一筆 茜は他人の心を読むことができる。
十七歳、公立高校に通う二年生。長い黒髪を後ろで一つにまとめ、朱色の髪留めを愛用する女子高生。文字に起こせば、いや文字に起こす必要すらないほどに平凡で、どこにでもいるような普通の人間だ。
実際、心が読めるという一点を除けば特筆した点はない。出自も一般家庭、才色兼備……とまでは言わないが、その容姿を褒められることは多かった。
ここまでは外見。内面は女子高生のそれではない。
心が読めるという特性を持ってしまったことで、彼女は良くも悪くも他人の思考を先読みすることが常になった。醜い思考の津波にさらされ、相手の思考を読めてしまうがために相手の求めている反応や動きをそのままトレースするだけの、いわば操り人形とも言えるような精神状態になってしまっていた。
まるで廃人になってしまったかのような書き方であるが、実際はそれとは違う。ただただそれが彼女にとっての当たり前であり、利点であると彼女自身が自負している。
むしろそれ以外の生き方を知らないからこそ、今、彼女は困惑していた。
「やぁ、一筆さん。心が読めるという噂は本当かい」
それは、昼休み、晴れた日には体育館近くのベンチで昼食を取るのが日課になっていた一筆の前に現れた。
目の前の男──名前を篠宮と名乗ったその男は、全くもって心を読むことができなかった。
彼女の能力は周囲数メートルの人間なら自動で心を読み、視界内の人物ならより深くまで思考を拾える。条件を満たしても、全く読み取れない。
「え、あの」と一筆はしどろもどろに声を出す。初めての経験だった。人の心を読み、それに対応した行動ができない。何をすれば良いのかとっさに出てこなかった。「あ、えと」とまだ言葉が出てこない一筆を見かねたのか、篠宮が少し申し訳無さそうに言葉を続ける。
「突然ごめんね。ほら、噂になってるって言ってもアレだよ? なんかクラスとかで「気の利きまくる女子がいる」だとか「最強メンタリストがやってきた」だとかもてはやしてたもんだからね。どんな人なのか気になってさ」
伸びた襟足を後ろで一つにまとめた男。高校生にしては体格が小さく、髪型と相まって可愛らしい見た目の彼だが、得体のしれぬ気配を一筆は感じ取っていた。心が読めないから、というのもあるがそれ以上に掴みどころのなさが他人の比ではない。出てくる言葉の一つ一つが彼から作られたものではないような、軽すぎる言葉。
かろうじて一筆は「そんな噂が出回ってるんですか」と声を出す。
「うん。まぁ、茶化してるだけだね。ほら、ノストラダムスだって数言って当ててるだけなのにすごい預言者みたいな扱いを受けてるだろ? 噂に尾ひれがついてるだけじゃないかな」
「ノストラダムスは、結構当てている方だと思ってますけど」
「あ、そうなの? 僕そういうの信じないタイプだからさ。占いとか」
そんなことより、と篠宮はビシッと一筆を指さした。
「その敬語、癖になってる? 僕ら同学年だけど」
「まぁ、はい。何年か前からこうなんです」
「珍しいねぇ。理由でも?」
「特にありません」
自分の口から出た言葉に、一筆は一年前の自己紹介の時を思い出した。入学式当日、式終わり、クラスに集まって皆で自己紹介をする時間。教壇に上がって、名前を言ってから特技や趣味を言ったりする。その時も、一筆はテンプレートのように名前を丁寧に紹介した後趣味は特にありませんとだけ言った。
もちろんその時から敬語だったし、心が読めた。教壇の上からクラスを見渡したときに、全員の心を見透かすことができた。軒並み好印象ではあったが、最初から悪い印象を抱く学生もいる。
そして同じくその時も篠宮のような心が読めない学生はいなかった。質問を繰り返されていたから、一筆はささやかな反撃をするように質問を口にする。
「……逆に、篠宮さんは初対面にしては随分親しげですけど、もしかしてどこかで私達お話してますか?」
「ん? あー、そうそう。話してるよ。一応ね」
嘘とも本当とも取れない言い方に、一筆は頭を抱える。初対面かどうか覚えていないからじゃない。回答の真偽が不明で、何を思ってそれを言っているのかもわからないからだ。一応というからにはなにか意味があったのだろうが、心が読めない以上は何もわからない。
「というか、実際どうなのさ。心は読めるの? 読めないの?」
「それは……」
言い淀む。一筆は、確かに心を読める。だが、それを公にしたことはない。知っているのは親と信頼できる友人一人くらいのものだ。かといって隠している、というわけでもない。日常で「あなた、心が読めるんですか?」などと聞かれる機会もないから答える必要がないだけだ。
