落ち着いた後、夢で見た事をひと通り先生に話した。
流石に先生との記憶については、必要な部分以外は話さなかった。
記憶とは言うものの、自分でも本当に自身の記憶だと確証がない。
後、相談相手にあなたと付き合ってた夢を見ましたは色々とヤバい。
……夢の中の自分は、どうやって先生からあの笑顔を引き出したのだろうか。
「つまり、纏めると確実に自分のものではない。けれど、知っている人達との記憶……それも、良くない結末のものを見たということですね」
「あの魔王らしい女の子……黒髪の娘は本当に知りませんけど」
本当に誰なんだ。しかも、滅茶苦茶恨まれてたんだよな。
魔王でボクっ娘で大鎌使い?属性盛りすぎだろ。情報が濃いんだよ、頼むから引き算してくれ。
最初の二人のことはなんとなくはわかる。
初めて出会った時や、印象深い場面しか覚えてないけど、特別深い関係性だったのも推測できる。
そして、自分が誰と再会したがっていたのかも、ようやく思い出せた。
「正直、思いつく理論が自分でも意味不明なので、あなたが変な夢を見たのほうが現実性が高いんですが……聞きますか?」
自分も変な夢を見たってことで終わらせたい。
「お願いします」
珈琲を飲み干した先生は悩みながらも説明を始めた。
「まずこれは全て妄想に近い憶測だと思ってください。まず、あなたの記憶が戻り始めたのは間違いなく昨日の奇跡の影響です。あれで魂の外殻部分が刺激されて記憶の再生が始まりました。最初に取り戻した記憶は間違いなくあなたの前世のものでしょう」
あぁ、最初に取り戻した記憶に関しては自分にも確信がある。
「次に、後から思い出した四つの記憶ですが……あれらは、もっと外側。つまり、以前説明した削られた部分より外側。
本来保有していた記憶ということなら、あれは実際に存在した過去ということになってしまう。
「過去に戻った……のか?」
「はっきりいいますが、無理ですね」
だが、俺の仮説はバッサリと切り捨てられた。
「時間というものに対するアプローチは魔法が最も得意とします。そして、あなたが生まれ変われば魔法の才能を私以上に手にすることもできるでしょう。ですが、それでも断言しますが、無理です」
何故という問いよりも先に先生は疑問への解を叩きつけてくる。
「魔法だけではどうしようもない領域です。奇跡や呪術を利用したとしても……」
「例の魂を代償にした方法はどうですか?」
魔法や奇跡により過去に飛んだ。その時の代償に魂を支払ったのなら自分の魂の形にも説明が付いてしまう。そして、現状この仮説には
先生はハッとした表情で数秒固まってから、顎に手を当てて考え込む。
「理論上は……可能です。ただ、実行するには膨大な魂の総量が必要で、過去に戻るなんて魔法を作ろうとすればどれだけ掛かるか……私は魔法に関する才能も知識も世界で一番だという自負があります。そして、これまで千年以上生きてきました。こんな身体ですから、時間や空間に関する魔法は研究してきました。ですが、殆どのものは仮説より先に進んだことはありません」
先生の能力を以てしても魔法で時間に干渉する事は難しい。
それなのに、俺が過去に飛ぶ魔法を発明できるとは到底思えない。
なにより、絶対に精神が持たない。
過去の記憶を垣間見ただけでアレだ。三周もすれば廃人になる自信がある。
千五百年生きた研究の第一人者が進展ほぼゼロと言ってるのだ、無理過ぎる。
「女神が関与してあなたを過去に戻したということもありえなくはないですが……あなたもご存知の通り女神はもうこの世界に存在しないと言ってもいいものです」
千五百年前辺りから女神が行方不明というのは聞いた。
結果として魔王や魔族が生まれ、迷宮が各地に生まれたりした。
「魂自体未解明の領域です。私が話した妄想よりも魂が傷ついたことで記憶が混乱したと考える方が圧倒的に現実的でしょうね」
後はまあ別世界線の記憶というか、並行世界論的な話になるけど、そういう説もある。
