魔女さんこと先生との同居生活が始まったわけだが、生活はとても順調なものだった。
順調というか快適過ぎて恐ろしい。自制心を欠けば一瞬でダメ人間化しそうなレベルだ。
ご飯は三食決まった時間で魔法で用意されて、食糧の採取も家の中の自家栽培で殆ど賄われている。
俺ができる雑用と言えば自分の衣類の洗濯程度なもので、生活面においてはほぼ全て先生に依存していた。皿洗いですら魔法で終わってしまうのだから、本当に出る幕がない。
ここまで頼り切りなのに、あの人なんも言ってこないのが余計に不味い。
記憶を取り戻す為の奇跡や呪術の修練以外はすることがなさすぎて、あっという間にダメ人間化してしまう。
それと、先生は常に決められたルーチンワークで生活しているので全く日常に変化がない。
稀に近場の街へ買い出しや薪の採取とかもあるが、本当に少ない。
この結界内での引きこもり生活が余りにも完成されすぎている。
自分のことは自分でやる習慣程度は付けるようにした。
本題の記憶を取り戻す方法なんだが、これについてはまだ色々と考えてる最中だ。
先生の知識を頼っても、『魂』というものはひどく難解なものだと突きつけられた。
「記憶を取り戻すには、削られた魂を再生させるしかないですね」
「削られた魂を再生させる?」
「はい。記憶と魂の関係は私も長い間研究していますが、あくまで記憶は魂に記録された人間の脳や肉体から読み取っているものです。それを、自身の力で再生することができれば記憶が戻る可能性はあると思います」
この人いろんな事研究しすぎててもはや怖い。逆に何なら知らないんだ。
「今のあなたの魂は大部分を切り落としたような痕と、ヤスリで削ったような部分があります。前者については……どう形容するのが正しいのかわかりませんが、元々肥大化した巨大な形状から
特定の部位という言葉とともに、彼女の時計に似た魔眼の視線が俺の心臓へと注がれる。
先生の妖しさのある雰囲気も相まって、若干の恐怖を感じた。
伸ばされた細く華奢な指先が、とんと俺の心臓を突いた。
「あなたの魂は、心臓だけを残してその他全てを切り取ってしまったように歪です。さらに、その上で記憶喪失時に伴った傷……それらを強引に継ぎ接ぎしたようなひどい状態です」
「そこまでですか?」
転生する時の部屋にいた間は頭痛やらが酷かったが、転生してから特にそんなこともない。
「はっきり言うと、今こうして生きているのも不思議な状態です」
つぅ、と指の腹で心臓の辺りを撫でれば、悲しそうに離した。
「記憶を取り戻すよりもこの魂の状態をなんとかすべきですね」
どうやら、想像していたよりずっと深刻な状態のようだ。
「継ぎ接ぎにされているのは、刻まれた転生の術式による力……自動修復と言うべきですね。あなたに刻まれたこの転生の権能が、かろうじて魂の消滅を防いでくれたようですが、これ以上魂を摩耗する行為は避けてください。魂ごと消滅したくなければ」
魂を修復することが記憶の復活にも繋がるのは嬉しいが、重要なのは手段だ。
「魂の修復を行う為の具体的な手段はあるんですか?」
魂とは本来は簡単に干渉できる領域ではない。
神殿の代行者、死霊術師などの呪術師が積年の果てに至る境地だ。
そして、中でも魔法は原則魂には干渉できないのだとか。
「誰でも簡単に魂を強化したり治せたら大問題です……が、あなたの奇跡の才能は間違いなく歴史上でも類を見ないものでした。奇跡の習熟が進めば、可能性は大いにあります。幸い、私もいますからね」
「魔法は干渉できないんじゃ?」
あんた教える時最初に自分で言っただろ。
「あくまで原則です。私は例外ですよ」
人差し指を唇に押し当て、得意げに微笑み返された。
可愛いけど、千歳超えてるんだよなという心の声は無視することにした。
先生の魔法をぶち込まれると塵も残さず死んでしまう。
先生曰く、魂の修復に必要なのは魂を知覚、干渉できるだけの技量と、己の身を解体するが如き所業を恐れずに行う精神力だと言っていた。後者は自信はないが、前者の二つは問題ない。
