あの国を脱出してから三ヶ月、俺達は名声上げと資金稼ぎも兼ねて他の国で冒険者としての活動を始めた。
冒険者は本来十級から開始するが、今回は時間もないので地道に上げることはせずに周囲へ実力を認めさせて四級まで昇級した。
ギルドマスターが独断で昇級させられるのが四級なので、最速で上げられる限界だ。
ギルドマスターの独断の昇級権限は本当に特別な権限で、冒険者の昇級というのは六級以上は協議の上で決定される。依頼を何回達成したからはいどうぞと昇級してもらえるものでもない。
ギルドマスターも四級まで上げることは大分渋られたが、去年ギルドが討伐を逃した竜を二人で連れて来たのは流石に効いてトドメになったようだ。大分胃が痛そうだった、ごめんなギルドマスター。
そんな訳で半年も満たない間に俺達二人はその後も昇級し三級冒険者として名を挙げて、時の人である。
一級と違わない実力に聖女は言わずもがなの美貌、俺も今世では見られる外見で振る舞いには気をつけているので、あらゆる意味で話題に事欠かないだろう。
最初は面倒な連中に絡まれたりもしたが、聖女が奇跡を行使する姿を見たら誰も寄り付かなくなってしまった。
冒険者としても活動しながらだったが、聖女は初めての他の国での生活だったので実に楽しそうにしていた。
前世では流星女と色々な国を巡ったが、何分落ち着いた旅ではなかったのでこういうのは新鮮で自分も楽しかった。
聖女が隣で嬉しそうに、幸せそうに笑う度、自分もまた心から笑えた気がした。
旅路自体は大変順調に進んだが、俺はひとつだけ許せないことがある。
前世の生まれ故郷である連合国へ近づいた頃、死んだ後に自分がどういう風に喧伝されたのか気になって調べてみたのだ。
これでも魔王を討伐したメンバーのひとりなのだから、醜い包帯野郎でもそれなりの評価をされてるはずだと。
予想通り、歴史書や高名な冒険者を纏めた本では高い剣の実力や類まれな身体能力を評価する旨が記されていた。
他には魔王を討伐した事や、優男くんと親しかったこと、流星の二つ名を有する階位冒険者である流星女と結婚したことまで詳しく書かれていた。
その中で、俺が包帯をしていた理由が問題だった。
挙げられている理由のひとつは酷い火傷跡や魔物と判別されかねない容姿であった可能性。
もうひとつがひと目見ればどんな女性も射止めてしまう様な、とんでもない美丈夫でそれを隠すためであった可能性が挙げられていた。
おう、ふざけんな。そんな美男子だったら前世であんな困らなかった。
人間はつまらない結論より意外性のある面白い説を好むものだ。
大して気にはならなかったがなんとも言えない気持ちになった。
せめて数世紀後にゲームや漫画で女体化されてないことを祈ろう。
前世の生まれ故郷であった連合国の国境を越えた。
この先の幾つかの都市を越えれば、前世の生まれ故郷とそのさらに先には骨を埋めた場所がある。
俺の妙にざわつく心境とは裏腹に、聖女は相変わらず道中の景色を楽しみ、初めて見る食べ物に興味津々だ。冒険者として必要な道具や消耗品の出費以外だと聖女の食費が一番かかってる気がするな。
十五歳で終わると信じていた先を、この一瞬を謳歌する彼女の姿は眩しく、見ているだけで元気を貰える。
前世の自分と、流星女が眠る墓。それを前にして、俺は何か変わるんだろうか?