何にせよ、現状ではあれらの記憶のことはまだわからない。
「それよりも、思い出したんでしょう?」
名前すら思い出せないけど、確かに思い出した。
最後の約束、会いに行かなければいけない理由。
「はい」
けれど、それはつまり先生との別れを意味する。
あれだけ言葉を重ねながら、結局はこの人を置いていく事になってしまう。
「どうしてそんな思いつめた顔をしてるんですか」
スッと伸ばされた手が頬に添えられ顔を上げさせられる。
先生の表情は至って普通で、何事もなさそうな顔をしていた。
「置いていかれるのは私の方なのに、あなたのほうが置いていかれるみたいな顔をしてますよ」
先生はずっと覚悟していた。それなのに、覚悟できてないのは自分の方だ。
「いずれ、また会いに来てくれるんでしょう?」
彼女がまだ生きてるかはわからない。だからこそ、会いに行くんだ。
会いに行って確かめる責任が、自分にはある。
その後のことはまだ決められない。厄災を倒すなら地盤を固める時間も必要だ。
金、人脈、地位、厄災と対峙しようと思えばまだまだどれも足りない。
どうあっても、ここに戻って来て平穏に暮らし続けることはできない。
全てが終わった後にここに戻って来ることはあるかもしれない。
あるいは、次の人生になる可能性だってある。
「その保証があるなら、私は大丈夫ですよ。それより、五百年も待たせてるんですから早く会いに行ってあげないといけませんね」
やっぱり、この人は優しい、優しすぎる人だ。
「もう今日発ちますか?」
「もう少し記憶が戻るまで待つつもりです」
現在は法国に向かう予定だけど、記憶が戻った結果行き先が変わる可能性もある。
しばらくは長旅に備えた準備だ。二度も道中で倒れるのは不味い。
「よかった、ならもう少しは一緒にいられますね」
チクリと、先生の言葉が胸を刺した。
そして、そんな俺を見て彼女は満足そうに笑った。
いい性格してるよ、本当。
「あなたに渡す為に準備してるものがあったので良かったです。経過が問題ないかも確認したかったですから」
先生との生活も残すところ数日になってしまった。
それを選んだのは自分だけれど、こうもあっさりと終わるものなのだろうかと唖然としてしまう。
大切な記憶を取り戻した俺はギルドで野犬くんの訓練に付き合った後、一戦終えて壁に座りながらしばらくすれば先生の元を離れるかもしれない事を伝えた。
彼ももう次の国への移動を考えていたらしく、なんなら自分が見送る事になりそうだ。
「思い出せたなら良かったな。でも、お前ひとりで法国に行くのか?」
意外にも素直に祝福してくれた。いや、意外でもないな、
こういうことにおいて野犬くんは素直だ。
「そのつもりだけど」
先生は変わるのが怖いと言った。
俺は今世で先生に強引に迫り、停滞した時間を進めた。
先生は強いようで酷く脆くて、怖がりだ。
これ以上、急な変化を迎えればまた酷く摩耗させてしまう。
今を意識せず、ただ流れる時間に身を委ねる事は楽だ。
楽だが、本来時間は限られたもので過ぎれば毒になってしまう。
でも、先生には時間の制約がない。結局は先生にはまだ時間が必要だと思う。
「自分の女を放っておいてまで、北の果てまで行くのか?」
鋭い視線で、それは俺という人間を推し量る意図が込められている気がした。
「何が言いたい?」
「お前は本当にその選択を後悔しないのか?愛した女をほったらかして、迎えに来るのは何年後だ?また会えるとも限らないんだぞ」
愛した女という言葉に口が開きそうになった。
野犬くんがこうも純粋に愛を信じるような言葉を吐くのには驚いた。
まあ、先生を放ったらかしにするのは自分だって嫌だ。
でも、五百年待たせっぱなしの相手がどうなったかも知らずに、ここに留まるなんてできない。
もしもこのまま、自分の想いに嘘を吐いて先生と時間を過ごせば、それこそ俺は自分に殺される。
五百年、俺が生きてきた今世のざっと四十倍だぞ。
どうして、それをそのままにできる。