奇跡5.3というのは人間の限界を超えた才能だ。これで奇跡の才能が足りないということはない。
自分の身を解体するというのはなかなかゾッとしない話だが、現実で例えるなら医者が自分の身体を自分で手術するみたいなもんか。例えが嫌すぎるな。
ちなみに大昔には自分の魂を分割して他の物体に定着させるという、某児童書のラスボスみたいなことをしたやつもいたらしい。
後者の覚悟は後々鍛えるとしても、前者は日々鍛錬と勉強を重ねることで進歩を感じる。
奇跡はやはり記憶を失う前に扱っていた技術だからか、剣術ほどではないが飲み込みが早かった。
驚いたのは、先生は魔法だけが伝説で語られていたが、実際は奇跡も呪術もそれなり以上に扱うことができたことだ。
「並の司祭や神殿騎士、聖国の代行者程度には、奇跡も使えますよ」
代行者とは聖国の最高戦力。要は奇跡のエキスパートなわけだが、それ以上は実質最高峰と言っても差支えはない。とぼけた人である。
「どちらも、私の研究に必要だから身につけただけです。私が好きなのは、この世界の魔法ですから」
実際、魔法について語る先生はいつにも増して穏やかで、楽しそうな気がする。
呪術や奇跡が外から持ち込まれたという話も、気になるんだよな。
でも、一番気になるのは───
「先生は、なんの研究をしてるんですか?」
これまで魔法について解説していた先生の口の動きが止まる。
楽しそうな笑顔が、含みのあるものへと変化した。
どろりとした感情の片鱗を感じさせる。曖昧なものへと。
「あなたがもう少し大きくなったら……いえ、もしかしたら来世かもしれませんね。その時までは、秘密です」
子どもの様に小さな手をこちらへと伸ばし、まるで割れ物を扱うようにでも撫でる。
身体は子供でも中身は三十間近のおっさんなんだから、頭を撫でられるのは小っ恥ずかしい。
「実際の年齢は違うのにって思いましたね?ふふ、私は千歳を超えてますから、あなたは私からすれば子供です」
「そう言えるのは先生くらいだと思うけど」
千年を生きるというのは、一体どんな感覚なんだろうか。
二十年と九年生きるだけでもこんなに長いのに、想像したくない話だ。
果たして、過去の俺は転生を繰り返した時に何を思ったんだろうか。
さっさと楽になりたいと願ったのか、まだまだ転生する気力に満ちていたのか。
俺は、現代の二十年と今世の九年だけで人生の重さは既に味わった。
何度もこれを繰り返したいとは、死んでも思わない。
そして、無限に生きていたいとも。
「先生って、自分で料理しないんですか?」
「えっ」
最近は今後に役立てる為とダメ人間化対策に自分で料理するようにしてるのだが、
先生はいつも頑なに自分で料理を作ろうとしない。
いつも魔法任せで、それも適当にレシピを流し見て魔法に落とし込むとかいう人外技で成立させている。高度な技術の無駄遣い。
「いえ、してるじゃないですか」
「いや魔法……」
真顔で突っ込むと露骨に視線を逸らされる。
前々から疑惑あったのだが、先生は私生活能力が壊滅している疑惑がある。
この人、生活に必要な殆どのことを魔法で自動化してしまっているのだ。
家事全般を魔法に任せた生活は本当に快適で、最初は自分も先生の魔法に諸々任せていたが流石にヤバいと思って自分で家事全般はするようにした。お返しにもならないが、やらないよりかは良いだろう。
そんな極限の手間のかからない生活環境に身を置いていれば、どうなるかは想像に難くない。
というか、よく思い出せばこの人出会い頭からローブ着崩しまくってたんだよな。
「そんな眼でこっち見ないでください」
どんな眼だよ。
「私だって料理くらいできますよ?」
「じゃあ、一緒に作りますか」
「いえ、私には魔法の研究がですね」
「机の上で三時間ずっと唸って進捗ゼロだけど」
何やら佳境に差し掛かったらしくずっと頭を悩ませていた。
昼時も近づいてきたので見かねて早めに昼食にしようと提案したのだ。
彼女は本来食事も睡眠も必要としない不老不死だ。
