ルービックキューブはいつ壊れるのか   作:最中庵

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※本文は推敲前の小説です。誤字脱字があれば遠慮せず指摘をいただければ幸いです。
※作者も投稿後に推敲するので物語に少しの変更がある可能性があります。


少女 第六章 後悔の追憶

 中学一年生の夏。蒸し暑い日が延々と続く。中学生は夏休み。半袖の制服を脱ぎ捨て、涼しげな丈の短い衣服に腕を通す。煌々と太陽が照りつける下、遊ぶ約束を結んだ中学生は集まる様子が各地で見られる。それでも外遊びをする子供たちは少数派。エアコンの下で集まってゲームをつつく子供たちが多い。もちろんそういう訳ではないが、そちらの方が多数派というのも事実だ。集まる子供たちも、これから誰かの家へ向かうのだろう。

 一筆茜は、家で読書を嗜んでいた。お気に入りの本を開きながら、熱帯夜を乗り切るためにエアコンを効かせた部屋でくつろいでいる。

 

『茜、ちょっと、いいかな』

 

 そんな折、彼女に一本の電話が入ることになる。相手は━━小鳥遊という女生徒。

 後に、自死という形で死ぬことになる女性の名前。

 

「改まってどうしたの?」

『あぁいや……相談があって……』

「私に? 宿題の手伝いなら断るよ? 頭いいわけじゃないしね」

『そうじゃなくて……あの……』

 

 歯切れの悪い返事ばかりが続くので、一筆が続けて「どうしたの?」と聞くと、スマホの向こう側で息を呑む音が聞こえた。小鳥遊が決意を固めたらしい。

 

『れれ、恋愛相談に乗って欲しいんだけど……』

「んん??? 私、男性経験ないけど???」

『いやでも……でもモテるじゃん!!!』

「いや、え、うーん……まぁ……うーん……」

 

 事実、一筆は男性人気が高かった。容姿端麗で可愛らしい仕草、人を虜にするような優しい口調とトーク力。聞き上手で誰が相手でも柔和に対応ができる。クラスの男子の過半数は彼女に想いを寄せいたと言っても過言ではなかった。告白は一筆の方から断っている訳だが。

 もちろん、それだけの能力があれば女子人気も高い。男子の視線を集めているから嫌われていた、ということもなく彼女は分け隔てなく人と接し、誰とでも打ち解け合える力を持っていた。中でも、小鳥遊は小学校からの親友でいつも一緒にいる。

 

「まぁ……私が力になれるなら相談に乗るけど……」

『ほんと!? やった! じゃあ、明日の昼、いつもの喫茶店で集合ね!』

「はいはい」

 

 そんな話をして、通話を切ったのちに一筆はベッドに寝転んだ。

 

「恋愛……ねぇ……」

 

 そのまま、彼女は深い眠りに落ちる。熱帯夜を思わせない快適な世界で、深い深い眠りに。

 翌日朝、夏休みということもあり昼前に起きてから、身支度を整え荷物を持ちすぐに喫茶店へと向かう。道中の照りつけるような暑さを影でかわしつつ店に入ると、凍えるような空気が彼女を包んだ。アンティーク調の雰囲気が大人びた喫茶店。価格はリーズナブルで、学生大人問わずに人気のある店だった。

 広い店内の奥には、小鳥遊が待っていた。

 長くて綺麗な黒髪を後ろで一つにまとめ、ストローを咥えながら青い瞳を物憂げに向けながらスマホをつついている。対面に一筆が腰を下ろすと、慌てて小鳥遊は腰を掛け直した。

 

「や、きたよ」

「久しぶり……ってたった数日か……」

「まぁ、学校で毎日会ってたから数日離れるのも珍しいけどね。あ、すみません、コーヒーを一つ」

「ブラック? 大人だね」

「いやいや、砂糖もミルクもガムシロップも全部入れるよ。私は甘党だからさ」

 

 苦笑しながら、一筆は小鳥遊を見つめた。

 

「それで、恋愛相談って? 小鳥遊に好きな人いたっけ」

「言ってなかったけどね……」

「ほうほう、私に隠し事ですかぁ〜」

「そういう茜からは色恋の話を聞いたことがないけど?」

「私はいいの。まだあんまり恋愛の魅力がわかってないお子ちゃまだから。コーヒーがブラックで飲めるようになる頃には好きな男の子もできてるよ」

「ちぇ、つまんない」と小鳥遊が唇を尖らせた。多数の告白を受けて断っている一筆だ。もしかしたら心に決めている人がいるのだろうと予測していたのかもしれない。

「それより小鳥遊だよ。好きな人、誰なの?」

「あー……えと、ほら、灰島くん」

「あぁ、同じクラスの。最近仲良さそうだったもんね」

 

