ルービックキューブはいつ壊れるのか   作:最中庵

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※本文は推敲前の小説です。誤字脱字があれば遠慮せず指摘をいただければ幸いです。
※作者も投稿後に推敲するので物語に少しの変更がある可能性があります。


少年 第六章 サプライズ

 その物語を書き終えたのは、拷問の末、と言っても過言ではないだろう。それは、一筆が中学の事件を題材に綴っている途中だった。

 ──半狂乱の状態になったのだ。

 治療の一環でもあり、同時に彼女の病を利用できるとして物語の制作を持ちかけた篠宮。彼が課した条件の内、最も残酷で効果があったのは三人称視点での執筆だった。とどのつまり、神の視点。全ての登場人物を平等に見て、俯瞰して物語を書く。その登場人物には、もちろん一筆本人が含まれている。物語の完遂には、必ず彼女は記憶をたどることになるし、俯瞰して状況を把握しようとしたのなら、膨大な量の心の声が彼女の中に流れ込む。

 

 面白いくらいにうまくいった。

 

 彼女は、記憶の中で様々な人物の心を読み取り、再体験をしているうちに目論見通り解離性を発症。俯瞰視点を意識させていたからか、彼女には彼女自身を観察する、もう一人の自分が仮想的に再現された。その結果として、その仮想人格が一筆本人を読心してしまいトラウマを正確に再体験することになった。

 当時抱いていた感情、記憶、触覚、視覚、嗅覚──全てを舐め回すかのように読み取る。普通の人間ならそのようなことは起こり得ない。トラウマになる記憶には蓋がされるし、むしろもっとひどいものだ。大抵は思い出すことすらしない、あるいは記憶そのものを改変することで自分の精神状態を守るようになる。だが、彼女の病ならそれを無視できた。

 結果として彼女は繰り返し繰り返し当時のトラウマを再体験したことにより、精神が崩壊。誤算があるとすればここだった。

 

「やっぱり、人格が完全に分裂したか」

 

 彼女は多重人格者となってしまった。元々解離性を誘発させるという前代未聞の行為を提案した段階で予想できたことだ。解離症の一つである解離性同一性障害が引き起こされる可能性。実際問題、現実としてそれが起こってしまった。まだ完全に別人格が一人格としての形をなしてしないようではあるが、それでも少年の考えた計画は頓挫しようとしていた。

 

「『不可逆性不幸不全症』のようにはいかないか」

 

 前提として、精神の死は特殊な条件が揃わないと起こらない。『不可逆性不幸不全症』も、彼女の病も精神的に甚大なダメージを負うという点では共通している。『不可逆性不幸不全症』に()()()、彼女の病に()()もの──それは、感覚だ。

 心が痛い、精神的に疲弊しているということを察知するための感覚。少年は、この感覚が病のために喪失していたから、どんなに苦してくても人格はそのままに死んでしまえた。一筆は別だ。心が読めるというのは稀有な症状だが、精神の痛みを感じる感覚は普通にある。だから、必要以上に痛めつけると人格が分裂する。

 

「よく考えたらそうだよなぁ……僕、なんであの時気づかなかったんだろ。きみの病が特別たる理由は、そこにあるのに。あの子のは面白おかしい力。ただそれだけだ」

 

 頭を抱えながら、篠宮はリビングの机に突っ伏した。

 

「いや、まだ可能性はありますよ。人格が分裂したのなら、それを利用すればいい」

「え? 本当に?」

「振り子と同じですよ」

 

 少年は、机においてあったペンをつまんだ。先端を持つと、振り子のように揺らす。

 

「元々の一筆さんの人格と、今回新しくできた人格を行ったり来たりさせる。やがて力がなくなれば、振り子はどちらにも振れない。人格の消失です」

 

 表出するための人格がはっきりとしなければ、それは人格がない人間と同じ。つまり、精神の死だ。人格をすべて失った人間は、すべての心を失った少年と同格になる。

 

