々に顔を見に来たこともあって、その時には「悪魔憑きが〜」なんて話し声も聞こえてきた。
地球でも大昔は身体に生まれた時から障害がある子供はひどい扱いを受けたり、昔の精神病患者は狐憑きや悪魔憑きとして扱われたという。
それが現実に魔法や呪術が存在する世界であれば、当然疑われるわけだ。
それでも俺の母親の必死の説得があって、村長が俺が村に滞在することを許してくれた。お陰で、今もこうして生きながらえる事ができた。
これが信仰深い奴が多い場所だったら、厄を呼び寄せるとかなんとか言って、強引にでもぶっ殺されていた可能性もあっただろう。
俺が今生きているのは、頭を必死に下げてくれた母親のお陰だ、母親には感謝しなければいけない。
もう俺は生まれて三歳になる。
母親は俺のことを相変わらず気持ち悪がっているが、それでも親としての義理を果たそうとなんとか愛情を持とうと努力しながら育ててくれる。
やはり、俺の外見は気持ち悪いのだろう。自分が水面越しに見たとしても生理的な嫌悪感や恐怖が湧き立ってくるのだから、対面して話している相手はそれ以上のはずだ。
ましてや、それをこの三年間育ててきたというのだから、精神的消耗は計り知れない。
父親は完全に俺のことを見限っているというか、半分はいないものとして扱っている。更には母親との関係性も最近では悪化しつつある。
存在しないものとして扱われるのは堪えるが、父親の対応は仕方がないと思う。
なんと言ってもこの容姿で生まれてくることを選んだのは俺だ。
元が死ぬ子供の身体であったとしても、両親を化け物を生んだ親にしてしまった。
誰だって自分の子供が化け物だったらビックリするし、子供を愛したくなくなるはずだ。
逆に、よく母親は俺の面倒を見てくれている。
この人だけは裏切らないように俺は生きようと思った。
転生する時は成長してどんな生き方ができるかばかりを考えていたが、実際は乳を貰って寝て排泄して寝て乳を貰っての繰り返しだった。
その上、まだ成長途中で脳が小さいせいでちゃんと思考も纏まらない。
既に歩いて移動することはできるが、家の外に出ることができない俺は精々家の中で外の様子を眺めるしかできることがない。
当然、本なんかもない。印刷技術は既に存在しているようだが、やはりこの時代で紙はそれなりに貴重なようで本は村長の家でしか見たことがない。それを借りられるわけでもないので、本当に今はすることがないのだ。
できるだけ早く時間が過ぎることを願いながら、目を閉じた。
両親から気味悪がられながらも、なんとか生き繋ぎ五年が経過した。
気味悪がられて育てられた俺は、はっきり言って精神的に摩耗した。
本当に、容姿を舐めていた。
ブサイクだなんて次元じゃない。
化け物フェイスは歳を重ねるごとに人外味を増して、遂には母親も俺への愛想を尽かしてしまった。
父親は母親に離婚を申請して村の他の若い女性と再婚した。
母親はそれをショックに思い、時折俺に当たるようになった。
身体は痛くない。
素質を高めた俺の身体は、子どもながらに大人顔負けの身体能力な上に丈夫だ。
木でできた食器を投げられても痛みなんてない。
でも、心が痛かった。
少しずつひとりで活動することができるようになった俺は、徐々に母親と距離を置くようにした。
そうした方が彼女の精神が安定するからだ。
捨てられたのは、容姿以外にも俺が普通の子供じゃないからというのもあるのかもしれない。
身体に精神が引っ張られる通り。できるだけ普通の聞き分けのいい子供を演じてきたつもりだが、それでも何処かで違和感はあったと思う。
あるいはそれ以上に成長した俺の容姿に耐えきれなくなってしまったのかもしれない。
本当に申し訳ない事をしたと思っている。
俺があの時に容姿を低い設定にさえしなければ、二人は今も円満な家族で母も精神を病むこともなかっただろう。
村を出るとしても、せめて母親へ罪滅ぼしと恩返しはしたい。
俺自身のメンタルも相当限界を迎えていたが、母の存在と不安定になってしまった母を支えなければという使命感。他にも、徐々に世界のことがわかってきたことで生きるモチベーションはなんとか保てていた。
八歳ともなれば他の子供達と交流がある歳だと思うが、勿論俺にも交流はある。
当然普通の交流ではない、殴る蹴るという名の素晴らしいコミュニケーションだ。
ある程度大きな子供は気味悪がって近寄らないが、小さい子供たちは容赦なく俺を殴りつけてくる。
