ルービックキューブはいつ壊れるのか   作:最中庵

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少女 第四章 推敲終わりました。(2025/06/02)


少女 第四章 カウントダウン

「えー……早すぎない?」

「仕方ないでしょ」

 

 葉山と篠宮が対立してから二週間ほど。二人は再び顔を突き合わせていた。その日の放課後に、葉山から電話をかけたのだ。篠宮はまだ番号を教えていない。ネットで精神科医をサーチして医院の番号を見つけたらしい。篠宮が正式な精神科医であるかという確認も含まれていたのだろう。結果としても両方とも納得の行く結果を得られたわけで、こうして集まることができたわけだ。

 大人びた装いの篠宮に大して、葉山は若々しい女子の装いだった。見た目の年の差はないが、立ち振舞でその貫禄の差が出ていた。彼はもう、隠すことをやめたらしい。篠宮は不敵に笑った。

 

「まぁいいや。想定よりも早いけど、作戦会議といこうか。カラオケでも行く? 高校生らしいだろう」

「……いい歳した男の人が、女子高生を暗室に誘うの?」

「自意識過剰っていうんだぜそれ。僕が嫌いなタイプだ。人間なんてみんな慎ましく生きてりゃいいのに」

 

 不遜ここに極まれりな篠宮がよく語れたものだと葉山は呆れた。普段よりも血の気が少ない葉山をちらと見ながら、篠宮は歩き始めた。

 

「まぁ、きみがそういうのなら場所を選ぼう。そのへんのカフェなんてどう? 放課後にカフェに寄るなんて、いかにも高校生らしいじゃないか」

「あなた、青春にでも憧れてるの?」

「まぁね、色々あってさ」

 

 軽口を言いながら、篠宮はロングコートを揺らしながら歩く。一歩遅れながら、葉山はそのコートの尻尾を追従していく。 

 

「要件は予想できるけどさ。少しくらい元気出したら?」

「じゃあ、奢って」

「おいおい、それが人に奢ってもらう態度かよ」

 

 文句を言いながら、二人はすぐそばにあった喫茶店と入った。レトロな雰囲気の店だ。店内に入ると、アンティーク調の装飾がならび、そこだけで一つの世界観が完成している。コーヒーの香りをまといながら、二人は角の席に向かい合わせで腰をおろした。葉山は、睨みつけるように篠宮を見ている。

 

「わー、いい店だね。僕こういうところ好きなんだ。何頼もうか」

「一番高いやつ」

「店員さん、この子に泥水を」

 

 篠宮はコーヒーを、葉山は紅茶とケーキを注文すると、葉山の方から切り出した。やはり気分は重たいようで、声は小さく、低く、もごもごと口を動かす。

 

「わかってると思うけど、一筆の能力が──病が、悪化した」

「僕の予想よりもずいぶんと早いな。というよりも、よくきみは僕を頼る気になったね。あれだけ敵視していたのにさ」

「………………」

 

 葉山は黙り込んだ。篠宮から視線を外し、テーブルに目を落とす。テーブルに付いている木輪が、目のようになって彼女を見返していた。

 

「一筆、明らかに心の声と現実の声に区別がつかなくなってきてる。最近は、聞こえる声の数も増えてきたみたいで、よく頭痛を訴えてる。頭痛薬も常備しているし、安い耳栓をつけるようにもなった」

 

 耳栓は、現実との声を区別するための対策だろう。心の声はクリアに聞こえてくるが、現実の声はわずかに曇る。だが、ストレスは溜まっていくはずだ。四六時中耳栓をつけることで耳へのダメージも無視できないし、なによりコミュニケーションが円滑にできなくなるだろう。

 

「もっというと、なんか、心の声以外にも()()()()()()だから」

「……幻覚症状かい」

「いや、そうじゃない。なんというか、”声”だけじゃなくて”映像”も見えてるみたいな……」

「心象風景や記憶も読み取れるってわけだ。ははあ……? よくそんなことわかったね」

「視線が、明らかに目の前じゃないところを見てる時があるから。それも、その直後に頭を痛くしたりしてるし」

「光に過敏になったりは?」

「スマホの明度を明らかに下げてる。それに、そもそもまわりを見たくないみたいで、机に突っ伏してる事が増えた」

「はは、確かに悪化してるね」

 

 篠宮は、小さくため息を吐きながら足を組み直した。

 

「一筆、相当ストレスが溜まってるみたいで……最近はクマも良く出来てるし、短気になったりしてて……本人が、怒ったことを一番気に病むタイプなのに……」

「それできみも神経すり減らしてどうにもなくなったから僕に縋り付いたわけだ」

 

