さて今夜はボア肉(豚肉に似ている)を使って晩ご飯です。
ホーンラビットのように鶏肉に近いなら唐揚げがベストだが、
豚肉に近いボア肉はとんかつにしたいけど以前作ったことがあるし…。
「トンテキにするかー」
呟きながら肉をカットして、酒、塩コショウをしてビニール袋に入れ寝かせる。
付け合せはやっぱりキャベツの千切り、八百屋で買ったキャベツを千切りにし、
ボウルに取っておいて他の副菜も作っていく。
ダンジョンの五階には小松菜ではなく野生の大根と人参が生えていたので、
硬いからそれを薄くいちょう切りにし残っていたベーコンと小鍋で煮込み、
鶏がらを加えて最後に溶き卵を流し入れほっこりスープにする。
もう一品野菜が欲しいな…以前買って残っているきゅうりをぶつ切りにして、
鶏がらとごま油を混ぜてうま塩漬けのできあがり。
予め小さな容器にウスターソース大匙2、醤油大匙1、ケチャップ小匙1、
少々の砂糖を加えてしっかり溶かし混ぜておく。
副菜の用意ができたらフライパンを温めて油を垂らし馴染ませてから、
肝心要のにんにく(チューブではなく市場で買った)をちょっと多めに入れて、
香りが立つまで焼いたらボア肉をじっくり焼いてある程度火を通す。
混ぜておいたソースを投入して汁気が半分くらいになるまで加熱。
ソースの香ばしい香りがキッチンに広がりウィルの腹が鳴った。
食べるのはいいけど香りが強いので、前世界ではあんまり作れなかったトンテキ。
大好きだしお米と良く合うんだけどね、匂いが部屋に付くと言うか…。
でもここは自宅じゃないし何でも作り放題、ありがたい!
ちなみに光魔法の浄化で部屋の匂いが取れるから、
キッチンを使い終わったら消臭剤代わりに毎回浄化してます、浄化便利。
消臭だけでなくアンデッドにも効くってもしかしてファ○リーズか?
皿に千切りキャベツを山盛りにしそこへトンテキを並べて、
フライパンに残っている油や味付けソースをちょっと煮詰めて掛ければできあがり。
ああ、お米が食べたい。
今日はお祝いと言うことでウィルがワイン(赤)を用意してくれていて、
ナイフとフォークとグラスも準備万端。
もうここまでくると硬いパンもご愛嬌だ。
「それじゃーいただきます」
早速ナイフとフォークでトンテキを切り一口食べるウィル、
メイは頂いた赤ワインをちょっと口に含んで鼻から抜ける風味を楽しんだ。
赤ワインがあるって分かってたらトンテキの味付けソースに使ったのに、
でもまあ勿体無いから普通に飲もう。
「「美味しい」」
二人の声が重なって、ちょっと驚きつつ見詰め合って、
美味しいのは本当だからにこーっと笑うメイにウィルも目を細める。
「とんてきだけじゃなくスープも美味しいし、
どんなシェフにも負けないメイは凄いな」
「褒めすぎだよ、私は普通の主婦だったし」
「主婦だったのか?」
「うん、夫を置き去りにしちゃった」
「………」
まさかメイが既婚者だったと知らなかったウィルは言葉を失う。
愛する人と離れ離れはとても辛いだろう、それなのに、
メイは明るく前を向いている、時に臆病なこともあるけど、
しっかりと地に足を着けて立っているメイに感心する。
人の死を何度も見てきたウィルとしては感慨深いものがあった。
なんとなく無言になってしまったが、メイはあまり気にしていない。
だって…。
「夫には幸せになって欲しいんだ、近くで見届けられないのは残念だけど、
私よりもっと素敵な人と、もっと幸せになってくれたら思い残すことはないよ」
「………そういうものなのか」
「うーん、私と夫の関係って普通じゃなかったのかも。
元々友達だったし、その延長で結婚しただけだからね。
いわゆる恋愛結婚とは言いがたい感じ?