「なるほど、いい案だね」

「ただ……これって成立するんですかね。ぼくが提案しておいてなんですけど、人格統合として多重人格が解消するケースがあるんじゃないでしょうか……」

「いや、今回きみが提案したのは別ケースだ。人格統合は、一つの人格が長く表出して起こるけど、きみの想定だとその逆。人格両方をずたずたにすることで人格消失を促すケース。ほら、ゲームのボスとかでさ、二体同時に倒さないと勝てないやつ。そんな感じ」

 「ぼくゲームやったことないんですけど」

「そういえばそうだった……」

 

 これなら、もう彼女はその要件を満たしている。元の人格はトラウマの拒否反応で人格が沈む。別人格は喪失している記憶を掘り起こしてやればいい。

 

「ただ、別人格の方に問題がありそうなんだよね」

 

 そもそも、一筆に生まれた別人格は中学に関する記憶のほぼすべてを喪失している。当たり前といえば当たり前ではあるが、難儀なものだった。彼女の病──心が読めるという病はトラウマが起因している。ただ、これはあまり問題ではない。誰かに風邪を移された人がいたとして、その原因たる風邪を移してきた人が死のうがどうなろうが菌は残るように。彼女がトラウマごと記憶を喪失しても病そのものは保持できている。ただし、弱体化している状態で。具体的には他人の深層心理や心象風景までを読み取れなくなる。それが、別人格のもつ一筆の弱点とも呼べる部分だ。

 

「これで、彼女は自己読心によるトラウマの再体験が使えなくなる」

 

 別人格が人格の転換を起こす条件は『記憶の解放』だ。喪失している記憶を、どうにかして思い出させる。もしも彼女が自己読心を使えて、その上で奥に眠っている元人格の記憶を掘り起こせたのなら楽だったろう。勝手に彼女は自己読心をして自滅してくれる。

 

 「だけど、できないことを嘆いてもしょうがないか。このへんは地道にやるしかなさそうだ。次彼女が来たのなら、それを実行しよう。あの物語を彼女に見せつけるんだ。そうして、別人格から主人格へと主導権を移す」 

「随分と鬼畜で非人道的ですね」

「それくらいしか、方法がないからしょうがないだろう」

 

 面倒そうに、だが卑しく笑って篠宮は呟いた。

 

「そろそろ、きみの方も頃合いだろうしね。我慢はいくらでもするさ」

 

 その声が、少年には聞こえないように。

 

 □□□

 

「あぁあぁああああぁああぁ……!!!」

 

 その叫び声は、一筆の口から漏れていた。場所は篠宮の借りた防音室。もはや、篠宮と一筆の関係は医者と患者という枠組みから逸脱していた。治療ではなく彼女の病を利用することをまずは主目的としているために、このような形をとらざるを得なかったのだ。 

 今は、その借りた防音室に一筆、篠宮、少年の三人が集まっていた。先日計画したとおりに、一筆にはあの物語を見せつけている。彼女の物語は、ある手記に残しておいてある。それを、とにかく彼女に読ませる。篠宮たちが朗読するわけでもない。他ならぬ彼女自身に、その苦痛を体験させる。

 

「うーむ、かなり効果があるらしい。発狂寸前だ」

「先生も悪い人ですよね。これ、本当にあとで治せるんですか」

「知らないよ。やってみないことにはね」

 

 悪魔のような言葉は、一筆には届かない。今の彼女は人格が転換している。ちょうど、主人格から別人格へと移り変わっている最中だった。それが終わると、彼女の雰囲気が変わる。敬語口調が別人格のサインだ。どうやら、人間不信から他人との距離を一定に保つためにこのような口調になっているらしい。

 

「ここは……どこなんですか。私は……」

「ここは病院だよ。そして、僕は篠宮。精神科医。とはいっても、今のきみは記憶が混濁しているだろうからね。覚えられないだろうけど。とにかくこの手記を見てくれる? ここにきみのことが書いてある」

 