グルグルと回る思考に、自分の余裕が削れる音がした。
「何も知らないのに、随分好き勝手言うな」
初めて、目の前の友人を突き放すような言葉を言ってしまった。
瞬間、胸ぐらを掴まれて立ち上がらされ、至近距離で目を合わせられる。
彼の瞳に燃え上がる感情が見て取れた。自分自身すら焼き尽くしてしまいそうな。
「もう一片言ってみろ」
俺だって、色々と悩んだ。
先生に、誠心誠意言葉を尽くして、隣を歩んで欲しいとも伝えた。
それでも、未だに過去に縛られて、俺以外を見送る事を恐れている。
そして、俺には待たせている相手もいる。
五百年待たせた相手に、なんて説明すればいい。
今すぐに先生の心を全て解放できるなら、そうしたい。
待たせ続けた聖女の心を救えるなら、なんだってする。
できる限りのことはする、でも俺は別に何でもかんでも叶えられる神様じゃない。
そうだったら、記憶を失って苦しんでない。
「言ってやるよ。俺には俺の事情が、先生には先生の事情がある」
瞬間、殺意が込められた銀閃が走った。
先生から譲り受けた魔剣が、野犬くんの剛剣を受け止める。
ガリガリと音を立てながら剣が鍔迫り合う中で、俺は冷たく彼を見つめ返した。
「テメェ、いつからそんなにビビリになり下がった?」
次々と走る刃。それは訓練や模擬戦の域を超えた敵意と害意を宿している。
風の魔法と共に加速する剣を的確にいなし、逸らし、躱す。
これは俺の問題なのに、なんでこいつがこんなにキレてるんだよ。
いつもなら、ああキレてるなで済ませられるけど、今はそんな余裕はない。
「それだけ力があって、何をそんなに怯えてんだ」
力があればなんでもできるってか?そんな訳がない。
なら、なんで俺より力がある先生は、あんなに苦しんでるんだよ。
「お前は関係ないだろ」
感情が乗った剣筋はいつもより鋭く、強い。
でも、それは長く蓄積された剣術と、魂に刻まれた才を上回るものじゃない。
野犬くんの振った剣を下から捉える。勢いに耐えきれず、剣は宙を待って壁に突き刺さった。
「あぁ、そうだな。関係ねえよ、関係ないから好き勝手言ってるだけだ」
マジでこいつぶん殴ってやろうかな。
部外者なのに気に入らないからと好き勝手言って来る。
剣を失った野犬くんは地面に座り込みながら、俺を見上げた。
「今のお前は、情けないんだよ。情けなくて、ムカつく。気に入らねえ」
「お前なあ……」
なんで俺こいつと友達やってるんだ?
「少し何か言われただけで、目を回して、自分の心や言葉に自信をなくして。そんな風で、誰が数年後迎えに来るって信じられる?」
最後の言葉だけは、グサリと刺さった気がした。
酷く不器用だが、野犬くんが彼なりに発破をかけてくれたのはわかる。
まあ、気に入らないという本音が半分以上だろうが。
「はっ、こんなに弱いやつが、俺より強いなんて……ああ、本当に心底気に入らねえ」
俺を見上げる彼の瞳からは、純粋な嫉妬だけが感じ取れる。
「絶対に、いつかお前を這いつくばらせてやる」
強さへの信奉と、勝利への執着。
それが彼なりの生き方なのだろう。
記憶に囚われた俺は心底こいつを自由だな、と思った。
「俺はもうこの国を出る。精々、後悔しない選択をしろ」
そう言って立ち上がれば、壁に刺さった剣を抜いて去っていった。
その背中に別れを告げることもせずに見送った。
『後悔しない選択をしろ』
心底、勝手な言葉だと思う。
記憶は日に日に戻り始めていた。
彼女との日々、聖女のことを。
誕生日の日に始まった路地裏での追いかけっこ。
十四歳の誕生日に目にした彼女の笑顔。
いつもの何かを見透かして、誰かを意識して作った笑顔ではない。
ぐしゃぐしゃに泣き崩れた、それでも何よりも彼女らしいと思った笑顔。
ずっと欲しかったものを手に入れたはずなのに、口の中には苦いものが広がった様な不快感がある。
頭に靄がかかって、すべきことは決まってるのに納得が追いつかない。
先生の屋敷のある迷いの森の帰り道の中で考える、
