ゆっくりと唇を離した彼女の視線は、周囲の司祭や教皇達へと向けられた。
聖女の毅然とした力強い眼差しに、彼らは怯えを混ぜた反応を返す。
当然の反応だ。もうこの場で、この国で彼女に勝てる人間は存在しない。
「何を……役目を、放棄する気か」
「ごめんね、教皇様」
「それでも信徒か!?あらゆるものを与えられ、この国に育ててもらった恩義を忘れたか!」
「でも、それを与えたのはあなたじゃない。この国のみんなが与えてくれたものだよ」
この場の力関係を理解している故に、誰も聖女に手出しはできない。
致命傷だったはずの傷は、聖女に抱きしめられて光が溢れた瞬間に全て癒えていた。相変わらずイカれた奇跡の出力である。
こいつは、その気になれば簡単にこの場を逃げ出すことができた。事前に逃げるのも容易い。そうしなかったのは、贄とされる役割を受け入れていたから。
つまるところ、聖女に生きる意思があるかどうかが重要だった。そして、生きる意志を固めた以上、後はもうどうするのも彼女の自由だ。
「……いいのか?」
「いいよ。別に、誰かを恨んでるわけじゃないから」
彼らに何かしらの報復を望むのではないかと不安を抱いていたが、聖女は拒絶の意思だけ明確にすれば、それ以上は何もしなかった。当事者がそう言うのであれば、何も言うことはない。
「封印は、後どれだけ持つんだ?」
毎回限界ギリギリで封印を更新してるわけではあるまいし、即座に封印が解かれるということはないはずだ。もし予想と違えば、刺し違えてでも倒す覚悟ではある。
「保証できるのは五年、かな」
五年、短いようだが十分な時間だ。災厄が訪れるまでも恐らく五年、多少の時期のズレはあるだろうが前世で二十一歳間近の時に魔王と戦うことになった以上、二十歳前後で考えていいはずだ。
未だ、魔神が災厄である確証はない。魔神以外に災厄が存在する可能性もあることを踏まえれば、四年以内に魔神の封印を意図的に解いて討伐するのが理想。
流星女や優男くんもおらず、魔王が神器と呼んでいた流星剣も光の魔剣も存在しない。それでも、聖女を連れ出して、自由に生きる未来を手にするなら魔神を倒すしかない。そうしなければ、他に適性がある者が人柱にされるだけだ。
たったひとりの犠牲すら許容しなかったにも関わらず、他の誰かに押し付けるのでは納得できないし後悔が残る。この選択をした以上、魔神は絶対に倒す。
俺も聖女も成長途中、災厄と違って魔神に関してはこちらがタイミングを選んで準備をして戦うことができる。今ここで倒す選択肢が取れずとも、将来勝てる見込みは十分にある。
「四年以内に魔神は必ず倒すと約束する。だから、他の誰かを犠牲にするような真似はしないでくれ」
「何を訳のわからないことを───」
教皇や司祭達は納得できない表情だった。
彼らからすれば、ここで聖女を逃がせば将来的に政敵として脅威になる可能性があり、政策上の恨みもある。魔神を倒せるかも確定じゃない、他にも不安要素は多数ある。聖女を犠牲にするだけで全て丸く収まり、倒すことに拘る理由がない。
後々上手に丸め込むのは聖女や後ろ盾となってくれた枢機卿に任せるか。
「魔神を倒すまではこの国に関わらない、倒した後もな。だから、倒す時にだけ力を貸して欲しい。それ以外では一切俺も彼女もこの国に関与しない。約束する」
「もしも、あんたらが他の誰かを犠牲にするなら、地獄の果てまで追いかけて後悔させてやる。わかってるだろうが、俺はここに来るまで団長も他の教会騎士も片付けてきた。あんたらの首を刎ねる程度は造作もない」
脅しでは済まないと意思を示すように、明確な殺意を向けて聖剣を突きつける。
実際は大分手加減してもらって通して貰ったんだけどな。
これも騎士団で稼いだ人徳のお陰か、全部裏切る形になったけど。
