先生は俺に身体を預け、起き上がってからももう離れないんじゃないかというほどぴったりと張り付かれている。
先程までの威勢の良い言葉の後は、賢者タイムとでも言うべき冷静な思考が戻ってきて恥ずかしくて仕方がない。何が幸せに今を見つめて欲しかっただ。
あんなもの、ゲームや漫画ならプロポーズと変わらない。
まあ、それでも後悔はない。
先生には前を向いて欲しかった。
問題は日頃は余裕を崩さず妖艶に振る舞う先生が、目の前でこんな無防備な姿を晒しているという事実だ。
頭がどうにかなりそうだった。
肉体的には十三歳で、第二次成長期を迎えている。
当然、身体はそういうことにも反応を示してしまう訳で、魅力的な女性である先生を前にこの状況で落ち着いていろというのが無理な話だ。
頭をグルグルと巡る茹だった思考の中で、生理的現象を必死に抑え込もうとする。
とくとく、と響き合う心音が騒がしい。
「先程までの言葉は凄く格好良かったのに、何をそんなに余裕をなくしているんですか?そういう経験がないわけでもないでしょうに」
涙の跡を拭った先生がクス、と笑いながらからかってくる。
転生する前はゲームだけが友達の悲しい人生だったのだ、女性経験なんて覚えがない。
「いや、ないですよ」
「え?あぁ……覚えてないんですもんね。最初に会った時はどう見ても恋人同士でしたよ。私があなたと二人で話してるだけで、殺意というほどではないですけど、敵愾心?を向けられましたから。可愛らしい嫉妬ぶりでしたよ。次の日はいっぱいキスマーク付いてましたからね」
前の自分って包帯を顔に巻いた怪しい外見だったと聞いたのに、どうやってその金髪美少女剣士ちゃんをたらしこんだのか。
自分のことなのにまるで見当が付かない。
あれ?というか俺って実はノットチェリーボーイなのでは?
「きっとあの方もさっきの私みたいにしてやられてしまったんでしょうね。罪な人です」
「な、納得できない……」
自分が女を引っ掛けまくってるみたいに言われるのは心外である。
前世はぼっちでゲームが恋人だった人生を送った。それがいきなりプレイボーイだった経歴を聞かされても自分事な気がしない。
「納得してください。というか、そんな事言っていたら斬り殺されてしまいますよ」
ちょっと悪寒がした。もしかして昔の自分は大分凄い女性とお付き合いをしていたんではなかろうか。
「とりあえずちょっと離れてください」
「ふふ。いやです」
可愛らしい笑顔で拒否すれば、さらに身体を密着させられる。
共有される体温と、服越しに伝わる柔らかな感触にゴリゴリと理性が削り取られる。
抜け出したいが、先生の本心を引きずり出した負い目もあって抵抗できなかった。
「少し、昔の話をしてもいいですか?」
「この状況でですか」
「逃げないんですよね?なら、どうか受け入れてください。別にあなたが本当に嫌がることはしませんから」
逃げないことと拒否することは違うのだが、俺はどうしても先生の甘えを退けられなかった。
少しだけ落ち着かせるように距離を空けることには成功したが、それでもほとんどくっついたまま話を聞かされることになる。
「私は、勇者が魔王を殺した時の呪いで不死になりました」
何故不死になったのかは踏み込んだ質問過ぎてしたことがなかった。
しかし、以前魔王は女神の呪いで死ななかったと言っていたし、関連性に納得はできる。
「何故、殺した本人にかからなかったんです?」
「初代勇者は魔王と共に消滅しました。その代わりを、近くに存在した私が引き受けたのかもしれません」
今の暦の始まりが『黄金の時代』の開始で、今は千四百年代。そして、魔王が討たれたのは暦が始まるまでの数十年の間。
先生は、千五百年の間も生きてきたことになる。