 それを、繰り返す。何度も何度も、何度も何度も何度も。そのうち、篠宮の予測がたった。

 ──彼女は残りいくらかの人格の転換を経て、両人格とも消失にいたる。

 両者人格の境界線が曖昧になっているのだ。連続して人格の転換が起こっているために、彼女の肉体はどちらの人格を受け入れるべきなのかがわからなくなりつつある。今は、主人格の方。

 

「あなた……本当に、治すんでしょうね。私のこと、まさか、いいように使って、それで終わりだなんて──」

「安心しなよ、僕はきみをちゃあんと治してやるさ」

 

 その言葉に、とうとう一筆は声を張り上げた。ヒステリックな絶叫。つんざくような声が、男二人の鼓膜を貫く。

 

「私は、私は小鳥遊のことを覚えてないといけないの! あの子は私のせいで死んだ! 私が、私が幸せになったから死んだの! いい加減にしてよ! わかってるんだよ、私にもう一つの人格があることは! でもそっちは小鳥遊のことを覚えてないんでしょ!? それじゃダメなの! 私が、あの子の正しい苦しみを覚えてなくちゃならない! 生かしてあげなくちゃ……せめて、私があの子を正しく覚えてなくちゃ……あ、ぁあぁ……私の中の小鳥遊が、いなくなっちゃう……」

 

 だが、小鳥遊という少女を思い出して時点で彼女の人格の転換は始まっている。その少女こそがトラウマの中核を担っているのだ。記憶の中の読心を行えば、絶対にそれは免れない。やがて、その叫びは断末魔となった。小さくなり、主人格の意識は沈んでいく。表出したのは、別人格。これを、篠宮はすぐに沈めた。彼女に用はない、といった具合に。また、主人格が現れる。

 

「……ねぇ、先生」

「なんだい。今回は、ヒステリックにはならないんだね」

「あのさ、私の病気ってなんなの? 心が読めるって、おかしいじゃない。どうしたらそんなことになるの?」

 

 篠宮の苦言を流して、一筆は問いを投げる。その声は切実だった。心が読めるなんて病がなければ、そう、彼女の望み通り小鳥遊は彼女の中で生き続ける。一筆の幸福と引き換えに、不幸を背負った少女を、正しく記憶することができる。恋で死んだのではないのだと、いじめで死んだのではないのだと。ただただ、優しすぎたのだと。私なんかのために、死ねるような素直な人間だったのだと。

 ただ、篠宮はその気持ちを全て汲まない。だからこそ、実に無機的にその質問に回答する。

 

「きみはつくづく不幸だと思うよ。およそ、その質問に答えるのなら『才能があった』としか言いようがない」

「……は?」

「きみのは、単純な幻聴だ。精神疾患にありがちな、あの、幻聴。それと何ら変わりない」

 

 あっけらかんと、篠宮は答えた。

 

「きみの場合は人間不信からくる極度の被害妄想だ。それが、きみの幻聴を引き起こしてる」

「答えに、なってない。ただの幻聴なら、心の声なんて聞こえてくるはずがない」

「だから、才能だと言っただろ」

 

 呆れたように篠宮はため息を吐く。

 

「きみには、人の心を読み取る才能があった。「あいつはおれを笑ってるかもしれない」「あの人はこれから盗みを働くんだ」「あの人、今、多分お腹が減ってる」……そういう妄想の精度が、異常なまでに高い」

 

 一筆に言葉を挟まれる前に続けた。

 

「もちろん、きみとて最初からその精度じゃなかっただろうね。物語には書いてなかったけど、明確に発症する前から幻聴症状はあったでしょ。多分、そこで訓練を積んだんだ。多少外れていたかもしれないけど、無意識で学習したんだよ。なんせいじめは人間の欲望がにじみ出た最低最高の行為だ。人間の本心を学習するのに、それほどうってつけのフィールドはない。その延長線上で、きみはあらゆる感情、思考を読み取れるようになった」

 