プロレスごっこなんて生易しいものじゃない。
世は大冒険者ごっこ時代、俺は悪役として子供に捕まった日は散々殴られる日々だ。木剣みたいなものを取り出してくる子供もいて、頑丈じゃなければ余裕で死んでいただろう。いや、逆にそれが余計に暴力を加速させたのかもしれない。
十歳から十二歳の子供が木剣をフルスイングすれば、大の大人でも死ぬ可能性がある。だが、人の数倍頑丈な俺は文字通りサンドバッグなわけだ。頼むから角を引っ張るのだけはやめて欲しい、ちょっと痛い。
キツイものはキツイが、俺はこの交流ですらまだマシな部類だとわかってる。
人間、精神的に本当に辛いのは誰にも存在を認知してもらえないことだ。
四歳の頃、父親や村の人々が完全に俺の存在を無視しているとわかった時は言い知れぬ絶望感を覚えた。
前世の家族の元へ帰ることを考えて自分を奮い立たせたが、それでも辛かった。
なので、冒険者ごっこはかなりキツイがまだマシな部類で、大人なんて俺と顔を合わせることもしなければ、完全に空気と同じ扱いだ。
食料だって母親を通さなければ渡してもらえない。
総人口二百人にも満たない村でハブられれば、当然その輪は簡単に広がる。
村の大人で俺のことを知らないやつはいないだろう。いわゆる村八分というものだ。
ここまでは悲報ばかりだが、いいこともちゃんとあった。
五歳頃から隠れて剣術の練習を始めたが、確かな才能を実感できた。
これはもはや感覚的なもので説明できない、最初から剣が身体の一部のように自然に振れた。
“剣に愛されている”としか表現できない。それほどまでに俺の身体に剣という存在は馴染み、今では俺の最大の心の拠り所でもあった。
どれだけ村で無視されようが、母親から罵声を浴びせられようが、冒険者ごっこでサンドバッグにされようが、この場所で人間として扱われなかったとしても、剣を振っている間だけは自分が人間でいられる気がした。
こんなにも楽しく剣を振れたのは、転生して初めて良かったと思えたことだ。
剣を振る度にどこが良く、どこが悪いかわかる。そして、数回振れば修正できる。
剣を振るだけで、今自分がどれだけ綺麗に剣を振れているかが感覚として理解できる。
握る木剣が自らが望んだ軌跡を描くのは、言い知れぬ心地よさがある。
当たり前だが、剣を教えてくれる人物など存在しないので完全に独学で勉強している。
型なんて正眼の構え以外わからない上、あれは日本刀で使う構えであって、西洋剣術で使うのはまた別な気がする。
そんな訳で行き当たりばったりで剣の練習をしているが、既に木剣で大木をぶった斬れる程度には成長した。他に取った技能も影響して、かなり成長したと言える。少なくとも、もう村の大人でも俺に勝てる人間は存在しないだろう。
剣術を使って森で狩猟することもできるようになった。
食料をまともに手に入れられないうちの家では、野生動物は貴重な食料だ。
下手なやっかみを買わないように、数匹の野生動物を木剣で殺して適当に皮を剥いて血抜きをして持ち帰る。俺は猟師でもなければ、動物を捌いた経験もない。
正直味はかなり残念だが、この村では肉を食えるだけで大したもんだ。
母親は俺が肉を持ち帰れば喜んでくれていた。
ただこれには少し問題があった。それは剣の消耗を抑えられないことだ。
鉄の剣だったら折らずに斬ることもできる気がするが、現状では動物を斬ろうと思えば十数回使う間に木剣を木っ端微塵にしてしまう。
自分の身体能力をまだ制御できていない証拠だ。
早く力加減を身に着けなければ、何か事故があると怖い。
かなり強くなったと思うのだが、まだ子供なので体力には不安もあれば、外の世界がどれだけ危険かもわからない。
こんな容姿なこともあって、閉ざされた村社会というのは本当に情報収集がやりにくい。
お陰でもう八年も経つというのに、全く外の情報を集めることができなかった。
生まれたばかりの頃にここの位置情報を手に入れられたのは、相当運が良かったのだと今になって理解した。
ちなみに、まだ俺は魔法や奇跡というものを目にしたことがない。
この村には治療院があり奇跡と呼ばれる治療を主とした力を使える人がいるのだが、生憎とそれを必要とするほどの怪我をしたことがない。
そもそも、女神の奇跡と呼ばれるからには信仰心が必要なわけだ。
角が生えている化け物の子供を治療したい奴なんているだろうか?
