大切な人がいた。
ずっと隣で笑って、泣いて、怒って、誰よりも輝いて生きていた、あなた。
今は俺の腕の中で眠る、あなた。
何処かで崩れた瓦礫が音を立てる。灰色の世界で、搾りかすみたいな火が赤く燃えている。俺とあなた以外、誰もいない。
目的は果たした。でも、夢はなくなってしまった。俺はこれからどう生きれば良いんだろうか。
手のひらを見る。そこには青く光る何かが確かに鼓動していた。
これは幻ではない。全て失くした俺が見た、都合の良い夢じゃない。これの言う事が本当なら、俺のやるべき事は一つだ。
静かに眠るあなたの顔に手を添える。悲しい程に冷たい。
大丈夫、置いて行くなんてしませんから。
顔を上げる。焼け焦げた大地を、冗談みたいに赤い太陽が照らし出す。
そして、俺は——。
どんなに心が通じ合っていたとしても、別れは突然にやってくる。
『あんたなんて、どっか行っちゃえば良い!』
笑い合ったあの子に心無い言葉をかけた。信じていたものが無くなる怖さと、裏切られた怒りを、幼い私は容赦無く言葉の刃に込めた。
その時のあの子の
そしていつも通り、目を覚ます。
新年度の初出勤の前に見る夢としては最悪だった。普段寝起きは良い方だけど、今日はもうちょっと丸まっていたい。しかし仕事は待ってくれないので、布団を跳ね除けて欠伸を一つ。酸素を取り込んで回り出した脳が水分不足を訴え始めた。
しっかり歯を磨いてからコップに冷えた水を注いで一気に飲む。こうする事でただの水でもより冷たく爽やかに感じる事ができる。だから何かと言う感じかもだけど少なくとも私のテンションは上がる。
炊いてあるご飯をお茶碗によそって冷蔵庫から卵と納豆パックを取り出す。ケトルに水を入れてスイッチオン。タレを入れて納豆をかき混ぜ、湯気を上げるご飯に乗せる。納豆をあつあつのご飯に直乗せすると菌が死んで健康的な面での良さが失われるらしい。知った事か。私はあつあつの納豆ご飯が食べたいんだ。
その上に卵を乗せた所でお湯が沸く。バスケットから適当に選んだフリーズドライの味噌汁(掴んだのはナスのものだった)をお椀に開けて熱湯を注ぐ。箸でほぐして少しかき込む。塩味が強く染みたふにゃふにゃのナスが美味しい。
一粒残さずに食べ終わって、一息つく暇も無く2回目の歯磨き。ついでに顔を洗って、その後干しっぱなしのスーツを手に取る。少し大きいそれにぱぱっと着替えて鏡の前でさっとチェック。うん、大丈夫。軽く化粧をして髪を手櫛で整えて、昨日の内に用意しておいた鞄を持って部屋を出る。靴を履いて外に出て、ちゃんと玄関を閉めてから、スマホを置きっぱなしにした事に気付いた。げんなりしつつ鍵を開け、スマホをポケットに入れて再度鍵を閉める。ため息をつきながら振り返ると、サクラの花びらが一つ、鼻先にくっついた。
このアパートにサクラは植わっていない。一体何処から飛んできたんだろう。
どうでも良い事を思いながら花びらをつまむと、淡く甘い香りがした。
通りに出ると、人がまばらになった道に透き通った風が吹く。一度下見で通った事はあるが、この時間帯だから人が少ないのかそもそも勤める人が少ないのかは知らない。内部事情とかの通告一切無しでの出向なんて、出たとこ勝負も良い所だ。まあこちらも向こうも機密とか滅茶苦茶気を遣ってるだろうし、仕方なくは思える。思えるだけで腹は立つが。
目的の建物に入り、すぐに左折。突き当りにある端末に事前に渡されていたパスをかざすと、電子音が鳴って壁の一部が音も無く開く。
見ての通り、今日から私が勤める支部は普通じゃない。
階段を降り、無機質な照明が白く照らす通路を進んでいく。口頭で伝えられた通り、一つ目の十字路で右に行ってすぐ、左手に見える扉を確認。事務室と書かれているのを確かめ、3回ノックする。はい、と応えがあり、すぐに扉が開けられた。
丸眼鏡をした女性が顔を覗かせ、一瞬怪訝な顔をしたがすぐに目を見開いた。
