第1話は、怪我に悩む少女と、彼女に声をかけるメジロアルダンのお話。
静かで少し湿度のある物語ですが、何かが残れば嬉しいです。
※各話完結形式のため、どこから読んでも大丈夫です。
1話目のみpixivに投稿したものの再編集版となります。
よろしくお願いします!
ーー私は、壊れることが怖かった。
速くなればなるほど、脚は軋む。
踏み込むたびに、心のどこかがきしむ。
それでも、止まりたくなかった。
駆け抜けた先の輝きを、私は知っている。
背中を押してくれる温もりを、私は覚えている。
私はまた、スタートラインに立つ。
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「アルダン、もうすぐ着くから降りる準備しておいて」
「はい。もういつでも」
ワゴンの後部座席。窓の外に流れる風景は、どこにでもある街並みだった。
けれど――彼女にとっては、とても新鮮に思えた。
バックミラー越しに視線を交わしたトレーナーが「流石」と小さく笑う。その一言が、彼女の緊張を少しだけ緩めた。
今日、訪れるのは地方のクラブチーム。
トレセン学園から数名のウマ娘が選ばれ、交流練習を行うという企画だ。
きっかけは数日前。学園長の突然の呼び出しだった。
⸻
「クラブチームとの交流練習……ですか?」
学園長室。オレンジ色の髪を翻しながら、秋川やよいは勢いよく扇子を掲げていた。
「その通りッ! 未来ある若き才能との出会い、現役選手たちの激励、そしてッ、感動の交換ッッ! ウマ娘たちの明日を繋ぐ壮大なるプロジェクトであるッ!」
「他のチームの方にも声をかけています。ぜひ、メジロアルダンさんにもご参加いただければと」
秘書・駿川たづなが落ち着いた口調で補足する。
勢いに呑まれそうになりながらも、アルダンはすぐに頷いた。
「光栄です。……私でよろしければ」
その一言に、トレーナーも「調整します」と短く返した。
秋川の扇子が、いつの間にか「感謝!」の文字に変わっていたのを、トレーナーは見逃さなかった。
⸻
今、車の窓から見えるのは、広々とした緑地と立派なスポーツセンターの外壁。
トレセンのような煌びやかさはないけれど、不思議と居心地の良さを感じる場所だった。
「……さ、着いたよ」
ドアが開く音。立ち上がったアルダンの脚が、そっと地面を踏む。
その重みに、覚悟をひとつ込めて。
▼
トレセン学園から現役のウマ娘が来ると聞いて、クラブチームは沸きたった。
まだトレセン学園に入る年齢に満たない者、編入を諦めず練習に臨む者、地方レースで走る者。
幅広い年齢のウマ娘が所属しているが、トレセン学園のそれもG1と言う舞台で戦う彼女たちは、等しく目標だった。
だからどんな強面のウマ娘が来るのかと思えば、彼女たちの前に立ったのは“お嬢様“を絵に描いたよなウマ娘だった。
凛として立つその姿は、同性であっても見惚れるほど魅力的で、儚さと逞しさが同居した身体から放たれる独特の迫力はその場にいる全員の目を惹きつけて離さない。
「皆さまご機嫌よう。メジロアルダンと申します」
メジロの冠名を聞いてよりかすかにざわめく。本物のお嬢様じゃないか。そしてアルダンの名前にも聞き覚えがあった。最近、話題になってる、最前線で走るウマ娘の一人。
ついこの間も日本ダービーに出走していたはずだ。
「こんにちは。メジロアルダンのトレーナーです」
続いて担当トレーナーを名乗る男が2、3よく聞く挨拶の提携文を連ねる間、彼女はアタシたちのことを眺めるように見渡している。
どんな娘がいるのか見定めているのか、その心情は初めて出会う人たちには押しはかることはできなかった。
「というわけで、今日はお二人に来て頂きました。練習時間中であれば自由に質問してもらって構いません。体験談を聞くもよし、中央のトレーナーさんにアドバイスをもらうもよし」