心が読めない人に初めて出会い、その人に初めて心が読めるかと問われ、一筆は思考が止まっていた。自分の持っている読心能力を他人に伝えても良いものだろうかと、その時初めて考える。
どうせ伝えようが、信じられないかもしれない。それに片田舎の高校生の一人に伝えたところで、宇宙人に連れ去られるわけでも、マッドサイエンティストに人体実験されるわけでもあるまい。
(でも、こんな怪しい人に教えるのは論外ですよね)
常識的判断に委ね、そのまま、心なんて読めませんよと答える。その返答がよほど気に食わなかったのか、篠宮はわかりやすくしかめ面になった。
「嘘吐くなよ」
「吐いてませんよ」
「実は僕も心が読めるんだぜ。きみが嘘を吐いていることなんて手に取るようにわかる」
「嘘吐かないでくださいよ」
「吐いてないよ」
禅問答に嫌気が差したのか、しかめ面に続いて篠宮は小さくため息を吐いた。ぶつぶつと小さくなにか思考をまとめるかのように呟いていると、またため息を吐く。あまり本心を読み取りづらい少年ではあるが、それでもコレが本心らしいのははたから見てもわかりやすかった。
唐突に、何かを思いついたかのように僅かに目を見開くと、彼はあっと言って言葉を続ける。
「実は僕には片思いしてる女の子がいてね。その恋の手伝いをしてほしいんだよ」
「嘘くさい」
嘘くさい。その言葉に、怯む様子もなく篠宮は続ける。
「実は僕にはいじめられているらしい友人がいてね。何があったのか本心を確かめたいから協力してほしいんだ」
「嘘ですよね」
「実は僕には感情を読みにくい妹がいてね。何を考えているか知りたいから手伝ってほしいんだ」
「嘘ですよね」
もういいだろう、といった具合に一筆はずっと放置していた弁当の包みを開く。高校生の昼休みはそう長いわけじゃない。昼食を取って少し談笑すればすぐに次の授業が始まる。初対面の不審者に時間を割いていられるほど、一筆だって暇しているわけではない。篠宮を無視して昼食を食べ始めると、無遠慮に彼は彼女の隣に腰を下ろしてきた。
彼も昼食を摂る気なのかと睨みつけるが、そんな様子はなく彼は忍ばせておいた文庫本を取り出して読書を始めていた。
「……あの」
「ん? なに?」
「なんで急に本読み始めたんですか」
「なかなかきみが折れないからね。他の方法を考えてる。こういう本の中に答えがあるかもしれないしね」
「お昼ごはんは」
「僕にそういうのはいらない」
気にかかる返答だったが、それすら無視して一筆は箸を進める。あえてその言葉の意味を見出すなら、だいたい昼食の費用を浮かすための愛すべき倹約家根性からきたものだろう、と予想できる。
それよりも、と一筆は咀嚼しながら篠宮の言葉を噛み砕いて整理する。
ハナから胡散臭い言葉回しに言い回し。心が読めるかどうかを聞いている割には、一筆が否定するとそれを認めない強情さ。それはまるで、罪を自白するまで詰問する警察官のよう。──そう、篠宮は、どういうわけか一筆が心を読めるということを知っている。推定有罪の容疑者に強く問答するように、彼もそうなのだ。
しかし一筆の予想通りに彼が読心能力について知っていたとして、どういう経緯でその情報を手に入れたのかはまるでわからない。前述の通り、彼女が自身の読心能力について打ち明けているのはたったの三人だけ。まさかそのうちの誰かに訊いたわけでもあるまい。三人には口止めするように言ってある。
もはやこれ以上は考えてもわからない……と一蹴するわけにもいかない。
先程心が読めることに関しては噂程度に聞いたと篠宮は言っていたが、わざわざここまで確認しに来て、かつ一筆が否定しても認めないとなるとなにか確信めいたものをもっているはずなのだ。
──確実に、その根拠となる十分な情報の出どころがある。万が一、例の三人が言いふらしていたとしても心が読めるなどという世迷言を信じる人間は少ないだろう。
つまり、どこからか、そして少なくとも「一筆茜は心が読める」と断言口調で吹聴している迷惑者がいることには違いない。これを止めたい。
嚥下した米とともに思考を落ち着かせると、まず一石を投じようと一筆から切り出した。
「……そういえば、心が読めるというのはどこで聞いたんですか?」
「噂程度って言ったでしょ」
「噂程度でわざわざ私本人に確認しに来たんですか」
その言葉の裏に隠れている質問を、篠宮は汲み取った。
「……あぁ、そういうこと。いや、なに、僕は」