「……ああ、今日から配属の?」
「はい、池永です」
「主任を呼んできますので少し待っててくださいね」
女性は小走りで部屋を出ていった。部屋にはソファーがあるにはあるが、座って良いはずもなくそわそわしながら待っていると、程なくして白衣を着た長身の女性が部屋に入ってきた。長く揺れる黒髪は艶やかで、次に聞こえた声も滑らかで美しかった。
「待たせて申し訳ない、どうぞ座って」
「はい、失礼します」
ソファーに腰を下ろして幾らか安心する。テーブルを挟んで対面に座った女性の少し緑がかった黒の瞳がファイルに挟まれた資料を目で追っていた。それを見ていると女性の目線が上がり、ばっちり目と目が合った。
「ああ、失礼。
「あ、はい!」
立ち上がり、両足をしっかり揃えて立つ。
「本日付けでこちらに配属となりました、
「分かっています、そう緊張しなくても」
「あ、すみません……」
私についての資料はあるから自己紹介なんかされても、と言う感じか。まあ一応挨拶しておいたのだから、後で難癖付けられる様な事は無いだろう。
「横澤2佐から、優秀だと聞いております。しかもまだお若い、これからにも期待できる逸材だと」
「勿体ないお言葉です」
「そんな貴方だからこそ、2佐も今回の計画に推薦されたのでしょう……そう言えば、計画についてはどれ程ご存知で?」
「実はあまり……新型装備の実戦での運用についてとしか」
頭の固いジジイども、もとい上官達はそれしか教えてくれず、具体的に私はここで何をしたら良いのかは全く知らなかった。
「そうですか……ではその辺も兼ねて今から説明しますのでこちらに」
立ち上がった凩さんに続いて部屋を出て廊下を歩く。時折すれ違う人がちらりと横目で見てくるのは、仕方ないと思って無視する。場所が場所だから、新顔は珍しいのだろう。
ここは民間警備会社『ヘリケー』、その中でも、新たな人類の脅威に対抗するための最先端技術の使用を目的として設立された支部である。
7年前に突如この街に発生し、人々を襲い始めた化け物達がいる。公式に『エルビー』と命名されたそれらは人知を超えた力を振るい、警察や自衛隊はこの対処に追われる事となった。
そんな中、台頭してきたのがこのヘリケーである。既存のものを大きく超えた科学技術を用いエルビーの駆除を民間企業ながら遂行、被害拡大の防止に貢献してみせた。当然そんな企業の存在はこの国の中でも日に日に大きくなり、今では政府と連携しエルビー関連事件に対応するようになった。資金援助も受けつつ装備開発も進められており、警備会社とは名ばかりで内実は軍事会社と変わらない動きをしているのだ。
そしてこの度、ヘリケーの開発部が全く新しいアプローチの武装開発に晴れて成功したらしい。それを聞きつけた自衛隊の上層部はどうにかして一枚噛もうと考え、その武装を扱いうる優秀な人材を派遣すると言う方法を採った。どうやらこれが私がここに飛ばされた理由らしい。要は自衛隊の権威誇示の為の人柱にされたと言う訳だ。
通されたのは簡素な部屋だった。最低限の家具が置かれ、その中でテーブルに置かれたアタッシュケースが異様な存在感を放っている。
「ここが池永さんの個人スペースになります。訓練等が無い時にはなるべくここで待機していただきたいのですが、よろしいですか?」
「……まさか個室をいただけるとは。ありがとうございます」
要はあんまりうろちょろするなって事か。あくまでもよそ者の扱いと言う訳だ。
「要望があれば尽力します……それで、あれが貴方が使う事になる新型装備です」
「あれが……?」
アタッシュケースのサイズからして思っていたよりも小型だ。てっきりごつい機関銃でも持たされるのではと思っていたから拍子抜けした。
「中を見ても?」
「構いません。鍵はパスで開きます」
「では失礼して……」
パスをセンサー部分にかざしてロックを外し、ご開帳。
んん……?