本当に殺し合ったら流石に負けるので、かなりのハッタリである。
「っ、好きにせよ……どこへでも……この国から出ていくがよい」
教皇は忌々しげに吐き捨て、聖女は申し訳なさそうに小さく頷いた。
こうなることはわかっていた。
彼らにしてみれば、生かすメリットが何も無い。聖女をこれまで自由にしてきたのも、今日ここで死ぬ予定だったから。それがいきなり反旗を翻すとは想像してなかったはずだ。
加えて今の俺達は彼らからすれば厄介極まりない存在である。力でどうにかしようとすれば甚大な被害が生まれ、勝手に魔神を倒すとか言ってるんだからな。力で抑えられない以上、どの道こちらの要求を飲む他ない。
四年、四年以内にこの国に戻って決着を付ける。この国に残るのは聖女の影響もあって教会側が許さない。正面から争い合えば負けはしないだろうが、それ以上に国を混乱させるし最悪の場合戦争にもなりかねない。
彼らが許せるのはあくまでこの場からの逃亡までだ、国に留まれば争いの火種にしかならない。彼女が隣で生きてくれる、それだけで今は十分だと思えた。
「行くぞ」
指先を絡め硬く結ばれた手のひら。自分も応じる様に強く握り返せば、恥じらうように聖女の肩がぴくりと跳ねた。
扉の先では、既に万全な状態の団長さんの姿がある。相変わらず戦線復帰の速いことだ、ものの十分も経ってない。
一瞬だけ身構えたが、礼をするのみで戦意はなかった。
戦っても結果が見えているし、本心では戦いたいはずもない。
「覚悟を、決められたのですか?」
恐る恐る伺う団長さんに、聖女は申し訳なさそうに眉を下げた。
「うん……ごめんね、迷惑かけちゃうね」
「そう、でしたか」
団長さんは顔を伏せたが微かに上ずった声から涙してると気づいた。
誰よりも彼女の生を願っていたひとりなのだから、嬉しいに決まってる。
個人の願いと職務で挟まれるのは、団長さんからすれば胃に穴が空くほど苦しかっただろう。その割にはかなり全力で殴り飛ばされたけど。
「いいえ……後のことはお任せください。どうか、自由に生きてください。あなたの心が望むように。何にも縛られず。大切な者の隣で」
そう言う団長さんの顔は、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔だった。
「うんっ……うんっ……!ありがとう……」
聖女はまたぽろぽろと泣き出して、団長さんに抱きついた。
頭を撫でる団長さんの優しい眼差しは、ひとりの娘を想う父親のものだった。
これまでの幾つもの感謝を伝える聖女と、優しくそれを受け止める団長さん。彼女が聖女となった時から、その運命を知りながらずっと傍にいたんだ。正直に伝えられなかったことは幾つもあっただろう。
しばらくは二人で話させてあげよう。
親か。二人のやり取りを見ながらある意味、今世は孤児で本当に良かったと感じる。
家族というものは、どうしても重く心に根を張るものだ。自分を育ててくれた人を見送る経験は、何度もしたいものじゃない。前世の時も、なんだかんだ暫くの間落ち込んでしまった。
そんな事を考えていれば、ひと通り話し終わったのか戻って来る。
儀式に乱入した時も泣き、団長さんとの話でも泣いていた聖女の目は赤く腫れていた。
今日は泣きっぱなしだな、こいつ。
「ごめんね。待たせちゃった」
「もう、いいんですか?」
これは、どちらかと言えば団長さんへの確認だ。
「構わない。今生の別れという訳でもないさ、四年後にまた会うことになろう」
「そう、ですか。なら───」
「彼女を、お願いする」
戦っていた時よりも真剣で、熱い眼差しで深々と頭を下げられる。
これは悲しませて泣かせたら、どうなるかわからないな。