どちらかと言えば兄妹(きょうだい)に近い感覚だったかな」
ウィルはナイフとフォークを持つ手が宙に浮いたままトンテキを見下ろして。
(不思議だな、メイの言っていることが分かるのに分からない矛盾)
友達や兄妹だったのなら相手のことを願って見届けたいという気持ちと、
夫婦だったのなら愛する人と一緒に幸せになりたいという気持ち、
そしてそんな人を残して逝くことの無念さ、どちらも納得できるのに、
何故矛盾を感じるのか言葉では説明できない。
「まあ、イナンナ様が夫の幸せを見守るって言ってくれたし、
それを信じて私は私でやりたいことやって幸せになれたらいいな~と思うよ」
メイの明るい声にウィルは顔を上げて、そこにある笑顔にはっとする。
「そうか、そうだな…」
それこそ他人が口出ししていいことではない。
メイには夫が居て、夫婦のことなんだからウィルが感じたことを口にするのは違う。
でも、どうしてだろう、なんとも言えないもやもやが胸を覆っている感覚。
悪く言えば他人なのだから放っておけばいいし、お節介を焼く必要も無い。
メイの過去を無遠慮に覗いてしまったみたいで引け目を感じてしまう、
だからと言ってウィルの過去を話すのも何か違うし。
メイが笑顔ならそれでいいじゃないか、
本人が気にしてないのだからその笑顔が曇らないように…。
(俺、今、何を考えて…)
誰かの…特定の誰かの笑顔を守りたいだなんて。
苦虫を噛み潰したような、叫びだしたい不快さを孕んだまま、
ウィルは己の感情の名前の片鱗を見た気がした。
ここ数日、ウィルからプレゼントされたアクアダガーの特訓をしている。
前回に引き続きダンジョンの五階に来たのだが、
ウィルに見守られながら一人で余裕を持ってボアを倒せるまでに成長。
とは言え一対一じゃないと対処できないから群れは無理だけど。
一人では危険なので六階には降りないこと、
降りたとしても手前のセーフティエリアまで。
だがボアの解体まではできないので、倒したらそのまま魔法カバンに突っ込んでいる。
時間経過が止まってくれるの本当にありがたい。
最初はカバン(ショルダーバッグ)に入れられないからどうしようかと思っていたが、
物体に手を触れて念じれば不思議な光が物体を包んで、
するっと魔法カバンに取り込まれるとノエルに教えてもらった。
だって普通にユ○クロのショルダーバッグだよ、
チャックより大きな物なんてどうやって入れるんだって最初は混乱したわ。
「メイ、ちょっといいか」
「なに?」
今日も今日とてダンジョン五階へ向かいながら。
「明日から数日、一人で狩りできそうか?」
「うん、だいぶ慣れてきたと思うし大丈夫じゃないかな。
なんかあったの?」
ウィルは懐から何かを取り出してメイに手渡す、それは手紙だった。
手紙と言ってもすごく短い一枚きりの手紙…寧ろ走り書き。
「当主のアレクに呼ばれて本邸に顔を出さないといけなくなったんだ」
「お偉い貴族様は大変だね…」
手紙の内容は何かのパーティで舞踏会とかそんな感じの。
公爵家の三兄弟の中で婚約者が居ないのはウィルだけで、
長男アレクは既に結婚しておりインテには婚約者が居る。
つまり婚約者を見つけるための、いわばウィルのためのパーティということ。
勿論公爵家としては跡継ぎ問題が重大だから、
三男と言えども婚約者は早く決めてしまわないといけない。
寧ろウィルは遅い方なのだ。
貴族によっては生まれてすぐに婚約者が決められ、許婚が居る人も少なくない。
アルバート家が王族と同じく長寿だとしても、
子孫を残すために結婚して世継ぎを生むのは必然と言える。
「一人で五階までなら平気になってきたし、
なんならお休みして街を散策してもいいしね」
にこっと笑うメイを見てウィルはやっぱり胸がもやもやした。
婚約者の話なんてしたくなかったのに…何故だか分からないけど。
その日もいつものようにスライムやホーンラビットを倒しつつ五階に到着し、
ボアを倒しながら素材集めをして一日を終えた。