 灰島とは、クラスで親しみやすい男子の名前だった。クラスで一番モテている……と言うわけではないが、どれをとっても標準より少し上のスペックに、親しみやすい雰囲気。物腰柔らかい口調がありつつ、やるときはやると言った感じの男で、彼と仲がいい女子ほど彼のことを好いている印象が強い。

 かくいう一筆も、灰島とは何度も話したことがあった。恋情ではないが、好意的な印象。

 

「で、まぁ、単刀直入に言いますと……どうすれば灰島くんとお付き合いできるか教えてください!!!」

「えぇ……そんなこと私に言われてもなぁ……」

「俗っぽいこと言うとどうやったら彼をオとせますか!?」

「急に欲望丸出しになったなぁ」

 

 だが、実際問題難しい話ではあった。灰島は良くも悪くも中学生にしては女性慣れしすぎている。と言うより、接し方が男女ともにほとんど変わらないのだ。そう言うところに惹かれる子も多いのだが、そもそもとして恋愛感情自体あまりないのかもしれない。

 

「うーん……とりあえず告ってみたら?」

「雑ぅ!!!」

「いやいや、実際アリな作戦だよ。彼、もしかしたら私と同じであんまり恋愛自体に興味がないのかも。だから、自分を恋愛的に好きでいてくれる女の子がいるんだなって自覚させるんだよ」

「初手フラれるよねそれ」

「何度もアタックするのがいい女」

「無理無理! 精神的に死んじゃうよ!!」

 

 そんなことを話していると、店員が一筆のコーヒーを運んできた。すぐさま彼女はミルクとガムシロップをあるだけ入れて、山のような量の砂糖を突っ込んだ。

 

「それ、コーヒーの意味ある?」

「あるよ? これでも今日はスティックシュガーを一本減らしてる。これが飲めたらまたおとなに一歩近づいたってことになるからね」

 

 口に含んで、わずかだがしかめっ面をした。耐えられるだろうか、と小鳥遊が心配げな視線を送っていると、一筆はもう一本砂糖を開けて入れた。結局飲めなかったらしい。

 

「んー……あ、そういえば、前にちょっとドライな感じの女の子が好きって言ってたかも」

「ドライ?」

 

 初耳の情報に、小鳥遊が大きく首を傾けた。

 

「そ、ドライ。あんまりベタベタくっつかない感じ。どっちかって言うと追いかけたい恋愛をしたいのかもね」

「じゃあ、告白はナシか。逆効果みたいだし」

「うん。さりげなく好意を示せばいいと思う。『なんだこいつ……オレに気があるのか……!?』って思わせるのがいいだろうね」

「難しくない? それ」

 

 ドライな女の子は好意を露骨に表してはならない。だが、その想いを隠しすぎてしまえば相手が気づいてくれなくなる。その塩梅を調整できなければ恋の成就は失敗に終わる。何より難しいのは……。

 

「灰島くん、鈍感だからね。思ったより好き好きみたいな感じでいいと思うよ」

「うえ〜……は、恥ずかしい……」

「どうせあなたのことだし、夏休み灰島くんと何個か予定作ってるんでしょ。私の方からも話を持ちかけてみるから、この夏ちょっと仕掛けてみたら?」

「でも……」

「夏休み明けだと、アタックしてるところをクラスのみんなに見られることになるけど?」

「やります!」

 

 威勢のいい返事と共に、小鳥遊は立ち上がった。決意が固まったことを嬉しく思うように、一筆ははにかんだ。小鳥遊と灰島の恋の成就。不思議なことに、一筆は確信していた。二人は結ばれるだろうと。そして同時に予感していた。二人の恋は──長くは続かないだろうと。

 夏休み後半に差し掛かった頃。まだまだ暑い、うざったい太陽は地平線の向こうへ沈み、蒸した夜が始まった。その日はそこまで暑くもなかったので、一筆は部屋の窓を開けるだけ。よく見えるようになった星を見つめつつ、小鳥遊と灰島の恋の行方を案じていたところ、一本の電話がかかってきた。小鳥遊からだ。

