ルービックキューブはいつ壊れるのか   作:最中庵

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※本文は推敲前の小説です。誤字脱字があれば遠慮せず指摘をいただければ幸いです。
※作者も投稿後に推敲するので物語に少しの変更がある可能性があります。


少年 第四章 可逆性

 少年が川に突き落とされたあの夜から一年ほどが経っていた。その間でも少し、少年と篠宮には変化があった。あの事件が明確なターニングポイントになっているとか、そういうわけではない。むしろ、重要になっているのは、少年の病の培養についてだ。篠宮が死という概念に憧れ──あるいはタナトスとも呼べるだろうか、その衝動のままに、少年の病を調査し利用しようとしていたところにあった。

 以来、少年は精神医学について勉学を始める。自学をしていると言うよりも、篠宮に教えを乞うている。医師として、よりも教師としての先生と生徒としての関係が築かれつつあった。理由はお互いに定かではない。篠宮はその行為について理解しようともしていないし、少年の方はすでに死んでいる人間だ。その行為に理由すらないのかもしれない。

 同時に、彼は篠宮の職場に同席することも増えてきた。篠宮の独断である。これ以上ない勉学の機会を設けられるとして、軽度な症状の患者の前に少年を出すことも多い。医院では反対意見も多かったらしいが、篠宮が押し切った。そもそも、少年が精神疾患に対しての理解が深いのだ。彼が、これまでにない新たで、とても強力な心の崩壊を経験している。だからこそ彼から新たな視点の意見やアプローチが出てくることも多々あった。

 

 雨の降る日。少年は、篠宮の家にいる。家事担当は彼だ。朝早くから分厚い雲を被り、雨は窓を殴りつけてくる。窓にへばりつく水滴を横目に、少年は掃除機をおもむろに動かしている。フローリングを注視していると、髪が目にかかった。

 

「少し、伸びてきたかな」

 

 ヘアピンを探し出すと、前髪を留めた。狭めのおでこがあけっぴろげになってしまっているが、篠宮も今は仕事で留守にしている。誰も気にせず、掃除機を進める。バサッと、掃除機が落ちている書類を吸いかけた。変な音を立てながら、その書類を吸い込もうとする掃除機のスイッチを切り、拾い上げる。大抵、篠宮が書類を床においているときは処分してしまっても良いときだ。だが一応篠宮に確認を取るために、すべて拾い上げる。内容に目を通すと『不可逆性不幸不全症』に関する内容であった。おおよそはその再現を突き詰めるもので、いかに効率的かつ適切に心身へと負荷をかけられるのかをまとめているものだった。

 しかしこの実験、一年前には、すでに結論が出ている。人体実験を施した訳では無いが、思考実験の段階で人体がその負荷に耐えきれるものではないと結論が出たのだ。精神が持たず、自我の崩壊あるいは別人格の生成が起こる。とりわけ少年は極めて稀有な例であり、その再現には本人の精神の資質すら必要になってくる。

 隣の資料を見ると、やはりそのような結論が書き連ねてあった。それも処分対象だ。篠宮は、どうやら『不可逆性不幸不全症』の再現に対して、消極的らしい。この頃増えてきた処分予定の資料をまとめると、彼が今少年の病の再現を諦めつつあるのがわかった。

 ふと、少年が机の上に目をやった。一年前の事件を境目に、篠宮は自分の研究の資料を隠そうとはしなくなった。少年にすべてを話してしまったからだろう。

 

「ま、あの人は諦めませんよね」

 

 その資料にまとめられていたのは、精神死についての記述だった。そもそも篠宮の目的は病そのものよりもその先にある精神の死だ。それを達成するための新たなアプローチを記載している。だが、どれも酷いもので、常人が見たのなら思わず頬をひくつかせたくなるような内容のものばかり。やはり死を伴うには、痛みや苦しみからは逃れられない。そのことを物語るように、資料の中では多くの血が、あるいは涙を流さなければならないものばかりだった。篠宮という男は、そのくらい、死に執着しているのだ。改めて、少年はそれを理解した。

 

 ぼくが現れなければ、あの人はああならなかったのだろうか。

 

