【59】
女型の巨人の中身──アニ・レオンハートは焦っていた。
この第57回壁外調査でエレンが連れ出されることを知ったマーレ組は、この作戦に唯一存在が割れておらず、そして憲兵団所属で、なおかつ馬を追える脚力を持つアニの女型の巨人を投入することに決めた。
アニは前日に憲兵団の同僚のヒッチに病欠を頼み、対価として彼女の頼み事をこなした。
かくしてエレン強奪作戦を実施したアニであったが、早速トラブルが起こる。ライナーから右翼側にエレンがいるとのリーク情報を得たが、そこにエレンの姿はなかったのだ。
なし崩し的に彼女は陣形を破壊しながらもエレンのいる中央後方の奥深くまで入り込むことになり、結果として一度捕らえられてしまったのである。
自分のことが予見されていた。
調査兵団エルヴィン・スミスの底知れなさに彼女は驚いたが、さすがに女型の持つ叫びの力までは予想できなかったらしい。
己を無垢の巨人に食わせることで彼女は危機を脱し、再びエレン確保のチャンスを掴んだのである。
エレンを護衛するのは調査兵団精鋭のリヴァイ班であったが、彼らもまた知性巨人に対する知識が不足していた。
所詮は無垢の巨人としか戦ったことがないんだなと、アニは二人目を殺し、三人目を踏み潰そうとするところまでは思っていた。
そして、またしてもトラブルが起きた。
アニの目の前に新たな知性巨人が現れたのだ。
事前情報のない巨人にアニは一瞬驚いたが、関係ない。両方を奪えば済む話であった。
現在マーレの手の内にない知性巨人は顎、進撃、そして始祖の三体である。顎は体格の小さい巨人のため、14メートルはあろうその巨人は必然的に進撃か始祖のいずれかであった。始祖の巨人がフリッツ王の家系たる王家の血筋に継承されていると思われる以上、それが始祖の巨人である可能性は高い。エレンが王族は流石に信じ難い。
始祖の巨人は初代フリッツ王の残した『不戦の契り』によって座標が使えないとのことであった。その詳細は分からなかったが、始祖が無敵の存在でないなら、アニにも勝ちの目がある。
王都にて宛のない手がかりを探す日々からおさらばできると思い、アニは気分が明るくなった。
だが、結果はどうだ。その巨人は自分と同じかそれ以上の格闘術の使い手ではないか。
どこか見覚えのあるその動きに違和感を覚えながらも、アニは苦戦を強いられた。
何故かこちらに来たエレンがその巨人の足を引っ張ってくれたから良かったものの、あのままタイマンをしていれば負けていたのはこちらだっただろう。
呆然としたままのエレンを無視し、アニは頭をなくし崩れ行く始祖の巨人のうなじに齧り付こうと立ち昇る蒸気をかき分け近づいた。
──そこにいたのはアニもよく知る少女、クリスタ・レンズだった。瞬間、アニのなかで違和感の正体が判明する。
始祖の動きに見覚えがあったのは当たり前だろう、アニとクリスタは同期の中でももっとも共に格闘訓練で組手をした仲だ。お互いの技のクセや動きは把握していた。だから一対一のとき、あれほどやりづらかったのだろう。むしろなぜ気づかなかったのか。
しかし……様子が変である。クリスタはあのような顔であっただろうか。瞳の色は、紫色ではなく青色ではなかっただろうか。
などと考えていたのが悪かったのだろう。エレンと同じく、アニは硬直してしまった。その隙に、クリスタは何かを呟くと立体機動装置で飛び去ってしまう。
(待って……!)
アニは手を伸ばす。しかしそれを遮るものがいた。エレンである。アニが動き出すと同時に、彼もまたアニを止めようと動き出した。
『ウォォォ──ッ!!!』
『アァァァ──ッ!!!』
(いい加減、邪魔なんだよあんたは……!)
アニは始祖を、クリスタを手に入ればそれで良いのだ。壁内人類の死滅、大義、ライナーとベルトルト、その全てを置き去りにしても、クリスタさえ連れて帰ればアニは父親の下に生きて帰ることが許される。
(やっと掴んだ、チャンスなんだよ……ッ!)