 

「もしもし」

『あ、こころ! 聞いて聞いて! あのっ、あのっ……!』

「うまく行った?」

『そう!! ほんっとうにありがとう!! 全部こころのおかげだよ。すごいね、こころ、ほとんど言い当ててたよ。もしかしてエスパー?』

「少し人を見る目がよく見えるだけだよ」

 

 風にあたろうと、一筆がベランダに出た。周りには街灯が少ないので、星がよく見える。

 

「告白したのは、今日?」

『うん……と言っても、私はされた側だけどね。追いかける恋が好きっていうの、当たってたみたい』

「それは何よりで」

 

 それからは、小鳥遊が付き合うまでの詳細を話した。どこに行ったとか、何をしてどういう作戦を立てて難攻不落の灰島を落とそうとしたのかとか。ほぼほぼ惚気に近い話だったが、一筆は心地良さそうに小鳥遊の話を聞いていた。一時間も話すと、満足そうに通話を終えた。やけに静かになった夜に、一筆は取り残される。

 

「全く、幸せ者め。これから私も寂しくなるなぁ……」

 

 めでたいことなのだが、親友が自分から離れることに対して嬉しくもあるような悲しくもあるような感情を抱きつつ、その日彼女は早く眠りについた。

 そんな、小鳥遊の恋が実った日から約二ヶ月弱。外を歩けば木々の紅葉が美しく、桜並木は紅葉の絨毯を敷いていた。学校に行く途中、その紅葉を踏みつけ、紅葉を全身で楽しむことができる。そして、その落葉の季節に、一つの恋が枯れようとしていた。

 

 ──灰島が浮気をしていたらしい。

 

 すでに小鳥遊と灰島の関係はクラスの常識になっていた時に流れた噂だった。まだ証拠など何も揃っていなかったが、その噂だけが一人歩きしている。その現実を認めたくないのか小鳥遊は否定し、それに乗じるように灰島も強く否定していた。

 

「荒れてんねぇ……アタシ的には灰島は黒に見えるけど。こころはどう思う?」

「さぁ、そう言うのには疎いもんで」

「モテてるだろあんた。疎いもクソもあるか」

 

 今日も詰問にあっている灰島と、それを擁護する小鳥遊。それを横目に一筆はある友人と話していた。彼女の名前は上条。毒舌で有名な、側から見ればちょいわるの女子だった。彼女と一筆は中学に入ってから何かと話す機会が多く、随分と仲良くなっていた。

 

「どーせ灰島は黒だよ。みんなもバカだよね。問い詰めるなら“浮気をしているかどうか”じゃなくて“誰と浮気していたのか”ってのを聞くべきだろうに。一筆も薄情だよな。親友だろ? 助けないのか?」

「あの子はそこまで弱くないよ。降りかかった火の粉は自分で払える。それにあの子が浮気を否定するなら、私は何も言わないから」

「……その言いぶり、結局そっちも灰島は黒だと思ってるみたいだな」

「どうだろうね」

 

 クラスの男女がこぞって暴こうとしている灰島の浮気相手。ここまで祭り騒ぎになっているのは、スキャンダルというのもあるが、小鳥遊の人気が高いというのもある。一筆の人気が高すぎるだけで、小鳥遊も十分に美人でトークスキルもある。クラスの二強と言われていた。それもあって、小鳥遊を裏切った灰島を恨む生徒は多かった。

 そんな生徒たちが作っていたのは、容疑者リスト。文字通り灰島が浮気したのではないかという相手をリストアップしたものだ。灰島は顔が広い。他クラスから同クラスに至るまで広い範囲でリストアップされていた。その中の一人、重要参考人として置かれていたのが一筆だ。灰島とも仲が良く、小鳥遊の恋愛相談相手。怪しまない人間はいなかった。

 冷静に振る舞ってはいるが、一筆も傍観者では済まされない。すでに灰島の浮気に巻き込まれているのだ。

 

「犯人探しはしないの? あんた、一番疑われてるだろ」

「小鳥遊から疑われてないからそれで十分」

「ふ〜ん…………」

 

 本気を出せば、一筆が人脈を活用して浮気相手を炙り出すことも不可能ではなかった。ひとえに小鳥遊が信じる灰島を疑うような行為をしたくないという一心で、行動に出すのは避けていた。