鬱蒼と生い茂った木々たちに遮られる光のように、俺の思考も雲がかっていた。
ダメだ、まだ人の言葉に振り回されている。
改めて今の自分の考えを整理するべきだ。
俺の一番の目的は、聖女に会いに行くこと。聖都を目指すことだ。
きっと彼女は今も待ってる。ずっと、ずっと。
例え生きて会えないとしても、彼女の心、答えを示すものがあるはずだ。
なら、会いに行かなきゃいけない。会いに行きたい。
同じ考えが繰り返される。会いたい、会いたい。
だから答えはひとつで、これが絶対の行動順序だ。
その次、二番目の目標。それは先生のことだ。
でも、これは彼女という人間の千五百年を請け負うような選択になる。
先生を想うから、先生を好きだから助けたい。
でも、それは全てを差し出してできることじゃない。
だから、今は選択はできない。
選択できない自分が憎い。
無責任に全てを投げ出して先生を外へと連れ出したい。
連れ出して、彼女にまた人と関わる生き方をしてほしい。
頭の中に吐き出した感情ではっきりした。
俺はやっぱり先生を連れて行くことはできないとわかった。
今は聖女に会って何よりも話したいと思う以上は、そもそも全てを背負わなければ選択できない先生を連れ出すことはできない。
加えて、生きていれば再会した聖女から何を言われるかまるでわからない。
天寿を全うしてるとしても書き置き程度はしてあるだろう。愛情と恨み辛みの詰まった手紙だろうな。
仮に、その手紙に今後の動きを決定付けるような情報があれば、もうその時点で俺は今後先生の為だけの行動ができなくなってしまう。
全部吐き出してようやく素直になれた。
先生は好きだ、助けたい。でも、今は選べない。
聖女とのことを確かめてからじゃないと、ダメだ。
まあ、もとから先生はついて行く気はないと言っていたことだ。
俺が連れていきたいと勝手に悩んでただけだった。
そして、同時に思い出す五百年前のこと。
彼女がくれた愛情、優しさ、温度、感情、その全て。
もし生きてくれているのならと、胸が締め付けられるような高揚感。
方針は決まった。だから、本当に先生と過ごせるのは数日だ。
屋敷の扉を開ければ、研究室から花の香を纏った先生が顔を出す。
「おかえりなさい、少し傷が付いてますね。喧嘩でもしたんですか?」
喧嘩か。喧嘩にしてはかなりの殺意だったが。まあ喧嘩だろう。
「そんなものです」
「う~ん、ふふ。なんだか誰相手にどんな喧嘩したのかわかっちゃいますよ。私」
くすくすと楽しそうに笑う先生は、なんの悲哀も滲ませてない。
確かに俺がここに残れば先生は幸せだろう。でも、本人はこんなにも俺がこれから先何処かへ行ってしまう事を当たり前のように受け入れている。
先生が俺を手放したくないとあの夜話してくれたように、今度は俺が先生を手放したくなくなっていたんだと、いまになって心底理解させられた。
「少し疲れた顔をしてますね。温かいミルクでも入れましょうか?」
そういった彼女の腕を掴んで、俺は何も言わずにソファの隣に座らせた。
向けられた紫の瞳は澄んでいる。
彫刻が彫り込まれたかのような、瞳の中の時計の模様。
恐ろしいほど綺麗な瞳は、一片の迷いもなく俺へと寄せられていた。
「どうしたんですか?」
「待っててくれますか」
自然と口をついて出た言葉だった。
これまで、無意識に口にすることを避けていた。
誰かを待たせるということは途方もない呪いになるかもしれない。
それなのに、先生はその綺麗な瞳を見開いて、何の躊躇もなく笑った。
そして、なんの迷いもなく、戸惑いなく答えた。
「いいですよ」
それは、ある種の愛の言葉のようにも聞こえてしまった。
全部が許されたような。そんな錯覚すらある言葉だった。
きっと、俺の頭がおかしくなってしまったのだろう。
「こういう時、なんて言えばいいかわかりませんね。いつまでも待つとでも言えば、少しはロマンチックになりますかね?」