今更向き合う勇気がないとか、そういう訳ではない。
俺は聖女を好いている。多分この感情は、愛してると言い換えても構わない。聖女からも、同じ感情を向けられていると思う。
過去を理由に今を蔑ろにしないと誓ったが、逆に今を大切にする為に過去を捨ててしまうのも違う。だから、これがただ自分の自己満足のケジメでしかないとしても、流星女にはちゃんと全て伝えたい。
俺が他の女性を愛することを、どう思うのだろうか。悲しむか、寂しがるか、恨むだろうか。あるいは、二周目の俺のことなどどうでもいいと、強がるだろうか。
「また、困った顔してる。昔のこと?」
馬車の外へと向けられていたはずの聖女の眼差しが突き刺さり、目敏くこちらの心情を探り当てられる。
聖女は流星女のことや、俺が普通の生まれではないことを薄っすらと察してる。
転生していることまでは気づいてないと思うが、ただの子供が抱えるには大き過ぎるトラウマに苦しむ姿を散々見せてしまった。少なくとも普通の十五歳と考えてないのは確かだろう。
「別に困ってるわけじゃない……ただ……」
無垢な瞳で心配される。目の前の少女を愛おしいと思う自分の感情をかき乱す。
「そっか。ならよかった」
何かを察したのか、からりと笑う聖女の笑顔はもはや眩しい。あの日以降、キスはしてない。
自分から何か言った訳じゃないが、気持ちの整理ができるまで待ってくれている。
結局、俺は流星女の言う通り待たせる事が多い人間だったな。
最近、聖女に対人戦の指導を始めた。なぜ対人戦なのかといえば、対人戦のノウハウは知能の高い魔物や魔族との戦闘で活かすことができる。
魔族は言葉を操り、人らしい感情も有しているが根本的に思考が違う。
あいつらは種を繁栄させるという生物の原則にのみ従って行動し、その為に他者を害することに一切の躊躇や戸惑いが存在しない。
中には極稀に人間と敵対を選ばない個体や、前世の魔王の様に深く人間感情を理解できる個体も現れるが、基本的に人類からの扱いは意思疎通が不可能な怪物だ。
魔王は、本当に特殊な魔族だった。人間の感情を深く理解してる他に、人類側の神やあいつに力を与えた存在のこと。
今のお互いの実力は貰った聖剣込みで七割程度。素の実力で戦った場合は三割まで落ちる。
前世の全盛期の自分でも聖女には安定して勝てない気がするな。逆に言えばそれだけ貰った剣の性能がイカれてる。
純粋な出力や戦闘能力だけで考えれば、自分は聖女よりも格下だ。だが、前世で殺し合いに近いレベルの斬り合いを日頃から強要されてたのもあって、一対一の対人戦が得意で勝ち越している。魔物相手や大軍での有用性では聖女とは比べようもない。
煩雑な思考を切り上げ、準備完了の合図を送る。
合図を送ったとほぼ同時に、光で形成された槍がレーザーの様に飛来する。
だが、それを聖剣が弧を描いて捉える。
光で構築された槍が弾け、霧散した。
刹那の踏み込み。残像を残しながら瞬きの間に距離を詰める。
対応しようと聖女が人差し指を下へ弾けば、幾つもの光の槍が聖女の頭上に呼び出される
一本一本が簡単に人を木っ端微塵にできる威力を秘めた殺意の塊。彼女はそれらを何の躊躇もなく掃射した。
回避は最低限しか必要ない。
祝福で底上げされた身体能力、迫る槍を一閃で尽く斬り伏せ、躱し、くぐり抜けて肉薄する。
距離を詰められた後衛は何もできないと思われがちだが、この世界の強者は近接戦も強い。そして、聖女もその例に漏れることはない。
彼女はパンッと手を合わせ、手のひらの間から光で構成された剣を取り出す。
下からの逆袈裟と打ち合えば、自然と鍔迫り合いの形に移行する。
流石に武器性能も技量もこちらのほうが上だが、純粋に祝福による力押しは彼女の方が上だ。
数合の打ち合いの末、最後は剣を陽動に体術で聖女を地面に転がし、逆手で剣を首筋に添える。
剣士だからといって剣に拘る理由はない。流星女も体術は良く使ってたしな。
あんな高度の奇跡を使いながら身体強化の祝福も使って近接戦闘とか普通は無理なはずなんだが。
聖女の奇跡の才能に関しては、流星女の剣術みたいなものだろう。
そもそも、素の身体能力には結構差があるのになんで力負けするんだ?
