【56】
殴る、殴る、殴る。
エレンはただひたすらに、力任せに己の拳を女型の巨人に向けて振るった。
つい先程まで冷静だったはずの彼は、我を忘れて怒り狂う。仲間を救えなかった自分に対しても、仲間を殺した女型に対しても。
そうなるのも無理はない。彼が完全な巨人体になるのはこれで通算4度目である。一度目は継承のとき、二度目は巨人に食われたとき、三度目は穴を塞ぐとき。そのいずれも正気を保てていたとは言えなかった。
それにそもそも、エレンは15歳の少年である。感情のコントロールができるにはもう4、5年程の時間が必要だった。
『ウォァァァッッッ!!!』
体勢を崩し床に倒れた女型の巨人に馬乗りになり、顔を殴りつけるエレン。拳はかわされたが、大地は大きくひび割れた。反動でエレンの腕が裂け蒸気が上がる。
(引き千切ってやる……この手が治ったら、バラバラにして喰ってやる……ッ!)
しかし、エレンのその殺意は遮られた。この場にいたもう一体の巨人によって。
シャルルはエレンを羽交い締めにして女型から引き剥がした。はたから見れば女型を助けるように見えただろう。正気を失ったエレンもそう感じたようだ。
『落ち着きなさい、エレン・イェーガー』
『邪魔を……するな……ッ!』
『力と怒りに飲まれては……なりま、せん!』
邪魔をされたエレンは見境なく暴れる。手にした力を思うがままに扱えない煩わしさが彼を支配した。その心が、巨人同士の肌で触れ合ったことでシャルルにも伝わってくる。
(調査兵団もグリシャ・イェーガーも……せめて彼に心構えくらい教えなかったのですかッ!)
シャルルはエレンの首を手刀で打った。知性巨人同士での格闘戦は基本消耗率で勝敗が決まるが、直接本体を狙った場合はその限りではない。
うなじを揺らされひるむエレン。そしてそこに、女型の飛び蹴りが来た。彼女もただぼうっと眺めているわけではない。隙をついて二体を巻き込むつもりだったようだが、当たったのはエレン一人だけである。
シャルルは女型と睨み合う。奇遇にも互いがカウンターを得意としているせいで、どちらも先手を出し損ねていた。二体の睨み合いがまだ続くかに思われたが、背後に飛ばされたエレンが起き上がりシャルル目がけて飛びかかる。
進撃の巨人は特筆すべき力はないが、継承者本人の精神的な強さはピカイチである。何度投げ飛ばされようが彼は絶対諦めようとしないし、体力の許す限りは何度でも立ち上がるだろう。
そして言わずもがな女型巨人は格闘戦最強。その上中身も格闘術の手練れときている。
対して、シャルルの操る始祖の巨人は基礎性能が九つの巨人最弱である。パワーは車力とトントン、俊敏性は顎に劣るし、防御力は鎧以下。座標以外に特殊能力も無し。ほぼ座標頼みの性能だ。
これが、他の巨人の脊髄液を飲んでいたのなら話は変わっただろう。だが生憎その手の財産はすべてレイス家の地下室にある。シャルルは未だに、ロッド・レイスとの接触ができていなかった。一応大貴族なので手荒な真似もしづらい。巨人のことは壁内の政変が終わってからで良いと高をくくっていた結果がこれである。
しかし、始祖にはなくともシャルルには武器がある。この身一つで覚えた格闘術だ。この道約120年にもなる。故に……。
『私は、あなたたちよりも強い──ッ!』
すぐさま背後を向きエレンを掴んだ。驚くエレンを武器に、そのまま遠心力で女型を攻撃する。
エレンの足に吹き飛ばされた女型を尻目に、シャルルはエレンの腕を肩に回し、背中で彼を持ち上げる。
背負投げされたエレンは、地面に強く打ち付けられた。
【57】
訓練兵時代。ある日の夜のことである。エレンはそれを見て驚愕した。
「ミカサ……お、お前ボロボロじゃねぇか! 誰にやられたんだ!?」
「心配してくれるの……?」
「いや、お前をそんなふうにできるやつがこの世にいるなんて驚──」
最後まで言わせてもらえないエレン。
彼が驚いたのはミカサが顔にガーゼやら包帯やらを巻いていたからである。話に聞くと、格闘訓練でそれはもうコテンパンにやられたらしい。エレンは到底信じられなかった。
「相手はやっぱりアニか?」
エレンの予想の相手はアニ・レオンハートである。彼女は小柄な少女であり、自身を乙女と称する一方、あのライナーでさえ投げ飛ばすことのできる凄腕の格闘家であった。
ライナー経由でよく共に訓練するようになったエレンも毎度のごとく投げ飛ばされてる。『あんたは投げやすくて気持ちが良い』だそうだ。
(いや嬉しくねぇよ)
しかし、ミカサの答えた相手はとても意外な相手であった。
「違う、私の相手はクリスタだった」
「冗談だろ!?」
クリスタはアニよりもさらに体格が小さい上に、開拓地にいた頃は暴力を苦手ともしていた。そんな彼女がミカサを相手できるほどの実力だとエレンにはさっぱり思えなかった。
「疑うなら、明日試してみると良い。私も再戦を申し込むから、エレンも一緒にどう?」
ミカサの誘いに好機と思いエレンは頷いた。そして翌日。
「なんでお前もいるんだよ……アニ」
「あんたの方こそ。もしかして投げられ足りなかった?」