次の日、朝食の席でウィルは不機嫌そうな顔でサンドイッチを頬張る。
今日の朝食はウィルのリクエストでボアの生姜焼きサンドです、
サラダとコンソメスープもありますよ。
それにしてもリクエストに答えてるのに不機嫌って失礼しちゃうわ。
「美味しくなかった?」
「いや、舞踏会のことを考えると頭が痛いだけだ」
よっぽど行きたくないらしい。
「そもそも俺は冒険者で舞踏会なんてできれば行きたくない。
戦いばかりの血生臭い男が着飾ったところで…」
今後も冒険者としてあちこち巡ることが確定しているから、
そもそも定住なんてできないのに嫁を貰ったって…。
「まあそう言わずに、親孝行はやれる時にやっておかないと、ね」
死んでからじゃ何もかも遅いのだから。
ウィルが着飾ってダンスを踊るのを想像してメイはにこにこしている。
そんな反応をされるとウィルはなんだか面白くない、
まるで操られているピエロのようで。
サンドイッチを食べ終わって食後の紅茶も飲みごちそうさまでした。
ウィルからひとつの魔石を手渡された。
白み掛かった綺麗なオパールのような、角ばった形で文鎮みたい。
「これは…?」
「魔法の伝書鳩みたいなものだ。
魔力を込めると鳥になる、伝えたいことを書いた紙を足に着けて、
空に向かって鳥を放てば俺の下へ一直線に来るようになっている」
「へ~便利だね」
「何かあったら使ってくれ、何も無い方が良いんだが…念の為」
「分かったよ、ありがとう」
オパールの魔石をポケットにそっとしまったメイは、
お弁当としてラップサンドを作ったのでウィルに手渡し、
気を付けていってらっしゃいとウィルを見送った。
ちなみにラップサンドの生地は小麦粉と油、ひとつまみの塩と水を混ぜて、
薄く焼いたトルティーヤ、本来は強力粉と薄力粉を混ぜて中力粉にして作るが、
こちらの世界の小麦粉が強力粉なのか薄力粉なのかメイには判断が付かず、
だから本格的なトルティーヤと言えないかもしれない、まあ美味しければOK。
クレープとは違いどちらかと言うとパンに近いような、
生地を伸ばして丸く大きくしたらフライパンで焼くだけ、
クレープより生地がしっかりしてるからお弁当にも最適だと思い作ったようだ。
焼いてできあがった生地に具材を適当に巻いて手軽に簡単ラップサンド。
巻いたのはホーンラビットのサラダチキンと千切りキャベツのマヨ和え、
隠し味に和からしを少々加えたラップサンド。
もう一つはボア肉を軽く炒めてトマトとリーフレタスを一緒に巻いた、
簡単オーロラソース(マヨ+ケチャップ)のラップサンドも。
バリエーションが少ないと飽きちゃうからね。
宿屋で別れてウィルは馬を使って公爵本邸に戻ることになり、
ウィルと同じ内容のラップサンドをお弁当に持って、
メイは久しぶりの休日を満喫しようと街に繰り出した。
貴族御用達のドレス屋さんは遠慮したいけれど、
庶民的なお店が立ち並ぶエリアや市場をノエルと散策して、
のんびり過ごして異世界をたっぷり味わう。
まるでヨーロッパの町並みをセットした舞台みたい、海外旅行をしている気分になる。
景色の良い場所でラップサンドを食べて再び散策、
屋台もあって買い食いも考えたが、薄味なのを知っているので我慢…。
その日はぶらぶらして宿屋に戻り、晩ご飯は久しぶりにコンビニ飯です。
カロリーの高いコンビニ弁当なんて何年ぶりだろう…。
前世界でも自炊をしていたから外食はしてもコンビニ弁当なんて、
本当に久しぶり過ぎて記憶に薄らとしか残っていない。
そしてなにより。
「あ゛~ッ おいしー!!!」
おっさんみたいな声が出た、缶チューハイが美味しいです。
異世界に来てから初めての缶チューハイ。
ワインもいいけど缶チューハイの方が飲みやすいし、
ストロング系ですぐに酔えるのが堪らない。
ノエルは酔っ払ってるご主人さまが心配だが、
もう外出はしないしあとは寝るだけなのでまあいいか。
毎日ダンジョンで戦って、アクアダガーの扱いにも慣れてきたし、