「ベルト……?」
そこにあったのは銀色に輝く金属製のベルトだった。バックル部分がやたら大きく、中心には透明な丸いパーツがはめ込まれている。そしてバックルの右側面には細長い穴が開いている。
良く見るとあったのはそれだけでなく、上蓋の収納に艶消しの黒を基調としたカードが4枚入っていた。横向きにすれば丁度バックルの穴に入りそうなサイズだ。
「これが装備ですか?」
「驚かれたでしょう……池永さんは、我が社の『装甲部隊』をご存知ですか?」
「勿論、何度かご一緒した事もあります」
全身金属で覆われた暑苦しい部隊だった。その威圧感が現場では頼もしくもあったのだが。
「あれは手作業で装甲を装着しているのですが、これは違います。腰に装着して起動すれば周囲の分子をその場で再構築して装甲と武装を生成、自動で全身に装着する、と言ったものになっております」
「その場で……一体どんな理屈で……?」
「それは企業秘密です」
分子を操作して装備を作るとか、とんでも技術過ぎやしないだろうか。
こんな技術を開発とか、こいつら一体何者?もしや異星人だったりするのか。
「そんな顔をされなくても、装着時の安全性は保証致しますよ」
「あ、ああいえ、すみません……」
いけないいけない、暫くはお世話になる職場なのだ。人付き合いは上手くやっておきたい。
改めて銀に輝くベルトを見る。
「これを私が……」
「はい。これが貴方に使用していただきたい新装備……」
そして私は、その名を知る。
「
ここのサクラの花びらは綺麗だ。
この薄いピンクこそ春の代名詞であり、季節の訪れを知らせるものだ。陽に透けて白く輝くのも、風に吹かれて甘く香るのも良い。あるだけで生きると言う事に彩りを持たせてくれている。
何より今年のは割と長く咲いているから良い。3月中旬から咲いていたはずだが4月に入った今もまだ咲き続けている。美しいものが変わらずあるのは良い事だと思う。
まあこのサクラもいつかは散るんだろう。変わらないものなんてこの世には無いのだ。美しいものは特に。
「おーい、君!」
声がした方を見ると、お巡りの格好をした男がパトカーから降りてこちらに歩いて来ていた。辺りには誰もいないし、君、と言うのはどうやら俺の事らしい。
「そんな所に寝てたら危ないぞ!降りてきなさい!」
危ないって、木の上で寝るのが?そんな事言われても。このサクラはしっかりしてるし、俺もそこまで巨漢な訳じゃないからよっぽどの事が無いと折れたりしないだろう。危険じゃない。
でも警察の言う事は聞かないとややこしくなるのは知っているので、素直に降りておく。枝にかけていた黒いコートを取り、パーカーの上に羽織る。
「あのね、公園の木なんだから、基本的に昇ったりしたら駄目なんだよ」
「……すみません」
「不審者って通報で来てるから、気を付けてね。あ、一応身分証だけ見せてくれるかな?」
「はあ」
近所に神経過敏な人がいたんだろう。別に何か干渉する訳無いのに。
財布から運転免許を取って差し出す。受け取った警官は眉をひそめる。
「
「
またか。確かに音読みしたくなるのは分かるけど。男でみどりくんってなかなかいないと思うけどさ。
「じゃあそう言う事だから、気を付けてねー」
「はぁい」
警官はちらりと俺を見て、しかしそれ以上何も言わずにパトカーに乗って去って行った。
さて、休憩は邪魔されちゃったし、どうするかね。
