意識が輪郭を形成しようとしては崩れ落ちて、また形を失う。
浮遊感に包まれながらもまどろみから抜け出せば、光が差し込んで───
目が覚めたら、知らない天井だった。
薬味のある匂いが鼻腔をくすぐる。
意識を失う前の直前の記憶を辿りながら周囲を見渡せば、そこは温かみのある木造の建物の中であった。
綺麗なシーツの上に寝かされていたようで、服装も知らぬ間に綺麗な服に着替えさせられている。
部屋のあちこちで栽培されている植物。
とても個人の家とは思えないほどの膨大な蔵書と資料の量。
そのどれもが魔法や奇跡、呪術に関する極めて高度なものだ。
ここは恐らく、あの永遠の魔女と名乗った少女……女性?の家だろう。
如何にも魔女の家ですよって感じの内装だしな。前世のファンタジーもので見たやつ。
永遠の魔女というのは千四百年前の黄金の時代や、それ以前の時代に活躍したとされる伝説の魔法使いだ。魔法ひとつで魔物の大群を薙ぎ払ったり、大地を割ったり海を割ったり、割ってばっかだな。
知っている限りでは歴史上で最強の魔法使いで、初代勇者と共に魔王を討った人物。そして、永遠の命を有する人間だとも言われている。
老いず、朽ちず、あらゆる傷を癒し、病にもかからない。
多くのものが彼女に不死の秘宝を求めたが、ついぞ誰も聞き出すことは叶わなかった。
何世代にも渡り伝説を残し、いつしか表舞台から退いた伝説の魔法使い。
歴史が正しいなら、御年千五百歳とかとんでもない年齢になるな。
少なくとも年齢のことを聞くのは控えておこう。
そういえば、意識を失う前に久しぶりと言われたが、彼女は前世の自分を知っているんだろうか。
「治ってる?」
試しに身体を起こしてみれば、意識を失う前とは別物だった。
飢餓感や睡眠不足、身体の怠さが全て綺麗に消えている。
加えて、奇跡でも治りきらなかった傷までもが完治していた。
身体の調子を確認し終われば、この家の主であろう魔女を探しに向かう。
わざわざ保護してここまで手厚い看病をしてくれたのだから、危険なことはないはずだ。
家の中は思っていたよりも広く、屋敷と呼んでも差し支えない。しかし、屋敷にしては構造的な違和感が付き纏う。
具体的には部屋ひとつひとつの大きさや構造に差異があって、明らかに奇妙だった。それに、ほんのりと建物全体に魔力の流れのようなものを感じる。
若干ワクワクしながら家を探索していれば、壁に立てかけられたとあるものに視線を奪われる。
それは剣だった。夜明け前の暁色の刃に暗い刀身。
剣の腹部分には魔法陣がびっしりと刻まれ、異様な雰囲気を漂わせていた。
使い込まれた形跡があるが、刃毀れや汚れひとつないことから丁寧に使われ保管されて来たことがわかる。
「初代勇者が使った剣です、気になりますか?」
耳元で、甘く囁くような声が流れた。
「っ!?」
驚き、咄嗟に腰から剣を抜き放つ動作を取ろうとするが当然得物は存在しない。
この身体で剣を握ったことなど数える程度しかないのに。
「すみません、驚かせましたか?」
声の主は、俺が探していた永遠の魔女と名乗った少女だった。
彼女には不釣り合いなほど大きな黒い帽子に、黒色のローブを着崩して羽織り、隙間からは色白な肌が見え隠れしている。
白く透き通った髪は窓から差し込む昼の太陽で煌々と彩られ、少女の仕草に合わせて艶やかに揺れていた。
まだどこかあどけなさの残る容姿でありながら、彼女の仕草や振る舞いから滲み出るものは妖艶で、成熟した印象を受ける。
最も特徴的なのは、白瞳孔に紫色の瞳だ。
彼女の鮮やかな夜明け色の瞳の中には、時計にも似た魔法陣が刻まれている。
「あぁ……客人の前に出るには少しはしたない格好でしたね」
柔らかに微笑めば、ゆっくりと着崩していたローブを羽織り直した。
「いや、そういうわけじゃなくて」
魔力の制御が異常に上手いせいか、魔力量自体は底が見えないほど大きいのに後ろに立たれてもまるで気づかなかった。
「目が覚めてよかったです。体調はいかがですか?流石に魂の損耗までは治せませんでしたが、ひと通りの怪我は奇跡と魔法で処置しておきました」
「大丈夫……です」
容姿は十七歳前後の少女だが、言葉遣いや振る舞いの年上感が凄いせいで自然と敬語になる。
こっちは三十歳間近だというのに、なんだか何ひとつ勝てる気がしない。