 ダラダラと話したけど、結局はやはり才能だ──そう、篠宮は締めくくった。絶対音感は音を聞いただけでその音の音階がわかる。それとほぼ変わらない。彼女は、人の声や顔を見ただけで考えていることがわかる。ただそれだけなのだ。それが、人間不信により大量に学習を強いられる羽目になった。常に人を疑い、心理を想像しているうちに才能が開花した。同時に、幻聴という形でその声を傍受するようになった。不幸と才能が邂逅した。

 少年のパターンと変わりはない。彼も、才能があった。異常な人生観を持ち、不幸を愛しい恋人のように受け入れられる異常性を持っていた。不幸と才能の迎合とも言える。

 

「きみの病は『極不安型パラノイア』とでも名付けようか? 不幸な少女の、不幸な物語。その先に待っていたのは誰も信じることができず、亡き親友すら覚えられなくなったがらんどう。いい筋書きだ」

 

 その言葉に、起こる気力もないのか一筆はうなだれた。小さく「そんな」と呟くばかりである。

 

 「原因は伝えたんだ。その気になれば、きみが自力で治すことだってできるぜ? だが、その異常なまでの人間不信をどうにかできたらの話だけどね。疑って疑ったはてに、人の心を正確に想像できるようになった、その人間不信を」

「はは、そう。そう……先生、私を治す気がないんだ」

「あるさ。ただ、まだ僕の満足の行く結果を得られてないだけだ」

「それって、どういう結果なの。私をどうすれば気が済むの」

「精神的に死んでくれたらかな。そして、その再現性を担保できたのなら」

「意味がわからない。精神的に死ぬって、なに? 何を言ってるのか、全然わからない」

 

 ぐしゃぐしゃと、彼女は顔をひっかく。それを諌めるかのように、彼女の髪の毛は絡みついてくる。例の物語のときよりも、ずっと伸びている髪の毛。おそらく小鳥遊を真似て伸ばしている、親友の忘れ形見。小鳥遊の影響はかなり大きい。物語の中の彼女を見る限り、趣味趣向が別人格の一筆に大部分が引き継がれている。あまりにも小鳥遊に執着している影響だ。小鳥遊を何かしらの形で残すために、そういう措置を彼女の防衛本能がとった。

 

「もう、いい。わかったよ。あなたは、私を治す気はない」

「だから──」

 

 篠宮が言い切るよりも早く──いや、彼の反応すら超越する。およそ女子高校生とは思えないほどの瞬発力。狂気的なまでの憎悪が理性のタガを外したからこそできる、獣のような鋭く醜い動作。

 ──篠宮の持っていた手記を奪い取った。

 そこには、彼女の描いた物語が載っている。彼女が中学時代にどのような惨劇を体験したのか。そして、小鳥遊という少女の末路が描かれている資料。それを、あろうことか彼女は引き裂いた。グシャグシャにして、地面に投げ捨てる。

 

「これがあるからっ……いけないんでしょ!」

 

 拳を地面に叩きつける。どん、どんと骨が砕けるほどの力で散らばった紙を叩く。それは、篠宮の持っていた別人格から主人格へと人格転換をさせるための唯一の手段。失えば、精神死を意図的に発生させることは一気に難しくなる。

 

「……今、きみが何をしたのかわかってるのかい。主人格に戻るための手段を一つ失ったんだよ。別人格が中学に関する記憶を都合のいいように補完している以上、そういう正史が載っている資料が鍵になる。最悪の場合、きみは、主人格(きみ)に戻れなくなる」

「それでいい! もう、あなたの思い通りにはならない!」

 

 事実、本当はそれで()()のだ。彼女が作り上げた別人格は、篠宮と少年によってほぼ作為的に作られたものとはいえ、彼女が受けたストレスから逃げるために作られたものだ。本来、主人格が回復するまでか一生別人格として生きていてもおかしくない。それを篠宮は強制的に引きずり出して負荷を与えていたのだ。

 別人格への転換が始まる。彼女の目は虚ろに、だらんと肩から下の力が全て抜けている。催眠術にでもかかったかのように、その場で気を失った。別人格に転換すると、すぐに手を抑えた。苦悶の表情が、はっきりと浮かんでいる。主人格が無視していた肉体の痛みが彼女を襲っている。