「また負けちゃった」
悔しさに口先を尖らせ、明らかに不満を示している。
「この剣なしでやったら負けてるっての」
「それはそうだけど。悔しいものは悔しいの」
起こしてと言わんばかりに手をぶんぶんとする少女へ手を差し出せば、ありえない力で引き込まれ視界が回転する。祝福を利用して聖女に腕力で引き倒されたらしい。
「捕まえた」
悪戯な笑みで俺を押し倒し、馬乗りになった少女からは仄かに甘い香りが漂う。
以前と違い女性としての特徴が明確な肉体。密着した四肢から伝わる全身の柔らかさ、あらゆる要素が理性をガリガリと音を立てて削っている。
どういうつもりだ、と問いただそうとする声は指先でそっと抑えられた。
「たまには仕返し」
蠱惑的に細められた眼だったが、向けられた感情は純粋なものだった。
こちらの都合で待たせてるのは事実なので、やり返す気にもなれない。
「悪い」
倒れた自分へと、そのまま身を預ける聖女。
風に吹かれる草原の上で、共に靡く彼女の長い髪を梳いた。
「いつもこうやって髪触るけど、好きなの?」
言われてみれば、こうして聖女の髪に触れる機会が多い気がする。
嫌がられないから抱きしめられたり、くっつかれた時はいつもこうしてたが思い返すとまあまあキモい気がするな。もしかして嫌だったのだろうか。
「嫌だったか?」
「ううん。好き、もっとして欲しい」
弾んだ声色は疑いようなどなく、幸せに満ちた表情からはもっとと急かされてる気さえした。せめて返せるものだから。彼女に言われるがまま、長い水色の髪を梳いて撫でる。
うるさいほどの互いの胸の鼓動が、響き合う。徐々にそれが重なり合ってひとつの音になるまで、俺達はそうしていた。
五十年近い年数が経過したにも関わらず、街並みは殆ど変わっていなかった。
この時代の片田舎の五十年の変化はこんなものだろう。
変化したのは自分と、この土地に住んでる人の顔ぶれだけだ。
その事実が、自分の心に波紋を起こす。
痛みはない。苦しくもない。ただ、静かに受け入れざる得ない事実の重みを感じて。
聖女は何も言わず、俺の手を握った。彼女はこの場所を目的地にしていた事は知っている。
言葉のない気遣いが、少しだけ落ち着きを取り戻させてくれた。
覚えのある通りに、看板は変わっても覚えのある店の数々。
何度も食材の買い出しに出かけたり、子供たちを連れてこの通りを歩いた。
流星女を怒らせて、ここを走って追いかけたこともあった。
花屋で一緒に花を選んだり、露天で鈍らの剣を掴まされたりもした。
一歩一歩を踏み出すだけで、様々な記憶が呼び起こされる。
大切な記憶、今の自分を形作った色鮮やかなものの数々。
聖女と手を繋ぎ、すれ違う人々の中を歩いた。
まるで何かをなぞる様に、誰かを追う様に。
包帯の剣士と、その隣を歩む金の髪を垂らした女性の幻影。
これが最後。そう、確かに心に決めて過去の思い出と向き合う。
確かな足取りで、丘の上へと向かった。
街を一望できる場所に建っている建物。
宿舎を併設した道場とこじんまりとした一軒家。
そして、その隣に立てられた二つの墓。
ひとつだけが違う景色。それ以外は、忘れがたい記憶の時のままで。
ここに立っていれば、あいつが迎えに来てくれる気がした。
たまに帰りが遅くなると、どこで油を売ってたのかと問い詰められる。
そんな幻想に取り憑かれてしまうほど、かつて帰るべき場所は変わらない姿だった。
ゆっくりと、建てられた墓石の前に近づいた。
石に刻まれた名前はかつての自分と、流星女の名前だった。
───あぁ、そうか。死んだんだ。
あいつの墓を前にして、初めて心から実感した。
本当は期待してたんだ、あいつがこの世界のどこかに生きてるんじゃないかって。
少女の頃の姿であれ、老いた姿であれ、この世界の果てのどこかで変わらず剣を振って、いつもの笑顔を浮かべてる。
そうあって欲しいと願ってた。
変わらないものなんてこの世界になにひとつないのに。