食事も睡眠も必要のない先生は、放っておけばずっと研究をしている。
元から食事や睡眠を取らない生活をするせいか、先生は料理に頓着がない。
彼女がわざわざ一緒に食事を摂ってくれるのは気遣いなのだが、付き合わせてるようで申し訳ない。
以前無理に一緒に食べなくてもと言ったら、したくてしてることですからと断られてしまった。
なので、これは先生の料理姿を見たいのもあるが、ちょっとした気分転換でもある。
「そ、そんなに私の手料理が食べたいですか?」
「興味はあります」
「そこは食べたいと言ってください。可愛くない弟子ですね」
ピンッとおでこを人差し指で小突けば、観念したように台所に掛けてあった長年使ってないであろうエプロンを手に取る。
「はぁ、料理なんて五百……いえ七百年ぶりですよ」
サボりすぎだろこの人。必要なかったから当然なんだろうが。
「間違っても味には期待しないでくださいね?午後はずっと腹痛で苦しむことになっても、私は責任を取りませんよ?」
レシピをあんな簡単に魔法として落とし込めるのに、実際に料理をするとなるとこんなにダメダメ感満載なんだろうか。
「ものは試しってやつですよ」
自分も一緒に作るのだから、よほどヤバいことにはならないだろう。
一時間後、俺達の食卓の上にはなんとも言えない出来の料理が並んでいた。
先生は後ろでしゃがみ込み、顔を真っ赤にしながら両手で覆っている。
「途中までは手順通りだったのになぁ」
「言わないでください……」
最初はちょっと素材の目分量をミスったり、具材の切り方が猛烈に雑とか可愛いものだったが、火力を魔法でレシピ以上に調整したり、こっちのほうが美味しいんじゃないですかとかいいながら変なもんを入れ始めて結果こうである。
ひとくち試しに口に入れてみる。
うん、普通に不味い。
「昔からこうなんです、こっちのほうが美味しいんじゃないかって……」
その自信はどっから来るんだよ。
「魔法の時はちゃんとできるのに」
「あれは、全てレシピ通りにしてるんです……悪癖が出ないように」
じゃあ自分で料理する時も抑えてくれよ。
とはいえ、初めての共同作業でできた料理だ。
そう思えば、多少不味いがそれも味があっていいと思える……ということにする。
「ほら、食べよう。せっかく一緒に作ったんですから」
「そうですね……」
スゴスゴと情けない雰囲気を出しながら席に座ってひと口含む。
「ま、不味い……我ながら日頃の魔法の腕前に感心してしまいます」
ひっでえコメントである。
「今度から夕飯以外も厨房借りてもいいですか?」
「構いませんが……もうしばらく作りませんよ?」
先生の食事へのモチベーションが高まるように、レシピ以上の物を作れるように頑張ってみよう。
ぶっちゃけ細かい雑用以外で本当に何も返せてないので、それくらいはしたい。
後、料理を誰かに振る舞うのは少しだけ懐かしさを感じた。
「できればまた一緒にやって欲しいんですけど、まあそれは置いておいて……毎日完璧に同じ味付けだと飽きるじゃないですか」
「それはそうですが」
「毎日違う味付けなら、先生も食事を楽しんでくれるかなと」
食事とは彼女からすれば不必要な
彼女が気遣って一緒に食事を摂ってくれるなら、楽しいものにしたい。
「全く……私の教え子は少し優しすぎますね」
先生は眼をぱちぱちと瞬かせてから、口元をほころばせた。
先生に拾われて暮らし始めてから半年が経過した。
繰り返される日常は特にこれといった大きな変化はない。
毎日魔法や奇跡についての詰め込み授業で頭が破裂しそうになっている。
変わった点を強いてあげるなら、多少先生と仲良くなった事と料理が上手くなったことか。
残念ながら、魂の修復はまだまだ遠そうだ。
先の見えない道のりにやる気が削がれて机に突っ伏してしまう。
そういえば、先生は『永遠の魔女』なんて歴史で書き残される強者なわけだが……
「実際どれくらい強いんだろうなぁ」
「私のことですか?」
突然耳元で囁かれた俺は、驚いて反射的に椅子から転がり落ちた。
「いきなり耳元で喋るのやめてください」