「まぁまぁ……じゃあせっかく四人いるんだし、軽くトーナメントでもしよっか。エレンは私とやろう?」
「なら私はアニと……いつもエレンを投げてくれてるから、そのお礼をしてあげる」
「奇遇だね。私も、獣に技が効くか試したかったんだ」
その場に揃ったのはアニ、ミカサ、エレン、そしてクリスタの四人であった。物々しい雰囲気で去っていくアニとミカサを横目にエレンはクリスタを見る。
「アニとミカサ、いつの間に仲良くなって……」
彼女はオーラを纏う二人を見てニコニコと楽しげに笑っていた。彼女がミカサを投げ飛ばしたとは到底エレンには思えない。だが、結果はすぐに分かる。
「それじゃあ、準備は良い?」
「あぁ──うぉっ!?」
襟首を掴まれたと思ったら、エレンは青空を見上げていた。
「あれ? ご、ごめんなさい、エレン。でも、準備ができてないならそう言って欲しかったな……」
「いや……悪い。大丈夫だ。もう一回──ガハッ!」
今度は股に足を差し込まれたかと思えばクリスタを見上げていた。
「も、もう一回! ──フガッ!」
「な、なんで……ッ!」
「まだ行け……あぁっ!」
「なんだコレ……全然分かんねぇぞ。捕まったらどうやって抵抗すんだ……」
息も絶え絶えに、エレンは大の字になって地面に寝そべっていた。さすがの教官もこれには目をつむるだろう。しかし、いつの間にクリスタはこれほどの格闘術を覚えたのだろうか。たった半年間離れていただけのはずなのに、気がつけば手が届かないような遠くにいる気がエレンにはした。
寝そべるエレンのもとに先ほどとは打って変わってつまらなそうなクリスタがやって来る。格闘中に前髪が垂れて目元が隠されていたが、エレンにはすぐに自分を見下していることが分かった。そういう気配を纏っていた。
「大丈夫ですか? エレン・イェーガー。あなたは、こんなものではないでしょう?」
「あぁ──当たり前だ!」
差し出された手をエレンは取る。そしてまた投げ飛ばされた。トーナメントはアニとクリスタに決まった。
【58】
『大丈夫ですか?』
『──?』
気がつけばエレンの視界は変わっている。大樹の麓で座り込むエレンは、誰かに手を差し伸べられていた。
(なんだ、今の。夢か……って違う! 俺は巨人になって、それから……ペトラさんとオルオさんは!?)
エレンは辺りを見渡した。近くに二人の姿はない。代わりに、自分に向けて手を差し出す未知の巨人と、その向こうで起き上がろうとする女型の巨人の姿を見た。
『正気に戻ったようですね。立てますか?』
『ハ……ア……?』
エレンは巨人の口から言葉にならない音を出した。彼の巨人には発語器官が備わっていない。こればかりは適性である。
『あなたが正気を取り戻す間に女型は傷を治してしまいました。次は失敗しないように』
(喋ったのか!? と言うか、こいつはなんなんだ? 俺は……こいつを知っている?)
頭の中を疑問が駆け巡るが、彼を取り囲む状況がそれを許してくれない。
『我々の目標はリヴァイ・アッカーマンが来るまで耐え忍ぶことです。女型が来ます、構えて』
言われるがままに立ち、エレンは構えた。対する女型もまたこちらを見据えている。エレンが正気を取り戻して二体一の形となり、攻めあぐねているようだった。
互いが一歩も動かない。エレンもまた先ほどと異なりじっとしたまま、二体の構えを観察していた。
(あの構え、どこかで見たことがある。そうだ……あの日だ。俺が散々投げ飛ばされたあの日、ミカサは前日の負傷のせいでアニに負けた。それからクリスタとアニが──)
不意に、女型が空気を吸い、その胸が大きく膨らんだ。
『まずい、叫びを使う気です!』
瞬時に策を見抜いたシャルルは女型にその隙を与えまいと攻撃するが、しかし女型はそれを読んで避けた。ブラフである。
無理に突撃したシャルルは横を抜かれた。女型が向かうのは何かに気づいて動けないままでいるエレンの方だ。
多対一の基本。先ず、弱い方を狙う。
(アニ──)
『避けなさい、エレン!』
女型の強力な回し蹴りが襲う。大樹の幹をも穿つその蹴りはエレンを庇ったシャルルの、始祖の巨人の頭部を完全に吹き飛ばした。
そこには奇しくも、下顎とうなじから上だけが残されている。
エレンはそれを見てもまだ動けずにいた。いや、正確にはまた動けなくなった。
蒸気を上げて崩れゆく巨人の体から、その中身が現れたからだ。
「二度も失敗を犯しましたね、この愚か者。あの回し蹴りに当たったのは初めてですよ。しかし、まぁ……良いでしょう。もう時間です。次は壁の中で会いましょう。エレン・イェーガー、そして……アニ・レオンハート」
エレンは見た。クリスタ……否、クリスタと瓜二つの顔立ちをした、紫色の瞳の誰かを。
彼、あるいは彼女はフードを深く被り、蒸気に紛れ飛ぶ。そして巨大樹の森の奥、暗い緑の影となって消えてた。
漫画の王政編読んでたらクリスタが「次の役割は女王ですね」って言っててエグいっすわ。よりお労しくなっておられる。
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