もはやエレンの進撃など必要ないとばかりに彼女は猛攻を仕掛けた。彼を生かす気などない。殺意を込めた本気の拳がエレンを襲う。
だが、エレンは一歩も引かない。先の戦いの中で女型より格闘戦の実力が下だと自覚した彼は、なりふり構わずにアニにしがみついた。腰にしがみつくエレンをアニは上から殴る。ひたすら殴る。うなじを狙うことも忘れて。
(離せ……ッ! 私は故郷に……あの男のところに帰って、日常を──)
日常。
アニにとって日常とはなんだろうか。ひたすらあの男に訓練と称し殴られ続けるのが日常だろうか。それとも、成長した自分が逆にあの男を蹴ったあの日が日常だろうか。
それとも、男が……父親としてアニの無事を祈ってくれたあの日が日常だろうか。
違う。アニは男の、父親の、家族のところに戻りたいだけだった。しかし、そこにはもう日常はない。
アニにとって日常とは……多分、格闘技の訓練をすることだった。辛くても、きつくても、成長していく楽しさがあった。だがアニは父親の足を折った。だからもうそこに日常はない。
(私は……)
アニは思い出す。クリスタと意外な技や動きを一緒に研究した。突っかかってくるミカサと何度も本気で組み手をした。嫌がるエレンを無理やり参加させ鍛えてやった。そういう格闘訓練の思い出を。
アニは、家族のもとに帰りたい。でも、そうしたら、ここで得た日常は失われてしまうと、今更ながらに気づいた。
クリスタはどうなる。マーレに連れ帰れば良くて食い殺されて、悪くて苗床だろう。女として最悪の余生を過ごすことになる。
アニがマーレに帰れば、ミカサやエレンに会うなど夢のまた夢だ。
いや、本当に今さらだ。気づいたところで、もうすでにその日常はない。アニがこの手で壊してしまったから。
(あぁ、なんだ……私、とっくにあのクズと同じになってたんだ……)
アニはエレンをなぶる手を止めた。もうその気が起きなかった。そしてエレンを引き剥がすとその場を立ち去った。
心身ともに疲労した彼女は、ひたすら壁を目指し走る。始祖の正体、自分の正体、己の任務、潜入仲間への連絡、そのすべてがどうでもよかった。今はただ己の部屋のベッドで横になり、休まりたかった。
16歳の少女としては極めて普通の思考であろう。
ただアニの背中を見送るエレンだけが、その場に残されていた。
【60】
「エレン!」
エレンの咆哮を聞いたミカサが現場に訪れた時には既に全てが終わっていた。そこに残されていたのは壮絶な巨人同士の戦闘の痕跡と、消えゆく一体の巨人の死体。そして未だ回復中の巨人と化したエレンの姿であった。
「エレン、大丈夫? 私が分かる?」
巨人は頷く。以前と異なり理性があるようだった。ミカサはその反応を見て安心する。
「とにかくここは危ない。みんなもう撤退を始めている。エレンは……自力では出られないよね。こんなとき、アルミンがいてくれれば……」
「おい、ガキども。何があった?」
「リ、リヴァイ兵長……?」
そこにやってきたのはリヴァイだ。彼はミカサとは反対側の肩に乗る。
「オルオとペトラから話は聞いた。まさか、もう全部終わっちまったのか? ……おい、エレン。どうなんだ、出てきて説明しろ」
エレンに反応は目立った反応はない。ただ彼はじっとどこかを見つめている。
「クソッ……今からお前をうなじから出す。変に動くなよ。首がもげても、俺は知らねぇからな」
リヴァイはエレンの首にアンカーを刺し、剣を抜いた。それを見たミカサは鬼の形相で止めに入る。
「待ってください……エレン!?」
「おい、どうした!?」
突然エレンが立ち上がった。すでに彼の傷は完治したようだ。エレンはどこか行きたそうに二人を見る。
「……エレン、もしかして走って帰るつもり?」
エレンは頷いた。
「……本隊は向こうだ。得られた成果は少ないが、少なくともおまえが馬の代わりくらいはできるようになったことを、やつらに教えてやれ」
エレンは走り出す。そうしたい気分であった。何より、今はこの巨人という肉の鎧を脱いで他人と顔を合わせる気分ではなかったのだ。彼は蒸せるようなうなじの中で思う。
(クリスタが巨人だった。アニも、巨人だった。クリスタはオレたちを助けてくれた、味方かもしれない。アニは……俺たちの仲間を大勢殺した。殺すべき、敵。だけど、あいつは……)
あの時、エレンには去っていく女型の巨人が、涙を流していた気がした。
かっこいいアッカーマン戦書こうとしたらいつの間にかアニちゃんがライナーして帰って行った。何を言ってるが分から(以下略)。
【原作との違い】
・よわよわアニ
・リヴァイが足を挫いていない
・エレン巨人が撤退戦に参加する
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