今は……1時ちょっと過ぎか。平日だし今の時間帯ならお店とか空いてるんじゃないか?寝ている間に良いくらいになったかもだ。
さあこの街にはどんな店があるんだろうか。ちょっと探検してお気に入り見つけないとな。
「ふー……あー……」
退屈過ぎる。初出勤でこれはやばい気がする。
朝に諸々説明を受けてそこから待機。お昼時になったので食堂に行ってハンバーグ定食を食べてそこからまた部屋で5時間待機している。その間事務作業も訓練も無く、ただただ部屋で天井の染みを数えて天井には染み一つ無い事が発覚したくらい何も無かった。
地獄だ。
明日以降は訓練とかもあるみたいだし、流石にここまでじゃないと思いたい。
あー、普段ばんばん起きてるんだし、今にも事件の一つでも起きませんかねー……。
そんな事を考えてから1時間程経った頃だろうか。
うとうととして船を漕いでいた時に、いきなり大音量で呼び鈴が鳴ったので恥ずかしいくらい肩が跳ね上がった。誰にも見られていなくて本当に良かった。頭を振って眠気を飛ばしコールに応答する。
「はい、池永です!」
「西区の第8ブロックにて、エルビーの目撃情報多数。リアシステムを伴っての出動を要請します!作戦の説明は移動しつつ行うので、準備ができ次第地上階駐車場に集合してください!」
「了解!」
通話を切り、数時間を共にした制服を脱ぎ捨て、新たに戦闘用の制服に着替えなおす。リアシステム、と言うよりリアの装甲を使う前提だからかなり軽装だ。少し不安だがきっと大丈夫と言い聞かせる。
アタッシュケースを引っ掴んで部屋を出、廊下をダッシュ。エレベーターを待つ時間が惜しいので階段を使って駐車場スペースまで昇る。出入り口のすぐ近くに大型の防弾車が停まっており、中に武装した人達が数名既に待機していた。
「こっちだ、急いで!」
「はい!」
私が乗り込むとドアが閉じられ、防弾車はうるさくエンジンをわななかせながら走り出す。さっき私を呼んだ男がこちらを見た。
「あんたが池永さんだな?俺は
「よろしくお願いします」
「現場に着いたら俺達がエルビーを牽制する。その間にあんたは装備を起動してくれ」
「了解、起動した後は私が対処しますので」
がくんと車が揺れる。積んである銃や装備ががちゃりと跳ねる。
「この車、意外と装備少ないんですね」
「今回はあんまり持っていけなかったんだよ。よっぽど新装備に自信あるんだろう」
「そうですか」
自信があるのは良い事だが、万一の事も考慮して装備は用意して欲しいと言うのが本音ではある。弾の一発の違いで死傷者が出るか出ないかが変わるくらい対エルビー戦闘はシビアなのだから。
僅かな胸の騒めきを抱えながら、私は戦場へと運ばれていく。これは戦う前の高揚なのか、それとも——。
目に優しくない夕焼けが通り過ぎた夜。
この街は賑やかだ。世間を怪物が騒がせていようが関係無い、人間の力強さがありありと見えてくる。或いは自分達には関係の無い事だと思っているのか。
まあどっちでも良いが。皆が幸せならそれに越した事は無い。知らない幸せと言う言葉もこの世にはある。
だけどそう上手くいかないのがこの世の常で。
スマホで今夜の寝床を探していると、遠くの方が何だか騒がしくなっている事に気付く。
一体何事か。近づかない方が良いのは承知だが、事と次第によってはこの辺りで寝泊まりするのは止めた方が良いから何が起きたか確認くらいはしないといけないか。