少なくとも悲しませる予定はないので安心して欲しい。
「はい。任せてください」
正直、今にも疲労でぶっ倒れそうだったが、できるだけの笑顔で応じた。
流星女には両親と呼べる両親もいなかったから、こうして誰かを託されるというのは少し新鮮だ。
その後は団長さんが隊長格だけ残して騎士達を解散させ、残った者にのみ真実を伝えていた。
中には感極まって号泣する者もいたりしたが、それ以上に自分達の世代で魔神という五百年前の怪物と対峙する事へ闘志を燃やしていた。一応残ったメンバーには攻撃した事を謝ったのだがそもそも大して気にもされず、また今度手合わせをと願われた。
やっぱイカれてるわ、うちの騎士団。
他にも色々と後処理はあったが、元々聖女が死ぬつもりで引き継ぎを進めていたこともあってあっという間に終わり、夜には馬車で国外を目指す事に決まった。表向きは聖女は今日で引退、次の適任者はまたお告げが来るまで不明……という扱いだが、聖女を決める理由もなくなる可能性があるので、どうなるかはわからないな。
四年後の決戦については枢機卿と手紙のやり取りをしながら進める予定で、進めていた業務も大方枢機卿に引き継がれた。最後に挨拶にだけ向かったが、驚きながらも祝福してくれた。
諸々の連絡も終わり、後はもう馬車のある停留所に向かうだけだ。
怒涛の一日で死ぬほど疲れたが、一年間逃げ回ったツケとしては安く済んだ。
大体のことは終わったのだが、なんか忘れている気がする。
「どうかした?」
隣を歩いていた聖女が疑問符を浮かべている。
「あ」
団長さん達に見送られる中、俺は振り返って伝え忘れていたことを伝える。
「最後の技、今度振る時は軸足を半歩下げてみてください」
珍しく、驚いた表情を浮かべてから穏やかに笑った。
「師と、同じ事を言う……教わったのが師の晩年で。つい忘れていた。今度は覚えておくと約束しよう」
何だ、ちゃんと覚えてたんじゃないか。
すっかりと夜更けを迎えたが、未だ聖都では生誕祭の明かりで満ちている。
光から逃れて闇に紛れるように、人々の楽しそうな歓声を背にした。
最低限の荷物を担ぎあげる。ローブに身を包んだ聖女の手を引き、停留所へと向かう。
「なんだか、まだ信じられない。明日も世界が続くなんて」
浮ついた声色は、彼女にしては随分と気が抜けている。
「そんなものじゃないか?誰も、明日を迎えられる確証なんてないからな」
同じ今日は、今この瞬間がまた訪れることはない。だからこそ、みんな今を必死に生きるんだ。
まあ、現実感がないのも無理もない。実行した自分自身、馬鹿なことをしたと思う。
本当におかしな話だ。
元々は冒険者を目指すはずが、この女に教会騎士にされてしまった。教会の中で地位を手にするはずが、今度はそれすら投げ出して今は騎士としての地位も何も残ってない。これまで積み上げたキャリアが全てパー。我ながら本当に馬鹿過ぎて、頭おかしいと言われても否定できる材料はない。
「でも、後悔してないんだよなぁ……」
不思議と、考えていた本音が口から漏れていた。
慌てて聖女の反応を窺えば、笑顔を浮かべていた。
怒涛の一日で知能指数が低下した俺は、ただただ可愛い笑顔だな、と思う。
「喋り方」
「え?」
「変わったね。それが素なの?」
あぁ……そう言えば、自分も気が付かない内に前世の若い頃の喋り方に寄ってたな。
あの喋り方や人の良さそうな感じも意図してロールプレイしていただけで、もう聖女に隠す必要もない。一人称も、今は違和感なく俺と言うことができる。顔的に似合わないのは変わらないが。
無意識に優男くんを参考にしていた面もあったからそこそこ受けは良かった気がする。
「まあ、そうかもな」
「それでいいと思うよ。今までの君と違うわけでもなくて、あの夜の時の君でもない……自分に正直になれた?」
