【32】
「どうなってんだ、これは……」
ライナーの言葉が表すように、現場は酷いものだった。辺りには高温の蒸気が立ち込め、地面に生えていた植物が燃えている。その中心にいる、上半身の骨格と片腕だけが形成された不気味な巨人が駐屯兵たちを睨みつけている。
そしてそれを取り囲む駐屯兵たちの様子もまた惨憺たるものであった。悲鳴と怒号が飛び交う。
「なぜ撃たせた!? エレン・イェーガーを拘束し尋問することは許したが、殺しは許可していないぞ!!」
その中でも、中央憲兵の男と駐屯兵団隊長のキッツ・ヴェールマンの言い争う声がよく聞こえた。片や中央憲兵精鋭の班長、片や駐屯兵団の現場指揮を担う隊長。戦場指揮官として重要な素質である声の通りが良いのは、二人に共通していた。
「もはや口出しは無用! 例え中央憲兵だろうと有事の際は現場の判断が優先される! やつを野放しにしていたらいつ巨人化してこちらを攻撃してくるか分かったものではない! 私にはこの場にいる部下を守る責任があるのだ!」
「新兵を見殺しにしておきながら……白々しい! 恐怖に負けた者の言い訳など聞くに堪えん!」
今にも暴力沙汰になりそうな剣幕でだったが、お互いの仲間が二人を抑えていた。
しかし、負の感情は伝播する。周囲にいた駐屯兵はキッツを擁護し始めた。
「クソッ。内地に籠もってるだけの憲兵が好き勝手言いやがって……あれを見てもまだ何もするなと言うのか!?」
「隊長! 中央憲兵だか何だか知りませんが、こんな奴らの言い分など聞く必要ないですよ!」
「なんだと……?」
エレンを警戒して、彼らは剣を抜いたままだ。そのことに身の危険を感じた憲兵もまた剣を抜くが、それがさらに状況をエスカレートさせる。
「そもそもあんたらは何でこんなところにいるんだ! もしかして……あいつは中央憲兵とやらの差し金なんじゃないか!?」
「きっとそうだ! 内地の奴らはまた俺たちを殺そうとしてるんだろ!? 巨人を使って、5年前のウォールマリア奪還作戦のときのように!」
「違う! 少なくとも中央憲兵はあの作戦に関わってはいない。それに、そもそもあれは仕方なかったんだ! やらなければ人同士の戦いで死んでいたと、生き残ったお前たちならば分かるだろう!?」
「憲兵の言うことなど信用できるかッ!」
ついには今関係のない話題を持ち出し、水掛け論に陥ってしまった。現場は混乱を極めている。建物の屋上から見下ろすクリスタたちにはそれがよく見えた。
「なあ、誰か説明してくれよ。どうしてあんなところにできたてホヤホヤみたいな巨人がいるんだ……?」
「あれは、エレンだよ。ユミル」
「冗談きついな、クリスタ。あいつの身長は2メートルもなかったと思うんだが」
「箝口令を敷かれていたのはそのせいだよ。巨人の体を生み出して操作できる人間。それが、エレンなの」
「本気かよ……」
ユミルは頭を抱えた。それは人が巨人化したことに対してではない。そんなことはユミル自身もよく知っていた。彼女はこの壁の中の世界にその事実が知れ渡ることを確信し、頭を抱えたのである。
「君たち、両手を上げて」
その時、中央憲兵精鋭の一人である女性が背後に降り立った。剣を抜き覗き見していた104期訓練兵らに向ける。
「どうしてここに来たの? 各自待機の命令でしょ? 説明しなさい」
「俺たちは大きな音が聞こえたので確認に来ただけです。兵は拙速を尊ぶ。仮にまた鎧の巨人によって内門が破られたのなら一刻も早く動くことが肝心だと思い、俺が皆を連れ出しました。軽率に命令違反を犯したことを謝罪します」
ライナーは自分が責任を負う形で謝罪した。アニは、よく真面目な顔でいけしゃあしゃあと言えたものだと感心する。それほど彼の顔は『兵士』のソレであった。