たまにはご褒美があってもいいよね。
アクアダガーは水を帯びていて、魔力を込めて振り翳すとムチみたいに水が伸びたり、
ぐるぐると魔物を縛り上げたりしてくれるので、
ナイフで戦っていた時より戦いやすくなり危険もグンと減ったと思う。
ただ、魔力を使うので普通に戦うより疲れてしまうのが難点。
「ノエル~明日も一緒にお散歩しようね~!」
『はいご主人さま、でもあんまり飲みすぎないで欲しいにゃ』
「今日だけ、今日だけだから~」
ふにゃふにゃと酔っ払ってベッドにダイブ。
元々酒には弱くなかったしストロング系なら一本(500ml)で充分。
明日になったらウィルが舞踏会でダンスしたりするのかな~とにやにやしたり、
着飾ったウィルを一度でいいから見てみたいな~とか、
考えるのは何故かウィルのことばかり。
あれだけイケメンなんだから仕方ないよ、うん。
出会ってから毎日一緒に居たし、初めての離れ離れ…寂しくないと言えば嘘になる。
「あんなに綺麗な人って初めて見たかも」
テレビで見たような俳優やモデルとも雰囲気が違うし、
本物の美人ってウィルみたいな人のことを言うんだろうなと考える。
顔が整っているだけじゃない、背も高いし体格にも望まれているし、
しかも冒険者ランクSという文句なしに強い男、
その上、公爵家の三男とか超優良物件だと思う。
(嫁姑問題とか無さそうで羨ましい…)
若い子なら誰もが惚れちゃうんだろうな~。
良い婚約者が見付かるといいねウィル。
「………よし、寝よう」
コンビニ弁当の残骸と空になったチューハイをそのままに、
メイは布団を被って丸くなった、シャワーは起きてからでいいや。
なんとなく、なんとなく今はウィルの隣を歩きたくない。
離れているから隣に居ないのに、何故かそんなことを思ってしまうメイだった。
───
ウィル不在のまま三日目。
この街に滞在して一ヶ月は経っただろうか、随分長居してる気がする。
冒険者ならもっと他の街や国に行ったりするんだろうけど、
ウィルを待っているし土地勘も全く無いから移動しようと思わない。
一応固有スキルのマップはあるんだけど、一人で他所に行くのは不安だ。
「はあ~」
『ご主人さま、溜息が増えたにゃ』
「カバンの中のボアを数えるのが億劫なだけだよ」
そう、一人でダンジョンに潜ってスモールボアを倒しまくって、
解体していないボアがとんでもない数になっている。
これ全部ウィルに解体してもらうんだと思うと申し訳なくなってくるな…。
もしかしたら五階のボアが全滅するんじゃないか…一週間経てば復活するけど。
お陰様でレベルが23まで上がりました。
それ以上は次の階層に行かないとレベルが上がり難くなるみたい。
六階に行くのは止められているし素材も充分に集まったし、
ポーションを作りまくって売ってるからやっとお金が貯まってきた。
一人でビスチェを買いに行く勇気はまだ無いのでできれば貯めておきたい。
この後はダンジョンで狩りするのを辞めて街を散策しようかな…。
新しい食材を探すのも楽しそうだし、どうしようかな。
ノエルと一緒に街に戻ってのんびり歩いていた時だった。
「ちょっとあんた」
「?」
声を掛けられ振り向くと、そこには可愛らしいお嬢さんが居た。
居たけど…何故か物凄く怒ってるっぽい。
もしかしてなにかやっちゃったかな。
「なんでしょう?」
「あんたでしょ、アルバート様にくっついてる悪い虫は」
「…え?」
くっ付いてませんけど? 離れてますけど?
アルバート様…ウィルのことで合ってるよね?
つい最近まで一緒に居たのはウィルだし。
お嬢さんは貴族令嬢が買い物をする時みたいな格好で、
膝下スカートにも関わらずどことなく豪華で煌びやかだった。
スタイルも抜群だし顔なんてお人形さんみたいに綺麗。
頭に被ってる帽子がいかにも中世ヨーロッパ的な感じ、
後から調べたらボンネットという名前らしい、知らなかった。
(どっかの貴族の令嬢さんかな…?)