「そうじゃなきゃこんな馬鹿なことしない」
本当にな。
「ありがとう。助けに来てくれて」
「助けに、助けたのか?」
逃げようと思えばいつでも逃げられたんだよな。
最後に、生きようと決めたのはこいつ自身で、俺はその後押しをしただけだ。
「助けたでいいの!その方が、あの小説みたいでしょ?」
「騎士はクビになったけど」
何ならこいつも最早聖女ではないのでただの無職二人である。
これからの身の振り方も、きちんと考えないといけない。
「私はまだ君を解雇したつもりはないんだけどね」
「なら、これからは教会騎士じゃなくて、お前の騎士だな」
冗談めかしてそんな事を口にしてみる。あの小説の内容なんてわからないが、こいつが好きならきっとハッピーエンドなんだろう。
さっきまで隣を歩いていた聖女が、少し早歩きで俺の前に躍り出てくる。暗闇の中、生誕祭の明かりで照らされた彼女の表情は、綺麗で、可愛らしい。それでも何処かどろりとしたものを感じさせた。以前までの彼女とは少し違う、粘着質で、不安に揺れた瞳。
「そう。これから、君は私だけの騎士なの」
「私の、私だけの騎士。だから、わたし、君の為なら───」
胡乱な笑顔で、頬に手が添えられる。
何か、嫌な予感がした。前世で流星女を嫉妬で怒らせた時に似てる。
両肩を掴み、逃げずに正面から視線を合わせる。
こいつの全てを背負うと言ったのは自分だ。
「間違っても、もう二度と誰かの代わりを演じようなんて考えなくていい。そんな事をさせる為に、お前に生きて欲しいって言ったわけじゃない」
「あ、ぅ───ズルいよ」
口をパクパクとさせて、黙り込んでしまう。
今日一日で色々ありすぎた。精神的に不安定になるのはある意味当然だ。
それでも、俺はこいつに流星女の面影を重ねて自分を慰める道具にしたいわけじゃない。
あの白い夢の中で、笑顔を、こいつが幸せに生きる姿を見たいと、ただそう思ったんだ。
「私ね、君に何を返したらいいかわからないの。聖女でもなくなって、権力もなくして……君にあげられるものなんて、なにも……」
「見返りを望んだ訳じゃない。傍にいてくれれば、それでいい」
「ズルいね、君は」
その後はめっきり黙り込んでしまい、不思議な空気のまま停留所に着いた。
停留所は生誕祭から帰る人が大勢で、怪しまれる余地はまるでない。一応は追撃を警戒していたが、大丈夫そうだ。
馬車を待っていれば、空から白い粉が降ってくる。
雪だ。この時期は珍しい事じゃないが、彼女の誕生日はいつも雪が降る。
寒さを誤魔化すように、ぎゅっと握られた手はそのままだった。
ふと、肩を寄せた聖女に身体を預けられる。
彼女は何も言わず、俺も何も言わなかった。不思議な沈黙がお互いの間には流れていたが、気まずさは特にない。生誕祭を楽しみ、これから帰路に着く周囲の喧騒に耳を傾けながら、静かに彼女の体温を感じた。
少しして、馬車が来る。前世の馬車はガタガタと揺れて正直好きじゃなかったが、最近の高額な馬車は振動が抑えめで比較的休める方だ。
「ほら」
「ん……」
何故か動かない彼女の手を引き、馬車へと乗せる。
完全に気勢が削がれて、大人しくなってしまった。
対面に座らせようとすれば、何も言わず隣に座って来る。
馬車はここからそれなりに距離がある都市まで向かう。どうせ明け方まで着くことはないので、せめて休めるようにと毛布を取り出した。お互い身体は丈夫なので簡単に風邪には罹らないが、あったかくするのは大事だ。今日は特に寒い。
しばらくの間馬車に揺られていると、聖女が曇った小さな窓ガラスに指文字を描き始める。
何となくそれを目で追っていれば、聖女はぽつりと口を開いた。
「これから、どうしようか」