そう思って歩みを進める。幾人かは立ち止まって物音がする方を眺める人混みの中、縫う様に間を抜けて騒ぎの正体に近づいていく。繁華街に近づく2回目の角を曲がった時正面から走ってきた人とぶつかってよろめく。
「大丈夫……」
言い終わる前にその人は逃げていく。不審に思ったがすぐにそれどころではなくなった。進行方向からどんどん人が逃げてくる。
もうこの時点で引き返した方が良いのは明白だ。だがここまで来て引き返すのが勿体ない気がしてしまって、だから進んでしまった。
進んだ先の世界は違っていた。
最初に焼き付いたのは火。道路に転がる車から火が上がり、人工の光を打ち負かす程に赤く燃え盛る。アスファルトはひび割れ瓦礫が散乱し、崩れ落ちた歩道橋が道を塞いでいた。
そしてそんな惨状の中、蠢く巨体が一つ。煙で良く見えないがシルエットは人の背丈の倍程あり、横幅は更に広い。そいつが動く度に車が跳ね飛ぶ。
まさか、これが噂に聞く。
「エルビー……!」
実物を見るのは初めてだ。時々SNSで姿が晒されているのを見る事はあったが、本物の存在感は恐ろしい程に伝わってくる。
危険だ。すぐに逃げないと。
一歩下がって、足を止める。
声が聞こえた。泣いていた。
どう考えても人のそれを探して辺りを見回して、建物の陰に泣いている幼い女の子を見つけた。動く巨体を見て、それから意を決して女の子に駆け寄る。
「おい、立てるか?」
女の子は怯えて肯定も否定もしない。恐怖で動けなくなっている。
「しっかりしろ!ほら……」
女の子の体を支えて立たせたと同時に、地響きが近づいてくる。振り向くと怪物がこちらを睨みながら、巨体を震わせて走って来ていた。
女の子のペースに合わせていたら確実に追いつかれる。
「掴まれ!」
女の子を両腕に抱えて俺は走り出した。
潰れた車が転がる通路を抜け、商業施設の地下駐車場に入り込む。無線によればエルビーは市街地からここに移動したらしい。
吹き飛ばされた車や地面に刻まれた足跡を目印に後を追うと、地響きと破砕音は徐々に近くなり、ついに駐車場の奥に暴れまわる影を見つけた。
「目標発見!これより対処に当たる!」
西田さんが無線で報告し、防弾車が停止する。隊員がドアを開けると同時に順に降りて展開し、エルビーに向けて銃を構える。私もそれに続いてベルトを持って外に出る。
息を呑む。眼前にいるのは3メートルを優に超える怪物。牛……いや、バッファローの様な二本の角を冠し、筋肉が発達した上半身はその上を硬質の体毛が覆う。そして私を睨みつける眼は獰猛に光っている。
呆けている場合じゃない。今までだって目にした事はある。冷静になれ。
「撃てぇ!」
西田さんの号令と共に銃弾が雨の様に降り注ぐ。轟音が木霊する中、しかしエルビーは怯む事無く咆哮する。
このままだとどうなるかは目に見えている。だから。
「リアシステム、起動します!」
私がなんとかしなくちゃいけないんだ。
ベルトを勢い良く腰に押し当てる。かちりと音がして固定された事を確認。帯の右側面に付けられたホルダーから赤色のウマが刻印されたカードを取り、バックルの差込口に装填する。
目を閉じ、息を吐く。音が遠ざかって自分の鼓動だけが聞こえた瞬間、目を見開く。
起動するために、私は叫ぶ。
「変身!」
そして——。
何も起こらなかった。
「え……?」
待っても装備が生成される様子も無く、ただ私の声が虚しく響いただけだった。
動かない……?