ウィルは婚約者探し(?)の舞踏会に行っているのでここには居ない、
つまりこの令嬢はその舞踏会に招待されていないと言うことになる。
もしや爵位の違いで招待されなかったのかな…なんて深読みしたりしなかったり。
すると令嬢は扇子をビシ!とメイに突き付けて目を吊り上げる。
「あんたがアルバート様を離さないから迷惑してるのよ!」
「ええ?一緒に狩りしてるだけですよ」
「だから、それが…っ アルバート様のことを考えて解放しなさいよ!」
「いやいや、ウィルがパーティを組もうって言い出しt 」
「呼び捨て!? ありえない!!
ファーストネームを呼ぶなんて平民如きが図々しい!!」
あ…そうですね…なんとなく分かります。
ぷんすか怒ってる令嬢を見ているとなんだかこっちは冷静になってしまう。
ウィルが貴族って分かってるし、ファーストネームを呼ぶことが畏れ多いのも分かる。
公爵家の貴族様と共に行動するなんて普通じゃありえないことだろう。
だからと言って彼女にあれこれ文句を言われる筋合いは無い筈だ。
だって一緒に行動しているのはウィルの意思なんだから。
「言いたいことがあるならウィルに言ってください」
「ま、またファーストネーム…!
覚えてなさい平民風情が!あんたなんて叩き潰してやるわ!」
(怖…)
鼻息を荒くして去っていく令嬢の背中を見送りつつ、
メイは忘れていた呼吸が戻ってきて足元に居たノエルを抱き上げた。
「怖かったね…」
『ご主人さま、大丈夫かにゃ?』
「………うん」
久々に思い出してしまった、働いていた時のイジメやパワハラを。
小娘に言われたところで無視すれば良いことくらい分かっていても、
過去のトラウマを呼び起こされたら誰だって憂鬱になる。
メイは昔、仕事でイジメやパワハラを受けてうつ病になり、
仕事を続けることができなくなったことがある。
当時彼氏だった夫に支えてもらってなんとか回復したけれど、
ここに夫は居ないし、誰かに頼ることはしたくないのが本音。
こんなことにウィルを巻き込みたくない、いや…ウィルのせいなのか?
何度も深呼吸を繰り返して宿屋に戻り、まだ日も高いのにベッドに潜り込んだ。
心配してくれるノエルには悪いが、今は一人にして欲しい。
夕方過ぎ、そろそろ夜ご飯の準備をしないと…。
動くのも面倒でまたコンビニ飯に頼ろうかと思っていると、
部屋のドアがノックも無く勝手に開けられ驚き顔を上げる。
「女将さん…?」
「悪いね、こっちにも事情があるんだ、出て行ってくれるかい?」
「え…」
申し訳無さそうな顔をしている女将さん、嫌だと断ることもできない。
「もうあんたに部屋を貸すことはできないんだ、申し訳ないね」
「………」
それってもしかして…。
この部屋はウィルが借りてくれているけれど、どんな客を泊めるか決めるのは店側だ。
しかも今現在ウィルは不在、つまり強制退去は免れない。
「分かりました、荷物をまとめる時間をください」
「ああ、ごめんね」
悲しそうな女将さんを責められない、きっとあの令嬢が手を廻したのだろう。
メイをどうにかするならウィルが居ない今がチャンスなのだから。
もしかして舞踏会に招待されなかった腹いせだろうか…。
宿屋の女将さんが貴族に逆らえる訳も無く、
メイを追い出すのは心苦しいけれど仕方が無いことだ。
この土地で商売している以上、貴族に目を付けられたら立ち行かなくなる。
涙は出ないが悔しくて手が震える、不安そうに見上げてくるノエルを抱いて、
荷物を魔法カバンに放り込みショルダーバッグをぎゅっと掴んだ。
宿屋にお金を払って出て行く、ノエルと二人きり。
「これからどうしようね、ノエル」
『ウィルには伝えないのかにゃ?』
「…うん、迷惑掛けちゃうから」
『でも…』
何かあったら魔法の伝書鳩で伝えてくれって言われてるのに、