お金はここ数年困らないだけあるが、魔神や災厄に備えようと思えば桁が二つか三つ足りない。現状は無職で、こいつの身分を隠しながら生きる以上は何処かの国の要職になって大金を稼ぐことは難しい。
身分を気にせず仕事ができ、地位と権力を獲得できて可能であれば金も稼ぎたい。そんな都合のいい職業、普通は存在しないんだけどな。
「身分も地位もない人間が選べるものは多くないからな、冒険者になるつもりだ」
冒険者は、実力があればそれが叶う仕事だ。
今の俺と聖女の実力なら、一級までは簡単に昇格できる。
思わぬ形での軌道修正だが、初期のプランに戻ってきたわけだ。脇道に逸れてた時間が長過ぎるが。
「冒険者、いいね。私、冒険してみるのも夢だったから」
儚げに笑う姿は、やはりまだ何処か不安感を漂わせている。
外の雪景色に混じって消えていきそうな、そんな気がした。
「一応、それ以外でも───」
「私ね。わからないの、明日も生きていっていいのか。どうしたらいいのか」
顔を伏せた聖女は以前までの圧倒的な自信に満ちて、自分が絶対に正しいと他者を従わせるようなカリスマ性も、計算高く先を見通すような眼差しもなかった。ただ、親とはぐれて迷った子供みたいな。そんな印象を抱いた。
「今日まで、生きていけばいいんだって。だから、頑張ってた。忘れられたくないって……でも、急に明日からも生きていいだなんて言われて、私、どうしたらいいかわからないの。私が生きてれば沢山の人が死んじゃうかもしれない。四年後に魔神を倒せないかもしれないのにどうしようって……」
自身の手のひらに目を向け、揺れた目で不安を漏らす姿に胸が苦しさを覚える。
今日は、ある意味で聖女のゴール地点だったんだ。マラソンや受験、何でもいいが人は目標地点から逆算して力を尽くす人間が多いだろう。だからこそ、こいつは今日まで完璧な聖女という役割をこなして走ってきた。今日という終着点に忘れられたくないという目標を抱えて。
それが、突然終着点が遙か先まで消えてしまい、明日からも生きる事になった。
そして、それを願ったのは自分だ。
なら、騎士として、願ったものとして、こいつの不安を解消する義務がある。
「言っただろ。俺はお前の騎士だ、誰のものでもない。俺の意思で選んだ、一緒に生きて欲しいと言った。他の誰でもない、お前だから。あの痛みから救い出してくれたお前だからだ。何があってもお前を守る、一生傍にいる」
本当、柄じゃないセリフだと思う。
「……お前の一生に責任を持つって言ってるんだ。それでも不安か?」
正面から力強く抱きしめられる。仄かに甘い香りがして、押し付けられた体重からは彼女の重さを全身で感じた。やっぱり軽いな、なんて考えながら腕を回して、長い髪を梳いた。
これまで封じ込めてきた思いは沢山あるはずだ。死への恐怖も、今日生まれた明日への重みも、どんなものでも、願うなら一緒に背負わせて欲しいと思った。
それにしても今日は泣かせてばかりだ。このままじゃ団長さんにぶっ殺されるな。
「私、前みたいに役に立たないよ」
「今まで十分助けてもらった」
今度はそれを返す番だ。
「魔神を倒せなかったらどうしよう」
「俺が命に代えても倒す」
他の犠牲だって出させやしない。
「怖いよ」
「怖くなくなるまで、隣りにいる。俺はお前の騎士だ」
ふと、前世で、流星女に言われた言葉を思い出した。
「本当にお前が進む先もわからなくなったら、その時は俺がお前の手を引いてやる」
ひと際抱きしめる力が強くなり、いい加減首の辺りが痛い。
それでも、やめて欲しいとも嫌だとも微塵も思わなかった。
「沢山の責任から逃げ出して……みんなを死なせちゃうかもしれないのに。私、君とこうしていられる今が凄く嬉しい」
「私たち、最低だね」