 だが、その何もしないという行動が裏目に出たのはその数日後だった。

 リストアップした生徒の中から消去法的に絞り込み。最終的に残ってしまったのは一筆こころだった。だが、まだ決定的な証拠が出ていないとしてみな半信半疑だったところ──。

 

「証拠が出てきた」

 

 教室でくつろいでいた一筆の前に現れたのは、毒舌っぷりが目立つ上条だ。その背後には三人ほど取り巻きと思われる女生徒がいた。

 

「証拠?」

「灰島が口を割ったんだ。それと、メッセージアプリのやりとりもな。やる気になったアタシがちょちょいっと脅してみたらやけにあっさり吐いてくれたぜ」

 

 一筆の机に出されたのは、ICレコーダーとスマホのスクショ。どちらも浮気相手を決定づける物的証拠だった。

 

「……これが、証拠足り得ると?」

「苦し紛れか? ここにきてしらばっくれるのはダルいぞ」

「そもそも自白は証拠にならないのは周知の事実。トーク履歴のスクショなんて捏造が容易でしょ。上条を疑う気はないよ……で、誰にこれをつかまされたワケ?」

 

 一筆が相対する上条。後に知ることになる。彼女は一筆に強い嫉妬心を抱いていたことを。目立つような才能もなければ突出した能力もない。天性の話術だけでクラスを掌握していったように見えた一筆を見た上条は、彼女を下す計画を企てた。そして上条の前に舞い降りてきた大きなチャンス──灰島のスキャンダル。それを利用し、一筆を嵌めた。誰かにネタを掴まされたなどというわけではない。

 正真正銘彼女自身が集めた──いや、一筆の予想通り、でっちあげた証拠だ。

 

 小鳥遊と灰島、クラスの人気者同士が巻き起こした事件。それに乗じた野次馬の緊張がマックスになった瞬間に提示された証拠が、果たして純粋なものなのかなど判断する能力は奪われている。

 

「そんな……茜……裏切ったの……?」

 

 判断能力を奪われたのは野次馬共だけではない。事件の渦中にいて、常に詰問にさらされ続け、それでもなお彼氏の身の潔白を信じた健気な少女──一筆の親友、小鳥遊もまた、その証拠を鵜呑みにした。

 ……もう、一筆の味方など一人もいなかった。

 

 上条の仕込みは狡猾で緻密だ。灰島は浮気疑惑に対して濁すような発言ばかりを繰り返していた。そんな禅問答ばかりの状況には彼自身も嫌気が差していた。そこで話を持ちかけたのが上条だ。

 

『アタシが根回しをするから”一筆に誘惑されただけで、オレは断っている”とすればいい。証拠もこっちで用意する。お前は全部の責任を一筆こころに押し付けて、誘惑を突っぱねた強靭な精神を持つ男としてしれっと小鳥遊のところへ戻ればいいんだ』

 

 一筆を陥れたい上条と、罪から逃れたい灰島の利害の一致。これを灰島が断る理由がなかった。浮気の事実を根本的に消し去りつつ、責任を転嫁する。二人にとっては最高の一手。

 そんな最善手は円滑に進んだ。クラスの侮蔑と軽蔑の視線は全て一筆に向けられることになる。代わりに、灰島が一筆というクラス屈指の女子の誘惑を突っぱねたことで英雄視されるように。その認識の転換は進み、あの小鳥遊でさえも毒された。当初の二人の目論見取り、一筆は転落し、灰島は小鳥遊とヨリを戻すことになった。

 

 そこからはいじめの繰り返される日々。灰島と上条は英雄として人望を集め、悠々自適な生活。一筆は初めて味わった孤独に心を苛まれていた。教科書を破かれる、机への落書き。そんな些細なものから始まる。授業そのものを受けられない日もあれば、トイレに閉じ込められ殴る蹴る。

 ”小鳥遊を除くクラスの全生徒がそのいじめ行為に加担した”

 あらゆる私物が盗まれ、罵詈雑言を浴びせられ、公共の場での暴力と非道な行為が一筆に限定して正当化される。そんな日々を続けることになった。

 延々と、延々と、延々と、延々と、延々と。

 一日が一ヶ月かのような地獄を味わいつつ、一筆は生きる。光の見えない道。一条の光も蜘蛛の糸も空から降ることのない無限地獄。

 気づけばもう冬が終わる頃だった。まだまだ冷え込む日を、独りで登校する。学校に行けば、またいじめられる。いかなければ、親を心配させる。しかたなく一筆は学校へ向かっていた。