永い。長過ぎる時間だ。
微かに垣間見せた狂気も当然だと思えてしまうほどに。
むしろ、未だにこうして会話ができる正気を保てている方が凄い。
「魔王の呪いを引き継いだ私は、死ねない体になりました。怪我をしてもまたたく間に再生する。切断した腕は即座に生えて、身体を丸ごと消し飛ばしても塵が集まってまた生き返る。腹も減らず、睡眠も必要とせず、性欲すらありません」
腕の中で収まる少女は告げる。
「私は十六歳で仲間と共に魔王を討伐しました。そして、私は十六歳から何も変わらないままなんです。姿形、存在そのものが、ずっと、ずっと、私だけが、永遠に変わらないまま」
ようやく、俺は腑に落ちた。
先生は、長年生きてきた経験豊富な人物であるように見せかけて、実際は千年という時間を被せられただけの少女に過ぎなかった。
「かつての仲間は、老いて結婚して、子供を設けたり……私も、あの頃はまだみんなが生きていて楽しかったです。長生きすること自体にも否定的ではありませんでした。毎日魔法の研究をして、たまにみんなで顔を合わせて。ただ、少しずつ、少しずつ歪んでいくんです。私の現実が、時間が……気がつけば仲間たちはみんな死んで、私だけが残されました。私を慕ってくれた、兄弟のように可愛がった仲間の家族も、教え子も年老いて死に。私は見送ることしかできませんでした」
聞いているだけでも、彼女の孤独に胸を締め付けられた。
「誰も彼もを見送りました。そして、気がつけば等身大の私を知っている人間はみんな死にました。残された私は、ただ魔王を討ち滅ぼした今もなお生きる『英雄』としての役割を人々は求められたんです」
この先の話の展開が読めてしまって、俺はゆるく彼女を抱きしめるしかなかった。
回した手を撫でるように伸ばされた指先から、切なさを感じた。
「共通の敵を滅ぼした人族は、次は互いに争い始めたんです。魔王を倒すまで、あれだけ一致団結していたというのに、所属、種族、血筋の違い。領土、権力、金。そんなものの為に平気な顔をして裏切って、互いを傷つけ合い、血で血で洗う戦争を始めた。そして、共和国が苦境に立たされた時、私は強引に戦場に駆り出されました。戦いたくはなかったですよ。それでも、彼らが……仲間が残したものを守るには、もうそれしかなかったんです」
共和国は勇者を排出した国だと歴史で学んだ。つまり、先生の故郷でもある。
先生は甘く、優しい人間だ。だから、そこに目をつけられたのだろう。
「私が魔法をひとつ撃つ度に、戦場は真っ赤な血の海に染まりました。死体でできた道の上を歩いて、言われるままに何度も何度も魔法を使いました。さっきまで人間だったものがそこら中に転がって……笑える話でしょう。あの戦争……魔法大戦は、丁度技術の転換点でした。呪術が一般化され、魔法も技術として洗練され始めた時期です。だからこそ、余計に戦争が長引いて……ある時気づいてしまったんですよ」
「先生」
聞いてるこっちが耐えられなくなりそうだった。
何より話してる先生自身が、ひどく辛そうで止められずにはいられなかった。
「私は今日この日までこの事を誰かに話したことはないんです……逃げないんですよね?なら、どうか受け止めてください」
痛々しい笑みを浮かべた彼女は、またゆっくりと話し始めた。
「この終わらない戦争終わらせるには、彼らの残したものを守るには、戦争ができなくなるほど殺し尽くすしかないのだと……世界を救った魔法使いが、あっという間に大量殺人者に変わってしまいました……きっとあの戦争で殺した命は、私が旅の間に救った命よりも多いのでしょうね」
落胆と諦念、強く刻まれた感情が何処から生まれたものなのか、ここまで教えてもらえばわかってしまう。