「あなたのリアクションが面白くてつい」
この後ろからのアタックは度々やられるのだ、心臓に悪い。
あと千歳超えてるのに悪戯好きな子供みたいな表情をするのもずるいと思う。
この人、本当に千歳なんだろうか。千歳っていうか千歳児なんだよな。
「私がどれだけ強いか気になるんですか?」
「えぇ、まあ」
残された歴史には永遠の魔女は『黄金の時代』以前の戦争、魔族と人族の大戦争、魔法大戦、などの歴史の転換点とされる大きな戦いでその名を刻んできた。
「それなりに強いですよ、私は」
帽子を抑えながら妖しげに微笑む姿からは圧倒的な自信が感じられる。
「でも六百年前負けましたよね」
「はい……」
うーん、この。
「あの方は例外とさせてください」
「どうやって負けたんですか?」
「真正面からですよ。全力で戦ったうえで負けました。どんな魔法を展開しても斬り捨てられ、初代魔王をも凌ぐ強さでしたね」
そんな女と行動していた六百年前の自分は一体なんなんだと聞きたい。
「それでも、今の世で私を超える強者は存在しないと思いますよ」
傲慢な思い込みでは決してなく、ただ純粋な事実として告げていた。
「不敗の竜狩りであってもですか?」
なぜ自分でそのチョイスだったのかはわからない。
神話に登場する、真竜すら殺した最強の騎士。
幾度の戦場を越えて不敗。その身に傷ひとつすら負わなかった。
「彼が生きていた時代の私ならともかく、今は確実に勝てると思いますよ」
余裕のある笑みを崩さず、必ず勝つとまで宣言した。
自らが敗北から最も遠い存在であるという確証と、確信。
「無用な強さですけどね……もう、人の世を離れて長いですから」
先生は何があろうとも人の世に関わるつもりはないという。
理由を尋ねたことはないが、まあ想像はできる。
長く生きていれば色々なことがあるだろう。
既に自分は十二分に助けられてる身だ。これ以上を望むのは欲張りが過ぎる。
で、この先生を倒した六百年前の女はなんなんだよ一体。
先生に命を救われてからあっという間に一年が経過した。
奇跡と剣術の実力はメキメキと成長して、今はなんとなく自分の『魂』というものの感覚を掴むことができる。
まだまだ魂に干渉する奇跡は使えないが、それでも先生の見立てでは十年もせずにできるようになると言われた。
『本来は人が一生を掛けて辿り着く領域なんですけど』と言われたので、女神のチートさまさまだ。
先生との関係も良好で、彼女は毎日俺の料理を楽しみに食べてくれる。
最初は昼だけ作っていた料理だったが、今は昼晩は自分が作っている。
まさか、剣術や奇跡よりも料理の腕前の成長を実感するとは。
特に料理項目に振った覚えはないし、料理の才能とかあったか覚えてない。
先生は自分の研究の片手間に女神から施された転生の術式を調べてくれているのだが、それでわかったことがある。
二百七十年前に術式が起動しようとした痕跡があったのだ。しかし、その時は恐らく術式が魂の保護に力を割いていて転生できなかったと予測していた。
自分が転生せず世界が滅んでないということは誰かが厄災を倒したということで、仕事を人に押し付けた感があって申し訳ない。
案外、自分が何もせずともこの世界は何事もなく回っていくんじゃないかと思うことがある。
女神に頼まれた厄災の討伐だって、自分以外がしてしまうこともある。
それなのに、苦しんで戦いに向かう必要はあるんだろうか。
記憶を取り戻したら、世界を救う為に戦いたいってなるんだろうか。
まるで想像ができない。世界の危機でも余裕で逃げ出す自信がある。
ぼんやりと考え事をしながら料理をしていれば、調味料が足りないことに気がついた。
流石に調味料は自家栽培できないので、買い出しに行かないとならない。
「先生、ちょっと買い物に行ってきます」
いつも通り読書している先生にひと声かけて鞄を手に取る。
「久しぶりに私もついて行きましょうか」
先生は大抵引きこもりなので、珍しいことだ。
「本当ですか?」
「えぇ、新しい魔導書も欲しいですから」