 意識がはっきりとする前に、篠宮と少年はその場を後にした。

 

「いいんですか、彼女、放っておいて」

「いいのいいの。目が覚めたら防音室で男二人といっしょにいましたなんて、どう説明しても胡散臭いでしょ」

「あの部屋から出てくれますかね。自室だと勘違いしたり」

「ないよ。彼女の記憶が改ざんされるのは中学のエピソード記憶だ。ドアノブのひねり方がわからなくて餓死しましたなんてことにはならないさ」

 

 ともかく、計画は頓挫した。彼女の病についてこれ以上探れることはない。二度も物語を書くほどではないはずだし、彼女が小鳥遊に関連するものをまだ持っているか怪しい。半狂乱になった時点で、あるいはこの後なにかの拍子で主人格に戻った時、人格の転換に関するものを全て処分するかもしれない。『極不安型パラノイア』は失敗。まだ心が死ねる可能性は残っているが、確認ができない。

 

「再現は、できそうだったんだけどなぁ」

「あれを再現できるんですか。先生も言ってたじゃないですか、あれは才能だって。なのに、再現できると」

「あぁ、あれは絶対音感と似た才能だ。ほら、絶対音感だって後天的な習得は可能だろう。相対音感という形として」

 

 完全再現は難しいかもしれないけど、限りなく近い形では再現できる予定だった──篠宮は語る。

 

「あとでその再現をやってみようかなぁ……また別の人で『極不安型パラノイア』を植え付けて、経過観察をするとか」

「人間不信プラス読心の才能──かなりの人間不信を抱えた人で協力者を見つけられればできそうですけどね」

「難しいだろうなぁ……彼女のは相当なものだったし。それこそ、僕でも初めて見るレベルでの人間不信だったよ。他人も自分も一切信じてない。ちょっと、狂気じみてるね。あれは」

 

 防音室の備わっている建物から抜ける。まだ寒い。篠宮は身を震わせながら灰色の空の下を歩いた。

 

「ま! 僕としては彼女は失敗に終わっても良かったんだ。そもそも、僕の目的は多分そろそろ達成できるしね」

「……それ、どういう意味なんですか」

「どうもこうもないさ、そのままの意味だよ」

 

 笑いながら、彼は少年の前を歩く。

 

「そもそも、僕の目的を覚えてる?」

「納得の行く死──を、得るため」

 

 篠宮が憧憬を抱いていたのは、死だ。それも、特殊な死。人生という大きな物語の幕引きを克服した死。その先、後日談すらをもその目で見届けられる唯一。

 

「それには抜け道があるんだよ。ゲームのバグとか裏技みたいで面白いよね」

「ぼく、ゲームやったことないですけど」

「……そうだね」

 

 ただ、その言葉で少年は確信する。

 ──少女の病は、サブプランにすぎなかったのだ。

 本筋が失敗したときの逃げ道。彼の目的達成が完全に潰えないための対抗策。なら本筋は何なのか、無論、少年であることは間違いない。だが、少年自身がその計画に乗った覚えはない。篠宮が水面下で少しずつ進めていたなにか。

 だがどうしてもわからなかった。『極不安型パラノイア』に必要な才能が技術として習得できるのに対して、彼の持つ『不可逆性不幸不全症』は完全に資質だ。先天的に持っているかどうか。だから、どれだけ篠宮がなにかの策を練っていようが、彼の病を再現することはできない。

 

「で、どうやってぼくの病を再現するつもりですか?」

 

 単刀直入に少年が問う。再現でいないものの、裏技。何らかの手段を用意しているはず。

 

「いや? そんな方法ないけど?」

 

 返ってきた答えは、意外なものだった。

 

「……え? どういうことですか、そんな方法ないって。まさか、目的を諦めたとか?」

「いいやぁ、そんなことないよ。ただ、病の再現という工程をすっ飛ばして僕の目的を達成する方法を見つけただけ。本当に、もうじき僕は死ぬつもりではあるんだけど……まぁ、もう少しだけ時間がかかるのかな。こればっかりは僕にもよくわからないや」