「戦争を終わらせてから待っていたのは称賛でも歓声でもありません。『理』から逸脱した強者が行き着く先はいつだってひとつです。『英雄』は敵からも仲間からも恐怖される存在に成り下がりました。その後は簡単で、大勢のものから恐怖された私に近づくものは、ただ私という殺戮兵器を利用したい人間だけでした。そして、人間、精神がすり減り果てると、大抵のことは諦められるようになるんです。だから、私は全てを諦めました。誰かと関わることも、何かを守ろうとすることも、全てを諦めて、全てを遠ざけました」
言葉を紡ぐ度に、先生の瞳の奥がどす黒く濁っていく気がした。
「私の殺戮者なんです。この手はもうずっと昔に真っ赤に濡れてしまった。それでもあなたは先程の言葉を撤回しないんですか?」
わかりきった事だ。彼女がどれだけ血濡れた身だとしても、命を救ってもらったことも、今日まで暮らしてきたことも何も変わらない。
「先生がしてくれたことは何も変わらないですよ。だから、撤回する必要なんてないです」
「全く……そんな中であなたが現れて、一緒に時間を進めてほしいだとか、私の想いからは逃げないだとか……えぇ、いいですよ。あなたはそういう意味で言ったわけではないですもんね?私も重々承知してます、でもその上で。私があなたの言葉をどう感じたか、よく考えておいてくださいね」
もはや言い逃れのしようもない。後悔はないが、反省はある。
「はい……」
「ふふっ、別に怒ってないですよ。嬉しかったんです」
ゆっくりと俺の膝を離れた先生は、屈託のない笑顔を浮かべた。
「あなたがくれる感情が、純粋な想いが、ただ時間に流されるだけの私を、あなたは繋ぎ止めてくれたんです。積み重ねのない、生きる屍だった私に、こうして向き合う勇気をくれたんですよ」
拾い上げた帽子を被る。だが、その縁で顔を隠すことはしなかった。
「あなたが記憶を取り戻した後どうなるかわかりません。私のもとを離れるのか、側にいてくれるのか。正直今も怖いです。それでも、あなたが前に進むなら、私も向き合います」
自分も記憶が戻った後はわからない。それに、厄災のこともある。
不安は多いけれど、立ち止まっているだけでは何も解決しない。
「ですから……どうか、逃げないでくださいね」
執着の色を隠しもしない。底冷えするほど重たい感情を感じさせる表情だった。
それでも逃げないと口にしたのは自分で、彼女の時間を前に進めて欲しいと願ったのも自分だ。
彼女の望む約束ひとつできないのだから、責任程度は取らなければいけない。
十三歳の冬が終わり、気がつけば温かな季節が訪れた。
穏やかな陽射しは先生の心を凍りつかせていたものも溶かしたように、彼女は以前と違う。確かな人らしさを手にしていた。
自らの感情を諦念で封じ込めることはなく、笑ったり泣いたり、喜んだり怒ったり、正直な感情表現をしてくれる。
全てを諦めたような、あの笑みを浮かべることは以前よりも明らかに減っていた。それはいいのだが、それと同時にひどく無防備な姿を晒すことも増えて困っている。
まあ、これも以前に比べれば幸せな悩みというやつだ。
「何をニヤニヤしてるんですか?」
料理をしながら物思いに耽っていれば、頬を膨らませた先生に肘で小突かれる。
「いえ、変わったなと思って」
以前は頼んでも一緒に料理なんてしてくれなかったのに、今はこうして気が向けば手伝ってくれる。
ちなみに無断でアレンジは禁止だ。ちゃんとレシピ通りに作ってもらう。
この四年近い年月で最も上達を実感したのが料理というのはなんとも言えない話だ。
日々の変化を楽しんでもらえるように、色々と試していたら自然と上手くなった。
「変わったんじゃなくて、あなたが変えたんですよ。全くもう」