むしろ魔族や魔物として浄化の奇跡みたいなのをブッパされかねない、あるのか知らないけど。
小さい頃の思い出でそこまで覚えていないが、赤子の頃の俺を殺そうと提案してきたのは治療院のジジイだった気もする。
うん、やっぱり奇跡を見るのは諦めよう。魔法も奇跡も呪術の才能も、全て切り捨てた俺からすれば不要なものだ。生きていればいつか目にする機会もあるだろう。
できるだけ早く村を出たい気持ちはあるが、まだ我慢だ。
この八年で築いてきた物を無駄にしたくないし、母にちゃんと恩返しもしたい。
精神的に苦しいものはあるが、もう少しの辛抱だ。
そこから四年が経過して俺が十二歳になった頃、事件が起きた。
───母親が発狂した。
化け物を生んだとして村から迫害されていた母親の精神は、長く蝕まれ続けて遂には限界を迎えて壊れてしまった。
以前から俺に当たる事はあったが。段々とその頻度が増えていることには気付いていた。
それでも、俺に当たることで母の精神が楽になって、ストレス解消になるならそれで良かった。
この人は、母親として俺がこの年になるまでたったひとりで俺のことを育てて、殺されないように守ってくれた。
こんな、視界に映すことすら憚られる化け物を我が子と呼び、愛を与えてくれた。
それはひとえに、親だからだ。
誰が顔面に角が生えていて、魔族の特徴を備え、瞳は左右非対称で、口は裂けているような人間と仲良くしたいと思うだろうか?誰だって首を横に振るだろう。俺だってそんな化け物はごめんだ。
村の人間は、誰ひとり俺を人間として扱わなかった。
薄気味悪い化け物、悪魔の子、怪物、化け物。
いつも母は言っていた。
『あなたを、普通の子に産んであげられなくてごめんなさいね』
違う、それは俺が選んだからそうなったんだ。
この世界で産まれて生きるということを真面目に考えないで、ゲームみたいな感覚で数値を決めて。そうしてこんな化け物に生まれてしまった。
俺が浅はかだったんだ。母さんは悪くない。
むしろ、俺の母親は本当に立派だったんだ。
こんな化け物ですら我が子と呼んで、愛そうとしてくれた。
そんな人物が、狂ってしまった。俺が狂わせてしまった。
言葉にもならない言葉を叫び、暴れ狂いながら周囲の物を破壊する。
あぁ、やめてくれ、母さん。
そんなことをしたら、手が傷付いてしまう。
俺のことを殴ってもいい、だから───
ふと、こちらに何かが伸びてきた。
鋭いそれは、俺の脇腹辺りに突き刺さり、鮮血を零す。
生暖かい感覚で、不思議と俺の動きも母さんの動きも止まった。
母さんと視線が合う。
胡乱だった瞳に、微かに光が戻る。
「あぁぁあぁぁァァァアアアアアア!!!!」
大粒の涙を零しながら、母は泣いていた。
先程まで、怒りを露わにしていた人が、謝罪の言葉を繰り返しながら泣いていた。
こんな風に産んでしまってごめんなさい。
あなたのことを愛せなくてごめんなさい。
父のいない母でごめんなさい。
まともに育ててあげられなくてごめんなさい。
あなたを助けてあげられなくてごめんなさい。
辛い思いばかりさせてごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
力いっぱい俺を抱きしめる母さん。
脇腹からは生暖かいものが溢れるが、次第にそれも止まる。
産まれる前に決めた身体能力のおかげだろう。
そう、俺が選んだ。
母さんは「もういい」「大丈夫だよ」といくら呼びかけても謝罪を繰り返した。
身体には何の影響も、問題もないはずなのに、心臓が苦しくて痛かった。
この世界に生まれて感じた中で、大きな痛みだった。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