 

「やぁ……一筆茜さん……っすよね?」

「………………何の用」

 

 雪の降る登校路、校門よりかなり離れた場所で、一筆は一人の少女と出会った。肩ほどの長さのショートヘア。染めているのか少し青みがかっている。三白眼が特徴的で、目付きの鋭い少女だった。

 

「………………」

「ずっと黙ってるじゃないっすか。こりゃあ重症だな」

「……知ってる? 人は学習する生き物なの。必要以上に口を開いて殴られたら、つぐむに決まってるでしょ?」

「口を開けば皮肉っすか。まぁまぁ、ご安心を。あたしはあなたに取引を持ちかけにきたんっすよ」

 

 青髪の少女は卑しく笑った。道化が笑うような顔。口が裂けているのではないかと思うほどに、口角が上がっている。

 

「──この状況、あたしならひっくり返せるっす」

「…………条件は?」

「話が早くて助かるっすよ」

 

 彼女は、ゆっくりと一筆に近づいた。ポケットに深く手を入れている。

 

「あたしは上条さんの参謀として主に情報収集を担当していました。まぁなにが言いたいかと言うと……あたしは灰島くんの浮気相手を知っています。なんなら決定的な証拠付きで。もちろん録音やトーク履歴みたいな捏造の余地がないものっすよ?」

「極上の脅しネタをどうも。でもどうしていきなり上条を裏切る気になったの?」

「うぜぇんだよ、あの女」

 

 道化師のような笑顔が一瞬にして消えた。その表情には強い憤怒と吐き捨てるような侮蔑が見えた。

 

「そもそも、あいつがあの計画を立てた第二の目的は灰島と人望っす。小鳥遊が破局するないし破局させた後に、スキャンダルのネタを使い潰して上条はその席に腰を下ろす気っすよ。加えて、”灰島を守った”という事実を振りかざしてなにもかも掌握する気なんすよ、あのアマ」

「だから、上条に恨みを強く持っていそうな私を駒にしようとしたわけ?」

「いぇーすいぇすいぇす。ご明察」

 

 けろっと笑って青髪の少女は一筆の背後にたった。

 

「さて、本命の交換条件と行きますか。あたしの要求は十五万っす。一学生なら、用意が不可能な額じゃないはずっすよ」

「高いな」

「強請りの特ダネっすからね。それに、何もかも失敗たら情報の出どころがあたしって特定されてあんたと同じ位置に落ちる。あたしだって、それ相応のリスクを背負ってるんすよ?」

「…………まだ信じられないな」

 

 相手が上条を恨むような同志であろうとも、お互いに信頼は寄せられない。なんせ、両者人間の腐った部分を知り尽くしている。すぐに手のひらを返す連中、自分の悪事を顧みることなく正当化する悪鬼。言葉はもちろん行動も在り方もなにも信用できない。

 

「だろうと思って、一つネタをもってきましたっす」

 

 そこで彼女がポケットから取り出したのは、一枚の写真だった。そこには、他クラスの見知らぬ女子と抱き合っている灰島の姿が写っている。青髪の少女は背を向けたまま、一筆に語りかける。

 

「ほら、極上のネタだ」

「……っけど、それじゃあまだ──」

「まだまだ写真はあるっすよ。あと、計画立案時の灰島と上条の密会を録音したICレコーダーもあるっす。出血大サービスでこのネタをばら撒くための協力者を用意しましょう。あなた一人じゃ説得力が足りませんからねー。あたしもあたしとて、尻尾を掴まれたくないので、別の者を寄越しますよ」

 

 その内容で、十五万。今の一筆に常人の金銭感覚は残っていない。それ以上に、少女の言葉の妥当性に納得していた。一筆が裏切るリスクを抱えていながらもこの打診を持ちかけた。慧眼。そう評するほかないだろう。強請りのネタを買い取り、有効活用し、裏切らなそうな相手を選んだ取引。一筆は、してやられたという感情を抱きつつも、その打診を受けた。

 

「じゃあ、きっちり十五万、一ヶ月後また向かうので、ちゃんと揃えて渡すっすよ? お互い裏切られたら困るでしょうし、この写真一枚は渡しておくっす。残りのネタはお支払い後に。で、これであたしも逃げられなくなりました。あなたの心配することはもうありません」