それを見て憲兵の女性は信じたのか刃を下ろす。
「本来ならは処罰の対象だけど……まぁ、無理ないか」
彼女は頭を剣を収め、頭を掻いた。
「しかし、壁内に向けて榴弾とはね。一発作るのにいくらかかると思ってるんだか、まったく……攻撃するだけなら銃でも良いでしょうに。キッツ隊長殿は臆病なクセして決断が早すぎる。調査兵団向けの素質ね……」
「中央憲兵はエレンについて何か知っていたんでしょうか?」
ぼやく女性に対して、ライナーは質問する。
「……それを聞いて、どうするつもり?」
「いえ、疑問に思っただけです。俺たちが皆さんに助けられたとき、まず何故あなたたちが救援に来たのか考えた。そして、真っ先に浮かんだのはエレンのことだ」
今、ライナーの頭の中にはエレンのことを聞こうという意思だけが残っていてる。何故エレンのことを聞こうとしたのかはすっかり忘れ、兵士として純粋に疑問に抱いているのだ。
ライナー個人にしてみれば不幸だが、スパイとしては最高の素質であった。
「そう……賢いんだね君。それに責任感もありそうだ。でも外れ。エレン・イェーガーが巨人になれるなんて私たちは知らなかったよ。君の考えすぎだ。分かったら、口を閉じて持ち場に戻りなさい」
「待ってください! 最後に一つ聞きたいことがあります」
その場を去ろうとした彼女を引き止めたのはジャンだった。憲兵の女性はため息をつく。
「はぁ……104期は将来有望そうだね。それで?」
「皆さんの力で、あいつを生かすことはできないんですか……?」
ジャンはエレンが嫌いだ。仲も悪いし、死に急ぎ野郎と言って馬鹿にしてきた。嫌いなやつのために何かしてやるほど、ジャンは良い子ではない。
だがエレンはこの戦いの前で彼に発破をかけてくれたし、巨人となってからも救ってくれた。そんな相手の死を前に口を噤んでいられるほど、冷酷でもなかった。
「……見れば分かると思うけど、私たち憲兵が説得したところで、あの隊長は言うことを聞きそうにない。彼らの恐怖は至極真っ当なもので、それは否定できないからね。だから駐屯兵団自体が恐怖を超えて、彼を生かす気にならないとダメなんだ」
ジャンは沈黙する。その場にいた全員が緊張した面持ちで蒸気の向こう側に思いを馳せた。その時、一人の人影がこちらへやってくる。
両手を挙げて現れたのはエレンでもミカサでもなく、アルミン・アルレルトだった。それは彼らに戦闘の意思がなく、話し合いたいという意思の表れだった。
「どうやらそれが決まるのは、今からみたいだね」
彼は演説した、無垢の巨人に敵対された事実でもってエレンは人類の味方であると。
「私はとうに人類復興のためなら心臓を捧げると誓った兵士! その信念に従った末に命が果てるなら本望! 彼の持つ巨人の力と残存する兵力が組み合わさればこの街の奪還も、不可能ではありません!!!」
強く胸を打ちつけ、心臓を捧げる。アルミンは内心恐怖を抑えられなかったが、それでも、自分を信じてくれる友達のために口を止めることはなかった。
「人類の栄光を願い、これから死に行くせめてもの間に、彼の戦術価値を説きます!!!」
彼の全身全霊の言葉に、駐屯兵たちは徐々に耳を傾ける。彼らの持つ恐怖の中に、わずかでも希望が生まれ始めた。
そしてキッツは迷う。あれが口八丁でその場を乗り切るために言っているのか、まさか本当にトロスト区を奪還できると思って言っているのか、と。
その少し間の迷いが、結果としてエレンたちを救うことになった。
その演説は確かに聞こえていたのだ。今しがたこの場に訪れたドット・ピクシスの耳にも。
かくして、エレンと人類の運命は、その生来の変人へと委ねられたのである。
感想評価のおかげでガンが治って彼女と彼氏もできて戦争も終わって宝くじにも当たりました。ありがとうございます。