覚えてない期間はノーカウントとする。これで思い出して同レベルのジジイだったらどうしよう。
「よかったです」
穏やかに笑う彼女は優しいことには間違いないはずなのに、その笑みを見ているだけで妙な胸騒ぎがした。
「どうして助けてくれたんですか?」
「六百年ほど前にできた友人に、あまりにも魂の色が似ていたので。普通は転生すれば、多少は魂の色に変化が生じるものなんですが」
『魂の色』というのはわからないが、やはり俺の前世を知る人物なのではないだろうか。
詳しく聞き出したいが、いきなり突っ込んで聞けば警戒されかねない。
「と、言ってもあなたには覚えのない話ですよね」
出会った時のように、寂しさと諦念を滲ませた表情だった。
覚えがないのはその通りだが、記憶がないのは彼女の想定とは別な原因な気がする。
とはいえ、やはり自分の情報をおいそれとペラペラ喋るのは憚れる。
「助けてくれて、ありがとうございました」
ひとまずは、彼女には疑いや何かを聞き出すよりも感謝を伝えよう。
命の危機を救ってくれた恩人だ。
「えぇ、どういたしまして」
しかし、何から話すべきか。
俺がそれについて話し始めるより前に、彼女が提案してくる。
「体調がいいのであればご飯にしましょうか。あなたはお腹が空いているでしょうから」
特に断る理由もなく、言われるがまま食卓に就くことになった。
魔女さんのエプロン姿が見られるかと密かに期待したのだが、料理は魔法で全自動調理だった。
滅茶苦茶便利だったけどなんか期待を裏切られた気持ちだ。あとは魔法として非常に高度だった為、凄まじい技術の無駄遣いを感じた。少なくとも、俺の知る魔法使いは普通こんなことできない。
ちなみに魔女さんの料理は非常に美味しく、特にメシマズ属性ということはなかった。
作ったのは魔法だけど。
「口にあったようであれば何よりです。紅茶でも淹れますか?」
頷けば、彼女は立ち上がって紅茶を淹れ始める。
紅茶は手動なんだと思ったが、心のなかにとどめておいた。
「……自分の分はいいんですか?」
彼女が作った料理は俺の分のみで自分で食べる分を用意してなかった。
今回の紅茶も淹れたのは俺の分のみで、自分の分を淹れていない。
「私には、不要なものですから」
不老不死という伝説が本当なら、食事すら不要なのだろうか。
だとすれば、余りにも酷い話だと思えてしまう。
「ひとりだと寂しいので、駄目ですかね」
要らない気遣いだと思われたら謝ろう。
「……あなたは、変わらず優しいですね。わかりました、私も久しぶりに楽しむことにします」
口の端をわずかにあげれば、彼女は自分の分の紅茶も用意してくれた。
「さて、色々と聞きたいことがある。という雰囲気ですね」
ありすぎて困っているのだ。
「聞いても良いんですか?」
「あなたの望む答えを返せるかはわかりませんが、どうぞ。それと、そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ」
紅茶を差し出すと共にまた目の前に座り直した少女は、変わらぬ笑みを浮かべていた。
聞きたいことは山ほどあるが、最も聞きたいのはこれだ。
「お言葉に甘えて……あなたの言う、以前の自分と魂の色が似た人物について、教えてほしい」
「あくまで彼らと過ごしたのは数日なので、その時のことを話しましょうか」
魔女さんはかつてに想いを馳せるように目を細めながら、ゆっくりと頷いて語り出した。
「六百年ほど前ですね。この住処は魔物避けの結界を張って人も遠ざけてるんですが、結界ごと破壊しようとする魔力を感じて飛び出してみれば、剣士の二人組がいたんです。ひとりは流れ星みたいに眩しい素敵な女性。ひとりは顔を包帯で覆った男性でした。二人は迷いの森に纏わる噂話で、名のある剣を求めてここに来たと言いました」
剣士という点だけでは絞れないが、記憶を失う前の自分である可能性はある。
「流石に住処を吹き飛ばされると困るので、かつての友人の剣を託すに相応しい人物か見極めることにしたんです。といっても、いつまでも私の手元で腐らせるより誰かが世のために役立てた方が良いのは事実でしたから、元より渡すつもりではありましたが……特に、彼らは名声や力だけを追い求める人でもありませんでしたので」