 そんなことを、彼はこの数年でどのくらい考えたことだろうか。篠宮は、最初から壊れている。人は心に何らかの闇を抱えてしまう。その形が、彼は歪だった。だが、少年が精神死という稀な死を遂げ、それを目の当たりにしてしまってからさらに狂ってしまったのでは、と。そして、実際にそれは正しい。少年とて、篠宮が過去にどのような人物だったのかはわからない。彼は、自分を多く語らない。だが、彼に宿っていたタナトスを解き放ってしまったのはやはり少年だった。世にも珍しい生きる死体を目の当たりにして、そこへの憧れを増長させてしまった。結果として、今の彼がある。少年との邂逅以前よりも、死に執着する彼が。

 少年は掃除機を収納に戻す。暇な時間ができてしまったので、精神医学に関係する書籍を開く。少年の年齢は、まだ高校生程度。篠宮からの教育を受けているが、篠宮は教師ではない。少年の学力レベルは偏ったものになっている。基礎は篠宮の教えられる範囲が主で、それ以外は精神医学が中心。しかも、少年の考えで、精神医学にほぼ無関係だろうというものは自らで弾く傾向にあった。だから、まだ──いや、もう高校生だとはいえ、同学年の学生たちと比べれば尖った学力、そして異色の経歴になる。書籍を眺めながら、少年はルービックキューブを手に取った。彼にとっての、心の形。篠宮から最初に教えられた、人間の心の形をわかりやすくしたもの。それが、彼にとってのお守りのような役割も果たしていた。

 

 ──一年前、川に突き落とされたときのことを思い出す。

 

 彼が”実験”と称して少年を殺しかけたあの時だ。不幸を求め、しかし篠宮のところでは大した不幸を享受できなかった少年が、ついにそのことを触れたあの時、篠宮が殺そうとした。だが、その表現は間違っている。篠宮は、彼が生きているとは思っていない。本当に、ルーペや顕微鏡、カルテや文房具のような道具に近い扱いだ。珍しく、大切にしなければならないというのが少し違う点ではあるが、篠宮にとって、彼は死につながるただのヒント。矢印看板と似たようなものだ。その看板をひしゃげさせたら、何を示すのか。それを確かめるために篠宮は殺そうと──壊そうとした。

 その時に少年は篠宮の心の形を見た。特別、他人の心を見ることができる能力を有していたわけではない。それはさながら色眼鏡のよう。赤色の色眼鏡をかけていると、赤いリンゴを見られなくなるように。少年は、自身の心という色眼鏡を脱した結果、心の形を感覚で理解できるようになりつつあった。

 そうやって感覚的に見た篠宮の心の形は、やはり歪だった。少年の持つ、ルービックキューブでイメージをする。篠宮から教えられた、心の構造のモデル。多面性を持ち、回転する玩具。

 篠宮の内包するルービックキューブは、単色だ。どの面も、一つの色しか示さない。つまり──彼にとって、心の面はどんなときも、そしてどこでも()()()()()()()のだ。だから、彼には迷いがない。彼の視界には一つの色面しかないから、それを回転させるなんてことをしなくていい。ただただ直視する。そして、実行する。実験と称して少年を突き落とせたのは、それが大きいだろう。

 自分の好奇心に愚直──あるいは実直とも呼べる狂気。ときにその色面の()が変わることがあれど、それだけだ。六面全ての色が変わり、彼の心は上から塗り替えられる。狂気を上塗りし、マーブル柄で、完全に同一な色面が揃っている。

 

 これが、少年の感じた初期不良だ。

 

 色面が揃っていることを正常とするのなら、彼は正常だろう。間違いなく六面全て揃っているのには違いない。だが、それしかできない。揃えることを目的とした玩具としては正常でも、揃える過程を楽しむ玩具としては異常だ。正常でありながら、異常。その矛盾を無理なく抱え持っているのが篠宮という男だった。

 すべての資料をまとめ終えると、篠宮のファイルへと綴じる。一年前から、少年は篠宮の部屋への立ち入りが自由になっている。それまでは固く禁じられていたのだが、やはりすべてをさらけ出した以上は何も後ろめたいことなどないのだろう。少年は、彼の部屋の棚へとそのファイルを戻した。空っぽな視線は、ほんの少しだけ右へとずれる。もう一つのファイル。その背には、なぐり書きのような文字でタイトルが綴られている。

