やわらか不戦の契り   作:妄想壁の崩壊

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前日譚2

【4】

 

グリシャは今、ある民家にて怪我人の治療を行っていた。

 

「診療はこれで終わりです。もう数週間もすれば治癒して包帯も外せるようになるでしょう」

 

「そうですか……ありがとうございます。イェーガー先生」

 

そう言うと男は包帯に巻かれた腕を撫でた。

 

「イェーガー先生。本当にありがとうございます。なんとお礼を言ったら良いか……」

 

「私は医者で、治すことが仕事ですから」

 

男の母親にグリシャはそう答える。

 

「そうだ! もしよろしければパイを食べていかれませんか? ちょうど美味しいリンゴがあるんですよ」

 

「いえ、申し訳ありませんがこの後も他の患者の診療があります。お気持ちだけ頂きましょう」

 

「そうですか……」

 

「母さん。イェーガー先生はあの流行病を一人で駆逐した人なんだぞ。シガンシナ区どころかウォールマリア、いや内地の貴族だってイェーガー先生の手を必要としてる。引き留めて良い訳ないだろ」

 

そうぶっきらぼうに言うと男は奥の部屋へと向かった。

 

「すいませんね……遅めの反抗期で……」

 

「親の心子知らず、と言った様子ですね」

 

「久しぶりに帰ってきたからつい世話を焼いてしまうんですよ。ほら……次にいつ帰ってくるか、分かったものではありませんから……」

 

そう言うと母親は視線を壁に向けた。グリシャもまた視線を向けるとそこには緑色のマントが掛けられていた。自由の翼が刺繍された、調査兵団の証である。

 

グリシャはそれを見て息子を強く思う。

 

グリシャは罪深い人生を送ってきた。妹を犠牲にし、復権派の仲間を犠牲にし、家族を犠牲にした。そしてその罪に相応しい罰を受けるはずだったその瞬間も、前任者──エレン・クルーガーを犠牲にすることで生き延びた。

 

そして使命を受け継いだはずのグリシャは、この壁の中で再び家庭を築き、平穏な日々を送っている。

 

恩人と同じ名前を与えた息子は、何の因果か外の世界への憧れを持って生まれてきた。

 

そして今日診察に出かける前、グリシャは調査兵団への憧れを口にしたエレンに己の持つ壁の外の知識が詰まった地下室を見せると約束してしまった。

 

これまでは『知識も使命も持ち得ずとも、生まれてきてくれただけで十分だ』という、もう一人の息子には伝えることが出来なかった思いがグリシャを思いとどまらせていた。だがもう、グリシャには時間がなかった。壁の王の説得には失敗したし、何よりユミルの呪いによる寿命が迫っているのである。

 

このまま何もせず、残り少ない寿命を平穏に過ごすことを考えなかったわけではない。しかし、犠牲にしてきたものを思えばここで自分の幸せのためだけに死ぬことが許容できないのだ。

 

そして結局、グリシャは同じ過ちを犯そうとしている。息子を使命に巻き込もうと。

 

それと比べれば、目の前の純粋に息子を案じる母親が立派に見えて仕方なかった。

 

後ろ髪を引かれる思いでその家を後にしたグリシャは次の患者の家へと向かう。

 

道中、グリシャは壁の外に雷が落ちるのを見た。それは正に晴天の霹靂であった。遅れて音が耳に届く。その音は低く響く雷のようでもあり、甲高く鳴る金属のような独特な音であった。

 

己の運命を悟ったグリシャは、思考より早く声をあげ走り出した。

 

「外門が壊された! 全員内門へ避難しなさい!」

 

今日、壁が破られる。

 

【5】

 

「外門が壊された! 全員内門へ避難しなさい!」

 

死に物狂いで帰路を駆けるグリシャは道中、広場で呆然と壁を見あげる息子と義娘、そしてその友人を見つけた。

 

「エレン!」

 

「とお……さん?」

 

「何をぼうっとしているんだ、エレン! 二人を連れて早く内門へ向かいなさい!」

 

そう言って再び走り出そうとするグリシャの服をエレンが掴んだ。

 

「待って父さん……家に岩が……あっちには母さんが……」

 

「……ッ!? 分かった、大丈夫だ。私に任せなさい。お前はミカサとアルミンを守るんだ。出来るな? 調査兵団になるんだろう?」

 

「わ、わかった」

 

「アルミン君、エレンが熱くなったときは君が宥めてやってくれ。ミカサ、エレンが止まらなかったらお前が止めなさい」

 