「何で……?」
「おい、新装備はまだなのか?」
変わらず銃口をエルビーに向ける西田さんが厳しい視線を飛ばしてくる。
「それが……動かなくて……」
「何だと!?」
もう一度手順を繰り返す。カードを取り出して再装填し、起動コマンドを音声入力する。しかしベルトは動かない。今度はカードを別のもの、緑のクワガタが描かれたものに変えて試す。ベルトは起動しない。
まさか故障?或いはシステムエラー?何で肝心な時に……。
「どうして……」
「ちょっとあんた何して——」
「熊谷!前見ろ!」
よそ見をした隊員に向かってエルビーが突進する。ほんの数歩で距離がゼロになり、丸太の様な腕が隊員を弾き飛ばした。隊員は柱に叩きつけられて地面に落ち、その口から血が一筋垂れた。
たった一撃で、一人が動かなくなった。
「熊谷っ!」
誰かが叫んだのに反応して、エルビーはその人に狙いを定める。隊員達が撃ち続けるのも意に介さず、腕や角を振り回して隊員達を次々と薙ぎ倒していく。ある者は鋭い角に貫かれ、ある者は車の下敷きになり、またある者は天井に叩きつけられ、一人また一人と動かなくなっていく。
あっと言う間に部隊は私と西田さんだけになった。
「まだ動かないのか、それは!」
西田さんの言葉に我に帰る。ベルトは何も言わない。
「……はい」
「くそっ……撤退するぞ!」
「でも——」
「死んでどうするんだ!」
死ぬ。
そうか、このままだと死ぬ。だから逃げないと。
衝動のまま、エルビーが車を持ち上げ投げ飛ばす。車は壁に激突し、ガラスの破片を撒き散らしながら崩壊する。
「きゃああああっ!」
すると突然、私でも西田さんのものでもない叫びが聞こえた。振り向いて見つける。崩壊した車のすぐ横に、女の子を抱えた黒いコートの男が立っていた。きっとここまで逃げてきて、さっきまで隠れていたんだ。
女の子の叫び声に反応して、エルビーが二人の方を見た。
まずい。
「逃げて!」
男が背を向けて逃げ出すのを、エルビーは吠えて追いかけようとする。
「ちっ……おいこっちだ!」
西田さんが二人とエルビーの間に入り、銃を構えて撃つ。私も倒れた隊員の銃を拾い、トリガーを引く。せめて二人が逃げる時間稼ぎをと思うけど、エルビーは怯む様子を全く見せず、徐々に距離が縮まる。
そしてエルビーの腕が西田さんを殴り飛ばす。
「西田さん!」
車に叩きつけられた西田さんはその場で動かなくなり、銃声が止む。
西田さんも死んだ。もう、私一人だけになってしまった。
呼吸が浅くなる。これまで久しく忘れていた恐怖が体を縛る。しばしの間、銃を撃つ事を忘れていた。
エルビーが咆哮し、再び走り出す。見ているのは……前を行く男と女の子。
駄目だ。そんなの、絶対に。
咄嗟に足が動く。エルビーの進行方向上に、自分の体を割り込ませる。
振り下ろされる腕はやたらとゆっくりに見えて。
当たったと思った次の瞬間には体が宙を舞っていた。
地面に叩きつけられ転がる。口から空気が漏れる感覚。全身が痛い。でも生きてる。咄嗟に銃を盾にしたのと、通路を真っ直ぐ吹き飛ばされた事が幸いしたのだろう。
体は重い。立ち上がろうにも力が入らない。霞む視界がクリアになって、転がった銀のベルトにピントが合う。
さっき吹き飛ばされた衝撃でロックが外れたんだ。早く着けなおさないと。
地面を這う。そこまで遠くない距離が千里の様に感じる一歩。だけどやるんだ。私がエルビーを倒さないと。私がなんとかしないと。
私が守らないと。
ベルトに向かって手を伸ばした。
銀のベルトを手が掴む。
でもその腕は、私のものじゃなかった。
「なっ……!?」
逃げていたはずの男がベルトを掴んだ。私を一瞥して、そしてエルビーの前に立つ。ベルトを腰に押し当て、帯が自動的にロックされる。
そして私は見た。
ベルトが光り輝く。銀色が金に変わり、黒いラインを刻む。帯の中心を通るラインとバックルの丸い穴が緑の光を放つ。