 

「──『不可逆性不幸不全症』の副症状について」

 

 おもむろに、少年はファイルを開いた。気の所為か、少しだけ心臓の鼓動が早くなったような錯覚を覚えながら、その内容に目を通す。

 ──心をという機能を喪失したことにより、他者の感情あるいは心そのものに対して非情に敏感になる可能性。

 

「え」

 

 思わず、声を漏らす。開かれた視線の先には、間違いなくその文字列が広がっている。()()()()()()()()()()()について事細かに書かれているソレに、瞠目しながら読み耽る。

 奇しくも、そのときに抱いた感情、に似た本能は、少年が一年前に抱いたときと同じものだった。不幸を求めていた少年が、本能で拒絶したくなったその感覚。感情とは呼べない、直感的でもっと根本的な反応。

 彼は、まだ心の形を理解できることに関して、篠宮に申告していない。彼自身がオカルトじみた能力だと思い込んでいたからだ。思春期特有の思い込みだとか、正体見たりといった人間の錯覚。だって、現実には心なんて見ることは叶わない。だから、その空想は、ただのフィクションだと思い込んでいた。しかしそれは、たった一つのファイルで現実へと掘り出される。彼の持つその力は、やはりまごうことなきリアル。その思い込みを訂正されることもさることながら、それ以上に衝撃を与えたのは篠宮の予測能力だ。

『不可逆性不幸不全症』に対して、異様なまでに理解している。ひとえに精神科医としての手腕が大きいのだろう。だが、病を抱えている少年以上に把握していることが、何よりも強い衝撃となる。

 気づけば、少年は持っていた掃除用具なんかもすべて地面に落として、のめり込むようにそのファイルを見ていた。その書類に示されていたのはあらゆる可能性──ひいては、少年と『不可逆性不幸不全症』がたどる未来だ。

 主症状は言わずもがな。副症状が、そこには羅列されている。少年の感じていた心の構造理解から始まり、その先に待っているのは構造の掌握、それに付随する心の最適なモデル化などと書かれている。

 

 一体どういう意味だろう。

 

 少年は、深く考え始めていた。ただの死体の、なんの感情も持たない骸が、自発的に思考を巡らせる。

 

「ただいま」

 

 ガチャ、と玄関を開けながら篠宮が帰って来る。買い出しから戻ってきたのだ。普段は少年が担当していることではあるが、気分で篠宮が出かけることもある。今日がその日だった。慌てて少年はファイルをバシンと勢いよく閉じて戻した。ほぼ反射である。その行動に少年自身が疑問符を浮かべつつも、掃除用具を拾い上げ平静を装いながら扉を開ける。篠宮と鉢合わせになった。視線がぶつかる。

 

「ん」

「散らかってた書類をまとめて本棚に置いておきました」

「別に捨てちゃってもいいよ。時代はデータだからね。あれらの元は全部USBに入ってる」

「資料の確認と推敲は紙派。それにそのUSBを無くすリスクヘッジのためにあれ印刷してるんでしょう。あと、印刷だってタダじゃないでしょう。インクに用紙代がかかります」

「家主は僕なんだからそんなこと気にしなくてもいいのに……」

 

 ちら、と篠宮がファイルをしまっている本棚を見た。一箇所、乱雑に収納されているファイル。記憶を掘り起こす。そこにあるのは、副症状についてまとめたものだ。なにか少年に声をかけるかと思われたが、無視してリビングへと戻った。時計はまだ昼前を指している。

 

「昼食は、何にしますか」

「温かいものがいい。今日は冷えるし」

 

 そう言われた少年は、スープを作り始めた。インスタントのトマトスープを作りながら、食パンをオーブンへ。焦げ目がつくのを待ちながら、また沸かしているお湯へと手を伸ばした。朝食のようだが、少食の二人にとってはこのくらいでちょうどいい。特に、少年の方はほとんど食事を摂らないといってもよかった。およそ平均的な男子高校生の食べる食事量ではない。少なすぎる。それも、副症状のファイルに書いてあったことだ。