 葉山の状態も健康とは呼べそうになかった。聞く限りの一筆のように、クマがひどくなっているなどのわかりやすい不調は見受けられないが、少しだけ頬が痩けたようにも見える。前ほどの覇気もない。精神的に少し参ってきているようだ。

 

「その症状悪化はいつぐらいから始まったの?」

「ちょうど、二週間前くらいから……」

 

 それから少しばかり、二人の問答は続いた。その頃の一筆の様子、どのような言動をしていたのか。そして、葉山はそれらを事細かに説明する。一筆が自分の記憶について疑問を持ち、調査を始めたこと。それとほぼ同時期に彼女の心が読めるという病の悪化傾向が見られ始めたこと。篠宮から質問を繰り出した訳では無いが、葉山が対策を講じてきたことを自ら明かした。耳栓も元は葉山のアイデアらしい。

 

「となると、やっぱり記憶を取り戻しつつある可能性が高いのか」

「ってことは……」

「うん、精神崩壊が近いね」

 

 その言葉に、やはり葉山は顔をくしゃりと歪ませた。同時に、納得ができないと言う様子で篠宮を見る。

 

「どうして、記憶を取り戻すことが精神崩壊になるの」

「きみは、一筆さんの()()()()を知ってるんだろ」

「それは、そうだけど」

 

 店員が、注文した品物を提供してきた。小綺麗なカップに注がれたコーヒーと紅茶。飲み物を出した後に、チーズケーキを葉山の前に出した。しっとりとした質感の、上品なケーキだ。葉山はまず紅茶に口をつけた。乾いた喉を潤して、ため息を吐く。

 

「──二重人格、でしょ」

 

 飴色の液体を眺めながら、葉山は絞り出した。さながらドリップするかのように、苦々しく掠れた響きだった。

 二重人格──正式名称は解離性同一性障害。数多の文学作品などでも取り上げられてきた二重人格。もととなる人格に大きな負荷がかかったときなどに、現実から逃げるために作る場所。それがもう一つの人格だ。

 

「そうだね。彼女は二重人格……ではあるけれど、どうかな。少し、違うのかもしれない」

「違う?」

「あぁ、確かに、人格が形成された経緯を見れば二重人格とは言えるけど……どうも、彼女の場合は特殊だからね」

「ちょっと待って」

 

 カタン、と音を立ててカップを置く。液面が激しく揺れると、葉山は身体を机の上に乗り出した。

 

「あなた、どこまで知ってるの? 経緯とか、二重人格のこととか……」

「全部だ」

「そんなわけが……」

「小学校の頃、一人の男の子に恋をした。それが初恋で、彼は人当たりのよい人気者の男子だった」

「……は?」

「中学生の頃は、どうだったかな。彼女は真面目で、品行方正。委員会に所属もして積極的に活動をこなす。友人も多い方で、その頃は敬語口調ですらなかった、かな?」

 

 篠宮が語る情報は、葉山には真偽を確かめられない。小学校の頃が初恋という話は知っていた。だが、その男子のことを細かく聞いたことはなかった。それに、一筆は中学の頃に関してはあまり話さない。話したとしても、ぼんやりとしていて曖昧な内容ばかりだ。()()()()()()()()()()()()()()矛盾することすらあった。だが、彼は情報を掴んでいる。それも、曖昧なものではなく確信めいた口調で。

 真偽は定かじゃない。だが、これは真実だと葉山は直感的に理解する。ここで嘘を言う理由がない。

 

「……おっと、そうか。中学のことは本人すら知らない情報か。これは口を滑らせてしまったね」

「あなたは、本当に、何を知ってるの」

「きみが欲しい情報は、だいたい知っていると思うよ」

「だったら、あの病を──」

「どの病のことだよ」

 

 篠宮は、コーヒーに口を着けた。カップを持ち上げた時の動きで、葉山の鼻腔にもその香りが届く。渋みのある香りで、わずかに身体がくいと後ろに下がる。

 

「きみがさっき言ったのは、二重人格──解離性同一性障害だ。だけど、僕が関わりたいのはそっちじゃない。心が読める病の方だ」

「……そもそも、あれが病っていうのは本当なの? あの能力が病気だなんて、やっぱり信じられないんだけど」

「大マジだよ。あれはれっきとした精神医学で説明がつくものだからね。確かに心が読めるなんて、ファンタジーみたいだけどさ」

 

 コロコロと笑った。その表情は、やはり純粋無垢な少年のようなそれだった。とても、大人の精神科医とは思えないと葉山は口の端を曲げる。カチャカチャと雑音が交じる店内に倣って、彼女もフォークを手に取りチーズケーキを削り取った。口にいれると、滑らかな口当たりで舌に馴染む。その滑らかさを無視するような、毒舌を繰り出す。