俺は信じられなかった、信じたくなかった。彼女が死んでしまった事を。
だって嘘みたいじゃないか。もう会えなくて、言葉ひとつ交わせないなんて。
事実として自分の中に広がり始めた感覚に少しだけ安心する。
十五年もかかってしまった。それでも、今は受け止められる気がするんだ。
彼女の喪失を。死を。言い訳せず、逃げずにちゃんと悲しめる気がする。
悲しむのは最後だ。だから、ちゃんと心から悲しみたい。
「ごめん……ひとりにしてくれるか?少ししたら、迎えに行くから」
声色が震えぬように気を遣う。繋いでいた手を解いて、顔を逸らしながら伝える。聖女には、こんな情けない顔は見せたくない。
「丘の下で待ってるね」
小さく頷けば、足音はゆっくりと草原を踏みしめて離れていった。
足音が聞こえなくなった頃、地面へと崩れるみたいに膝を突いて座り込む。
心の悲しみに呼応するようにして、雪が降り始めた。白銀の粉雪が、頬に触れて涙に変わる。
大きく息を吸い込んだ。
「あああああぁぁぁ!!!」
丘の上に響き渡る様な慟哭。
どうしようもなく胸が苦しかった。丸まって、自分の心臓を強く押さえた。
心臓を貫かれてしまった様に痛む。
今まで目を背けてきた心の穴が、はっきりとわかってしまった。
泣いた。大声で泣き叫んだ。大粒の涙が止め処なく溢れて、流れ落ちた。
死んだ。そう、死んだんだ。どれだけ願っても、叫んでも、希っても、もう会えない。
抱きしめることも、見ることもできない。言葉を交わすことも、触れることもできない。
あの無邪気な笑顔も、優しい温もりも、燃える様な眼差しもどこにもない。
手を伸ばしてもあるのは冷たい墓石だけ。
走馬灯みたいに、流星女との記憶が流れていった。
初めて出会った時のこと、決闘して、パーティーに誘われ、彼女を越えると誓った。
くだらない喧嘩をして、剣を交わして、隣を歩いた。
折れかけて支えられ、弱みをさらけ出せた。
本当のことを全てぶちまけた。
醜い面も、情けない内面も。それでも、彼女はそんなことは今更だと笑った。
俺からの信頼に応え続け、一緒に災厄を退けた。彼女はずっと待っていてくれた。
約束に応え越える事も、好きだと、愛してると本音を伝える事も、全ての過去を打ち明けることも。その上で、彼女は俺の隣を選んでくれた。
喜んで、怒って、悲しんで、笑って、彼女の隣で時を刻んだ。
全てが宝物だった。彼女の隣は幸せだった。
彼女は、流星女は、もうこの世界のどこを探しても存在しない。
心が砕けそうなほど痛い。心臓が苦しい、上手く息を吸い込めない。
それでも、涙だけは止まらなかった。慟哭する。何度も、何度も。
胸中を巡る悲しみを全て吐き出そうと、叫び散らした。
幸せだった。本当に幸せだったんだ。だからこそ、こんなに胸が苦しくて、痛い。
ようやくちゃんと悲しめた。向き合って、あいつの存在しない世界を受け入れられる。
涙と声が枯れ果てるまで、そうしようとした。
降り積もる雪の中、突然誰かに後ろから首へ腕を回して抱きしめられる。
慣れ親しんだ匂いと温かさは、振り返らずとも簡単にわかる。
「ずっと待ってても来ないから、迎えに来ちゃった」
「待っててくれって、言っただろ」
情けない姿を、これ以上見せたくなかったのに。
背中に預けられた体の軽さと、包まれた温かさに安心を感じる。
「好きな人の泣き声を聞くのって、結構辛いんだよ」
当たり前のことだ。俺だって、同じ立場なら待ってられない。
「なら、後少しだけこうしててくれ」
「……うん」
悲しみが癒えた訳じゃない。今でもその感情に目を向ければ、簡単に涙が溢れてくる。
それでも、ちゃんと悲しむことができた。
逃げずに正面から向き合うことができた。
これで初めて、お別れを言える。
本当に、幸せだった。嫌なことも辛いことも沢山あった。
それでも、それをひっくるめて、幸せだったんだ。
もしかすれば、こうやって俺が情けなく過去に囚われることもわかってたのかもしれない。