また嘘を吐こうとしていた。目でわかる。だが、目の色が変わった。結論から言えば、その時の判断は、正しいものだった。ここで篠宮がさらに嘘を重ねれば、以降全ての事実が複雑化してしまう。ここで彼が折れたという事実は大事なことだ。一筆の能力の高さと聡明さを評して、彼女と正面から立ち向かうということは、対等を得るということである。
そして、正面から立ち向かうということは、これから彼が発する言葉は何よりも事実に即した、いわゆる真実というものだった。
「──いや、きみは、忘れている。忘れているんだよ」
「ワスレテイル?」
その言葉に、あまり一筆は聞き馴染みがないかのように首をかしげる。だが、篠宮がそれに答える気はないと言わんばかりに立ち上がった。一筆には一瞥もくれずに、本を閉じて歩み始める。
「ちょっと待ってください。忘れてるって、何をですか」
「忘れている事自体を忘れている」
「答えになってません」
「心配しなくとも」
篠宮は立ち止まる。首をひねり、顔と目線だけを一筆に合わせる。目の前の少女が言葉を受け取ってくれるのを待つように、一瞬だけ押し黙った。口元を本で隠すと、目元を緩ませる。
「きみが思っているような悪い噂は流れてないよ。僕が悪かったね。嘘を吐いていたんだ。噂程度に聞いたのは本当だが、確信したのには別に理由がある」
「その理由は」
「忘れたよ。物忘れが激しいもので」
当てつけのように言い切ると、今度こそ篠宮はその場を離れていった。取り残されたのは一筆ただ一人。残り僅かな昼食を手早く胃に押し込むと、静寂を噛みしめる間もなく昼休み終了のチャイムが鳴った。本分は高校生。先生なんて言う大人に怒られることはどうでもいいが、それ以上に社会の歯車から取り残されまいと、一筆は相応に急いだ。
二年生の教室がある三階にたどり着いた頃には授業開始から三分が経過。温厚な教師にはお手洗いに行っていました、とだけ言って一筆は席についた。
「どうしたの? 珍しいね」
「あぁ、その、ちょっと」
隣に座る少女が声を潜めて話しかけた。一筆の高校の友人の一人、葉山だ。一筆と同程度の背丈と長い黒髪。それに年齢以上の色気を漂わせる泣きぼくろが特徴的な少女だ。
「さっき、体育館のところで変な男子にあったんですけど」
「いつものところね。もしかしてナンパ?」
「いやナンパと言うか……何なんですかね、あれは」
思い返しながら、やはり得体のしれない気持ち悪さに言葉をつまらせる。
「そうだ、葉山は篠宮って男子を知ってます?」
「篠宮ぁ……? 聞いたことないな。ナンパしてきた男の子?」
「まぁ……」
トークスキルの高さから、クラス間の垣根を超えて顔が広い葉山。そんな彼女ならあるいはと期待するも、打ち砕かれた。必要以上に詮索しようとしている自分に違和感を抱きながら、一筆は黒板に書き出される文字をノートにおこす。
世界史の授業だった。キリスト教を絡めた歴史を学ぶ授業。眠たくなる声を横に流し、改めて考え直す。
(ワスレテイル……忘れている……)
その言葉だけが、ラムネ瓶のビー玉みたいに胸につかえていた。どれもこれもが嘘のような言葉で取り繕う少年、篠宮。風貌からして下級生にすら思えるその男子は、顔の広い葉山ですら見たことのない同級生。
忘れている。何を? もしかしたら、篠宮という人自体を忘れていたのだろうか、と一筆は落とし所を探した。ストーカーみたいなもので、いつかどこかで会話にもカウントできないような僅かな言葉を交わした。それで、相手が一方的に覚えていて、それを理由に一筆と関係を持とうとしている、そう予想を立てる。
ほぼ同時に、いや違うなと小さくバツ印をノートに書いた。思考を明確化するように、濃く刻む。
(”私は篠宮という名前に聞き覚えがある”)
思考を明確化するように、”篠宮”という名前を書き起こした。文字に、僅かだが見覚えがあると一筆は丸をつけた。
篠宮という姓に見覚えがあるのはデジャブに近いものなのかもしれない。日本人口約一億二千万人。内約四千人ほどは篠宮の姓を持つという。店の受付か、スタッフか、病院で他の患者が呼ばれたときか。いずれにせよ、十七年の人生で一度は篠宮姓を目撃していてもおかしくない。
そこまで結論を出して、また一筆はバツ印をノートに書いた。
(あの口調、あの態度、やっぱり人違いじゃない)
記憶がはっきりとしているわけじゃない。だが、似ている人物を想起した。いつ、どこで、どうやって出会ってなんの目的をもっていたのか。だが、彼が言っていた忘れている対象とはこのことだろうと、確信に近いものを抱いていた。そう、もしも篠宮が、一筆には心を読む力が備わっていると確信したのならば、こうして段階を踏み自分なりに結論をつけていたのだろうと言うように。