 

「どうせ、あなたは話してさえくれないんでしょ。心が読める理由についてとか」

「そうだね。きみが僕に敵対している以上は無理だよ。それこそきみが彼女のもう一つの人格を引っ張り出すのを手伝ってくれるっていうのなら、考えるけど」

「そんなの、やるわけない」

「だよね」

 

 葉山は、もう一度チーズケーキを頬張りながら、目の前の男について整理した。

 ──目的は、一筆のもう一つの人格を引きずり出すこと。そこから病を治療する気があるのかは現状判断が不可能。ただし、一貫して彼女の記憶を取り戻させようとしているところをみるに人格の転換のトリガーは記憶に委ねられているのだろう。葉山に阻止されたら困るのも一貫している。

 一筆について異常なほどに詳しいのは過去に担当医となった可能性が高い。一筆の諸精神疾患がいつ頃から発病しているかは定かでないが、少なくとも中学の──記憶を失う前の一筆と接触していることは確かなのだ。

 

 考え事をする葉山を待つかのように、彼は薄ら笑いを浮かべている。店の照明が、彼の頭蓋に落ちる。顔が暗く隠れて目だけが光っているかのようだった。

 どこまでがこの人の目論見の範疇なのだろうか。

 ふと、葉山はそんなことを考え始めた。彗星のように、あるいは嵐のように現れた男だ。一筆の記憶について躊躇することもなく踏み入り、人格を引きずり出そうとしている。

 

「二重人格が精神崩壊を起こす理由だけどね」

 

 思い出したかのように、篠宮は語り始めた。最初の葉山の質問だ。二重人格であることが、どうして精神崩壊につながるのか。むしろ、二重人格とはそれを避けるための機能のはずだ。人間が、現実から逃げられなくなったときに用意する逃げ場、それがもう一つの人格だ。

 

「うーん、そうだな。きみは、シャトルランをしたことはある?」

「それくらい誰でもあるでしょ」

「それならよかった」

 

 また、彼はコーヒーを啜った。縛っている黒髪が揺れる。

 

「シャトルランは、はじめ、両方の線を踏めるだろう。行って、帰って、線を踏む」

 

 彼はテーブルに自らのスプーンを置いた。葉山に確認を取ると、彼女のスプーンも机に置き、それこそシャトルランを彷彿とさせるような会場を作り上げる。人差し指と中指で()を見立てて、トコトコと可愛らしくスプーンからスプーンへと走らせる。

 

「これは彼女の人格にも言えることでね、最初は順調なんだ。大した労力すら使わずにこの往復を完遂できる」

 

 一つのスプーンが今の彼女の人格。もう一方が別人格であることを補足しながら、篠宮は説明を続ける。今の人格と、別人格を行ったり来たりとさせながら。

 

「だが、シャトルランには限界がある。数十往復、人によっては百とか行けるか。まぁ、とにかく、そのくらいたくさん往復していると──」

 

 彼の指は、スプーンの線を踏めなくなった。

 

「音階の変わり目までに線を踏めなくなる。体力の限界だ」

 

 シャトルランでは二回連続で線を踏めなかったら失格となる。線を踏めないまま切り返すと、また、彼の指はスプーンを越えない。本来のシャトルランならここで失格となる。

 

「彼女の人格は、その限界の限界まで行くんだよ。シャトルランは明確に失格の規定があるけど、彼女の人格にルールはない」

 

 そのまま、篠宮はミニシャトルランを続ける。だが、何度やってもスプーンを越えることはない。それどころか、疲れ果ててほぼ中心から動けなくなっている。線と線のちょうど間で、あっちに行ったりこっちに行こうとしたり。バタバタとそこで地団駄を踏んでいるかのようだった。行き場所を見失ったその疑似人間は、やがて溺れもがいているかのようにも見えてくる。

 

「そう、最初はいいんだ。主人格と別人格。その二つをきっちりと行ったり来たりする。だけど、彼女の場合は明確に人格が分裂しているわけじゃない。どちらも一筆茜であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ。右往左往する人格は、やがてどちらを表出させればいいのかわからなくなる。振り子運動にも近いかもね。時間が立つにつれ、左右に揺れる振り子はどちらにも振れなくなる」

 