俺は結局、お前が言ってた通りに他の人も好きになってしまった。
過去ばかりに目を向ける自分に気をかけて、代替品すら演じて傷を癒そうとして、大勢の為に簡単に身を差し出してしまえる人を。
本当は、誰かを心の内に入れる気なんてなかった。
けれど、聖女の優しさを、想いを、過去を理由に今を否定したくないと思ってしまった。
最低だと罵られるなら、それでも構わない。
愛想を尽かされるなら、それも仕方ないことだと思う。許して欲しいとは言えない。
今世はただひとりに愛を誓えない自分を彼女がどう思うかはわからない。
もし怒ってくれるなら、輪廻の先で会えたなら。俺は喜んでぶった斬られよう。
そして、彼女への愛を、貰ったものを抱えて生きるのはきっと俺の勝手だろうから。
「愛してる。ありがとう。ごめん」
案外、何も気にせずさっさと行けと、別の理由で怒ってるかもしれない。
「今まで、本当にありがとう」
これも、ただの自己満足のひとり芝居かもしれない。それでも、やっとお前のいない世界と向き合える
聖女を連れて立ち上がる。力強く地面を踏みしめた。
「もう、いいの?」
「あぁ」
急かすみたいに、後ろから風が吹いたのを感じた。
「───行ってくる」
昔の家や道場は、今も変わらずに受け継がれてたのがわかった。
家も道場も魔剣も、自分達が死んだ後は好きにしろと流星女は公言していた。
弟子達は文字通り好きにして、変わらずに道場の経営も続けてる弟子もいた。
流星剣に関しては、俺達の前世の死後に昔の一番弟子が国に奪われないように持ち去ったと聞いた。
その一番弟子の行方は知れず、年齢的にはもう他の誰かに譲ったり死んでいてもおかしくはない年齢だ。
結局は行方知れずである。微かに期待していたが、落胆はない。
その他の魔剣は弟子達がそれぞれ引き継いだみたいだ。
コレクションは全て流星女のものだったので、俺は特に異論はない。
強いて言うなら、分配の時に喧嘩にならなかったか心配な程度だ。
空に浮かぶ月に雲が重なり光を遮る。
俺は聖女を連れて丘の先にある平原に来ていた。
丘の先にあるこの平原は周囲に明かりもないお陰で、雲がなければ満点の星空が拝める。
雲のない晴れた夜には、何度も流星女に連れられてここへ来た。
今日は雪が降っていて星空は微かにしか見えないが、それでも綺麗だ。
粉雪が月と星の明かりにより装飾されて、より幻想的に思える。
流石に前世の妻の墓の前で告白できるほど心が頑丈じゃない。
思い出の場所はどうなんだと思うが、ギリギリセーフだと思うことにする。
これ以上過去のことで待たせて、傷つけたくない。
薄い星の明かりに照らされた空色の髪は、明るさと粉雪に彩られ銀色に見える。
過去のことを話して、好きだと伝える。
それだけで、既に経験した事なのに口が乾いてしょうがない。
雪が舞う草原を楽しそうに両手を広げて歩む聖女は、くるりと振り返った。
「さっきの人が、君が好きな人……だよね?」
こちらから話そうとしていたが、先に喋り始めてしまう。
「あぁ……」
徐々に露わになる月光で明かされた彼女の表情は、綺麗な笑みだった。
はっと息を呑んでしまうほど綺麗で、作りものめいた美貌と金色の眼に目を奪われる。
「やっぱり勝てないかもって思っちゃう。君のあの人を見る目は、いつも優しくて、凄く愛おしそうだから」
手を後ろに回し、後ろ手を組んで微かに距離を詰める。
「ズルいな。その人は君の記憶の中でずっと綺麗なままで。私は君の前で老いていく……でも、お陰で同じ様に歳を重ねる君を隣で見ていられる」
綺麗な笑みは恥ずかしさに満ちたものへ変わり、色白の肌に紅が差した。
「全部欲しい、なんて言わない。それでも、今は私を見て欲しい。過去じゃなくて、今君の前で生きてる。君が生かしてくれた命で生きる私を」
深呼吸するみたいに、聖女の言葉が止まる。
これから先紡がれようとする言葉は、誰でもわかる。