迷惑だなんてきっとウィルは思ってないよ。
街をとぼとぼ歩いて寝られそうな場所を探す。
流石にコンビニで寝袋は売っていないので、
どこか風を凌げる場所があれば良いのだが…。
居酒屋みたいなお店があれば一晩越せるくらいはできるだろうか。
いざとなればコンビニに避難すれば良いのだけれど、
ステータスの説明文だけではあまり理解できなくて、
メイはコンビニに避難する発想に至っていない。
とは言え、朝までコンビニで時間を潰すと言うのもなかなか難しいだろう。
(あ… 雨降ってきた)
最悪…。
風だけでなく雨も凌げないといけない、そうすると場所が限定されて探すのは難しい。
別の宿屋も覗いてみたが、どこもかしこも断られてしまったメイは、
仕方なく路地裏を歩き回って屋根のある場所を探す。
雨で地面がぬかるんで歩き難い、抱いているノエルのぬくもりがありがたい。
一人じゃないと思わせてくれるノエルの存在は本当にありがたかった。
薄汚れた裏路地、表通りとは違って暗くて不安が競り上がる、
ウィルからもらったマントが汚れてしまうことも忘れてしまうほど、
なんだか身体が寒くてふらふらするしどうしよう。
雨に濡れながら歩いていると何かに躓いてべちゃっと転んでしまった、
折角防具屋で買った皮の胴衣も服屋で買ったトップスも、
穿き慣れたスキニーも水溜りのせいで泥だらけ。
何に躓いたのか振り向いたらそこには何故か女の子が居た。
小さな女の子が倒れているのだと気付いて慌てて駆け寄る。
「大丈夫?」
薄着で雨に打たれて倒れている女の子に手を伸ばし触れてみると、
びっくりするほど冷たくなってて一瞬死体かと思った。
このままじゃ危険だと判断してメイはノエルをカバンに誘導し、
倒れている女の子を抱き上げ顔を覗き込む。
(かろうじて息はしてる!)
こんなに身体が冷えてしまったら大変だ!
ウィルからもらって装備していたマントを外して女の子に巻き付け、
メイは必死に力を振り絞って女の子を抱えて歩き出した。
どの宿屋にも断られて行くアテなんてどこにもないけど、
メイだけでなく誰でも入れるダンジョンなら雨風を凌げる筈だ。
生活魔法の火と風を工夫して温風ドライヤーみたいに吹き掛けながら、
自身と女の子と共にやってきたのはいつものダンジョンだった。
一階に降りる前にある広場には誰も居なくて好都合だ。
なんとか服は乾いたけど女の子は未だに肌が冷たい、
魔法カバンからバスタオルを数枚取り出し撒き付けて、
顔色を伺いながらドライヤー魔法を続ける。
しばらくすると意識を取り戻したのか女の子が薄ら目を開けたので、
慌てて中級ポーションを口に当てて飲んでもらった。
「まだ寒い?大丈夫?」
「…だれ…」
「私はメイ、ここなら雨風凌げるから安心して」
「あ りが と …」
小さな声で返事をした女の子は再び意識が落ちてしまい、
メイはカバンからノエルを呼び出し女の子を見守ってもらうことに。
「ノエル、この子をお願いね」
『はいご主人さま!』
ノエルのキリと引き締まった返事を聞きながらメイはコンビニへ。
女の子は身体が冷えていただけじゃなく物凄く細かった、きっと栄養失調に違いない。
急いでカゴを持ちゼリータイプの栄養補給パウチと、
身体を温められる張るカイロをいくつか購入。
子供が好きそうな甘いお菓子と水分補給のポ○リも忘れずに買って戻ってきた。
相変わらずダンジョン前の広場には二人だけ、あとノエルも。
目を覚ましていない女の子の服に張るカイロを忍ばせて、
岩に背を預け女の子を抱き締めながらメイは必死に祈る。
(イナンナ様、この子を助けてあげてください、お願いします)
ダンジョン入り口の外は雨が続いている、ここへ来た時より雨脚が強くなってきた、
風が強いため広場は寒く、女の子に体温を分け与えるようにぎゅっと抱き締める。