エプロンを付けてシチューを混ぜる先生は横目で睨みながらため息を吐く。それでも、その言葉の裏に隠されたものが悪感情ではないことは声色からも察せられた。
言動の節々に隠れた小さな変化に、自分はどうしても子どものように心を弾ませてしまうのだった。
食事の合間、先生がふと思い出したように話題を振ってくる。
「そう言えば、冒険者活動の方は順調ですか?」
「えぇ、まあ」
春に入ってから俺は近場の冒険者ギルドで、冒険者としての活動を始めた。
五百年前まで冒険者ギルドは十五歳の成人まで登録不可能だったのだが、現在は試験に合格すれば十歳から冒険者として活動が許可されている。
例の『流星』と呼ばれた階位冒険者は十歳と少しで竜種を討伐してしまったりと、過去にあったイレギュラーから特例で設けられた制度のようだ。実際、試験自体は八級に近い実力を要求されたので、合格できるなら素養は十二分だろう。
冒険者を始めた理由はいくつかある。
ひとつ、自分の精確な実力を測り、実戦経験を積む。
ふたつ、記憶取り戻した後の活動を見越して、資金と立場が必要。
みっつ、いつまでも先生のヒモはヤバい。
冗談みたいな話だけど三つ目は結構大事だ。
ずっと養われてると、次第にこのままでいいんじゃないかという甘えの心が生まれる。現状維持に甘んじたが最後、ズルズルと死ぬまで先生との共同生活を続けることになる気がする。
実際、冒険者活動を始めると話した時はかなり反対された。
ちなみに理由は『私といる時間が減るじゃないですか……』だった。
果たして記憶を取り戻して遠出したいと思った時、ここを離れる事ができるか不安だ。
実のところ実力行使をされると天地がひっくり返っても勝てないので困る。
「あなたの実力を疑っているわけではありませんけど、用心してくださいね。ここ二百年で、明らかに魔物の質が変わりました。それこそ、黄金の時代以前に近い状態です」
現在の冒険者としての階級は三級で、ひとつの壁とされる四級を超えた階級。
階級の上昇に応じて危険な依頼も増えたが、正直まだまだ余裕はある。だが、気がかりなのは先生が言う通りにここ二百年の間、魔物の危険度が上がり続けてるということ。
出不精な先生ですらそれを実感するのだから、これは事実だと思う。
ギルドの方でも危険な魔物の討伐に向かう場合は都度注意喚起をされたりする。
昔はなかったらしいので、魔物の危険度の上昇に応じて追加されたのだろうか。
「即死でもしない限りは大丈夫ですよ」
奇跡の練習の甲斐があって、今は腕を生やす程度なら難しくない。
流石に戦闘中に治すとかは無理だが、落ち着いた状態なら四肢の回復までは行けるようになった。
切断された四肢を繋ぐのとゼロから再生させるのでは訳が違う。奇跡による四肢の再生は、歴史でも数十人しか成功させたものがいないらしい。
「それでも心配なものは心配ですよ。ある日突然、あなたがあの扉の先から二度と帰ってくることはないんじゃないかと……」
先生は本当に心配性だ。けれど、何度も誰かを見送ってきたからこそ生まれる不安だということもわかる。
平静を装っているが、瞳の奥が不安にわずかに揺れている。
机の上に置かれた両手を、そっと包んで握る。せめて不安が紛れるように。
「俺はあなたの元を勝手に去ったりしません。それに、もしも死んだとしてもまた必ず先生の元に現れますから」
確かに死んでしまえば長い時間会えない可能性はある。それでも、俺の場合はいずれ会える。
「あなたという人は本当に……」
ジト目で睨まれた。
あれ、励ましたはずなのになんか微妙な雰囲気。
「そういうところですよ」
そういうところらしい。何故かデジャヴを感じた。
薄暗い迷宮の通路の中を微かに満たした魔力が淡く輝いている。
先を見通せない仄暗い闇は、暗闇というものへの本能的な恐怖を刺激される。