先生曰く魔法や奇跡も日々進歩しているらしく、新しい魔導書から着想を得ることもあるようだ。
実際、最近の魔法のほうが発動の工程が綺麗に整えられていると感じる。
奇跡?あれはもうなんか意志力と信仰心
「?、どうかしましたか」
扉を出たところで、きょとんと先生がこちらを見下ろしてくる。
何故か、気がつけば彼女の手をエスコートするように握っていた。
「え……?すみません」
後ろを取られた時に剣を抜こうとする癖といい、過去の残滓とでも言うべきものが呼び起こされる時がある。だからといって女性の手を突然取るのはヤバすぎる。
「魂に焼き付いた記憶の残り香でしょうか。それにしても凄く自然に手を取りましたね?」
自分でも驚くほど自然な動作過ぎてビビった。
不快に思われただろうか。
「とてもドキリとしてしまいましたね」
一ミリたりとも思ってない、色香のある笑みで返された。
「いいですよ、ほら。手を握りましょうか」
咄嗟に離した手は、戯れにまた繋がれた。
この人、昔は男を引っ掛けまくってたんじゃないだろうか。
童貞の自分にはいささか刺激が強い。幸い身体が子供なお陰か、特にそういったやましい感情を抱くことはなかった。
「こうして出かけるのも久しぶりですね」
先生が外出するのは三ヶ月ぶりだろうか?
久々に近場の街へ、調味料や日用品を買いに向かうことになった。
先生は基本人と関わらない生活を送っているが、日用品や魔導書の購入でこうして街を訪れることがある。
迷いの森付近には森を囲う形で都市が複数あり、先生は顔を覚えられないように都市を使い分けて日用品も揃えてる。
正直、そこまでする必要はないんじゃないかと思うが、徹底してまで人や周囲と関わりたくないという意思表示でもある。
そんな彼女が、こうして一緒に買い物に出かけてくれるだけで、俺は十二分な気持ちだった。
「それじゃあ、僕は調味料と日用品を買ってきますね」
先生はひとりでゆっくりと魔導書を見たいだろうと、別れようとすれば袖を掴まれた。
「たまには二人で回りませんか。私達には、時間がありますし」
「はあ、勿論いいですけど」
やけに引っかかる言葉回しだが、特に気にせず頷いた。
先生が一緒に買い物をしようと言い出すのは珍しい。明日は雪でも降るのだろうか。
「それにしてもどういう風の吹き回しで?」
「いいじゃないですか。今日の私はそういう気分です」
なんだかよくわからないが、まあ可愛いし先生が楽しそうだからいいか。
先生に連れられて日用品や調味料、他にも新しい調理器具、今度の料理に使う食材を買って市場を巡る。
十歳の子供と十代後半の美少女が手を繋いで歩いている絵面は、端から見たら兄弟に見えそうだ。実態との乖離はひどい詐欺だけど。
「先生、迷子になっちゃ駄目ですよ」
手を繋ぎ市場を歩く中で、からかい混じりにそんな言葉を掛ける。
先生の穏やかな横顔は、歩き去る人々の中でひときわ綺麗に見えた。
「そんなに魔法の実験台になりたかったんですか?しょうがない子ですね」
先生は指先に魔力を集中させて、かるくデコを弾いてくる。
結構痛かった。ちょっとからかっただけなのに。
街の露天は活気に満ちていて、表通りでは食品から日用品、果てには魔具に至るまで様々なものが売買されている。そんな喧騒からは少しばかり離れた本屋で、俺と先生は棚一面に並ぶ本を眺めていた。
「ふむふむ……」
本の虫である先生は、どれを買うか興味深そうに目を輝かせている。
魔導書と言っても要は魔法に関する専門書でしかないので、特別なことは何もない。
魔導書や奇跡に関する書物を専門に扱う店もあるが、大抵本屋に置いてある。
共和国内ではあるが、別に奇跡や呪術の文化そのものが丸ごと規制されてるわけじゃない。使用者は多少白い目で見られたり、その手の仕事を探しづらいという程度だ。
奇跡関連の本に目を通していれば、店員と先生が何やら話し合ってるのが聞こえてくる。
「はぁ、でしたらそれも一緒にお願いします」
ため息を吐きながら先生が頷けば、店員は嬉しそうに本を纏め始めた。