 その先は、葉山にも理解できた。行き場をなくした人格は、その場でもがき苦しむ。どちら側にもなれなくなってしまった一筆は、何者にもなれなくなる。すなわち──人格の消失。対消滅するかのように、二つの人格は消え去ってしまうのだ。限界以上に走り続けたシャトルランは、やがてその場にうずくまる。重力に引っ張られ続けた振り子は、エネルギーを失って動けなくなる。

 

「ま、これが精神崩壊の原理だ。そして、彼女の人格はそろそろこの臨界点に到達する。人格の転換の残り回数は不明。けれど数字にしたら一桁なのは確かだろうね。九回は大丈夫かもしれないし、次で終わりかもしれない」

「……人格が、一つに統合されることは──」

「ない。いっただろ。彼女の場合は分裂しているわけじゃないんだ。いわば平面──表裏の関係。表か、裏か。それが一体化すると平面が消失する。表も裏も存在しない、面とも言えない()だ」

「じゃあ、何を目的に、あなたはここにいる?」

 

 それはほんの少し前に葉山が抱いた疑問だった。篠宮は、一筆の人格を引き出すことを目的にしている。だが、その先は何だ? 一筆の人格を引き出したその先に、彼の本当の目的が眠っている。先にあるのが()であるとわかっていながら、執着する理由はないはずだ。

 治療する気がないのなら、なぜ今更ここに現れたのか。あとほんの少しで精神崩壊が起きてしまうタイミングで──手遅れになりつつあるこのときに、彼は現れたのか。

 それらの答えを、やはり篠宮は持っているはずなのだ。本人なのだから、知らないはずがない。そして、その理由は限りなく重要で、重大なものであると葉山は直感していた。篠宮の性格を鑑みれば、この場面は嘘で乗り越えるはずだ。口からでまかせを湯水のようにわかせて、それを垂れ流しにしてその場を切り抜けるのが彼の性格。それは、なんとなくわかっていた。

 

「──悪いけど、それは言えないな。僕は僕なりに考えていることがある。それを、きみが知る必要は、ない」

 

 だが、ここでこの男が選んだのは沈黙だった。その事実が、更に葉山を焦らせる。やはり重大だった。彼は、今、おそらく最大限に配慮しているのだ。他ならぬ葉山に対して、友人がどのように、あるいはどのくらいに手遅れであるかを不必要に考えさせたくないから遠ざけようとしている。一筆のことを、どうにかできるのではと希望を持たせないようにしている。準備期間なのだ。一筆の、死の。後ろからトゲのついた車が迫ってきているかのような緊張が、彼女を縛る。心臓の早鐘がエンジン音のように聞こえ、耳鳴りは舗装された道を爆走する風切り音に聞こえた。脳裏には一筆の顔がチラつく。

 ──友人が、一人死ぬかもしれない。

 その事実にいざ直面すると、葉山は動けない。思わず、固唾を飲んだ。

 

「まぁ、安心しなよ。きみが僕をどこまで信じているかは知らないが……とりあえず、どうにかする。一か八かにはなるけどね」

「あなたは、あの子を助けられるの……?」

「助けられない」

 

 美しいほど、そして、悲しいほどに真っ直ぐな声色だった。

 

「僕は、正義のヒーローじゃない。助けられないものは、助けられない。せいぜい、何を捨てるかの提示をするのが今の僕の役割だ」

「そん、なの」

「現実は得てして非情だ。中学生相手に酷なことを言うけど、友人のことは諦めろ。きみが捨てるべきものは、それだ」

 

 ぐいっと、呷るようにしてコーヒーを飲み干した。

 

「今度はこっちからも聞きたいことがある。きみ、一筆さんの二重人格にどうやって気づいた? 口ぶりからして、もう一つの人格に出会っているようだし、そのことについて詳しく聞かせてほしい」

 

 ここで、やけに素直に葉山は口を開いた。もう、ある種の覚悟が決まったのか。いや、これは、彼女の準備だ。ここで、すべてを一度篠宮に提示する。そして、今一度自分自身に一筆の状態を言い聞かせることで、俯瞰的に今の状況を見つめようとしている。追い詰められた精神が、固く閉ざしていた口を、こじ開ける。

 

「……前、二人で旅行に行ったときだった。夏休みくらいだったと思う。二人で、熱海まで行った」

 

 懐かしむ余裕すらなく、機械的に葉山は言葉をひねり出す。

 

「一筆の人格が入れ替わったのは、その旅行中。二泊三日だったんだけど、二日目の夜に急に様子がおかしくなった。何がきっかけでああなったのかはよくわからないけど、多分、テレビかスマホで何かを見たんだと思う」

「今年の夏休み頃?」

「そう」

「そのくらいの頃だと……」

 

 考えながらスマホをつつく篠宮を気にもとめず、葉山は言葉を続けた。

 