迷宮とは黄金の時代以降の時代に生まれた自然発生物で、この世界の各地に点在する。中には魔力が満ちていて、魔物が定期的に生み出される。まあ、よくあるファンタジー的なダンジョンだ。
殆どの迷宮は冒険者ギルドが管理していて、冒険者の階級に合わせて入場が制限されてる場合もある。
大昔は迷宮の最深部にある核を破壊する方針だったようだが、実質無制限に魔物の素材を採取できる事や他にも様々な理由により冒険者ギルド管理のもとで運用されている。
今日はギルドの依頼で迷宮潜っているのだが。
何故か、先生も付いてきている。
『そうだ、私も付いていきます。その方が依頼も速く終わるでしょうし、安全ですよ』
実際その通りではあるが、もはや訓練の意味をなさなくなってしまう。
普段の振る舞いで忘れそうになるがこの人は歴史でも類を見ない暴力装置である。
危なくなるまで手出しはしないと言質は貰ったのでいいのだが、妙に気になってしまう。
「そんなにソワソワしなくても手出ししませんよ」
手出しせずとも戦いぶりを観察されるのは妙な気恥ずかしさがある。
女性の前では格好つけたくなってしまうのが男の性だ。
最初は不安だったが、特に先生の手を煩わせることはなく迷宮探索は進められた。
肉体の成長もあって最近は自分の実力の伸びを強く実感する。
現在潜っている迷宮は全部で二十階層の中規模なもの。最下層まで攻略済みだが出現する魔物が危険なものが多く、三級以上の冒険者しか入場できない。
入れるだけでも大したものという扱いが、十三歳にして最下層まで潜れるのだから結構人間をやめている。転生能力様々だ。
迷宮の探索が予定よりも順調に進んだこともあり、先生からの提案で試しに最下層まで降りてみることにした。
「迷宮探索なんていつぶりでしょうね。昔を思い出します」
「先生もちょっと戦ってみますか?」
ここまで魔物は全部俺ひとりで倒してきた。おかげで先生はただ付いてきただけだ。
流石にこのまま暇させるのも気が引ける。一緒に戦うというのも楽しそうだし。
「それもいいですが……待ってください。他の誰かが戦ってる気配がします。しかも、ひとりですね」
魔法陣が刻まれた紫の瞳が淡く輝き、先導し始める。
他の冒険者だろうか。ソロだとすればとんでもない命知らずだ。
「囲まれて困ってるみたいですから、手助けしましょうか」
先生の言葉に従い、言われた方角へと駆け出す。
冒険者は自己責任な生き方だけれど、助け合いは大事だ。
入り組んだ最下層の通路を駆け抜けた先には、思いもよらない人物の姿があった。
魔物に囲まれた刺々しい目付きの黒い髪の少年。
四年近い月日で顔立ちも身長も変わっているが、間違いなく野犬くんの姿だった。
彼が握る黒い剣に風が纏い、身体の回転に併せて荒れ狂う暴風の如く振るわれる。
斬撃と魔法による刃の嵐。力任せにも思える荒々しい剣戟だが、確かな技量に裏付けされた剣捌きで多対一の状況でも的確に魔物からの攻撃をいなし、攻撃を打ち払っている。
加えて、風の魔法で機動力を補助することで完全に囲い込まれることを避けて、剣に纏わせることで攻撃力も向上させていた。
風魔法なんてまるで使える素振りはなかったのに、この三年で習得したんだろう。
再会を喜ぶにしても後だ。駆け出した瞬間、野犬くんもこちらに気がついたのか驚いていた。
「手を貸っ……いややっぱ手ぇ出すな!」
明らかに追い詰められているのに、何いってんだこいつ。
しかし、俺が手を出すよりも、野犬くんが何かをするより速く急展開を迎えてしまう。
「『世界の果てから吹く風よ』」
───謳うような声と共に、魔力が迸る。
「『咲け、割け、裂き乱れろ。
空気が唸り、風の刃を象る。
「お二人とも屈んでください」