どうにも、何か押し売りされたようだ。
「何売りつけられたんですか?」
「流行りの恋愛小説です」
外見だけなら年頃の少女にしか思えないのでしょうがない。俺からしても大体十六歳か十七歳前後に見える。未だに中身が千歳を超えてるとは実感がない。
「ですが、以前他の街に行った時にもおすすめされて……」
先生曰く、内容はお姫様と騎士のよくある悲恋話のようだ。
神の血を色濃く継いだお姫様は、ひどく閉塞的な環境の中で育てられていずれ死ぬことも運命づけられていた。お姫様はある時に才覚ある平民の騎士と恋に落ちる。そして、それを気に騎士に相応しい人間となれるようにお姫様は前向きに生き始める。
最後は様々な苦難を乗り越えて結ばれるも、騎士が非業の死を遂げてしまう。しかし、お姫様は女神の血を引くものとして長い間を生き続け、騎士がまた生まれ直して自分の元へ来てくれる事を待ち続けるという話だ。
前編後編の話で、今の話が前編に当たるのだが未だに後編が出版されてない。
ヒットした上に演劇利用も自由で、若い女性たちを中心に大流行している。
驚くことに作者が不明で未だに後編が出てこない事で、巷を騒がせてるらしい。
「途中からやけにその騎士への扱いというか、主人公の騎士への内心の罵詈雑言ぶりが凄いことになっていたのが気になりましたが面白い話でしたね。そういえば、あとがきに『待ち人が来たら続きは書きます』とも記されていた気が……」
途中までは素直に面白い小説のストーリーとして聞けたが、初めて聞いた話なのに既視感が拭えない。
「どうかしました?」
「いや……大丈夫です」
胸のざわつきを感じるが、それがなんのせいなのかもわからず歯がゆい。
あぁ、やっぱり記憶は早く取り戻さないとダメだな。
どうしても、今のままでは自分を自分だと言える肝心な部分が欠けている。
あの満天の星空も、雪が降る聖夜も、どちらも代えがたい大切な記憶の断片だ。
今の生活は幸せだけれど、どこかで自分を騙している気分になる。
「では、帰りましょうか」
先生の柔らかな声で深くまで沈んでいた意識が現実に引き戻される。
言われるがままに頷き、帰路へと就いた。
「浮かない表情ですが、楽しくありませんでしたか?」
夕方の人通りの少ない街路。夜の暗闇に抗うには頼りない明かりの数々が、ほそぼそと揺れている。
「そういうわけじゃ……ただ、ずっとこのままではいられないなと」
その言葉に、先生の肩が少しだけ震えた気がした。
「えぇ……あなたが私の元にいる理由は、記憶を取り戻す為ですからね。どうか、早く記憶が取り戻せるように頑張ってください」
なんてことのない優しい言葉。けれど、同時に僅かな違和感も入り混じったもの。
「……あなたが出ていってしまったら、手料理を食べられなくなるのが悲しいですね」
通りの喧騒がかき消し損ねた、喉から絞り出したようなつぶやき。
不思議と、言葉の裏に隠された感情に気づいてしまう。これが前世の経験の賜物だとしたら、本当に今は要らない経験値だ。
彼女に安心を与える為には言葉を絞り出すべきなのに、言葉が枯れきった様に何も言えない。いや、言うべきじゃないとわかっていた。
彼女は人と生きる時間が違う。沢山の人間を見送り、別れを経験してきた。
だからこそ、これ以上傷つかないように人と関わらない今の生き方を選んだ。
その生き方を歪めた張本人である俺が、慰めるなんて余りにもおかしな話だ。
───けれど、その傷を知らないふりをするのは、駄目だ。
息を吸って、乾ききった舌を動かして、言葉にする。
「その時は、また作りに来ますよ」
生憎と、後何回転生するかもわからない。
お互い全てに取り残される身だ。なら、その時間の中で寄り添う程度はできる。
「……聞こえなかったふりをしてもよかったんですよ」
くすりと微笑んだ先生の表情からは、先程の陰が和らいでいた。
「全く。いつかきっと、私に優しくしたことを後悔しますよ」
『
闇の中の妖艶な笑みは、街路の明かりで暴かれて、可愛らしい少女のものにしか見えなかった。