「……商売上手だね。しかも客の信用を勝ち取るのも上手い」

「褒めても値切らないっすよ」

 

 照れ臭そうに青髪の少女ははにかんだ。演技にも見える。

 

「ちゃんと、協力者もつけてくれるんだろうね?」

「金を払ってくれるなら確実に。あたしは金だけは裏切れないタチなんす。命よりも重いから」

 

 その言葉に嘘はないと、一筆は胸を撫で下ろした。

 

「名前を聞いても?」

「青髪の女……そういえば誰にでも伝わるっすよ」

 

 いちいち名前まで聞き出して保険をかける必要はないだろうと視線で一筆を制すと、青髪の少女は校門の向こう側へと消えた。取引は成立。それ以上に話すことはないと言ったように。

 

 十五万。中学生には重すぎる金額。一筆がため続けた貯金を全て使っても届かない。いつも通り学校で一通りの迫害を受けた後、家に帰って全財産を数えた一筆は舌打ちをした。まるで足りない。一ヶ月の猶予があれど、中学生。バイトを雇ってくれるようなところはなかった。

 だが、手段を選んでもいられない。どす黒い渦が、一筆の中で育っていくのを彼女自身が感じていた。

 居間でくつろいでいる母親を見つけた。

 

「お母さん」

「ん? どうしたの?」

「修学旅行のお金なんだけど、そろそろ必要になってきて」

 

 資金は調達できる。人を騙してでも、なにをしてでも。一筆は手段を選ばない。

 

(まだ足りない……)

 

 その悪行は、段々と一筆の心を麻痺させた。あらゆる悪事に対して感覚が鈍る。善悪の境界が曖昧になってゆく。スリをするのもためらいがなくなっていった。バレないように、少しずつ。そうやって一ヶ月お金をため続けた。大胆な行動は起こさない。警察沙汰になるのを避けるため、中学生という子どもの無垢を利用していくらでもだまし取ることができた。

 そうして過ごした一ヶ月。目標の十五万が、一筆の手元にあった。それを抱えて人気のないところへ出向くと、狙いすましたかのように青髪の少女が現れた。

 すぐに一筆の持っていた厚い封筒を受け取り、ICレコーダーと写真に資料、協力者の連絡先を渡した。

 

「はい、契約成立っすね。約束の特ダネ全てと協力者を二人用意しましたっす。煮るなり焼くなり好きにするっすよ」

「この二人は信用してもいいの?」

「えぇ、腕利きを用意させていただいたっす。ご安心を」

 

 手に入れたあらゆる強請りの材料。一週間、一筆はそれらの証拠と協力者二人と打ち合わせをし、計画を練り上げた。といっても、単純なものだった。写真を複製した後、各クラスに二、三枚ほど写真を流布。ICレコーダーは切り札として伏せる。写真の内容は灰島と他クラスの女子との熱愛。ハグだけでなくキスやその他様々なシーンが撮られている写真を流し続ける。無論、クラス内ではまた灰島を糾弾するような動きが見られる。同時に、他クラスにも圧力をかけたことで学年全体にその流れは波及。元上条の協力者たちは次々に口を割りだした。すでに灰島に逃げ場はない。王手をかけたところで、一筆が彼の前に姿を表した。

 

「やぁ、浮気性の灰島くん。こうして面と向かって話すのは久しぶりかな」

「は……!? ひ、一筆! そうか、お前だな! こんな根も葉もない事実を流しているのは!!!」

「知らないよ。噂の出どころを気にしてる暇あるの? それより、このままだとあなただけがいじめられちゃうけど……」

 

 ちらっと、一筆は上条へ視線を向けた。それに気がついたのか、灰島が慌ててそちらに指を指す。

 

「そうだ、そうだよ! 上条なんだ! 一筆を陥れようとしたのは!」

 

 道連れにしたいのだろう。必死に叫ぶと、クラス全員の視線が上条に集中した。

 

「はぁ……? そんなわけないでしょ。アタシはただ、灰島くんの浮気の真実を暴いただけで、結局悪いのはそこの──」

「はいちゅーもーく」

 

 一筆は、ICレコーダーを高く掲げた。そのまま、スイッチをオンにすると、音声が流れ始める。

 

「コレが証拠です。さぁさぁ皆さん耳をかっぽじってかじりつくようによーくよーく聞いて下さい。私を嵌めた女と、浮気性の男の密談。これは捏造のしようがありませんからねぇ。疑うなら他クラスを当たれば上条についてよーく知ってる人たちが口を割るはず。ほらほら、みんなよく聞いてー」