くすぐるような、優しい言葉を紡ぐ先生から向けられる視線。
まるで恋人のような距離感で見つめられて、酷く恥ずかしかった。
「別にロマンチックさは求めてないですけど……」
「えぇ?大事ですよ。何事にも情緒は必要です」
「でも、今のさっきの言葉が俺の全部で、先生から返してもらった言葉が全てです」
その言葉に面食らったような顔をして、気の抜けた笑みを浮かべた。
「困った人ですね。いつまでも、とは言えませんけど、可能な限り待ってあげますから……待たせすぎないでくださいね」
俺は、その言葉に目を逸らさずに答えた。
自分のわがままで彼女を変えてしまった。その責任程度は自分で負いたいと思った。
「はい」
次の日から、俺は旅をする準備を固め始めた。
野犬くんは完全に旅立ってしまったようで、泊まっていた宿を訪ねてももういなかった。
残り数日で旅立つけれど、先生は特に変わらなかった。
先生なりの強がりなのか、気遣いなのかはわからない。でも、先生と過ごす時間は心地良かった。
いつも通りに料理を作る。
奇跡や魔法の勉強をする。
くだらない雑談で過ぎる時間。
夜をひとつ超える度に、前世の記憶が湧き上がって感情が揺さぶられた。
日常の些細な記憶。
無理難題で振り回されて、悪戯をされる。
彼女に連れられて、市街を歩き回った。
ただ黙々と祈りを捧げる後ろ姿を見届けた。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、色んな姿を思い出した。
思い出の欠片が呼び起こされて胸が締め付けられた。
先生に想いをぶつけられた日とは違い、苦しくはない。
それでも、不思議と誕生日の泣き顔がチラついて眠れなかった。
夢を見る。
浅い微睡みの中で、あの最期の声が聞こえた気がした。
『ねぇ、待ってる!私ずっと待ってる!未来で、君のこと……何年でも、何十年でも、おばあちゃんになっても、待ってるから……!』
気がつけば、伸ばした手のひらが空を切っていた。
薄暗い部屋の中、カーテン越しに月明かりが差し込んでいる。
「……やっぱり眠れないな」
少しだけ眠れたと思ったらこれだ。
今日は眠るのは諦めよう。
眠る先生を起こさないように気をつけながら、バルコニーへと出た。
暑い季節が終わりに近づき、夜の風が吹き抜ければ寒さを実感する。
淡く輝く月を眺めていれば、聖女も生きていれば同じ月を見ているのだろうかと、ふと疑問が浮かんだ。
法国に向かう為の道筋や今後の予定を詰めれば、あっという間に時間は過ぎた。
記憶は未だに細部が戻らないが、重要な物事はある程度思い出せたと思う。
初めて記憶を取り戻した夜に見たものは相変わらずわからないが。
そうして、あっさりとその日が来てしまった。
「あなたの手作りがこれでしばらく食べられないと思うと、寂しいものですね」
「作り方、教えたじゃないですか」
「私、プレゼントって何を貰うかも大事ですが、誰が送るかが一番大切だと思うんです」
遠回しに論理を説かれれば、俺は何も言えなくなってしまった。
「ひとりになっても、無理はしなくていいから……人間らしい生活してくれ」
「善処します」
先生の善処しますという言葉はなかなかに当てにならない。
「会いに行った時に昔みたいな生活をしてたら……」
「してたら、怒りますか?」
「怒りはしないけど……でも、悲しいです。だから、できるだけ。できる範囲でいいから人間らしい生活を続けていてくれると嬉しいです」
「そう言われてしまっては仕方ないですね。わかりました」
ひとつ頷いた彼女はペンデュラムのようなものをひとつ取り出した。
「それは?」
「夜なべして作った魔具です。元々予定はしてたんですが、思っていたよりも早かったので頑張って仕上げたんですよ」
手のひらにペンデュラムを抱えた先生は指先をくいくいと動かして、魔具を通せる様にとジェスチャーをしてくる。
「もうすっかり私より背が伸びてしまいましたね」