流石にここまで来たらウィルに報告しない訳にはいかないだろう。
雨の中でも伝書鳩(?)が使えるのか分からないので、
日が昇って雨が止んでいたら朝一で飛ばそう。
震える手で紙に『宿屋に泊まれなくなった、ダンジョンに居る』とだけ書いて、
そのままメイは疲労と寒さ、そして魔力が尽きたことで目を閉じてしまった。
朝になり日が昇る。
メイも女の子もまだ目を覚まさない。
ノエルはメイの手にある小さな紙と、メイのポケットからオパールを取り出す。
ノエルは精霊なので飲まず食わずでも平気だし睡眠も必要無い、
一刻を争う事態だと判断してノエルが二足歩行でダンジョンの外に出て、
両手でオパールを掴んで魔力を注ぎ込む。
ふわっと出てきた伝書鳩(見た目は文鳥だった)の足に手紙を括り付け、
空に目掛けて伝書鳩を放つ、これでウィルに届いてくれたら何とかなると思う。
雨が止んでくれて良かった…。
『ウィル、早くご主人さまを助けて』
ウィルの手助けがなければノエルにできることは少なく、
自力でご主人さまを助けられないノエルは悔しくて堪らなかった。
メイの傍で体温と自身の魔力を分けながら待つこと数十分、何故か伝書鳩が戻ってきた。
もしかして迷子になった?ウィルに届かなかった?
だがノエルが伝書鳩に括り付けた手紙とは反対側の足に紙があることに気付いた。
ウィルからの返事だ。
ノエルが器用に手紙を広げるとそこには。
『すぐ行く』
短い言葉がこんなに温かくてありがたいなんて。
もう大丈夫、きっと大丈夫。
───
舞踏会四日目、本当は直ぐにでもメイの居る宿屋に帰りたいウィル。
一日で終わるかと思ったらまさかの一週間ぶっ通しだとは思わなかった、
公爵家ではウィルの婚約者探しだけでなく事業の発表や功績を称える謁見など、
様々な行事が目白押しで席を抜けることが叶わなかったのだ。
初日こそウィルの婚約者選びで普通に舞踏会が開かれたが、
ウィルは初めからそのつもりは無いと断り誰とも踊らず。
転生者であるメイのことを当主のアレクや父である宰相に伝え相談していた。
今後どうするのか、扱いは貴族と同じでいいのか、
それとも国の所属で保護をするべきなのか…等々。
結局は本人に決めてもらうしかないとのことで話しは付いた。
四日目の朝、今日もまだ舞踏会が続くらしく着るのは鎧ではない、
きっちり着飾るのは慣れないし好きじゃない、早くメイの下に戻りたい。
テキパキと侍女が身支度をしてくれて撫で付けた髪を鏡でぼんやり眺める、
いつもは何もせず下ろしたままだから自分でも違和感があった。
今日も今日とて舞踏会用の正装姿に溜息を禁じえない。
コツコツ
窓から音が聞こえて振り向くと魔法の伝書鳩の姿。
もしやメイに何かあったのか!慌てて窓を開けて伝書鳩の足から紙を外して見ると。
『宿屋に泊まれなくなった、ダンジョンに居る』
短い文章に頭が真っ白になり呼吸が止まった、寧ろ心臓が止まるかと思った。
返事の手紙を手早く書いて伝書鳩の足に付け空に放ち、
部屋に立て掛けておいた剣を奪い取り、執事や侍女の声を無視して部屋を飛び出した。
窮屈なボタンやネクタイを指先で外しながら走る、
アレクへの伝言は後回しにして馬に跨り急いで街に戻ることにしたウィル。
気持ちが逸る、もしメイに何かあったら大変だ。
どんな状況なのか、何が原因なのか全く分からないけれど、
転生者として国が保護するべき存在だからとか、
メイが持つ異世界の知識を他国に奪われてはいけないとか、
そんな当たり前のことが抜け落ちて必死に馬を走らせる。
建前なんてどうでもいい、やっと気付いたんだ。
認めたくなかった、大切な人は絶対に作りたくなかったのに、
置いていかれるのが目に見えていたから。
(俺はあの人を守りたい、どんな苦しみからも救いたい、例えそれが無謀でも)