───ミシリと、何かにヒビが入る気がした。
俺がこれまで抑えていた感情が溢れた。
必死に蓋をしていたものがこぼれてしまう。
砕けてはいけないものが砕けて、壊れてしまう。
俺の瞳からも、涙が流れていた。
あぁ、やっぱり俺は生まれてきちゃいけなかった。
軽い気持ちで転生だなんて挑んで、誰かの子供に成り代わって。
はは、馬鹿みたいだ。
そうして、俺はこの人を傷つけてしまった。
俺がこの人を不幸にしてしまった。
俺がこの人の元に生まれなければ、ここまで不幸にならなかった。
そうだ。
俺がこんな化け物として生まれなければ、ただの死産であったなら父親とまた子を儲けて幸せな家庭を築くことだってできたはずだ。
俺が奪った。
俺がこの人から幸福を奪ってしまったんだ。
ごめん、母さん。
生まれてきてごめん。
ごめんなさい。
俺はその日この世界に来て、初めて自分の意志で泣いた。
大声を上げて、情けないほどに泣き喚いた。
濃い暗闇の中、炎が揺れては一緒になって影も揺らめいていた。
油を塗った松明に灯る炎が、暗闇の森の中ではやけに眩しく感じる。
あの後、母親を落ち着かせた俺は村長の元へ行き母親を任せた。
村長は俺を気味悪がってはいるが、母親や村民のことは大事にしていた。
少なくとも、すぐに捨てられて殺されるなんてことはないはずだ。
暗い池を前にして、俺は決意を固めていた。
俺がここで迫害されて疎まれ嫌われ蔑まれたのは、この顔のせいだ。
目を覆いそうなほど膨れ上がった不定形な顔面。
不均一な大きさで、醜く歪んだ眼。
裂けそうな程に開かれた口元。
額から突出して変色した気味の悪い角。
何度見ても吐き気がする容姿だった。
外見の醜さよりも、自分の浅はかさが招いた結果に吐き気がした。
生きるという行為を軽視して、まるでゲームだと判断して母さんを不幸にした。
こんなものは、なくなってしまえばいい。
俺は角をナイフで切り落とし、膨れ上がった部位を切り落とし、手に握った松明を顔面に押し付けた。
不要なものが全て溶け落ちるまで、裂けた口が皮膚が焼けて繋がるまで、顔を焼いた。
何度も何度も松明を押し付けて、痛みで気絶しそうになりながらも顔を焼き続けた。
少しの火傷では強靭な肉体は簡単に自己治癒してしまう。火傷痕として二度とこの気色悪いものが再生しないように力強く松明を押し付ける。
今更何も結果は変わらない。
それでも、こうすることで俺の罪が少しでも許される気がした。
想像を絶する痛みに耐えながら顔を焼いては切り落とす。
血が溢れて服が汚れることも気にせずに。
一時間以上そうしていただろうか。
何度か池の水で顔を冷やしてから松明で水面を照らせば、そこには酷く焼け爛れた自分の顔があった。
剥き出しになって火傷した神経が尋常ではない痛みを訴えるが、それ以上に角も腫れ物もない自分の顔面に安堵した。
痛みに堪えながらなんとか包帯を巻き終えれば、酷く不気味ではあるが以前の化け物に比べればまだ幾分かマシだった。
角の部分や出来物がある箇所は念入りに焼いたが、これで生えてこないとは限らない。
包帯を巻くことができなくなれば、また切り落として焼いたほうがいいだろう。
村へと戻れば、いつかのために備えていた食料や旅に必要なものをバッグにあらかた詰め込み、鈍ら同然の鉄の剣を手にする。
剣を手に立ち上がれば、荒れ果てた家の中が目に入った。
昔はもっと綺麗で、掃除が好きな母さんが掃除してくれていたことを思い出す。
気が付けば荷物を床に置いて、掃除をしていた。
床に付いた血を拭き取り、長い間溜まっていた埃を掃いて捨てた。
