氷血少女の哀悼花   作:深葩 ココ

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第2話

 

「…ここは……どこ……?」

 

重たいまぶたを押し上げるようにして、私はゆっくりと目を開いた。

 

見慣れない天井。

真っ白で、無機質で、それでもどこか清潔感のある部屋の匂い。

温度は快適すぎて、まるで現実味がない。

 

――南極の冷気も、血のにおいも、ない。

 

私は息を吸った。けれどそれだけで胸が締めつけられる。

 

(……生きてる?)

 

認めたくない現実が、ゆっくりと胸に沈んでいく。

 

隣に誰かがいた。

椅子に腰掛け、こちらを見つめる少女。落ち着いた髪色と、モノトーンの制服。

 

「……気がついた?」

 

彼女は、静かに微笑んだ。

 

「百合ヶ丘女学院2年、秦 祀よ。今は大丈夫、ここは安全だから」

 

少女――祀はゆっくりと言葉を選ぶように続ける。

 

「記憶と意識は大丈夫かしら?名前は言える?」

 

どこか優しげで、年上のような、落ち着いた声だった。

 

「ヒツギ…」

 

しばらく黙った後、私は答えた。

 

「アイグランド学園所属のリリィ、ヒツギ=アイグランド…です」

 

その瞬間、彼女の眉がわずかに動く

 

「そう……名前と意識は大丈夫そうね……」

 

何かを知っているような気配。けれど、それ以上は言わない。

 

「もう少し体を休めるといいわ。身体の消耗は相当だったはずだから」

 

私は祀の言葉に、曖昧にうなずいた。

 

体を少し起こそうとして、痛みが走る。全身が鉛のように重い

 

包帯が巻かれた腕。点滴。繋がれたモニター。

 

 

視界の端で、チャームケースらしきものが見えた。

 

けれど、そこにあるはずのものは……。

 

ふと、胸の奥に冷たいものが這い上がってくる。

 

「……ここは、どこですか?」

 

「日本。神奈川県――百合ヶ丘女学院の医療棟。あなたは、救助されたの」

 

私は、その言葉の意味を咀嚼するように繰り返した。

 

百合ヶ丘。救助。

 

あの氷の島から、遠く離れた場所。

 

「……あの!えっと…」

 

声がかすれる。

 

祀は私の言葉の続きを、あえて待たなかった。

 

ただ、静かに視線を向けたまま、首を横に振った。

 

私は、それだけで全てを察した。

 

胸の奥に、何かが沈んでいく。ゆっくりと、でも確かに。

 

「…そう、ですか……」

 

そう呟いた自分の声が、誰のものにも聞こえないように小さく思えた。

 

だけど、涙は出なかった。

 

涙が出るほどの実感すら、まだ私にはないのだと気づく。

 

あまりに多くを失いすぎて、心が追いつかない。

 

突然、世界が裏返ったその時から、私はまだ――何も、受け止められていない。

 

胸の奥が軋んだ。

でも、それでも涙は流れなかった。

 

祀は何も言わず、私のそばにいた。

その沈黙だけが、今は優しさだった。

 

「少し…休みます」

 

その声はかすれて、情けないほどに小さかった。

 

祀はそれを聞いて、優しく目を細めた。

そして、私の言葉を最後にそっと病室を後にした。

 

扉の閉まる音が、やがて静けさに吸い込まれていった。

 

ベッドに身を沈めると、心地よい柔らかさに全身が包まれていく。

寒くない。ただ、それだけで涙が出そうになる――けれど、出ない。

 

「……おやすみなさい」

 

誰に向けたのかわからない言葉を、小さく呟いて。私はゆっくりと、再び目を閉じた。

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

ヒツギが静かに再び目を閉じたのを確認してから、私は病室を後にした。

彼女の寝顔は穏やかだったが、それでもどこか張り詰めているような印象を受けた。

 

(まるで、深い氷の中に閉じ込められているみたい……)

 

医務室を出たあと、私は静かに足を進める。目指すのは、学園の中心――理事長室。

 

「失礼します」

 

静かにノックし、扉を開ける。

窓越しに柔らかな昼の光が差し込むその部屋は、どこか古風でありながら静謐な空気に包まれていた。

 

落ち着いた香木の香りがほのかに漂う中、私は一礼する。

 

「報告します。南極圏救助作戦にて保護された少女――ヒツギ=アイグランドの状態についてです」

 

「ふむ。……どうだね?」

 

そう答えるのは、百合ケ丘女学院理事長代行・高松咬月。

年配の男性で、品のある着物姿に、膝元に立てかけられた黒塗りの杖。

彼は穏やかな微笑みを浮かべながら、私に視線を向ける。

 

「容態はどうかね?」

 

「意識は安定しています。名前も自ら名乗り、会話の受け答えにも問題はありません。ですが……」

 

少し言い淀んだ私を、咬月は決して急かさない。ただ静かに、肯く。

 

「……襲撃時のことは、まだ言葉にできないようだな?」

 

「はい。無理に尋ねるよりも、今は回復を最優先すべきだと判断しました」

 

「うむ。正しい判断だよ、秦くん」

 

咬月は目を細め、窓の外にゆっくりと視線を向けた。

 

「数百の命が……一夜にして失われた。その中で、彼女一人が生き残った。背負った痛みは、計り知れない……」

 

その声に、責めも、憐れみもない。ただ静かに、深い哀悼が込められていた。

 

「休息は、彼女が再び“生きる”ために必要なものだ。焦らず、急がず、見守ってあげてほしい。君には、その役目がある」

 

その言葉に、私は静かにうなずいた。

 

「はい。必ず」

 




感想欄などで質問などがあればここに載せていこうと思います。
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