瞬間、荒れ狂う風の刃が空間を丸ごと飲み込み、抉り、切り裂いていった。
吹き抜ける暴風に斬り刻まれるかと身構えたが、完璧な魔法制御により俺も野犬くんも怪我ひとつない。
逆に風の魔法の直撃を受けた魔物達は、見るも無惨と言うか殆ど塵と変わらないレベルで切り刻まれていた。
先程まで苦戦していた魔物達が、跡形もなく消し飛ばされた事実に野犬くんは口をあんぐりと開けて愕然としていた。
「お、おま……何だその女」
おい、女言うな。
今の魔法を見ておいて失礼な物言いができるのは逆にすごい。
「命の恩人で俺に奇跡を教えてくれてる先生、だな」
なんというか迷ったが、まあこれが一番自然な表現だ。
「ついでに同居人兼保護者ですかね。どういう関係なんです?」
「別に大した関係じゃない。元奴隷仲間ってだけだ」
友達だと紹介しようとしたら先に断られてしまった。
元奴隷仲間って凄いアレな肩書である。
それにしても、こんなところで再会できると思ってなかった。
あの後どうなったのか心配だったので、こうして無事な姿を確認できて嬉しい。
それに、剣術も基礎を踏まえて圧倒的に成長している。
力だけで隙だらけだった剣術は未だ力頼みで荒削りな部分はあれど研ぎ澄まされ、力を重視した剣術の鈍重さも、風の魔法でカバーすることで成立させている。
「お礼は言わないからな」
ぷいっとそっぽを向いた野犬くんは、いつも通りのツンを発揮している。
「彼なりの感謝の仕方です」
仕方がないのでフォローしておく、三年経っても負けん気の強さはそのままだったようだ。
「そうですか。ふふ、はい。どういたしまして」
「っておい!」
腕を組んでご立腹な様子だが、先生には助けて貰った手前強く出れず俺の方ばかり睨んでくる。
「はあ……まあいい。こんなとこで出会うなんてな」
自分も野犬くんとこんな迷宮の最下層で再会するとは想像もしなかった。
「俺だってびっくりした」
「で、横のお……人がお前の探し人なのか?」
野犬くんが女と言いかけたところで後ろの先生から圧を感じた。
ちゃんと危機察知ができて偉い。
「いや、違う。あー……その、小さい頃色々あったせいで記憶が曖昧だから、それを取り戻すのを手伝ってもらってるんだ。だからまだ会えてないんだ」
転生のことや先生のことを細かに説明すると面倒なので、幼少期の記憶ということで説明する。
「そうか」
短い返事だが、微かに落胆というか残念がっているのが雰囲気で伝わる。
探し人が死んでるかもしれないということは伝えなくて正解だった。
「野垂れ死んでなかったことは褒めてやるよ……で、お前、冒険者になったのか?」
「ちょっと前にな」
「チッ。その様子だとどうせ俺より上だろうな。いくつだ?」
舌打ちしながら懐から取り出したギルドカードを投げ渡してくる。
記されている階級は四級だった。
野犬くんは確か十四歳だ。十四歳で四級冒険者は大分人間を卒業している。
自分の階級は転生のチートや染み付いた技で手にしたもの。素直に誇れないので、少しだけ羨ましい。
「三だ」
けど、ここで変に謙遜したり、野犬くんを褒めるのは逆に傷つけるし、素直に受け取ってはもらえないだろう。
「はっ、すぐに追い越してやるから待っとけ」
悔しそうな表情は好戦的な笑みへと早変わりする。
野犬くんに対しては、変に謙虚に接するよりも堂々としてた方がいいのかもしれない。
その後は野犬くんも依頼は終わっていたらしいので一緒に地上まで戻る事になった。
戻る道中、先生が使った魔法について興味が生まれたのか、珍しい事に野犬くんが素直に先生に教えを請うていた。先生は意外そうに驚いていたが、道中までであればと快く講義をしていた。
野犬くんが素直に教えて欲しいと言うなんて、明日は雪に違いない。