『
合成音声が鳴り、そしてベルトから風が吹き荒れる。ぼやけた視界の中、男の体を何かが覆っていくのが僅かに見えた。
風に怯んだエルビーが吠え、凄まじい速さで突進し男に角を突き立てる。
その角を、銀の装甲に覆われた腕が掴んで受け止める。
風が吹き抜け、男の姿が露わになる。黒のスーツの上に、銀の装甲が全身を覆う。顔もマスクで覆われ、二本の角が伸びる。
じりじりと押されていた男。しかし。
「っ……おおおおおっ!」
叫ぶと共に腕に力が籠り、徐々にエルビーを押し返す。そして押された分の距離を遥かに超え、エルビーを突き飛ばした。
吹き飛ばされて地面を転がるエルビー。それを見る男の装甲が輝く。風を形にした様な脚と腕、尖った肩と堅牢な胸の装甲が緑に染まり、僅かに残る銀が眩しく走る。マスク部分も変化し、クワガタを模った意匠が緑になる。そして額の結晶と大きな二つの複眼が、赤く輝いた。
そう、これこそが。
「これが……リア」
管制室はどよめいていた。
「CL充填確認!リアシステム、起動しました!」
受信したシグナルを確認した事で、困惑はより一層大きいものになる。
各人員が慌ただしく動く中、凩は目を見開いていた。
「一体、何が起こったの……?」
彼女の呟きに、答える事ができる者はいなかった。
何だこれは。
全身を覆う鎧を見て困惑する。
あの女が落としたベルトを見て、直感的に使える、と言うか使うしかないと思って着けた所、こんな事になった。
だが分かる。身体中にエネルギーが満ちて、あの怪物相手でも戦える気がする。
立ち上がった怪物が鼻息を荒くし、再び突進してくる。さっき受け止めて分かったが、何度も力勝負をするといつか負けるだろう。ここは受け止めるのではなく躱したい。しかし横には避けるスペースが少ない。
ならば上だ。
脚に力を込めて跳躍し、走り抜ける怪物の上を通り抜ける。思ったよりも高く跳び過ぎて背中が天井にかすった。転がりながら着地し、距離を詰めて怪物の背中に拳を放つ。怪物は一瞬怯んだが、すぐに振り向いて腕を振り回す。
「っ……!」
それを後ろに跳んで躱す。鎧があるとは言え、あれをまともに受けるのは不味い。
それもだし、殴ったダメージが少なそうなのが問題だ。こいつに拳はあまり効かないのかもしれない。何か他に……武器は無いのか?
そう思った瞬間、右腕の装甲から風が巻き起こって手のひらに集まり、持ち手の部分まで刃の付いた片刃の剣を形作った。
もしかして、これなら……。
顔を上げると、怪物がみたび突進してくる所だった。
「っ……はっ!」
咄嗟に剣を振り下ろし、怪物の頭を切り裂く。火花が散り、怯んだ怪物の頭部に傷が刻まれた。
いける!
怪物に近づき、もう一度剣を振るう。腕や胸、頭を斬りつけ、怪物にダメージを与えていく。
「はあああっ!」
そして力強く振り下ろした刃が、怪物の角を断ち切った。
頭を押さえた怪物は、しかし角を斬られた事で怒りを滾らせ、俺に向かって腕を伸ばす。それに反応できず身体を掴まれ、そのまま壁に押さえつけられた。
「ぐ……ううう……」
万力の様に握りしめられる。このままだと潰されて死ぬか、もう片方の腕で殴り殺されるだろう。
どうすれば良いか考えて、すぐに直感が答えを導き出す。
左腕でバックルの右側面に触れるとバックルの中央が輝き、それが装甲を伝ってに剣に満ちる。発せられた熱を感じて、エネルギーが込められたのだと直感する。
「っ……!」
鋭く息を吐き、腕に力を込めて怪物の腹を一気に貫く。俺を拘束する力が緩まり、怪物の身体に亀裂が入っていく。そこから緑の光が漏れ出て、そして怪物の中で暴走したエネルギーが爆発した。
炎が鎮まった後に怪物の姿は無く、燻る煙が立ち込めるだけだった。
怪物を討ち取った戦士のその姿に、私は見惚れていた。輝く装甲には傷一つ付かない、人を守るために勇敢に戦った人。
それは正しく、私がなりたかった姿そのものだった。