認めてしまえば胸にストンと綺麗に嵌まる。
恋なのか愛なのか判断はできないが、
きっと仲間に向けるべき感情ではないのは確かだ。
いっそのこと、メイを俺の…。
(待っていてくれ、メイ)
馬を使っても半日掛かる距離を、馬を乗り換えて半分の時間で街に戻り、
ダンジョンに向かったら入り口にメイの猫が佇んでいた。
やっぱりここに居るんだ、馬から下りて乱れた髪も流れる汗も忘れ、
肝が冷えながらダンジョン入り口の広場に入ると、
メイが何かを抱えて岩に凭れていた、俯いていて表情までは分からない。
近くで膝を着き正装が汚れても構わない、軽く頬に触れてみる、熱い。
もしや体調を崩しているのか、昨日の雨は明け方まで続いていたから、
冷え続けて風邪を引いてしまったのかもしれない。
ウィルの足に擦り寄ってきたノエル、まるで助けを求めているようだった。
「メイ、大丈夫か」
「…ん… ウィル…?」
目を覚ましてくれたメイにほっとしたものの顔色が悪く、
早くこの場を離れタウンハウスに連れて行きたい。
だがメイの腕の中には…。
(エルフ…? しかも奴隷か)
黒い首輪を付けた小さな女の子はエルフであり、首輪は奴隷を意味する。
街にあるどこかの貴族の奴隷だったのだろう、逃げ出したのか分からないが、
メイと共に行動しているところを見ると、街には居られなかったようだ。
奴隷のせいで宿屋を追い出されたのか?それとも別の理由があるのか?
追い出されたのなら宿屋に戻ることはできないだろう。
「ウィル、ごめんね。
宿屋、追い出されちゃった…」
「何があったんだ」
「わかんない…。 追い出されて街を歩いてたらこの子が倒れてて、
死ぬかもしれないって思ったら放っておけなかった」
なるほど、奴隷のせいで追い出された訳ではないようだ、じゃあ何故?
メイの意識がはっきりしてきたので、改めてエルフを横たえメイを座り直させる。
「一体なにが…」
「昨日、街を散策してたら声を掛けられて、
なんか…叩き潰してやるって言われた」
「!?」
まさかそんなことが…。
益々意味が分からない、メイは小さいだけで普通に冒険者だし、
平民出身の冒険者はごまんと居る、わざわざメイを名指しでそんなことを言ったのか?
もしくはたまたま目を付けられてしまったのか…。
「相手は」
「………もういいよ、終わったことだし」
「良くない」
「別の街に行けば大丈夫だから」
「大丈夫なもんか!!」
ウィルの大声なんて初めて聞いた、びっくりしていたらがばっと抱き締められて、
更に驚いて思考がバラバラになる、分かってるのに涙が溢れてきて、
迷惑を掛ける自分がみっともないし、また誰かに頼ってしまうのかと情けなかった。
「俺がどれだけ心配したと思う」
「………」
「俺が、メイのことを…」
ぎゅっと抱き締めてメイの小ささを思い知る。
守るなんて簡単に言える訳じゃない、それでも言わせて欲しい。
「メイのことを、守らせてくれ」
出会ってからずっと守ってくれてるじゃん。
これ以上守ってもらうのは違うんじゃないの。
それはもう、仲間って言わない気がする。
「どうしてそんなに優しいの…」
メイの手がウィルの服を握り締めてぼろぼろと涙を零した。
ウィルの優しさに甘えてしまいそうだ、
自分一人で地に足を付け自立したいと思ってたのに。
人と違うから、普通が分からないから、自分のペースで成長させてよ。
もし許されるならそんな私を見守って欲しい、それが最低限の礼儀だと思う。
「守って欲しいんじゃない」
「うん」
「見守って欲しい」
「うん」
「ずっと、ウィルに見守って欲しい」
「分かった」
メイの頭に手を添えて引き寄せ壊れないように、
この気持ちも、メイの気持ちも、そおっと抱き締め包み込みたいと切に願った。
続く