ぐっと前に手を伸ばし、小さくため息を吐く。どっと疲れたような昼休み。眠たくなる授業と並行して考えていたせいで重たくなるまぶたをこすりながらシャープペンを走らせた。
葉山が再度篠宮の名前を出したのは帰り道のことだった。部活に所属せず、ふらふらとしている一筆と、幽霊部員が大量に所属していることで有名な写真部に所属している葉山は帰りを共にする事が多い。互いに家も近いために、徒歩で帰路の途中までは一緒だ。
「そういえば、昼言ってた篠宮って人、結局なにかわかったの?」
その顔には、色恋の話を好物とする若い感情が見え隠れしていた。
「うん? いや……何もわかんない。どのクラスに所属しているのかも知らないし、話のしようがないですから」
友人に対して使う、少し砕けた口調で続ける。
「ただ、昼休みに「きみは忘れている」って言われましたね」
「ナンパ……?」
「だとしたら下手くそすぎます」
「だよね~。いや、でもガードの堅い一筆を崩すために編み出した、奇をてらった作戦やも……」
「考えすぎじゃ……」
考えすぎ、という言葉がブーメランのように一筆にも突き刺さる。不審者と言っても変人と言っても差し支えはないだろう篠宮に対して不必要に頭を使いすぎている、と一筆は自省した。
「んー……忘れている、かぁ」
含みのある言い方だった。
「どうしたんです?」
「ん? いや、何を忘れてるんだろうなって」
「でまかせじゃないですかね。なんだか、胡散臭い人でしたし」
「詐欺師みたい?」
「詐欺師はもっと上手くやると思いますよ」
一流の詐欺師は違和感すら抱かせない。最後まで相手を騙し切り、疑いの余地すら与えない。あるいは骨の髄まで心酔させ、反抗心すら削ぎ落とす。最初から一介の少女に疑われるような口調と立ち振舞いは、二流のソレだ。“あえて“だとしたのなら、評価は変わるだろうが。
「でも、その胡散臭さというか、雰囲気に覚えがある気もするんですよね」
「他人の空似とかじゃなく?」
「その可能性もありますけどねぇ……私的には、”忘れている”っていうのは彼自身のことだと思ってますけどね」
「もしかして……元カレ!?」
「DVでもされて記憶消えたんですか私は?」
再度、一筆は篠宮のことについて考える。仮に、忘れていることが篠宮という男子だったとして、どうしてその人と関わりがあるのか。そして、なぜ忘れてしまったのか。あらゆる可能性を考慮する必要があるのなら、それこそDV元カレだったというのも否定はしきれない。
「……ふむ、まぁ、一度彼のことを探って見るのもありかもしれませんね」
「え」
意外そうに、葉山は目を丸くして一筆の方を見た。
「なに、どこか、変ですか?」
「え、いや、そうじゃないけどさ。そんな胡散臭い人のことを調べるんだなぁって」
「逆に至極当然じゃないですかね。怪しいからこそ調べる、って方が筋が通ってると思いますけど」
「じゃあさ、じゃあさ、私もそれに参加してもいい?」
「葉山が?」
思っても見ない提案に、今度は一筆が目を丸くした。葉山はただ好奇心からその打診をしたわけであるが、その提案の価値は一筆が最も理解していた。葉山は、その人脈の広さはさることながら、話術も必要になる。単純なコミュニケーション能力の高さだけで説明できるものではない。葉山のその話術は、不自然なく人のパーソナルスペースに入り込める力がある。天性の才能と言っていい。
対照的に一筆はそれが不得手だ。特に、染み付いた敬語口調が相手との距離を作ってしまう。
「それは……まぁ、ありがたいですけど、どうしてそんな……」
「気になったからっていうのもあるけど……」
それ以上に、と言って葉山は一度足を止めた。残った勢いのまま葉山の前に出た一筆は、振り返る形で彼女を見据える。
「忘れているって……もしかしたらその人かもなんでしょ?」
「え、えぇ、確かに私はそう睨んでますけど」
「ふふ、だったら親友としてその男が一筆に相応しいか確かめないとねっ」
「だから、そういうのじゃないですって……」
困ったように顔をしかめると、一筆は歩き始める。追うようにして、葉山も。夕焼けで引き伸ばされた影を葉山は踏みながら、小さく言葉を口に含んだ。
「なぁんか、ちょっと、違和感があるからね」
二人の猜疑は、彼に向けられる。一人の男、篠宮へ伸びるその疑いの線は交差する。
これは──記憶を取り戻すための物語。他の誰でもない、”私の記憶”を。
心が読めたら便利なのか、苦しいのか。
ゲーム、小説、映画問わずこれをどう捉えるかで作品の印象が変わりますよね。