昔から、世界が大好きだった。
花鳥風月、森羅万象。この世の全てのことが、愛おしくてたまらなかった。
だから、もっと知りたいと願った。
たくさんの漢籍を読んだ。たくさんの知識を得た。それだけで、十分だった。
世界は女が知識を得ることに否定的だったけれど、父上はそれを笑って撥ね退けた。
「自分の愛することを生業としなさい。」
父上はよく、兄上と私にそんなことを言った。だから私は、心行くまで知識を追い求め続けた。
知識を得るうちに、気が付いた。この世界には、知識を持つ者は多数いれど、それを心底理解して正しく操ることのできる者は少ない。
私は
もっとこうすればいいのに、ああすればいいのに。現状の政に対する気持ちは、日々育っていった。
しかし、困ったことに。私は女だった。
女は弱い。
なぜなら、女には生まれながらにして使命があるから。結婚して子供を産み、跡継ぎを養うという崇高な義務があるから。
だから、政治やら勉学やら詩歌やらに惚けている暇などない。それが、世界の通説。
「……それを僕に話したということは、何か謀っていらっしゃるんですね?」
「よくわかっているじゃないか。」
「何年共にあるとお思いですか…。それで、何を?」
元服の儀を終えたばかりの兄上は、困ったように問うた。三日月の下、庭には梅が咲いていた。
私は立ち上がり、月に向かって謳った。
「お前の名を、私に寄越せ!
お前と私はよく似た双子。そしてきっと、お前は菅原家の祖業を継ぐのだろう。
菅原が土師と呼ばれた時分から伝わる葬送、卜占、呪術。菅原の嫡男として、お前は幼いころからそれらを学び、類稀なる才を発揮してきた。
特に祈祷と呪術に関して、今の京には右に出るものがいない。
つまり、兄上が家で誠実な仕事をしているなら、政界には「菅原道真」の名が広まることはない。
「女は弱い!少なくとも今の世において、私が私のままに学を究めることはできないだろう。」
兄上はぽかん、と口を開いたまま私を見ている。風が吹いた。春を告げる東の風だった。
「お前は私。私はお前。私たちは同じ胎から生まれ、同じ魂を持つ者。」
ゆえに。
「お前の名を寄越せ、
私は女を捨て、菅原道真という一人の文官として、この生を全うしようではないか。
兄上は少し黙って、数度瞬きをした。
そして、笑い出した。
「っははっはははは!!!」
「な、こら、笑うんじゃない!私は本気だぞ!」
「っふふ、いえ。馬鹿にしているのではありません。寧ろその逆です。姉上はいつも僕の先を往く。」
兄上は盃を掲げた。それは誓いだった。
「僕の名を、貴女に捧げます。生まれた時も同じだったのですから…。死ぬ時まで、お供いたしましょう。」
「……ふふ…。」
私もまた、盃を掲げた。
「では、菅原道真の新たな門出に。」
「乾杯。」
行く末は誰も知らない。それでも、私たちは生きる術を探し求める。
私が、私であるために。