正しいか正しくないかで言えば、大勢の命を危険に晒す行為が正しい訳が無い。でも、正しさが彼女を殺してしまうなら、そんな正しさはどうでもいいと叫んでやる。
「……そうかもな。共犯だ」
去年の誕生日、結局俺はこいつに踏み出す勇気も出せず、ネックレスを付けることもしなかった。
俺は、これが未だに恋愛感情なのか、親愛から来る庇護欲なのかはわからないでいる。
……いや、違うな。まだ全部認められるだけの準備ができてないんだ。
キスをしておいて何を今更と思うが、自分の中でこの境界線を曖昧にしたくない。
いやまあ殆んど伝えたみたいなものだが、それでもちゃんと、はっきりと口から伝える時はあの場を訪れてからにしたい。
それでも、長い間待たせるとどうなってしまうかは自分が良く知っている。
五年待たせた流星女は本当に酷いことになった、付き合った直後が特に。
だから、ちゃんと行動だけでも示すべきだろう。
「悪い、少しじっとしてて」
抱きしめられたままの彼女のうなじに手を回し、髪をあげてゆっくりとチェーンを通す。
去年の簡単なお守りとは違って、今年は誕生日に貰ったお返しも含めたちゃんとしたものだ。
どんな威力であれ、致命傷の一発程度なら防いでくれるだろう。お陰で貯金が三分の一ほど消し飛んだが。
「これ……」
「来年、贈ったものを付けるって言っただろ」
以前は見慣れなかった驚いた表情は、今日一日で随分と慣れてしまった。
誕生日、日付的にはギリギリだがちゃんと間に合って良かった。
「誕生日、おめでとう」
見開かれた金の瞳は、空に浮かんだ満月によく似ている。普段、大勢の為に向けられるその眼差しが、今はただ自分だけに注がれていた。
人形でも再現できないほど精巧で美しい彼女の顔は、間近で見れば見るほど少女という枠組みから女性に近付いていることを意識させられる。驚いた彼女に見惚れていれば、余りにも自然な形で唇を重ねられる。
ほんの一瞬、触れるだけの口付け。
「好き」
そう、一言だけ。
万感の思いが込められたその一言は、先程までの弱気な姿はない。
むしろ、以前の様な力強さと、万人を惹きつける魅力があって。
「勝手に諦めてたけど、やっぱり嫌だ」
「私、やっぱり君が好き。だから、君に一番に覚えていて欲しい、他の誰かなんて視てほしくない」
「お、おい?」
「そう思ったら、怖がったり、不安がったりしてられない」
もしかして、なにかまずいスイッチを踏んだかもしれない。
さっきまでの後ろ向きなのよりは良いけど、これはこれでヤバい気がする。
初めての誕生日の次の日、護衛騎士にすると宣った時に魅せた、あの自信に満ちた笑顔を浮かべる。
「いつか、君の頭の中、私でいっぱいにしてみせるから」
それについては割ともう叶ってるんだけどな、とは言わなかった。
その後は、ひと通り彼女の猛攻に困らされてから今後の方針を決めた。それまでの落ち込みぶりや不安は何処へ消えてしまったのかというほど、いつも通りの聖女様に戻っていて俺の悩みは何だったのか。
冒険者を目指すのは賛成ということで、ひとまずは近隣の国で冒険者としての地位を築きながら生活をする。四年という時間は長い、前世では冒険者としての知識を付けながらでも四年で一級冒険者になることができた。要領の良い聖女なら俺が教えれば簡単に必要な知識を身に付けられるし、前世のノウハウで一級になることは難しくない。
どの都市を拠点にするかは議論の余地があるが、ひとつだけ行きたい場所がある。
それは、前世の自分と流星女の墓。その時に、過去のことも洗いざらい話す覚悟だ。
もう殆んどバレてるような気もするが。
正直、これからのことに不安や悩みは尽きない。
それでも、隣にあるこの暖かさと重みを思えば、後悔なんてしようがなかった。