「おじさん……」

 

「は、はい。分かりました」

 

「──愛しているぞ」

 

状況を飲み込めていないエレンを、そして二人をグリシャは抱き締める。吐いた言葉は誰かを重ねたものであり、こんな状況でも純粋に息子を見れない己を内心で蔑んだ。

 

【6】

 

「カルラ!」

 

「あなた!」

 

家にたどり着いたグリシャは潰れた家と瓦礫に挟まれ動けなくなっている妻の姿を見た。

 

「エレンたちを見なかった!?」

 

「避難させた。今は自分の心配をしなさい!」

 

瓦礫を持ち上げる。

 

「逃げてグリシャ。巨人が入ってきたのでしょう?足の感覚がないのよ……ここから出ても逃げ遅れるわ」

 

「さあ、出るんだカルラ」

 

「お願い……愛してるのよ……」

 

「君がここで死んだらエレンが間違いを犯したとき、誰が叱ってやれるんだ! 私にその役目は果たせないぞ! さぁ、早く」

 

涙を飲んで差し出されたカルラの腕を引っ張り、瓦礫の中から救い出す。巨人の足音はすぐそこまで近づいていた。

 

「イェーガー先生!」

そして同時に、グリシャが良く知る救いの手も現れた。

 

「ハンネス! よく来てくれた。カルラが足を潰されて走れないんだ。手を貸してくれ」

 

「もう良いのよグリシャ……巨人が来るわ。私を置いて逃げて……」

 

「イェーガー先生こそ、先に行ってくれ。今まで散々『ただ飯食らい』だの『飲んだくれ』だの『壁工事団』だの罵られてきたんだ。恩返しくらいさせてくれ……よ……」

 

ハンネスの顔が恐怖に染まる。

 

「ハンネス……?」

 

カルラが困惑したように呟くが無理もない。調査兵団と違い、駐屯兵団は巨人と戦ったことがないのだ。生身で巨人で戦うことに対する恐怖など察するに余りある。

 

そしてグリシャもまた貴重な一瞬を消費し硬直した。しかしハンネスと異なり恐怖から来るものではなかった。

 

「──ダイナ……なのか?」

 

彼らを嘲るような表情で見下すその巨人の姿に見覚えがあったからだ。かつて共に楽園送りにされた前妻。自分を見つけ出すと言ってくれたダイナ・フリッツが巨人化した姿に。

 

最悪な形でなされた運命の再会を前にして、グリシャは思考を停止した。

 

「ハンネス、先に行っててくれ。私が囮になる」

 

尤もな理屈を言ったようでありながら、その実グリシャの心にあったのは別の何かだ。

 

「──クソッ! 許してくれカルラッ!」

 

「──あなたッ!」

 

グリシャは震える足で巨人へと近づいた。妻の声が段々と遠ざかっていく。

 

そして気がつけばグリシャは巨人の手の中に収まっていた。

 

(これで良いんだ……これで終わりにしよう……)

 

自分が食い殺されることで、ダイナは復活を遂げるだろう。迷いの中で溺れていたグリシャにとってその死に方は、一本の藁に過ぎないが確かな救いに思えたのだ。……それが例え逃避であったとしても。

 

 

(これで……)

 

巨人と目が合う。その一瞬グリシャは瞳の中に、一人の少女を幻視した。それはこちらを観察しているようだった。

 

そしてグリシャは咥えられ、口が閉じられる。腰の当たりが歯ですり潰されて、上半身と下半身が別れた。

 

(私はやはり何も変わらず愚かなままだ……すまない──)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(──ダイナ)

 

『オォォォォォッッッッッ!』

 

ジガンシナ区に再び、雷が降る。

 

【7】

 

『壁が破壊された日、シガンシナ区にて巨人を襲う奇行種が現れた。その巨人は内門を背にし、まるで守っているかのように他の巨人を殺し尽くしたが、突如群がった巨人の大群に襲われ逃走。その後内門は鎧の巨人によって破壊された』──報告書より。

 

「はぁ……この巨人を捕獲できたら人類の巨人に対する理解が飛躍的に高まったかもしれないのにねぇ……君もそう思うだろう? リヴァイ?」

 

「触るなハンジ。服が汚れる」

 




【原作との違い】
・グリシャが内地に行っていない
・ダイナ巨人死亡
・カルラ生存
・エレンが母の死を目撃していない

妻を守るためにかつての妻を殺すグリシャ……美しい……これ以上の芸術は存在しないでしょう……。と、始祖ユミルが言ってました。

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