後での説明になってしまうが、もう構わないだろう。
「私は、君がっ───」
それ以上の言葉を押し殺す様に、唇を塞いだ。
ただ言葉を閉ざす為だけのものではない、少しだけ間のあるもの。
彼女に言わせたら、ここまで付き合ってもらった意味がなくなってしまう。
ゆっくりと顔を離した聖女の瞳からは、涙が溢れそうだった。
それを指先で拭い、ここまで我慢してきた言葉を口にする。
「好きだ。愛してる。騎士としてだけじゃなく、傍で一生守らせて欲しい」
俺は彼女のどんなものも背負うから生きて欲しいと口にした。
ただし、それは一方的に寄りかかる関係になってしまう。
「これからは、同じ重荷を、一緒に背負って欲しい」
月に照らされた、花が咲いたみたいに綺麗な笑顔だった。
「うん!喜んで」
これまで誤魔化していた感情を示す様に、強く抱きしめてまた唇を重ねる。
彼女が返す口付けは、拙くとも少しだけ淫靡で、熱の籠もったものだった。
「君がキス上手なの、やっぱりちょっと複雑」
非難の色が込められた眼差しから逃れるように視線を逸らす。
一応、今世ではまだお前としかしてないのだから許して欲しい。
そこまでして、お互い緊張がほぐれたみたいに座り込んだ。
喉の渇きは気が付けば消えて、今なら自然と言いたいことが言える気がする。
「どこから話そうかな」
「教えて。君のこと、全部」
前世では四十年分の語りだったが、今世では合計で百十五年分だ。
随分と長くなってしまったものである。それでも、聖女は今日まで待ってくれたんだ、少し増えても許してくれると願おう。
「そうだな、まずは───」
語り終わる頃には月は傾き、もうしばらくすれば朝日の光が顔を出す時間だった。
雪は気がつけば降り止んで、全てを聞き終えた聖女は少しだけ眠そうに瞳を細めて微笑む。
「ふふっ、君ってそんなおじいちゃんだったんだ」
おじいちゃんのはずなんだけどな。精神性は結局肉体年齢に引っ張られる。
「嫌になったか?」
「全然。大好き」
ここで拒否される事はないとわかっていても、難色を示されたらショックで死ぬので安心した。
「もう、あの人のことそんなに恨めなくなっちゃった」
星を見上げながら、呟いた。あの人というのは流星女のことだろう。
「恨んでたのか?」
「だって、あんな君のこと置いていっちゃうんだもん」
向こうも、置いて行きたくて置いてったわけじゃないんだけどな。
それにいつかは結局聖女とも別れが来てしまう。だからこそ、悔いのない時間を過ごしたいと思う。
全ての答え合わせも終わり、心を通わせあった聖女は大変ご満悦だ。
それこそ、この世で一番幸せそうな顔をしている。ずっと彼女の笑顔を見ていたい。
この願いが叶わないことは知っている。だからこそ、焼き付けるみたいに正面から見つめた。
「私が、不老不死だったら良かったな」
悲しそうな声色でそんな言葉をこぼせば、また唇を重ねられる。
滅多なことは言うものじゃない。不老不死なんて、想像したくもない。
もしも聖女や流星女にこの苦痛を背負わせるなら……自分でやるほうが良い。
「キス、好きなのか?」
何度もしてるし、随分と積極的な気がする。聖女は恥ずかしそうにはにかみ、顔を伏せた。
「嫌だった?」
「いいや。全然」
先程の彼女の返事を真似すれば、くすりと笑顔をこぼした。
夜更けを過ぎて朝日が来るまで喋りあった後は、宿に戻って一緒に泥のように眠った。
目が覚めたのは次の日の昼過ぎだった。
本当は、災厄の為に一日だって無駄にする事はできない。
流星剣も手に入らず、収穫はゼロで昼過ぎまで寝てしまった。
それにも関わらず、焦燥感に駆られないのは隣を歩いてくれる少女がいるからだろう。
たまには、こんな日があってもいいと微笑んでくれる少女が。
災厄までは四年前後、魔神の復活までは三年と半年ほど。
未来は怖い。それでも、大切な今を守る為には向き合う他ない。
それに、もう今はひとりじゃない。
隣で眠る聖女の頭を撫で、今一度覚悟を改める。