自分で付けられるという野暮な突っ込みは飲み込み、ジェスチャーに従って先生の前まで頭を下げる。
先生の顔が視界から外れた時だった。
微かなリップ音と共に湿った温かいものが額に押し付けられた感覚がした。
その感覚の正体を探り当てる前に、しゃらりとチェーンを首に通される。
数秒呆然としてから、俺は先生の妖艶な笑みと唇を拭う様な仕草でようやく何をされたのかを理解できた。
「っ……」
「旅立ちの祝福、ですよ」
門出祝いと言うには余りにも湿っぽい仕草だったが、何も言わないことにした。
これまで散々俺が彼女をわがままで振り回してきたのだから、この程度は受け入れるべきだ。
首から提げられたもの。
茜色のペンデュラムに似た結晶体を手に取る。
中からは先生の魔力を感じるが、どういったものが仕込まれてるのかはわからなかった。
「困った時に使ってください。一回限りですけど、あなたの元にすぐに飛べますから。今世も真っ当に生きられずに死んでしまったら、私も困るんですから。余り女性を待たせるものでもないでしょう?」
「……その通りで」
待たせるべきではないという言葉が現在進行系で待たせてる俺には深く突き刺さる。
「待ってます。ちゃんと、あなたのことを……でも、私は五百年も待てるほど、辛抱強くありません」
いつもはスラスラと喋る先生が言葉を選ぶように、赤い唇がゆっくりと音を紡いだ。
「だから……私のことは気にせず、きちんと約束を果たしてきてください。そして、私との約束もきちんと果たしてください」
千年以上生きた先生の想いは純真で、重く温かいものだった。
「私を呼ぶときではなく。あなたが、あなたの意思で私を迎えに来てくれるときは、なんのしがらみも、躊躇もなく、負い目もなく、私のことを目一杯抱きしめてください。その時まで、きちんと待っていますから」
あの日押し倒された時に感じた様な恐怖に突き動かされたものではない。
利己的な感情ではなく、重く染み渡るような想い。
どんな言葉を返しても、先生の言葉の前では軽いものになってしまう気がして、俺はただ頷いた。
「必ず、迎えに来ます」
今度は先生が静かに頷き返した。
「いってきます」
五年近い年月を過ごした住処に背を向けて、外へと一歩を踏み出した。
振り返ればまた迷いが再燃する気がして、振り返ることはしなかった。
ぼやけた記憶。
なぜか、一回目の人生で異世界に来て初めて、村の外に出た日のことを思い出した。
あの時は、朝焼けすら自分を憎んでいる気がして恐ろしかった。
でも、今は素直に昇る陽射しを受け取ることができる気がした。
歩き去る彼の後ろ姿を見送った。
千五百年生きて、初めてこんなにも胸が高鳴った。
話を聞けば、きっと昔の仲間は驚いて笑うに違いない。
私は、千五百年生きて初めて恋をして、失恋してしまった。
あなたがいないこのリビングはこんなにも寂しく、あれだけ楽しみだった食事も何もかも全てまた意味を失ってしまった気がした。
全てが元に戻ったはずなのに、私の心を締め付ける痛みだけは変わらずに心を磔にしている。
あなたが戻るのは百年先だろうか、二百年先だろうか。
失恋は時間が解決するなんてよくいうけれど、私はその失恋が時間が経てば報われてしまうのだから笑えない。
どうでも良かったはずの時間が、あなたのせいで重みを取り戻してしまった。
流れるだけだったはずのものが、意味を持ってしまった。
それなのに、この身を焦がすような恋が報われるのはずっと先だなんて、ひどい地獄でしょう。
「ズルい人」
流れた涙が、朝焼けの届かない暗闇で弾けた。
大変おまたせしてしまい申し訳ありません。
スランプは脱したので今後は更新ペースを戻せるように頑張ります。
また、流星ちゃんの素晴らしいイラストをいただいたのでこの場を借りて紹介させていただきます。もし良ければリポストやいいねなど是非よろしくお願いします。
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