そう言えば男女の二人組ってことは恋人だったのだろうか?いや、そんな訳無いか。
俺に恋人ができるとは到底思えないし、包帯を顔で覆ってるとか明らかに不審者だ。
なんか一瞬だけ背筋に悪寒が走った気がするが、気のせいだろう。
「そうして彼らを家に招いて数日間過ごしました。あの時は……ふふ、楽しかったですね。二人の練習風景を見たり、料理をしたり、会話に混ざるだけでも、あの時は生きているという心地がして昔の仲間を思い出しました」
諦念の滲んだ痛ましい笑みではなく、幸福な過去に想いを馳せてるのだとわかる。
「あっという間に時間は過ぎて、最後には彼女から剣を賭けて一対一の手合わせしたのですが、数百年振りに負けてしまいましたね」
伝説である永遠の魔女に勝てるってどんな化物なんだよ、その女剣士は。
「負かされた後は『ねえ、私達といっしょに旅する気ある?』なんて聞かれたんですよ。時間のせいで私は自分を勝手に高尚な存在のように勘違いしてましたが、彼女からすればただの人間に過ぎなかったんでしょうね」
聞いてるだけでめまいがしそうなのは何故だろう。
語っている本人はとても幸せそうなのでいいか。
「他にも、彼……あなたと同じ魂の色をした方には『いつかまた』とも、言われましたね。彼もとても強い剣士でした。後は、数日一緒に過ごしただけの私を気にかけてくれる優しい方でもありましたね」
剣士以外の自分だと推定できる情報はないが、『魂の色』による識別が正しいのなら、間違いなく自分だ。
「私が話せることは、これくらいでしょうか。魂が同一であることは間違いないですよ。余りにも魂の色が似通っていますから」
「追加でいいですか?」
「えぇ、どうぞ」
追加の質問にも、魔女さんは嫌な顔ひとつせず頷いて返してくれた。
「魂の色というのは?」
「文字通りの意味なんですが、本来は魂は知覚できないものなので、かい摘んで説明しましょうか」
懐から小さな杖を取り出せば、それで空中に図と絵を描き始める。
ちょっとポップで可愛いタッチであざとさを感じる。
「この世界の意思ある生き物は全て魂の情報をもとに肉体を構築しています。例えば、回復魔法や奇跡による治癒は魂の情報から肉体を復元する行為なんです。魔法の場合は性質上、修復するものの構造に詳しい必要がありますが」
最初に丸で魂を描き、それを覆うように人の身体を描き始める。
なるほど、この世界の回復魔法や治癒の奇跡の原理を初めて詳しく知った。
奇跡は使用者の技量のみでいいが、回復魔法は対象の構造を正しく知らなければ治療できないというのは聞いたことがある。
「魂には様々な情報が組み込まれていて、私の魔眼はその生物が宿す魂の情報を読み取ることができます。あくまで一部になりますが」
なんかまた新しいのが出てきたな。魔眼ってなんだ?
「魔眼は特殊な眼のことです。魔力の流れを読み取るものや、未来を読むものもありますね。私の場合は副作用ではありますが魂の色を知覚することができます」
不味い、相手が伝説の存在なせいで当たり前に知らない概念が飛び出してきて話について行けないぞ。
「話を戻しますね。魂の色は、転生すれば必ず変化が生じるものです。でも、あなたの魂は色は
彼女の淡い期待を裏切ってしまった事を、少しばかり申し訳なく感じる。
「あぁ、気にしないでください。初めから期待はしていませんでしたから」
落胆というより、当然のことを受け入れる姿勢だった。
パチンと指が鳴らされれば宙に描かれていた絵と図解が姿を消す。そして、紫紺の瞳がこちらを射抜くように見据えていた。
「今度は私から質問したいのですが、構いませんか?」
彼女に敵対の意思がないのはわかったが、それでも何処まで話して良いかわからない。
女神から加護を貰った存在ですと言ったら千年前の因縁!とか言って殺される可能性が……いや、無駄な警戒はやめよう。そもそも彼女が来なければ死んでいたのだから、できる限り正直に答えよう。
異世界云々に関しては置いておくが、魂の色で識別されてる以上は転生や女神のことは話さないと逆に不自然だろう。
「……答えられる範囲で」
「ありがとうございます。あなたは私の話をすんなりと受け入れる辺り、普通の子どもとは違うように思えます。魂がひどく傷ついていること、術式を刻まれていることも含めて、可能な範囲で教えてくれませんか?」