 赤いスープを見ながら、少年は紙面を思い出す。その中の一つに三大欲求の大幅な減退と書いてあった。思えば、昔から食事や睡眠は最小限に抑えられてきたことも思い出す。性欲に関しては自覚すらできないほどで、どこか人間離れしている感じを彼は抱いた。

 

「そういえばさっき、副症状のファイル見てた?」

 

 この人は心が見えるのではないだろうか。そう少年に思わせるほど、的確なタイミングでその話題に触れてくる。先程の焦燥感はどこへやら、少年は実に冷静に返事をした。

 

「えぇ、まぁ……たまたま目に入ったので見てみました。ダメでした?」

「いや、別にいいよ。きみの症状に関してだ。きみ自身に規制する理由もないしね」

 

 そこからが本題、というように篠宮は足を組み直して台所の少年に顔をのぞかせる。

 

「で、どうだった」

「どうだった、ってなんです」

「副症状はあくまで僕の予測だ。きみからは、主症状くらいしか詳しく聞いてないし」

「主症状についてしか聞かれませんから」

「それが僕の目的だからね。それで、実際どうなのさ。あの予測はあたってる?」

「えぇ、あたってますよ」

 

 あっさりと、少年は認めた。彼が途中まで読んでいたところのうち一部ではあるが、確かに言い当てることはできている。心の構造理解──これはほぼ間違いなく少年が直感的に理解している心の形についてだろう。今は、ルービックキューブという篠宮が提示したわかりやすい形でそのビジョンが見えている。その先に書かれていた構造の掌握。これについては、少年も首をかしげるしかない。まだその症状は現れていないのか、それとも、現れているのにもかかわらず自覚していないだけなのか。

 そういう事情も篠宮はつゆ知らず、嬉しそうにその返事を受け取った。

 

「おぉ、いいね。調子はどうだい」

「僕に調子はありません」

「はは、人間らしくないね」

「死体ですから」

「そりゃそうか」

 

 面白そうに、篠宮は体勢を戻す。

 

「じゃあ、僕の次の計画について話しておこうかな。成功したら面白いよ~?」

 

 にまにまと笑いながら、篠宮はテレビをつける。大して面白くもない番組を変えながら、口を動かし続ける。

 

「──擬似的な永遠の命について」

 

 あまりにもさらりと言ってしまったので、少年は聞き逃したような心地がした。まるでテレビで見た明日の天気を口にするように。そのくらい自然に言った。相変わらずにこやかに、そしてゆるやかに。いつも余裕を見せてくる彼は、そのテーマをなぞなぞ程度の扱いで提示してくる。

 ──ありえない。反射的に否定したのは、他でもない少年だった。篠宮は、死を渇望する人間。タナトスの申し子。であるならば、その人生の先に求めているのは必ず何かしらの死の形なのだ。だと言うのに、その欲望を真っ向から否定するような計画。永遠の命。擬似的な、という言葉が一体何を表すのかはわからないが、何にせよ、それは篠宮自身の望みからはかけ離れたものであるはずだ。

 それなのに、それを自分の計画として扱っている。成功したら、面白いとさえ言っている。

 

「何を言ってるんですか?」

 

 これも、反射的に口をついてでた言葉だった。言外の言葉を読み取ったのか、篠宮はころころと笑う。

 

「やっぱり、きみはそう思うよね。なぜそんなことに心血注いで取り組もうとしているのかって」

「心血を注ぐほど、本気なんですか」

「あぁ、本気だよ本気。なまじ成功率が高そうな分、今までで一番本気と言っても過言じゃない」

「成功率が高い? 永遠の命が?」

 

 気持ち悪さのような、嘲りのような、そんな色が混じった声音だった。それはもはや精神医学で説明できる代物ではない。というよりも、学問に収まる範疇ではない。禁忌だ。まして成功などありえるわけもない。この世には絶対も永遠もない。それを、少年は強く理解していた。破滅願望を持っている彼だからこそ、朽ち果てていくものには強く惹かれる。憧憬。その摂理を跳ね除けることなど、土台不可能なはずだ。

 