ボロ布で雑巾がけをして、最後に花瓶に花を添えた。
数年前から暮らしていた自分の家。
この世界で、自分が唯一帰ることができる場所だった。
でも、俺は今日それを捨てて出て行くのだ。
これまでずっと迷惑をかけてしまった。
外の情報は足りないが、生きていくのには十二分に強くなったはずだ。
この世界には冒険者という職業がある。斡旋された仕事を受けて魔物を殺し、あらゆる仕事をこなして日銭を稼ぐ者たち。
もうこれ以上の迷惑はかけられない。俺は俺の力で生きていこう。
俺がここを離れれば、母さんも迫害されることは減って、心労は少しでも楽になるはずだ。
このまま村を出ようかと考えて、最後に母親の顔を見ようと村長の家を訪ねた。
俺の顔を見た村長は驚いたようだったが、何も言わなかった。
眠っている母は苦しそうな顔をしていた。
まだ、俺を化け物として産んでしまった罪悪感に苛まれているのか。それとも───
しばらくの間迷ってから、俺は眠る彼女の手を握った。
「母さん、俺を産んでくれて、今まで育ててくれてありがとう。ごめん……もう俺は大丈夫だから。自分の力で生きていくよ。心配しないで」
「俺は、母さんの元に生まれられて幸せだった……いってくるよ」
少しだけ、母さんの表情が穏やかなものになった気がした。
まだ暗い夜の内で、蝋燭の心もとない明かりによる見間違いだったかもしれない。
出発の直前に村長と幾つか話をした。母親以外の人間と話したのは、数カ月振りな気がする。
「母さんのことを頼む。稼ぎが入れば仕送りをする。だから、母さんが不自由なく生活を送れる様にして欲しい」
貨幣が詰まった袋を差し出す。
こつこつと狩った動物を時折来る商人に格安で買い取って貰い溜めたもの。これで数ヶ月の生活費には困らないはずだ。
「そうか……わかった」
村長は驚いた様子だったが、頷いて金を受け取った。
村長のことは生まれてから長く見てきたが、責任感が強くて俺のことも他の住民よりはマシに扱ってくれていた気がする。村長を任されているだけあって、信頼ができる人物だ。
それと、これはおそらくだが俺の力にも気がついていた上で黙ってくれていた。
この人なら、母の存在で金が定期的に入ってくるなら邪険には扱わないはずだ。
「定期的に様子を見に来る。もしも、母さんに何かあれば───」
実際に戻ってこれるかはわからない。
厄災を止める為の旅にでなければいけない。だから、これは脅し文句だ。
そうして脅し、捲し立てようとした時、意外にも遮られた。
「お前の母親のことは任せろ。それと、冒険者を目指すなら南に降れ。首都の方には大きな迷宮と、それを取り囲むように都市がある」
驚いた。俺が冒険者を目指していたことを悟ってたのか?
いや、俺が冒険者になるしかないってことをわかってたのかもしれない。
「……助かるよ。母さんのこと、頼んだ」
「あぁ」
この人とも、こんな容姿でなければもっと真っ当な関係を築けたのかもしれない。
「お世話になりました」
ぺこりと頭を下げて、俺は村の出口へと向かった。
家の部屋の掃除で時間が経ち、外はやけに明るかった。
日の出が出立を祝うようにして照りつけるが、そんな輝かしい気持ちは欠片も抱く事ができなかった。
胸に募るのは罪悪感ばかりだ。それでも、俺は使命を果たさなければならないし、もうここにいることはできない。
厄災を倒したら、死のう。それが生まれてきてはいけなかった俺の、せめてもの償いになるはずだ。
行こう。
きっとこの容姿でまた苦労することもあるだろう。
でもそれは俺の戒めで、俺がこの世界で生きるという証でもある。
俺は、初めて村の外へと踏み出した。