 

 掲げたレコーダーの内容からは、密談のようすが細かく把握できた。上条が灰島に取引を持ちかける。どのようにして一筆を嵌めるのか。小鳥遊をどうするのか。そんなことを延々と話すものだった。

 

「どこで……そんなもの……!!」

「ちがう、オレは……オレは悪くな──」

「黙ってろよ」

 

 誰かが、二人に対してそういった。一人がつばを吐く。それだけで、もう一人、二人……やがて全員。クラスの、学年の全員が灰島と上条を糾弾した。『ひっくり返せる』と宣言した青髪の少女の言う通り、一筆は、たちまち悲劇の少女として皆から謝意を受け取ることになった。蜘蛛の糸を、掴み取ったのだ。

 

 もちろん小鳥遊と灰島は破局。もっと言えば、灰島の方は上条と仲良く破滅だ。すべてが上手くいった。勧善懲悪の執行。上条の取り巻きもすでに口を割っていた。青髪の少女は上手くやり過ごしているようだったが、ほとんどの悪人が裁かれたと言っても過言ではなかった。順風満帆な中学校生活の始まり、それを一筆は予感していた。

 ──たった一つの不安要素を除けば。

 

「ん、なに、これ」

 

 ある日の帰り、もう誰もいなくなった学校。そんな日、一筆の下駄箱に一通の手紙が置かれていた。表紙には”こころへ”と書かれている。手紙にしてはかなり厚い。ノートを彷彿とさせるような分厚さだった。中を開いて差出人を真っ先に確認すると、小鳥遊よりとの記載。わざわざこんなアナログな方法で言葉を残していった小鳥遊に疑問符を浮かべながら、一筆は内容を熟読する。

 

『私は、罪を背負いました。親友より、彼氏の言う事を信じました。そうして、私は親友を裏切りました。出てきた証拠と情報を鵜呑みにして、全部、大好きな親友のせいにしました。のうのうと生きてしまった。彼女はあれだけ苦しんでいたというのに。大好きだった灰島くんは、二度目のお別れの後私を罵るようになりました。茜にすがりたかったけど、私は茜を裏切ったから。本当にごめんなさい。私にできることなんてなにもなかった。強いて言うのなら……これくらいしかなかった』

 

手紙の一枚目はコレで終わった。二枚目、三枚目と続いて家族へ宛てた手紙。その先も友人や親族に向けたものばかりだった。残り二枚、というところでびっしりと文字の詰まった紙が現れた。

 

『最後に、茜へ書かせてください。私の、いちばん大切な友達。出会ったときは、すごいドライであっさりした子だなと思ったよ。でも、優しかった。どこまでも優しい。アニメや漫画のヒーローみたいに、あなたは誰かが不利益を被る結末を嫌った。できることならみんなが幸せになれる道を探すことを諦めなかった。そんなあなたが、ずっと好き。だから、私がいなくなっても気に病まないでください。これは私があなたの優しさに甘えた罰。気付けなかった私の罰。ずっと、ずっと好き。あなた以上の友人はいないと思う。あなた以上にいい人なんて、この世にいないと思う。だから、もっと気楽に生きて。もっと自分のために生きて。絶対、私のことを病まないで』

 

 最後の一枚には、たった一言。

 

『これを、宛先の方に届けてください。今までありがとう、一筆茜ちゃん』

 

 ──遺書だ。

 その事実を否定するように、一筆は強く頭をふる。小鳥遊だ。あの明るい小鳥遊。暗い過去を、一筆は乗り切った。ならば、小鳥遊にだってできるはずだ。そう病むことはない、全て悪いのは上条と灰島なのだ。

 そう言い聞かせるも、手紙を注視すればするほどその事実が浮き彫りになる。

 涙で滲んだ文字、崩れた筆跡、何度も繰り返す感謝と懺悔。その書き方は、死ぬ前の人間のそれだ。

 一筆はすぐに飛び出した。まだ間に合うのかもしれないという希望を抱いて、学校を周ろうとする。

 

 だが、飛び出した瞬間、視界の端になにかが映った。一瞬でわからない。十メートルくらい離れたところくらいで、なにかが落ちたような映像が見えた。音は聞こえないふりをした。なにか、軽く弾けるような音が聞こえたが、聞こえないことにした。赤い、夕焼けが視界に入る。とても赤い。朱い。明い。紅い。赤い。反射している。上からじゃない。赤い光が、下から、差し込む。射し込む。挿し込む。刺し込む。眩しい。見ていられない。見ていたくない。