ぶっちゃけほぼ全部聞かれている。
これは、記憶喪失に関しても素直に答えたほうが良いな。
実は厄災側の人間で殺されたら笑おう。
俺は、異世界から来たという点以外は包み隠さずに打ち明けた。
女神から転生の権能を授けられたこと、厄災を討伐する使命があること。
それと引き換えに願いを叶えてもらう。そして、記憶喪失の事実と会いたい誰かを探していること。
「なる、ほど……少し考える時間をください」
異世界人であるという事実以外の全てを話し終える。
長い帽子の縁で見え隠れしていた視線が手のひらへと落とされ、沈黙を作る。
これまで落ち着きのある振る舞いだった彼女から、初めて余裕の色が消えた瞬間だった。
「あなたが、神の加護を受けた存在……俗に言う勇者であることはわかりました。話しづらい内容だったでしょうに、教えてくれてありがとうございます」
そう言えば、神の加護を受けた存在はそんなふうに言われるんだったか。
「魂の損傷に関しての原因はわかりませんが、本来魂は外部からの干渉の尽くを退けます。ですので、魂を削ったり損耗させることは神か、自分自身にしかできません」
過去の周回で神様から何かしらをされた可能性もあるが、自分で魂をなんやかんやした可能性の方が高そうだ。
「ちなみに、記憶を戻せたりって」
「ごめんなさい、私では力不足です。魔法、奇跡、呪術はそれぞれ全て、全く違う原理で動いています。そして、魔法は殆どの場合魂に干渉する術を持ちません。
まあ、そんな上手く行く訳がないか。そして奇跡と呪術について、また気になる話が増えたな。
魔女さんは帽子の縁を自分で引っ張り表情を隠せば、言いづらそうに切り出した。
「これは治療の際に魔法で調べさせていただいた時にわかったことなのですが……あなたの探し人について伝えられることがひとつあります。でも、良い事実とは言えませんので聞くかどうかは、おまかせします。私があなたの目的を知った以上は、勝手に隠すのは傲慢ですから」
大きな帽子で視線を遮ったまま、「聞きますか?」と、確認してくる。
わざわざ確認を取ってくるなんて、随分と優しい人だ。
なんとなく、その良くない事実には心当たりがある。
「聞かせて欲しい」
「あなたの身に刻まれた術式が最後に起動したのはおおよそ五百年前です。ですので、あなたの探し人が例えエルフであろうと……」
ぐらりと、目の前の視界が揺らいだ気がした。
無意識のうちに何度か考えたことはある。
本当は誰も俺を待ってはいないんじゃないか。
この会いたいと願う相手は、既に亡くなってるんじゃないか。
俺はただ、無意味な衝動に突き動かされていたんだろうか。
「五百年、か……」
不都合な事実からいつまでも逃げることはできず、正面から突きつけられるのと無意識に思考するのではまた違う。確かな絶望が、虚ろであった心の内を満たしていった。
五百年、余りにも長過ぎる時間だな。
現代なんて百年もかからずに黒電話がスマホに進化してしまうのだ。
二十年もあれば赤子から大人になって早ければ世帯を持つことすらある。
五百年。
あぁ、本当に長過ぎる時間。
待たせた相手は、きっと俺を心底恨んだに違いない。
でも、それを伝えることも今はできない。
この九年は、なんだったんだろうか。
いや、相手は百年近い時間を待ったかもしれないのだ。
この程度の時間は悲しむことすら、図々しい。
「……」
魔女さんは沈黙を保ち、新しく淹れ直した紅茶を差し出してくる。
些細な気遣いだけれど、少しだけ心が楽になった気がした。
「少し考える時間が必要だと思うので、私は席を外しますね」
静かに席を離れれば、大きなリビングの中に自分ひとりだけが残された。
外の森から聞こえる鳥のさえずりしか、俺の鼓膜を揺らすものはなかった。
「はぁ……」
大きなため息を吐き出しながら、顔を覆って机に突伏する。
はっきり言おう。萎えた。
折れた、壊れた、ではない。原動力を失った。
自分がこれから何かに向けて進むモチベーションがない。
厄災のことはどうでもいいわけじゃないけど、今の重要度は著しく低い。
やらなければいけないことではあるが、それは十年後の話だ。
元の世界の家族のことも、今は不思議と遥か昔のことに感じられてしまう。
