酒呑あとらの怪異事件簿   作:瑞雨ねるね

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第十二話 廃病院と恐怖の夜 4

 階段に取り付き、一気に駆け上がる。

 

 一階に辿り着いた。

 

 これで逃げられる――その一心で私はエントランスへひた駆けた。だがあと一歩というところで、思わぬ障害に(はば)まれる。

 

 硬い壁に顔面から突っ込み、反動で後ろに倒れる。鼻からどろりと温い液体が滴り落ちた。

 痛みを堪えながら、私は呆然と目の前の光景を眺める。

 

「―――は?」

 

 自動ドアのガラスが復活していた。

 

 頭が混乱する。

 

 ここは廃病院だ。つまり廃墟だ。入った時、エントランスの自動ドアのガラスは跡形もなく砕けていた。そのはずだ。なのになんでガラスが復活しているのか。理解できない。意味が分からない。どうしてそんな、こんな―――――

 

「―――――ふざけんじゃないわよッ!」

 

 激昂し、私はガラスを叩いた。握り拳が透明な壁を叩く。こちらの焦燥に反して、ガラスはびくともしない。怒りと恐怖に任せて何度も拳を叩き付けるが無意味だった。

 どうやら人間の力ではこのガラスは砕けないらしい。なら―――!

 

 私は名無しの上着を広げた。その中に手を突っ込んで探り、目当ての物を手に入れることに成功する。

 

 私は拳銃を両手に握って構え、ガラスに向けて発砲した。

 

 轟音が鼓膜を揺さぶり、反動で腕が跳ね上がる。これではまともに狙いがつけられない。名無しはこんなものを片手で扱っていたのかと、状況を忘れて変に感心してしまった。

 だが、目標は一面ガラス張りの扉なのだ。今の射撃でも当てられた。それは確かだ。確かに弾は当たった。……だって、いうのに!

 

 エントランスを塞ぐガラスには、傷一つ付いていなかった。

 

 足元には潰れた銃弾が落ちている。私はそれを踏みつけ、蹴っ飛ばした。私は銃のグリップでガラスを叩く。だが割れない。なんの変化もない。

 

「クソ――クソッ、クソッ、クソッ、くそぉ!」

 

 荒く肩を上下させながら、私は膝から崩れ落ちた。ガラスに額を押し付けて嗚咽を漏らす。涙が溢れて止まらなかった。

 

 いやだ。いやだいやだ。

 こんなところで死にたくない。あんな風に死にたくない。

 

 死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくないッ!

 

 子供のようにみっともなく泣いて繰り返す。頭の中では、先程見た光景がリフレインしていた。血を吸った柔らかいモノが揺れる様を想像する。それだけで全身に怖気が走り、肌が粟立った。

 

 このままでは私も殺される。名無しと同じように、■を取り出されて殺される。それだけは嫌だ。死んでもごめんだ。死ぬのなら、せめて、もっと……―――

 

 そこまで考えて、私は掌の中の拳銃を見下ろした。

 

 我ながら緩慢な動作で腕を持ち上げる。

 口を開け、上顎の内側に銃口を押し当てる形で銃身を咥えた。こうすると楽に、確実に死ねると聞いたことがあったからだ。

 

 腕が震える。全身が震えている。

 

 私は目を閉じ、引鉄を引―――

 

「―――あああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 拳銃を床に叩き付け、私は絶叫した。

 

 誰が死ぬか。誰が死ぬか誰が死ぬか。誰がこんな所で死んでやるもんか! 脳を引き摺り出されて死ぬなんて嫌だ! だけど自殺なんてしない! 絶対にするもんか! 自殺なんてクソくらえだ! そんなのはあの芋虫じみた太った男がするような、弱者の逃避だ! 逃げだ! 私はやらない! 絶対に自殺なんてしないッ!

 

 自殺するくらいなら――戦う。そして必ず勝ってみせる!

 

 ……我ながら、なんて無謀で幼稚な考えだろう。だが今の私にはもう、それしか(すが)るものがなかった。こうなってはもう、どんな結末が待っていようと、意図的に無視して進むしかない。

 

 殺される前に殺す。

 

 方針は定まった。だが、手段がない。どうすれば怪異を――あの雪女共を殺せるのか。私にはわからない。皆目、見当もつかなかった。

 

 ともかく、このままここで(うずくま)っていても仕方がない。

 

 指で乱雑に涙を拭い、私は立ち上がった。周囲に変化はない。廃墟は依然として静かなままだ。……見たところ、全ての窓が復活しているようだが。

 

 窓のことは完全に思考から外して、私は歩き出した。

 

 なにか――この最悪な状況を打開できるなにかがないかと、辺りをつぶさに観察しながら徘徊する。幾つものスライドドアを開き、空の病室を物色した。だが目ぼしいものはなにも見当たらない。

 目についた戸棚を片っ端から開け、引っこ抜く。だがなにもない。

 苛立ちに任せて舌打ちを零す。その瞬間だった。

 

 ―――カツン

 

 足音が聞こえた。

 

 半ば反射的に体が跳ねる。まさかあいつらが私を捕まえに来たのか。私は震える体を押さえ、周囲を見回す。なにか身を隠せるものはないか。足音を殺しながら走りつつ探す。その最中、あるもので視線が止まった。

 

 看護士用の更衣室だろうか。沢山のロッカーが並んでいる。

 

 あの中になら隠れられそうだ。

 

 思うと同時に駆け出す。適当なロッカーを選び、戸を開けて隙間に身を滑り込ませた。埃臭い空気が肺を満たす。だがそんなことを気にしている場合ではない。

 

 ロッカーは狭い。入り込むのも一苦労だ。

 

 音をたてないように細心の注意を払いつつ、扉を閉める。その途中で手が止まった。床に何かが落ちている。それは、名無しから貰った札だった。

 

 どうやら背中に貼られていたものが剥がれたらしい。

 

 だが貰った札はポケットに仕舞っていた筈。それがどうして落ちているのか。疑問に思ったところで、唐突に――私は、電撃的に理解した。

 

 私が雷に撃たれた瞬間のことを思い出す。あの時、私は自分の背中が叩かれる音を聞いた。その正体は名無しが札を貼った音だったのだろうと、今更ながら理解する。その瞬間、涙が頬を伝い落ちた。

 

 ―――彼はもう、死んでしまったのだ。

 

 そして、その原因を作ったのは私だ。

 今回ばかりは認めなければならない。彼は――私のせいで死んだのだ。

 

「……ちくしょうっ」

 

 小さく毒づき、私は素早く札を拾い上げて戸を閉めた。そしてポケットに仕舞っていたもう一枚の札を引き摺り出す。黒く変色しつつある二枚の札を握り締め、私は祈るように額に拳を押し付けた。

 最早この狭い空間だけが安住の地だった。

 私は決して見つかることのないようにと、祈って、祈って、祈って。祈り続けて。そして―――

 

 ―――ただ、祈り続けることしかできなかった。

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