この貴重な機会を生かしてくださいと、クラブコーチが挨拶を締めくくったのを皮切りにメジロアルダンとトレーナーはウマ娘たちに囲まれた。
主にメジロアルダンには経験談や併走を求められ、トレーナーにはトレーニングや適正を見てもらうという願いに二分された。
「じゃあアルダン、先に質問コーナーを設けようか。15分から最長30分くらいで。その間、個別に見てほしい子は俺が見る。併走の時は立ち合わせてくれ」
「承知しました。では、おしゃべりしたい人はテントの下でお話ししましょう」
慣れた様子で指示を出すトレーナーとすぐに応えるメジロアルダンの様子に、流石だと思う。
ほんのわずかなそのやり取りに2人の信頼関係が見てとれた。
「おふたりは凄い信頼されてるんですね」
1人のウマ娘が問う。
「えぇ、今私があるのはトレーナーさんがいてくださったから。そしてこれからも……」
そこでメジロアルダンは口を噤む。
言いにくそうにする様子はなく「その先は教えられない」と暗に伝えていた。
その表情は優しくも真剣そのもので、その先に何かしらの強い覚悟がある事を察するのは容易かった。
その眼差しの先にいるトレーナーはコーチと共に希望者をいくつかの組に分け、練習を見始めていた。
「……あら? あの子は……」
そんな中、トレーナーにもアルダンにも付かず、ひとりグラウンドの端で入念にストレッチをするウマ娘がやけに気になった。
▼
「軽い捻挫だね」
小さい頃から何度もその言葉を告げられた。
アタシの脚は周りの子より少しだけ脆かった。
病的に悪いわけでもないけれど、怪我が癖づいた脚はちょっと無茶をするとすぐ弱音を吐く。
「なんでお前はそんなに根性ないのさ……」
そんなふうに脚を責め立てたのも一度や二度じゃなかった。
はじめは怪我をするたびにショックを受けていたけれど、もう「またか」としか思わなくなっていた。
今日もトレセン学園からトッププレイヤーが来ると聞いた時はアタシだって感激した。
けど今はウォーミングアップを終えて、じんわりと熱を帯びた脚にじんわりと冷水をかけるみたいに気持ちは冷えていく。
「アタシ…なにしてんだろ」
グラウンドの中心で盛り上がるクラブメンバーを横目に見ながら、拗ねたように呟いた。
先々月、怪我をした時に諦めようかと思った。
でもコーチが「もう一度やってみないか?」なんてアタシなんかに期待してくれるもんだから、後ろ髪引かれて続けたくせに、練習に混ざる勇気もない臆病者。
それが今のアタシ。
「少しよろしいですか?」
だから、不意に声をかけられて驚いた。
そこにいたのは名を知らぬ者などいない一流のウマ娘と、そのトレーナー。
思わず一歩、身を引いた。
正直、怖かった。
こんなアタシに、あの人がわざわざ話しかけてくる理由なんて――
「私の脚も、ガラスのようなものですから」
少女の口から出た言葉。
それは、どこか拗ねたような、諦めたような呟きだった。
「……え?」
驚いたように、目を見開いた。
けれど、すぐにその瞳は静かに、強く光を灯す。
「あなたのことは、コーチさんから伺いました。では、なぜあなたはここに立っているのでしょう?」
その問いに、少女は言葉を失った。
逃げたかった。
でも、その目は――逃げ場を与えてくれなかった。
「私も怪我をしました。全力で走ることは難しい状態で……引退も考えました」
淡々と語られる言葉の奥に、震えがあった。
「でも、信頼する人が『また一緒に走ろう』って。……その一言で、もう一度だけ、信じてみようと思ったんです」
少女は思わず拳を握りしめていた。
「私たちが走る道は、栄光とイバラの道。
踏み出した者が、リスクを負うのは当然です。
それでも走り続けるのは――その先に、願いを託した誰かがいるからです」
少女の心に、波紋が広がっていく。
「あなたは、もう走りたくないのですか?