これまでの俺のモチベーションは全て、あの部屋から始まった誰かに会いたいという強い衝動を解消することにあった。それが満たされないものだとすれば、ただ空虚に変わるだけだ。
「なんのために生きてんだ?」
ぐるぐると思考が巡って、不快感と虚無感だけが降り募る。
良くない思考だとわかっていても、断ち切るには難しい。
そうして全ての思考を閉ざせば、時間だけが通り過ぎる。
いや、ダメだな。
理由はわからないが、こうしていれば後悔すると焦燥感が突き動かして来る。
腐っていれば、大事なものを見落としてしまう。
あと、誰かに背中から蹴っ飛ばされそうな気がする。
確かに目標の大部分は失ってしまったが、記憶を取り戻すこと自体は必要だ。
待ってくれていた人に会うことができなくとも、その人との記憶を取り戻すことは無駄にはならない。
それに、記憶を取り戻せば厄災を倒すモチベーションを取り戻すこともできる可能性がある。
この世界で誰かと紡いだ物語。それらが地続きに続くこの世界を、守りたいと思えるかもしれないから。
「よしっ」
今の目標は記憶を取り戻すことと魂の修復に決定だ。
心持ちを改めた頃には、数時間経過していたのか外は真っ暗だった。
魔女さんを探しに行こうとすれば、リビングの扉が開いて大きな帽子が視界に飛び込んでくる。
「先程までより元気になられたようで良かったです」
俺が持ち直した様子を見て、彼女はつばを押し上げながら微笑んだ。
「まあ、少しは」
「あのまま干からびるのではないかと心配でした」
まあ、実際そのまま干からびそうな勢いではあった。
「これからどうするか、決まりましたか?」
「大まかですけど」
記憶を取り戻すには奇跡や呪術による力が必要不可欠だ。
そして、それらをいちから自分の力で研究するのは現実的じゃない。
何より、目の前の存在は千年以上を生きる叡智の結晶だ。
「記憶を取り戻すのを、手伝ってくれませんか。その為なら、できる限りのことはなんでもします」
俺に差し出せるものはない。人との関わりを断ち切り、ここで自給自足の生活をする彼女からすれば邪魔者でしかないだろう。だから、頭を下げてお願いする他ない。
「構いませんよ、顔を上げてください」
ダメなら土下座でもする覚悟だったが、驚くほどにあっさりだった。
「あっさり受け入れたなと思いましたか?」
やべぇ、顔に書いてあったかも。
「私がどうしてここまでするのか疑問ですか?」
「……疑問がないと言えば嘘になる」
前世の話を聞く限り、俺と彼女は数日の間一緒に過ごしただけだ。
「あなたは『またね』と言って、そうして記憶を失っても会いに来てくれました……それが偶然であっても。それに私も、善意だけで動いてるわけじゃありません。いずれあなたにしかお願いできないことを頼むかもしれませんから、恩を売っておきたいんです」
100%善意ですと言われる方が胡散臭いので、逆に信頼できる。
自分に返せるものが何かはわからないが、できる限りは応える所存だ。
「私にも、私なりの打算があります。あなたが想うような優しい人物ではないですよ」
ここまでしてくれる辺り、その言い分は大分無理がある気がする。
「何より……あなたは私の力や性質を他者を傷つける為に利用しようとする人じゃないと知っていますし、信じていますから」
あぁ、多分こっちが重要な部分なんだろうな。
過去の出来事を薄っすらと察せられるほど、彼女の言葉からは痛ましさを感じてしまった。
せめて、彼女の信に背かないように努めよう。
「ありがとうございます」
「ふふ、はい。きっちり助けてもらうつもりです。それと、今後は私が教える立場になるので、先生か師匠と呼んでください」
なんか思ったよりノリが良いなこの人。
急に千歳の貫禄がかすみ始めた気がする。外見も普通の女の子だし。
「なら、先生で」
「では、改めてよろしくお願いしますね」
「よろしくお願いします、先生」
ただの奴隷から永遠の魔女から教えを請う立場になるとは、二週間で出世したものだ。
「それでは、夜ご飯にしましょうか」
そう言って優しく笑った先生は、今度は二人分の夕飯を用意した。
どんな心境の変化であれ、彼女も一緒に食事を取ってくれる変化が少しだけ嬉しかった。
こうして、自分の記憶を取り戻す為の先生との共同生活が始まった。
魔女ちゃんとの最初の出会いは流星ちゃん後編でいずれ執筆予定です。