「どういう──」

 

 かくん、と少年の体が少しだけ沈んだ。その拍子に、彼はつまずく。

 ──違和感。感情が再発露している彼は、それを明確に抱いていた。だが、なにがおかしかったのかの言語化ができない。つまずいただけ。だが、違和感。先を行く篠宮は彼の異変に気がついていないようだった。少年は、自分の足を見る。大丈夫、何も異常はない。まさか、精神が死んだことで体も死に始めたのではと僅かに心配したが、どうも杞憂だったらしい。急いで篠宮に追いつく。

 

「帰りになにか甘いものでも食べていこうぜ」

「ぼく、そんなに好きじゃないですけど」

「そういう気分なの、付き合ってくれよ」

 

 適当に彼は街のカフェを見つけた。高そうとも安そうともとれない雰囲気の店で、何かを売りにしているというわけでもなかった。メニューを見てみても、特に何かに力を入れているというわけではないらしい。適当に、ふたりとも同じケーキを注文する。

 

「今後だけど……うぅん、そうだな。これまで通りでいいや。きみは僕の職場についてきてもらって~って感じで」

「……いい加減、そのサブプランの方を教えてはくれませんかね。絶対ぼくが絡んでいるでしょう。サプライズとかはもういいですから」

「まぁまぁ、急ぐなよ。絶対、そろそろその計画のほうが完了すると思うから。そのときに僕は死ぬつもりだから、よろしくね」

 

 自分が死ぬ、ということを軽く見ているのか、それとも本当に死を正しく理解したうえでこの態度なのか。どこまでも、篠宮という人間は掴めず、異常だった。最初からルービックキューブの構造が破綻していた異常者──それが、少年の見方だ。

 談笑をしているうちに、注文したケーキが届いた。待ちきれんとばかりに篠宮はそれを頬張り、続くように少年もそれを口にした。

 

「……おいしい」

「ん、珍しいね。きみが甘味にたいしてそんなことを言うなんて」

 

 普段、少年はあまり甘いものを食べない。ただ単に好まないから。

 

「ともすれば、やっぱりいい感じにサブプランの方は進んでいるね。順調順調。いい傾向だよ」

「気持ち悪くて嫌ですね。この気持ち悪いって感情も、あなたのせいで持たせられてるんですけど」

「いいじゃないの。人間味があるってことは幸せなことだぜ」

「そうですかね──」

 

 カシャン、と少年がフォークを取り落とした。皿の上に、からんからんと音がなる。不思議そうに、二人はそのフォークとフォークを握っていた右手を睨んだ。

 

「ふふ、なるほどね。どうやら、僕の想定よりも結構早くにことが進んでいるらしい」

 

 どういうことですか──そう言おうとした少年の口は、パクパクと動くばかりだ。声が出ない。

 ──体の制御が効かない。動揺、焦燥、不安。一気に、少年は様々な感情を抱く。体だけじゃない、少しずつ、意識すらも奪われていく。眠たくなるような感覚。目を必死に開けようとしているのに、少しずつ閉じていく。シャットダウンを実行したパソコンのように、その命令を上書きできない。脳が、少年を沈めようとしている。抗えない力に、少年はとうとう気絶した。机に顔をうずめるような形で、倒れ込む。

 

「さ、じゃあ、そろそろ死に場所でも探そうかな」

 

 その声に反応するように、少年はむくりと起き上がった。実に緩慢で、おもむろな動きだったが、その動きにはどこか既視感がある。彼が浮かべている表情も、どこかで見たような薄っぺらい笑み。

 

「きみも手伝ってくれよ。僕の死に場所探しをさ」

 

 その声に、少年は小さく首肯した。疑問一つも浮かべずに、文句一つも言わずに。ただただ、従順に彼に従う。

 

「もちろん、()の頼みだから」

 

 その声は、篠宮のものではなかった。

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