支えてくれる人がいて、願いを託してくれる人がいて――
それでも、走らない理由がありますか?」
少女の唇が、呼応するようにわずかに震えた。
「……アタシなんかが走ったって、どうせ」
「“なんか”、じゃありません。あなたは“あなた”です。
だから、走るのです」
「もう一度だけ、お聞きします。
あなたの“心”は、なんと答えていますか?」
――走りたい。
その瞬間、心の中で固まっていた“脚”が、ふと解れるのを感じた。
メジロアルダンの姿が、光の柱のように見えた。
こんなにも強く、まっすぐに、自分の道を進む姿が。
そしてようやく、わかった気がした。
どうして、彼女たちの姿がこんなにも輝いて見えるのか。
それは、見た目が美しいからじゃない。
使命感か、誓いか、目指すものがあるから――。
心の奥に、ふつふつと炎がともる。
「……たい」
絞り出すように、少女は声を漏らした。
溢れた言葉を聞き取ったのか、メジロアルダンの耳がピクリと動いた。
後ろに控えるトレーナーには届いていないだろうに、待っていたと言わんばかりに口角があがるのが見えた。
その時の2人の顔は、先程までの見守るような優しさを孕みながらも、目つきの鋭さが増していた。
それはただ怪我に悩む後輩を見るものではなく、1人の挑戦者を見るものだと自然と理解した。
そしてその眼差しに鼓舞されるように、宣言は加速する。
「……走りたい! 勝ちたい! アタシはG1ウマ娘になるんだ!!」
「ならばもう言葉は不要、でしょう?」
あなたが“未来“の為に積み重ねるべき“今“を見にいきましょう。
メジロアルダンの言葉に頷き返す。
満足げに笑ってグラウンドへ戻るメジロアルダンとトレーナーを追って、少女は立ち上がった。
▼
少女が再び立ち上がったその姿に、クラブのコーチが微笑む。
「戻ってきたね」
手元のバインダーに一瞬目を落として、アルダンのトレーナーと軽く目配せし合う。
それを合図にアルダンのトレーナーが一歩前に出た。
「じゃあ、模擬レースの準備に入ろうか。距離は芝1400。交流練習用の短距離戦だ」
コーチも「脚、いけそうか?」と声をかけてくれる。
「いけます」
もう迷いはない。
「〇〇!!」
スタート位置、ずらりと一列に並ぶメンバーたち。
そして、その様子を見守る他のメンバーたちの中からアタシの名前を呼ぶ声がする。
振り向いた先で特に仲のいいチームメイトが笑っていた。
「……おかえり」
普段はふざけ合ってばかりのメンバーからの、その一言。
少女は思わず唇を噛みしめ、笑ってうなずいた。
自分の“場所”に、ちゃんと戻ってこられたのだと、実感した。
そして、いま隣に並ぶ大先輩の姿は、あの日テレビでしか見ていなかった存在じゃない。
挑むべき“目標”になっている。
「よし、それじゃあ、位置について!」
スタートの合図が告げられる。
アタシの中にはゲートなんていらないほどの熱がある
その全てを出し切るつもりで、衝動に身を任せた。
「大逃げ!?」
「最初から全力って、持つの!?」
チームメイトのどよめきが背後から聞こえる。
そりゃそうだ。
普段から逃げの戦法を取ってるとはいえ、こんなスタートは初めてだ。
でも、普通に走って“勝てる”相手じゃない。
メジロアルダンに前を取られたら終わり。
なら、不意をついたこの一瞬のリードを、死守するしかない。
――それが、アタシに残された“勝ち筋”。
案の定、アルダンが追ってくる。
まだ距離はある。でもわかる。
背中がひりつくようなプレッシャーがジリジリと滲んでいる。
速い。とんでもなく。
胸が苦しい。
脚が、重い。痛い。上がらない。
けれど、それがどうした。
走る理由を、止める理由にはできない。
アタシは――走る!!