「成功率は半々くらいかな。リターンが永遠の命にしては高いだろう。それにリスクはない。いくらでもトライできる」

「何を根拠に」

 

 少年の声音には、力が籠もり始めていた。彼の憧憬が、否定される。それを阻止したい。その気持ちが、ほんの少し少年を前に押し出す。

 

「そもそも、それは先生の専門じゃないでしょう。不可能だ」

「だから()()なんだよ」

 

 チン、とパンが焼き上がる音がした。スープも、もうできている。篠宮が立ち上がった。睨みつけている少年を見もせずにパンを取り出す。二つのパンにバターを塗り、その片方を差し出した。

 

「やっぱり、きみはおもしろい」

「ぼくは、面白くありません」

「そんな感情、ないからね」

 

 篠宮は、パンを齧った。

 

「ときに、なぜ僕が死を望んでいながら死んでないかわかるかい?」

「納得する死に方を探したかった」

「半分正解だ」

 

 もう半分は不正解。篠宮は、憎たらしそうに続ける。

 

「生きたいと思っている人が、『今日も生きるぞー!』って()()()って行為をすると思う?」

「ぼくは、普通じゃないですから」

「あぁ、そうだね。まぁ、普通の人らしい観点を借りて言わせてもらえば生きようと思ってその日その日を生きているわけじゃないのさ。そもそも生きるって行為をちゃぁんと言える人は少ないんじゃないかな。生物的に言えば食って寝て、とかになるんだろうけど」

 

 逆もまた然り。死にたいと思っている人間も、死のうと思って死ねるものでもない。死ぬということを正しく認識できているわけじゃない。誰だって死を体験していないのだ。誰も、死の正体を知っている人間はいない。

 明日も明後日も生きてるだろうなと思うように、明日か明後日には死んでるだろうなと思っている。それが篠宮という男の内容だった。

 

「だから、半分は正解。半分は今言ったものね。感情に理論は不要だ。なんとなくだとか、きっと、だろう、みたいな曖昧なもので構成されてる」

「その割には、先生は感情を理詰めしているようにも見えます」

「手痛いね」

 

 だが、逆に言えば理由さえあれば死に至ることはできるのだ、と彼は続けた。明日明後日には死んでいるだろうという期待が半分。しかし半分は納得のできる死に様さえ用意されれば喜んで死ぬという精神性。

 

「きみならもうなんとなくわかっているだろうが……永遠の命は、まさにその僕の納得のできる死につながるんだよ」

「あなたは、何を言ってるんですか」

 

 わけがわからない。永遠の命を成し遂げたら死ねる。そんなの、矛盾している。

 

「いいや、矛盾なんてしていない。僕は、その矛盾を成立させることができる。正しくは、きみが、だけど」

「……はい?」

「この計画の要はきみだ。あぁ、心配しなくても大丈夫だよ。万事順調だ」

「いやいや……ぼく、そんな計画に付き合った覚えなんて……」

 

 ずいっと篠宮は少年に近づいた。その瞳を覗き込んで、満足そうに顔を離す。

 

「はは、やっぱりね」

「……何がです」

「あれ、まだ自覚してないのか」

 

 けらけらと笑いながら、彼はまたパンを齧った。

 

「──きみ、感情が再発露しつつあるでしょ」

 

 軋むような音を、少年は聞いた。自分の内側から聞こえてくる、鈍くていやに響く音だった。心が拗られるような、痛みを伴ったような。それが、感情。なぜだ。『不可逆性不幸不全症』は、不治の病ではなかったのか。感情が、心が、戻ってくることなどないはずなのに。瞳孔が開かれた少年の目は、自然と篠宮の顔を直視していた。彼のルービックキューブを直視する。完全同一の六面。マーブル柄の、絶対正義。ねじ曲がることのない唯一。やはり、不敵に笑っている。嘲笑っている。

 

「あぁ、安心しなよ。きみの病は治らない。順調に悪化しているよ。大丈夫!」

 

 少年は、頬を緩ませた。あぁ──そうか。やはりこの人の言うことは正解だった。痛む心を抑えながら。あるはずのない気持ちを味わいながら。

 

「ぼくは、不幸になれる」

 

 ぽつりと、心のなかで呟いた。

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