「とにかく、その時が最初で最後の人格の転換だった。私は、初めて()()()()()に会った。正直、怖かった。同じ一筆とは思えないくらいに、私のことを嫌ってた。恐怖の次には動揺が来た。どうして、なんでって……その後なんて言ったと思う? 「あなた、誰。近づかないで」って言ってきたの。とんでもないくらいに怒ってて、手がつけられなかった」

「その後は?」

「怖くなって、私は逃げ出した。それから一時間くらい、誰にも相談できないで散歩してたよ。もしかしたら私の見間違いかもしれないって思って、勇気を出して戻ったら……もとの、一筆がいた。いつもの一筆で、でもなぜか泣いてた。そのことを聞くと、本人にもわからないって言われちゃった。多分、人格が戻る前に泣いてたんだと思う」

「きみは、どうやって二重人格であることに気がついたの?」

「いや、なんとなく逃げた後の時間で思ってたよ。あれは、二重人格なのかもって。まさか友達がそんなわけないとも思ってたけど、帰って涙でぐしゃぐしゃな一筆を見たら不思議なくらいにすんなり受け入れられた。だって、一筆が泣いてるところなんて見たことなかったし。絶対、冗談でも私に「あなたは誰?」って言うような人じゃないから」

 

 同時に、私が守らなければならないと葉山は思ったらしい。一筆には、本人にすら知覚できていない病がある。二重人格という、制御の効かないもう一人の自分がいるという病。それを知っているのは、葉山だけ。

 その後、葉山は一筆から心が読める事情について知らされることになる。彼女が一筆の力と背景を知るのは、ここが初めてだ。

 

「あんなにつらそうで、怒らなきゃならない──まるで、世界を恨んでるみたいな一筆を出してあげたくない」

 

 多分、人格が引っ込んでいる間しか、休まらないだろうから──そう葉山はくくった。

 

「だからやっぱりあなたには、一筆の記憶は思い出させてほしくない。だって、そうでしょ。私も気づいてはいた。中学の記憶だけ、やたらと曖昧で矛盾が多い。そこに、きっともう一つの人格ができる何かがあったんだって。それを思い出させれば、絶対にまたあの一筆が出てくる」

「だけど、そうしないと後にも先にも進めなくなる」

「だけど、それは一筆を救わない」

 

 やはり、葉山には篠宮を信じるということは至難だった。一筆を救わないという選択肢を提示されて、みすみすそれを肯定するわけには行かない。助けられないとまで断言する篠宮を頼るくらいなら、自分で──とすら考え始めていた。

 今一筆が抱えている問題は単純なものだ。二重人格の臨界点に到達しようとしている。それを阻止するためには、単純な話もう一つの人格を一生引きずり出さなければいい。ああそうだ、なんて単純なんだろう。葉山は、自分を安心させるように口にケーキを放り投げる。一口に残っていた分を頬張ると、席を立った。

 

「今日はどうも。よくわかったよ。ようは、一筆の人格をこれ以上転換させなければいい」

「それができたら苦労しないよ」

「私は、やって見せる」

「友人のためにそこまでするか」

 

 その言葉に、葉山はカチンと来た。あからさまに不機嫌を呈しながら、振り返る。

 

「ここまでしたいと思えるくらいの友人を持ったことはないの?」

「ごあいにくさま」

 

 まぁ、これからどうするかの選択は任せるよ──篠宮は、葉山を引き止めるわけでもなく、快く見送った。そこに、やはり葉山は不安を抱く。わざわざ彼が、一筆の状態が悪化したら自分を仕向けさせるようにしたのはなぜか。それを考えると、どうしても操られているように感じてしまう。

 一筆の現状をリスクなしで入手できる。葉山に情報を共有し、対処法を発想させることで一筆に間接的に干渉する。地平線へ落ちていく夕日を見つめると、やはりすべてがあの男の手のひらの上なのではとさえ思ってしまう。

 一筆のすべての情報を握っているのなら、葉山が思いつくことくらいは篠宮も思いつくはずだ。なのに、それを本人がやらない。

 

 僕は助けられないと彼は言った。あくまで、僕は、だ。だとするのなら、こうやって一筆へ葉山を仕向けたのは──

 

 好意的に、葉山は現状を捉える。そうしないと、自分自身の精神を保てそうになかった。

 ──だって、この二週間で一筆は一度人格の転換が起きているから。カウントダウンは、タイムリミットは、後どのくらいだ。あと、何回の転換で死ぬのだろうか。その後ろ向きな思考が、頭の隅にいることを無視しながら葉山は帰路についた。

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