最終コーナー。
木々の影が差し込む。そのわずかな暗がりに、一瞬呼吸が乱れ、膨らんだ。
その隙を、アルダンは見逃さない。
「仕掛けた!」
グラウンドがえぐれるほどの蹴り上げ。
風を切る音。勢いに釣られて、他のウマ娘たちの足音も激しさを増す。
外に膨らんだアタシの隙を、アルダンが一閃のごとくすり抜ける。
――速い。強い。美しい。
見惚れる余裕なんて、あるはずもなかった。
このままじゃ――負ける。
パキンッ!
乾いた音が、脚の奥で鳴った。
……壊れた?
脳裏をよぎるのは、クマみたいな顔の医者の言葉。
『癖づいた怪我は厄介だよ』
『レース中の故障は、命に関わるからね』
わかってる。嫌というほど。
もし壊れたら、終わる。
そう思って、何度も走ることから逃げた。
治っても、走ることが怖くて……それでも、走りたくて。
ーーでも。
アタシは知ってる。この音は違う。
これは――脚が壊れる音じゃない。
これは、
アタシが、限界を、越える音だッ!!!
「ああああああっっっ!!!」
相手が格上だからって、関係あるか!
ただの模擬レース? 練習? プライドのぶつけ合い?
……上等だ!!
「メジロォォォ……アルダァァァァァン!!!」
叫びとともに、前を追う。
追いつけるかなんて、どうでもよかった。
ただ、走りたかった。全力で。命ごと。
ゴールを駆け抜けたのは、メジロアルダンだった。
でも――
その最終直線。
ほんのわずか、観客には“距離が縮まったように見えた”。
アルダンがスピードを落としたわけじゃない。
ほんの一瞬。少女は、彼女のトップスピードを超えた。
それは、無名のウマ娘が見せた、幻の一歩。刹那の輝きだった。
「ハァ……ハァ……キッツ……」
芝の上に、ぶっ倒れる。
でも、不思議と、嫌じゃなかった。
むしろ――
「あー、清々しい……」
そのとき、涼やかな影が差す。
「よい走りでした」
手を差し出すアルダン。
涼しい顔しやがって、と内心で毒づく。悔しい。悔しいけど……
こんな風になりたい、と思った。
少女は息を整え、宣言する。
「次は……アタシが勝ちます」
「ーーえぇ。トレセン学園で、お待ちしています」
▼
帰りの車の中、アルダンがふいに、ぽつりと語り始めた。
「覚えていますか? 以前、私の走りに希望を見出してくれた子がファンレターを送ってきてくれた事を」
「あの子も、そして“私”とも、重なるものがあったのです。
だから――気づけば、走っていました」
「……あの子は強くなるよ」
「ーー。えぇ……当然です。私のライバルですから」
嬉しそうに微笑んだアルダンが寝息を立てはじめるのにそう時間はかからなかった。
これまで“過去“と“今“しか見ていなかった彼女が“未来“のライバルとの勝負を夢見ている。
その姿をトレーナーはとても嬉しく感じていた。
理事長からの提案を受けた時、彼女の中にウマ娘界への貢献という大義はあっても、そこに自分の姿はなかっただろう。
『たとえこの身がどうなろうと、誰かの道標になれるなら』
そんなことを考えていたのかも知れない。
けれど、彼女の永遠の輝きを絶やさない為には、彼女自身の意識を変える必要があった。
そのきっかけになればという打算もあって、承諾したが予想以上のものを得られたと思う。
日々、彼女の中で“未来“という存在がどんどんと大きくなっていく。
今はまだトレーナーとして指し示さなければ見失ってしまいそうな“未来“の欠片を今日、彼女は自ら見つけたのだ。
バックミラー越しに見える彼女の輝きは何光年先の星々にも届くだろうとどこか確信した一日だった。
春。あの日「走りたい」と叫んだあの子は、自分の脚で、夢の門をくぐる。
その背中に、誰かの想いが重なる。
少女を迎える二人は、どこか誇らしげに微笑んでいた。
ーーようこそ、トレセン学園へ。
この物語は、夢に手を伸ばしたすべての人へ。
次回 スペシャルウィークと調理師の話。