 

 肢体が、姿態が──死体が。

 

  投げうっている。身を打っている。暖かい光に包まれて、赤いぬくもりに包まれているのに、冷たい。その目は冷たい。濁っている。光のない目。口が少し開いている。赤が、広がる。身体から這い出る赤が地面を染める。足元にまで、目下まで、染み出る。

 

「あぁ……あ、あぁぁあぁぁああぁあぁあぁぁ!!!」

 

 眼の前に転がるのは骸。希望は彼女の内臓とともに潰えた。活力は彼女の鮮血とともに流れ出た。なにが悪かったのか、なぜ彼女だけ死ななければならないのか。めぐるめく思考が頭を支配する。

 

 ──私だけ苦しんでいれば、小鳥遊は死ぬ必要がなかったんじゃないか?

 

 浮気はただの疑惑として処理され、英雄として人望を集めた灰島と付き合っていた小鳥遊は、順風満帆だったはずだ。

 ”一筆が状況をひっくり返さなければの話だが。”

 一筆だけが苦しみ、皆が幸せな世界。

 一筆は助かるが、親友が死ぬ世界。

 その天秤が、いまさらになって彼女の中で揺れていた。

 

「私だ……」

 

 泣き叫ぶ中で、彼女は呟いた。

 

「私が……殺したんだ……」

 

 幸福を望まなければ、幸福を掴み取らなければ、親友が死ぬ必要はなかった。そんな不幸が訪れるわけがなかった。

 ──手に入れた幸福は、一生の罪悪となって一筆を押し潰す。

 ──幸福であることの不幸。

 その不幸を、彼女は身を持って体験した。どうしようもない不幸。逃げられない不幸。世界が鈍色に染まる感覚。泥水の中に入れられたように音が遠くなる。地面に立っているのか座っているのかすらわからない。

 

 もう、誰も信じられない。

 

 クラスメイトは証拠さえ揃えばすぐに手のひらを返して、自分の悪事を正当化しながら人を殴る、罵る。仲が良いと思っていた人は自分を陥れる画策をしている。親友の彼氏は人の恋を弄ぶ下衆。最後の希望だった親友は自分の命を見限った。

 自分自身はなにをした? 親を騙し、人から金を盗み取り、あらゆる人を扇動した。

 もはや誰も信じられない。自分も、家族も、親友も、クラスメイトも誰もかも。

 一筆茜は、すでに限界を迎えていた。心が悲鳴を上げているのを無視していただけ。自分自身を騙していただけだ。

 

「な……ぁ!? どうしたんですか、一筆さん!! その人は……小鳥遊さん……!? 一体何が……」

 

 巡回をしていたのか、宮野が一筆と骸の下へやってきた。その死体を見るや否や、みるみると青ざめすぐに視線をそらす。気分が悪いのか、口を抑えていた。そちらには目もくれず、一筆は小鳥遊だったものを見つめた。

 

「小鳥遊が……自殺したんです。遺書は、こちらにまとめられてます」

 

 あくまで状況を説明するだけ。事実を淡々と宮野に述べていた。冷静さを取り戻した宮野は改めて話を聞こうとしたが、一筆からはなにも話すことはなかった。すでにあらゆる気力を奪われているのだ。

 おぼつかない足取りで、彼女はその場を去ろうとした。

 

「待って一筆さん……!」

「先生」

 

 凛然とした声音で、一筆が制する。

 

「心配には、及びません」

 

 その言い方には、強い違和感を抱くほかなかった。まるで、それは──宮野の心を読んだうえで答えたような。

 一筆こころの手記には当時のことを詳細に記されている。

 

 ──この時私の五感は増えた。

 見えざるものを見る目と、聞こえざるものを聞き取る耳を有するようになった。生まれた時から備わっているように思うが、今思い返すと私がこの目と耳を手に入れたのは間違いなくここだ。

 小鳥遊の死を前にして、全てが遠のいた。現実が、全て私の前から消えたような心地がした。それなのに、この瞬間ひどくうるさくなったのをよく覚えている。私にはいつからこの目と耳があったのか、もう正確なことは言えないが、もしも一番それらしい時期をあげるとするならここしかないように思う。

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